2014年 3月 24日 (月) 桂 |
六原自治連合会刊行の『空き家の手帖』制作に関わりました。1章 あなたの家、空き家にしていませんか?2章 空き家を活用しましょう3章 活用のノウハウ4章 今日から始める空き家相続編集、DTP、本文構成、本文イラスト、表紙デザインなどをぽむ企画が担当しています。3/18(火)の京都新聞で紹介されました。3/19(水)に東山開睛館(学区内の公立小中一貫校)で、地域向けのお披露目イベントがありました。↑日付を訂正しました。ーーーこの仕事は、非常におもしろかったです。何がおもしろかったのか、忘れないうちにまとめておこうと思います。これは京都市東山区の「六原学区」有志の方々によるまちづくり組織「六原まちづくり委員会」の発案で生まれた、六原学区の住民に向けて、空き家の問題点と流通の大切さを訴えるブックレットです。これ、ふつうは行政がつくるような冊子が、特定の地域の有志でつくられたという点が、まず着目すべきポイントかと思います。なぜ六原学区が自らこのような冊子をつくるに至ったのか。そんな状況を受けて2000年代から、地域と行政、および外郭団体の連携で、空き家対策が進められてきました。そんな中、2011年に発足した六原まちづくり委員会から「空き家対策は、まずは空き家の所有者に訴えかける必要がある」という声があがり、冊子制作へと話が展開したというわけです。われわれは冊子制作にあたって呼んでいただいた、いわば六原学区が連携する「外郭団体」の1つです。京都女子大学、京都府建築士会、京都府不動産コンサルティング協会、京都市景観まちづくりセンター、HAPSといった、そうそうたる組織と横並びで「ぽむ企画」の名……。制作にあたっては2013年8月から2014年2月まで、11回の会議やワークショップ、事例調査の機会が持たれました。われわれは、2013年9月30日の第2回の制作会議から参加しました。この制作会議を重ねながらつくるスタイルこそが、冊子の内容や表現を、よく練られたものへと導いたのではないでしょうか。なぜよかったか、その理由は大きく2つ。1つは、制作メンバーが地域の方、建築、不動産、まちづくり、空き家マッチング等、さまざまな専門や視点が集まるバランスのよい構成だったことです。本文は、制作会議で各専門家にお話いただいたことをまとめ、続く会議でいわば監修にあたることをしていただくという形でつくっていったものです。そしてすばらしいのは専門家のみならず地域の方、対象読者と同じ目線の方に会議に参加いただくスタイル。複眼的な視点からのチェックを経て、要点が絞り込まれた文章へとブラッシュアップされています。(冊子の制作会議に読者目線が入るというのは、女子高生向けのお菓子の開発の会議に女子高生を入れる的な、ようはマーケティングと製品開発を同時にやる方法の一種なんだと思いますが、こういうことを、いやらしくなくさらっとできるのは、地域発の取り組みだからですね)もう1つは、これは制作メンバー個々に由来するもののような気もしますが、冊子を誰に読ませたいか、どういう効果を期待したいか、というビジョンが最初から非常に明確だったことです。しかも制作会議を重ねてもまったくぶれない。たとえば最初の会議では「配った後、家にずっと置いておいてもらえるような冊子にしたい」と言われました。そういう本にしておけば、空き家の所有者がその場で読まなくても「あの家、どうしよう」という話になったときに手にとってもらえるだろう。表紙など本の佇まいは、こうしたお話をベースにしています。ただ、この本はわかりやすさが重要になるので、表現にはかなり工夫が必要でした。本文の構成は、最初に参加した制作会議のあとみ江さんがさらっと書いたこのようなラフが元になっています。最初の会議で「話し言葉で表現し、親近感をもたせられないか。特に京ことばの優しい口調がよいのではないか」という提案をいただいたので、右ページに架空の家族「六原家」による会話がなされ、左ページで大学の先生「マチコ先生」や建築家「ケンさん」、不動産業の「フドウさん」などが解説をするという構成が生まれました。 右ページの六原家の会話は、ひとまずわれわれが書いてみたものの、2人ともあずまえびすなため、かなりトンチンカンな京ことばになっていたらしく、会議で盛大にツッコミが入れられた挙句、「地域の人たちに正しい京ことばになおしてもらうワークショップをしよう」という話に発展しました。われわれが京ことばがわからないことが、結果的に住民の方々を巻き込んだワークショップにつながりました。また制作会議とは別に3度にわけて事例調査をし、建築家の垣内光司さんの指導で、住人が祖父から受け継いだ町家を自ら施工をして改修した「Do it yourself」や、RADの改修設計・ワークショップ監修で、専門家、芸術家など100人あまりの協力者の手で改修した「HAPS」など空き家改修事例を4つ(うち3軒は六原学区内)を紹介しています。 ところでわれわれは六原まちづくり委員会の方々に「プロの方」と称されることが多かった気がします。「プロの方=素人クオリティとは一味ちがう成果物に仕立て上げる人」といった感じの、ばっくりした意味なのではないかと思われます。われわれは基本的には「編集」という作業をしているつもりでしたが、それほど一般的ではない「編集」という言葉が出てくることはありません。逆に「デザインをしてくれた」といわれた記憶はあります。ともあれ「プロの方」の専門領域というものは、あいまいで幅広いもののようで、われわれもそのように仕事をしました。そういえば社会に出てから東京に引っ越す2005年までの間の京都時代も(そんなプロでもないのに)なんだかいろんなことをやっていたものでした。今まわりを見回しても、「建築家」とか「編集者」といった肩書きで、なんだかいろいろやってしまう人たちというのは多い気がします。 |
2013年 2月 3日 (土) 桂 |
昨年9月の第1回からはじまり、2013年1月20日(土)の第3回「働き方・生き方・稼ぎ方」で全5回+番外編中の3回が終了して、だいたいUターンしてあとは走り切るぞという頃合いですので、このあたりで第3回のレビューを兼ねてPROPS プロトークについてまとめておきます。 PROPS プロトーク土地と建物をめぐる、業界横断型のトークイベント (提供:PROPS/撮影:楠瀬 友将)個人的には、少し前まではほとんど見えなかった組織に属して働く人の話が、ちょこちょこ、うっかりと外に漏れてきているのが建築・不動産業界におけるソーシャルメディアの効用の1つだと思っていて、PROPSという集まりもそんな効用のおかげで成り立っているのかなと思ってます。で、第3回第1部のテーマ「転職」ですが、転職の内実というのは内々の情報交換で留まるケースが多く、建築や不動産の世界に限っていえば、これまでそうそう表に出てこなかった話をおおっぴらにできたのがよかったのかなと思います。まず建設・不動産業界の動向と転職市場という、いつもは噂レベルでヒソヒソとやっている話が、転職エージェントから客観的に詳らかにされたのは(そこで語られる実情は最悪ですが)よかったです。また業界のブラックな体質、リストラ……といった通常は表に出ないであろう実体験と、そこからどう抜けだし、辛い状況に立ち向かうために何をすべきか。ということがオープンに語られたのも(景気のよい話はあまりないのですが)よかったです。
そこから連鎖してtwitter上で経験談や知恵が寄せられ、鬱とか長時間労働とかパワハラとか、辛い状況に置かれた社会人に役立ちそうなノウハウが(意図せず)集まるという思わぬ副産物もありました。これまで3回のPROPSの中で個人的に最も手応えを感じたのは、前回の第2回「開発・オペレーション」です。「鉄道システムの海外展開」「工場オペレーションの輸出」などという、なかなかハイコンテクストなテーマを、建築不動産それ以外いろいろ入り交じって議論するというシーンが生まれており、軽く目頭が熱くなったものです。で、第3回「働き方・生き方・稼ぎ方」というテーマは間口が広そうでいながら実は“困ってない人にとってはどうでもいい”ところもあるので、どう展開するのか若干心配でした。しかしスピーカーの率直な話をきっかけに風通しのよい議論が起き、当事者が語るリアリズムみたいなものの強さとこれまで内々でなされていた話題を表に出す効能みたいなものを感じた次第です。場づくりが重要だ、ハードからソフトへの転換だ、などと建築や不動産の業界でも叫ばれがちな昨今ですが、こういう話は専門分野内でしゃべっていても生産的な話にはならなかろうと、建築や不動産の専門領域にくくられないアプローチで新しい生き方/仕事場を築いている人に話してもらった……という感じです。第2部の面白さは、司会の納見さんによる最後のコメント「建築や場所がフリーランス化しつつある」に集約される、圏外から見出されつつある土地や建物のゆるい使い方にあるのかと感じました。「稼ぎ方」についての話が出て来なかったのでは……というツッコミがtwitterからちょこちょこありました。しかし人も場所もフリーランス化が進んでゆけば、第2部のゲストたちのように建築・不動産の専門分野外からプチ不動産事業とでもいえそうな仕事をする人はこれからますます増えていき、そうした動きを反映して土地や建物に関わるハードルも下がっていきそうな気がします。そんな局面が訪れたとき、これまで巨大開発で効率よく儲けてきたプロが何をして、どう稼ぐのか。 |
2012年 7月 2日 (月) 桂 |
一昨日まで京都に3日間おりました。取材で「京都に拠点を構えた、東京のギャラリー」のお話なんかを聞いているなかで、自分がなぜ京都に引っ越すのか、ちゃんと説明しておいたほうがよいなあと思うに至り、ここに理由をさっくり書いておきます。○京都に移転を決めた3つの理由1.ぽむ不動産み江さんが昨年1月に購入した家の本格活用をしたいです。東京あたりだと家をもつというのはたいへんな一大事ですが、京都には手頃な価格で購入できる戸建がたくさんあります。そんな地方都市のありふれた「普通の家」を楽しくすてきに使い、収益をあげる方法を模索します。ちなみに「京都のプチプライスな不動産を購入し所有すること」のように、(比較的)気軽に出せる金額のものを購入して、いろいろ手をかけて楽しむというようなことを、み江さんは「プチ所有」と名付けました。ライターとして建築のことをいろいろ取材してきましたが、建築を見て人に話を聞いて雑誌等で伝えるだけではもったいなく感じることが多くなってきました。いろんな人と一緒に遊びながら、実践を通じて「建築おもしろい!」をひろめたいという思いもあります。3.勉強東京にいる間、運動や自炊の時間を削って仕事をしていたのですが加齢にともない体力の低下などが心配になってきました。また仕事もキャリアを積むほどわかってることや得意な仕事を頼まれるケースが多くなるので、苦手なスキルを高めたり、知らない分野を勉強したりする機会が少なくなってきました。なので京都にこもって勉強や健康維持のための時間を取りたいです。 |
2012年 6月 24日 (日) 桂 |
明日久しぶりに藤村さんに会うので予習のつもりで手に取ったもの。2011年7月16日に5時間かけて開催したシンポジウム『3・11後の社会デザインー東北の再生と東京の再編』をまとめた本で、著者のおふたりはそれぞれ総合司会が三浦展さんで、各回司会が藤村龍至さんという位置づけ。発行年月日を見たら2011年11月15日。かなり急ぎでまとめた模様。この人数の寄稿で新書をつくろうとしたら、えらい労力がかかる。たった1度のシンポジウムを本にするとは手抜きなのではないかと思わなくもなかったけども、議論の中から出てきた生産的な意見もあるだろうし、一気に話したからこそ出てくる全体のまとまりというのもあるだろうし、よい手抜き。二部にわかれているうちの前半、第一部を読んで気になったのは釜石の仮設住宅の計画に関わっている大月敏雄さんの発言。こういう「普通の仮設住宅」があると発注者にあたる県も安心するとのこと。密かに、しかし確実に存在するコミュニティが苦手な層も視野に入れた、リアルな要求に答えた案だなあと。というルーチンワーク中の読書感想文(ゆるめ)でした。 |
2012年 6月 18日 (月) 桂 |
建築と不動産の間にある超えられない壁みたいなものを解きほぐして、厳しい業界のこの先にある道を一緒に探そう、という感じのイベントです。以前2度ほど「建築・不動産実務クラスタ交流会」という名前で開催されていました。さて昨日6/17(日)にそのキックオフイベントがありました。そもそもPROPSて何だよということからはじまり、PROPS プロトークをどうするか考えるという、公開会議でした。(これはあと1週間、タイムシフト視聴できます)トークのメインはPROPS プロトークの全5回+番外編のラインアップをコーディネーター(という名の担当者がいます)が素敵なイメージイラストとともに紹介し、ニコニコ生放送の向こう側の人々や会場に来ている方々からツッコミをいただく……というもの。以下ラインアップで、一番アツい反響があったのは第3回の「働き方・生き方・稼ぎ方」でした。・第1回 10月@東京:開発・オペレーション・第2回 11月@大阪:ソーシャル・ローカルビジネス・第3回 1月@東京:働き方・生き方・稼ぎ方・第4回 2月@東京:マーケティング・レイティング・第5回 4月@東京:BIM・情報管理・番外編 年末@東京:あのプロジェクトや会社はなぜ撤退したのか特にアツかったのが「死なないように働くにはどうすればよいか」という問いかけへの反応。そこでよくわかったのは今現在、あるいは少し歳を取ってから”ふつうに”建築や不動産の仕事をするには体力に不安がある方がかなり潜在するということでした。来月あたり東京を離れ京都に引っ越そうと思っていますが、やはりこちらも理由は東京の仕事のペースが早すぎてじっくり取り組めないことが辛く、環境を変えて考える時間をつくりたいということに尽きるので。そして(当たり前ですが)自分に関係がある、と感じられる人が少ないテーマほど反応があまりよくないです。とはいえ一見マニアックなテーマにこそ実は切実なネタが隠されていると個人的には思ってもいるので、反応が重いテーマはうまく噛み砕いて紹介できるようにしたいですが。 |
2012年 5月 28日 (月) 桂 |
『群像としての丹下研究室』(オーム社)刊行記念トークイベント丹下健三研究室の構想力――彼らが目指した「建築の〈本義〉」とは北山恒×豊川斎赫×南後由和2012年05月27日(日)19:00〜青山ブックセンター……きのう聴講。面白かった。著者の豊川さんが話された内容をものすごくざっくり要約すると、こんなかんじ。「丹下研究室が現代の都市に及ぼした影響や、その先進性を、浅田孝の業績(横浜の六大事業)とか、東大都市工の設立のエピソードとかから解説」驚きポイントを挙げておこう。・東大の都市工学科、丹下健三が設立したとは!・藤森照信さんの大著『丹下健三』を読んで、「これなら重なるテーマで博士論文を書いても大丈夫」だと思った、という話にぐっときた。藤森さんの建築史の「人物中心主義・物語主義」へのカウンターという意識もあったのかな。・会社辞めてわずか9ヶ月で博士論文を書いたって言ってた気が。==============北山恒さんがゲストということもあって対話では横浜の都市計画について触れられていました。そこで『群像としての丹下研究室』を読む前に、積ん読になっていた『都市ヨコハマをつくる』田村明を読んでみた。「情報をどんどん共有し、発言をさせ、一緒になって考えれば、若い人たちは自らやる気をだしてくるものである」というワークスペース論。・そして浅田孝が骨子を考えたという六大事業がなぜ“事業”なのか。「総合計画、長期計画ではいろいろたくさん書いてあるが、印象が不鮮明」「プロジェクト方式では、内容が具体的であり、忘れることはできないから、人々を巻き込むことができる」・横浜スタジアム建設の資金に困り、窮余の一策として配当なしの“オーナーシート制”を発案。「250万円(500円株を5000株)を出資した人には、半永久のプロ野球オーナーシートを一席提供し、広く資金を集めようというものである」。六大事業の発表が1965年、横浜市に企画調整室ができたのが1968年ですが、それなりにいろいろ出揃ったのは90年代から2000年代という感じですね。いまある都市ヨコハマの裏に恐ろしく気の長い計画があったことがよくわかります。しかし、ここまで明快にはっきりした主語で、具体的な都市の計画を語っている本というのは、なかなかないのかな。何しろまちづくりにはいろんな主体が関わっているので「ワシが育てた」といえる人がいないのではないか。ボトムアップ型が強調される最近は、たぶんいっそう控えめなのでは……。丹下研究室のしごとが建物とか、都市計画(案)とかを軸に語られがちな理由もそのへんにあるのかと思うと忸怩たる思いを(勝手に)抱くのであります。 |
2012年 3月 15日 (木) 桂 |
ところで、いま慌てて進めている仕事とは別に、先日「ケンチクナイト」の放置された資料を漁り、ム−ビーをつくる、というワークショップをしました。なんでもかんでも捨てずに取っておいたおかげで(放置していたとも言う)10年前に行ったイベントの様子をとらえた映像や写真がいっぱい出てきました。それらをまとめ、4分ほどのムービーにしました。そして、当時のレシートを元に再現したケンチクナイトおでんやケンチクナイトカレーを食べながら「ケンチクナイト2012を考える非公開市民ワークショップ」を開催。東京・金沢ともskypeでつなぎ、話をふくらませていただきました。以下、youtubeに載っけた解説より転載。ケンチクナイトは、ぽむ企画(http://pomu.tv/)の主催により2002年3月16日、京大吉田寮食堂で行われたオールナイトイベントです。現在建築や情報などさまざまな分野で活躍する出演者たちの10年前の生の声を伝える、貴重な資料となっています。近年建築の分野では、プレゼンテーション方法として「動く映像」を用いる機会が多くなり、こうした映像表現を得意とする作家も現れてきました。一方VJやゲーム、CG、Webデザインといったデジタルデザインの世界で建築畑のクリエイターが活躍することも増え、空間感覚を生かした独自の世界を作り出しています。Q 出演するアーティストはどんな人ですか?A 今回は建築を専門に学んだ人たちを中心に集まってもらいました。学生だったりグラフィックデザインの仕事をしていたりと立場はさまざまです。 |
2012年 3月 3日 (土) 桂 |
日経新聞のウェブに「津波は対抗せずやり過ごせ 名取市・閖上の箱舟構想」という記事が出たのでそれに反応してブログ……じゃなくてブログかぶれ日記を書きます。絵や映像はこれまでもたまに見かけてはいたのですが、名取市の佐々木市長がここまで迫さんの案に前向きだったとは……。(以下ちょっとだけ引用)"市長が切り札の1つとして考えているのが、船の「へさき」のような巨大な構造物を海岸に設置し、背後に配置した敷地が長方形の居住区を守るアイデアだ。これまで、国や自治体は巨費を投じて各地に防波堤などを築いてきた。しかし、東日本大震災ではその防波堤が次々に打ち破られ、無力さを露呈した。佐々木市長は新たなまちづくりで発想の転換が必要と判断。"この市長さんのコラムを見ても、たしかに乗り気のようです。記事を読んで思ったのは「けっきょく絵なのかな……」ということ。ネガティブな意味ではなく、ここまで構造を明快に示した絵がある方が議論も活発になるだろうし課題も、そこに盛り込むべき知恵や技術も明確になるだろう、ということです。すでに記事に東北大学の越村先生のコメントが入ってたりしますが、津波荷重への対策も(まあお金はかかるんだろうけど)土木分野の知見からガシガシ盛り込まれまくるのでしょう。また提案では、産業もセットになってます。”そんな土木や水産の知見や技術が盛り込まれやすいことに加え、何よりこれは、ちまたで話題の「スマート的なるもの」がワラワラ集まってくるに決まってますよね。私もあいのりしたい! と思える枠組みを明確に示すことが、いま有効な都市計画の提案手法なのかなあ、と思いました。(でも「これつくりたい」という市長さんはいても「ここに住みたい」「ここで働きたい」ていう人はあんましいない気がする。 |
2012年 2月 16日 (木) 桂 |
マウイ日記をつけようと思っていたのですが、どうにもブラウザが重く「み江さんのツイートを読む」「ハワイの魚の名前を検索する」くらいしかウェブが用をなさず、1日で終わってしまいました。休むための旅行というのははじめてでした。これまでは予定を詰めまくってステキ風景や建築をなるべくたくさん見る、という貧乏根性まるだし旅行ばかりしてきたので超新鮮でした。あたたかいのにカラッとしていて、朝さっくり起きれて、夜も快眠。なんと理想の外オフィスは、マウイにありました!わー! て、うれしいような、うれしくないような。テラスメシをたべても満足度はたいして高くありません。最近はフリーアドレスやシェアハウスというように”計画”から生活の質を上げたり、仕事の効率化やコミュニケーションの活性化を促そう、という空間が話題になっています。これまでにかっこよくて性能もいい住宅を取材し「朝起きるのがつらくなくなりました」という言葉を耳にして、何度心から羨ましいと思ったことか。そこで観念的動機ではなく、個人の快適さを追求する「ぬくくて快適な家」を”京都”に増やしたい、とかそんなことを考えています。京都に暮らしていた当時、温熱環境がでたらめな家に住んでいました。これはしかし、もしかしたら、不便をかこつことが格好よさの裏返しで、土間から中庭までツーツーで「でも涼しそうでしょ」という「京都の美意識(偏見)」に惑わされていただけのような気もします。昨年、東日本大震災の後「ぽむファンド」立ち上げ会議なるものを京都で非公式に開きました。わりと反射的な思いつきでした。たかぎが銀閣寺に家を購入したことをきっかけに京都の戸建て住宅の改修に興味が湧いて開催したものです。その後「土間の家」や「Chobo」といった古い町家をDIY的に、柱や壁の補修も含めた本格的な自主改修をしている若者たちに出会い、自主改修の可能性に目を開かれたりしたりもしたのですが、結局何事もなく1年経ち、たかぎの戸建て改修も「ぽむファンド」も進まず今に至るのです……。しかし昨年暮れに「Casa BRUTUS」の取材で鎌倉パッシブハウスや北海道の家を取材したりするうちに「これを京都でできないのかなあ」という願望がふつふつと湧いてきました。断熱や気密のためのちょっと特殊な素材や大工技術が必要とはいえ、思ったより単純で効果的。ついでに建築の固有名詞を覚えると街の見方が変わったりするのと同じように、環境性能をあげるための原理がそれなりにわかると建築の見方も変わって面白いです。特に可能性を感じたのは断熱改修です。既存不適格ながら、おもしろい&寒くてむし暑い戸建てが多い京都にはかなり有効なのではないかと考えた次第。そんなわけで……・温熱環境や構造の性能が高い・賃貸で改修OK・すてきこのあたりの条件を満たした家を増やす、というイメージをもやっと抱きながら京都での活動を進めることを考えているのです。 |
2012年 2月 9日 (木) 桂 |
たのしくゆるんでいます。巨・オーブンを活用するため、肉を焼くことにしました(グロ注意)。中に味をつけた野菜を詰める。できた。ナイフも通らないタイヤのような肉! これは元の肉の素質に由来するもので、手塩にかけて育てても走らない馬のようなものだと考えて諦めることにしました(報告おわり)。 |
2012年 2月 6日 (月) 桂 |
こうしたことが苦手なので、わりとニュートラルな媒体で、客観的な記事というものを書く仕事を選んでやってきたつもりである。しかし、そんなニュートラルさというのは思い込みにすぎないのではないかと最近思うようになりました。たぶん、サボってきただけ。その大樹が大樹であるうちは、そういう仕事の仕方でも全然いいのだけども、もし倒れたら、頼れるものは何になるのか。そこで問われるのは、どんなバインダに入っていたかではない。 |
2012年 2月 3日 (金) 桂 |
「編集方針」にある「建築という『学・術』をめぐる広範なアソシエーションの探求」の言葉通り、分野を横断し拡張する特集や記事がつくられており、いちいち聴き応え、まとめごたえがあります。1月号は出てからだいぶ経ってしまったので最近届いた2月号のことを振り返ってみます。東日本大震災の津波を報じる映像の数々や、建物が流されて土台だけになってしまった地面をみて、わたしは建築の限界を感じたものです。震災の後「津波から地域を守る防潮堤などをつくるのは我々の仕事ではない」と建築の無力さをはっきり語る建築家もおり、そこにもやっと疑問を感じつつも、津波のことは「それはさておき」と視野の範疇から外して見ていたのが正直なところです。しかし建築ボケした私の思い込みは、最初と最後、2本の座談会を聞かせてもらって氷解しました。津波はこれまで建築の世界でスルーされ気味だっただけ。まとめ作業の中で印象に残った2つのポイントを要約。・2005年に登場した、津波避難ビルのガイドライン。かつ、あくまで指針なので今ある津波避難ビルがこの基準を満たしてるわけではない。(それどころか、通常の耐震基準すらあやしいという発表もあったね……報道発表資料「津波避難ビル等」に関する実態調査結果について)まあいろいろやれる余地あり。その人選意図は巻頭言参照なのですが、雑誌の編集方針に掲げられた「建築という『学・術』をめぐる広範なアソシエーションの探求」をさっさと実践なされているのがすごいなと思う次第です。 |
2012年 2月 1日 (水) 桂 |
先日『大阪人』の連載「オオサカ・インストラクチャー」のための個人的な取材で、水道や防災や高潮対策のことなどを教えてくれる資料館をいくつかめぐりました。どれも面白くためになったのですが中でも一番びっくりしたのが「津波・高潮ステーション」です。ここは過去に室戸台風やらジェーン台風やらでさんざんな目に遭った大阪の苦闘とその対策を紹介し、防災意識を促そうという施設。前方左右の壁と床に投影された挙句に床も振動する臨場感高すぎの映像で津波の恐怖を味わうという「自動車免許教習所ビデオ系」のトラウマシアターです。しかしいちばんびっくりしたのは「水の都永遠に 毛馬排水機場」というプチ映像です。毛馬排水機場というのは淀川から大川が分岐するところに設置され、大川に流れ込んだ水の一部を淀川に戻すというそれだけの機能を持つ、ものすごく単純なことをするための装置です。しかしその機構は猛烈にものものしい! (しかもたまにしか働かない!)大阪府・毛馬排水機場の解説よりこの明快な図のように大阪の高潮対策の要点は、毛馬排水機場で市街地に入る水量をコントロールしつつ、安治川・尻無川・木津川の3つのものものしい水門。(これもたまにしか働かない!)で高潮をせき止める、という仕組みのようです。建築分野の周辺に十ン年、大阪の構造物に関する連載を3〜4年やってようやく理解したこの構造。荒川の下流が人工的につくられたものだと知ったときや、「白髭防災拠点」を案内してもらったときくらい驚いたのでした。-----さんざん放ったらかしの「ぽむ日記」ですが……折角スペースがあるので、こんなふうに、たまには目から落ちたウロコの話を更新しようと思ってます。また飽きるかもしんないけど。 |
2011年 10月 11日 (水) 桂 |
なくした場所やタイミングがはっきりしてたのですぐ見つかるかと思ったけど見つからなかった。・ちょうどtry WiMAX期間中だったので、iPad(Wi-Fi)+WiMAXでだましだましすごす。・調べたら10月から更新月だった。しかしiPhoneの新機種もWiMAXつき、という噂もあったので様子見。・10/4(火)try WiMAXの期間終了のために機器を返却。・9/30(金)〜10/3(月)さすがにいい大人が携帯を持ってないのはどうかと思ったのでプリペイド携帯を買おうと試みるも行く先々の店舗に在庫なしと言われつづける。・10/4(火)ソフトバンクショップに電話を順番にかけてプリペイド携帯の在庫を確認し、14時以降入荷という回答のあったショップでようやく購入に至る。・しかしWiMAXがつながったのはほぼ仙台周辺のみ。・10/6(木)プリペイドを昼すぎに使い果たす。なぜならば5(水)朝、WiMAXのつなげ方がわからず電話で確認したら意外に長電話になっちゃったから。・10/10(月)なぜか注文とは異なる「htc EVO 3D ISW12HT」てのがお店に届いていた。iPhone4が「au Androidから出るiPhone」と呼ばれるほど混迷するいまの情勢ではそのくらいは誤差なんだと思った。Android、使い方はよくわからないのですがグーグルアカウントにログインしたらなんとなく使えそうな感じになりました。 |
2011年 6月 28日 (火) み江 |
かもめの玉子(ミニ)を100個ぐらい買ったので仕事場で配った。被災地ボランティアとか行かなきゃなーと思ってる人は結構いるけど、実際に行くための情報を持っている人は少ない。そして思った以上に誤解が多い。壊滅的な被害を受けたところが全然片付いてないというのは伝わってるけど、それ以外の地域で平常運転(表面上は)を取り戻しつつあるというのが伝わってない。まあ私も行くまで知らなかったし。でもそういう情報も伝えた方がいいと思うのよ。ここの宿は開いてます、ここは遊びに来ても大丈夫です、そういうことを知らせなかったら敬遠されっぱなしだし。遠野も平泉も盛岡も花巻もすごくきれいないいところだったけど、本当は大槌や釜石や宮古や大船渡や陸前高田の人もそう言ってほしかっただろうな、きれいな町と風景を見てほしかっただろうなと思うとちょっと泣きたくなります。 |
2011年 6月 27日 (月) み江 |
東北本線に乗って平泉に行きました。丘みたいなゆるゆるした低い山がずっと遠くまで続いていて、山の森じゃなくて平地の森がちょこちょこある。川がまたいい。広くてゆったりしている。こんなにゆっくり流れる川は河口にしかないと思ってた。(でも雨が降ると暴れて町が沈むらしく、カサリン台風では水がここ(3.5m)まで来ましたっていう記念碑的なものが平泉駅前に立っている)こういう風景って(国内では)意外に見たことがなかった気がするなあ。お堂の配置もおおらかでゆったりしてて、まあ新緑ってのもあるけど森が明るくて、山のお寺というよりは庭園ぽい。たくさんの神様仏様が拝めて、能舞台(近世だけど)までついている。毛越寺庭園もおもしろかった。なぜかモエレ沼公園を思い出した。「兵どもが夢のあと」が詠まれたらしい高館義経堂って高台に上ると、きみどりを切ってゆるくゆるく蛇行する北上川が一望できる。黒ごまペーストだと思って食べたらえもいわれぬハーブのような芳香がして驚いた。お店の人に聞いたらえごまの実(葉じゃなくて)なんだって。あとくるみのお餅も猛烈うまかった。くるみペーストが生クリーム加えたみたいにねっとりして、やっぱりハーブみたいないい香りがするんだけど、砂糖と塩とみりんだけなんだって。見たことのない山と川と庭を見て、食べたことのないおいしい食べ物を食べた。平泉は予想をはるかに越えてエキゾチックだった。翼の生えたブーツってこれのことだったのか。食べ物といえば盛岡の人は焼肉屋で冷麺だけ食べたりするらしい。よそ者にはややハードルの高いじゃじゃ麺もボラバスで知り合った地元の女性2人に連れてってもらった。しかも車で温泉にも連れてってもらった。岩手に手伝いにきたつもりなのに逆にいい思いしかさせてもらってないや。ボランティア行ったって言ったらすごいとかえらいとか言われることがあるけど、こんなふつうの旅行だからひとつもえらくないです。 |
2011年 6月 26日 (日) み江 |
2日目は大槌行きのバスに乗った。土曜は社会人がたくさん来るので、自営業や自由業などの野良大人(©@yoshihirohoriiさん)や、留年が決定した学生のみんなたちはなるべく平日に行きましょう。まずはフェンスにえたいのしれない綿状のものがびっしり貼りついているので手作業で取る。説明がしづらいけど、たぶん断熱材の繊維と、布類の繊維と、泥が混じったみたいな灰色のもの。フェンスが洗濯ネットみたいな役割をしたのだな。被災地では今まで見たことのなかった種類のごみというか、がれきというか、「もの」の今まで見たことなかった様相を見つけて戸惑う。そこはかとなく積もった泥を土のう袋に詰める。たまに喪服の家族が出入りする。残った人は、仕事があれば仕事、なければ職探し、お葬式、法事、各種手続き、引っ越し準備、親戚の家の片付けの手伝い、明日ここに住めるかもわからないのに庭掃除してる余裕はないだろう。40人で4時間働いて余裕で終わるかと思ったら全然終わらなかったもの。撤収の支度をしていたらサイレンが鳴る。ちょうど100日目の合同慰霊祭だった。アーケード商店街の1階部分がめちゃめちゃになったままでいる。東京から来てるリピーターの女性と、盛岡から遠野を経由して沿岸の町に行く風景がいいのよねえという話で盛り上がった。たまに現れる鳥居がいいのよねえ。銀河鉄道も走ったらしい。 |
2011年 6月 25日 (土) み江 |
再び岩手にがれき撤去に行ったのでまとめます。前回は東京発着のツアーに参加しましたが、今回は盛岡の駅近ホテルに泊まって、盛岡発着の日帰りボラバスに乗るという算段。車持ってないくせに団体旅行はやだとか言ってるろくでなしの私やあなたにはおすすめの方法です。空路で花巻から入りました。真夏みたいな青空。カナダ人もいた。市街地だったらしいところはぜんぶ更地。地盤沈下して水がたまって巨大なため池みたいだ。その向こうに生き残った一本松。したがって屋根は屋根っぽい形のままだし、生活も原形をとどめて出てくる。神社のお札、昭和49年の年賀状、株券、ぬいぐるみ、3時17分で止まった時計。このまえ大槌で見つけた時計は3時20分だった。大槌の河原を片付けたときは、海辺の松も台所の鍋つかみも全部こなごなのピースになっていて、自然と人工の境目がわからなくなるような、なんというか超越的な諸行無常を感じたけど、今回のほうが生々しい生活に触れるので心理的には堪える。自作ポエムの紙も出てきた。「君への気持ち、英語でいえばI love youじゃなくてI'm loving you」みたいなやつ。写真やハガキと一緒にボラセンに届けたけど、作者本人が見つけたとしても名乗り出るかは微妙だな……家が半分壊れた近所の人が大漁旗を干している。漁師のおじさんが田んぼに打ち上げられた船を直している。太い縄で短くつないだ船はみんな転覆したけど、おじさんの船は細くて長い縄で泳がせるようにつないでたから無事だったんだって。隣の田んぼでは富山から来たボラチームが同じような作業をしている。陸前高田の中心部ではひとまずがれきは減ったけど、周辺にはまだこんな手付かずの集落がけっこうあるんだそうです。 |
2011年 6月 3日 (金) み江 |
現地に行こうと思ったのは、小暇と小金のある人間が行くべきだと思ったからですが、ちょっとためらったのは、非力で体力なしのみ江さんが役に立つのかということ。たとえば家の泥出しなんかも、床下は小柄な人の方が都合がいいし、依頼主にしてみれば見知らぬ人を家に上げるわけだから、女の人が来たほうが安心て面もあるようだ。依頼主の主婦やおばあちゃんが同年代の女性ボラに心を開いて話をしたりすることもあるみたい。多様な人がいたほうがいい。人手は圧倒的に足りてないから、自分が行っても役に立たないだろうなんて思わないで、行った方がいい。2日間現地でアテンドしてくれたのは、今井さんという自身も被災された方だった。宮古で勤めていた施設が流されて、自分の真横まで迫る波から走って逃げた。津波が来てからの生活、心情、私たちに望むこと、まっすぐに話してくれた。この人が添乗してくれたのは何よりだった。今井さんが言ってたこと。考えるだけじゃなくて行動してくれた方がいいから。来た人には見たものを伝える義務があるから。がんばれって言われるのは突き放されたようで当惑するけど、がんばりましょうって言ってもらえると励みになる。2日目は雨で、午前中の作業が中止になり、被害の大きかった陸前高田をバスで見に行くことになった。町がなくなったを通り越して地形が変わっていて、スタジアムの照明が海の中に立っている。今井さんの独断で連れてきてもらった。起きていることを見てほしいと思ったそうだ。実際にやってみて思ったのは、3日ぐらいはやる気まんまんで働ける。でもこれが1週間になったらちょっとしんどくなる。阪神淡路の反省で、自給できないボランティアは行ってはいけないという認識が広まった。たしかに災害直後の混乱期はそうだ。指示系統ができて、ボラセンも整備されてきて、素人が働ける環境が整ってきた。4月ごろに比べると、ボラバスもすごく増えた。自衛隊や警察や消防などのプロが献身的に働いてくれたおかげで、今度は素人がすべき仕事が山盛りある。遠野ふるさと村の人たちも本当によくしてくれた。わずか2日間、甚大な被害のごく一部に接したに過ぎませんが、何かの役に立てればと思って、記しておきます。@hajimewbさんがトゥギャってくれてとても助かりました。 |
2011年 6月 2日 (木) み江 |
どうやって大槌まで来たかというと、岩手の観光バス会社が東京から出してるボランティアバスに乗ってきました。日程がちょうど合ったからであってべっべつに「宿泊:遠野ふるさと村内 伝統的な南部曲がり家」とか書いてあったからってわけじゃないんだからねっ!ツアー人数は約30人、男女ほぼ同数で年代もきれいにばらけている。経験をひけらかす人も働かない人もいなくて、よい人たちに恵まれた。有給を一日取って来た人もいるしあと失業中の人もわりといたっぽいです。学生さんにはけして躊躇なく出せる費用でもないと思うが大学生も2人ほどいた。2日目の作業後に1泊できるのが私のような体力なしにはありがたいです。親戚のおうちで出してくれるようなごはんでおいしかった。曲り家は人間と馬ちゃんが一緒に暮らすための家です。土間には馬のカイバを煮るための大きなかまどと釜のセットが埋まっている。へうげものの小堀遠州邸みたいなぐにゃんぐにゃんの柱や梁がいっぱい使ってあって風流だ。田んぼの区画がパッチワークみたいに細かくてかわいい。そこに盛り土をしただけの線路がつーと走っている。小さい山と小さい川と小さい田んぼが箱庭みたいに詰まっている。現役の茅葺き曲り家はもうないそうだけど、瓦やトタンに葺きかえた曲り家ならけっこうある。ほかにも何台かのボラバスと、有志で来てる人たちの車が停まっている。時間は地域によって違うみたいね。津波で流された大手ドラッグストアの仮設店舗もできてる。リピーターによるとGWの頃に比べてだいぶ整備されたそうだ。今回の旅程にはミーティング的なものはなかったですが、夜は曲り家の板の間でナチュラルに飲み会になり、参加者スズキさんの見事な司会によってみんなの感想とか、他の地域の様子なんかを聞くことができた。考えをまとめることができた(まとまってないけど)のは、こうしてほかの人たちと話ができたおかげだ。建築の人はたいがいそうだろうが今までツアー旅行に参加したことがなかったけど、今回はツアーで本当によかったです。 |
2011年 6月 1日 (水) み江 |
ボランティアバスに乗って岩手の大槌町に行ったので報告。自分なら現地に行った人に何を聞きたいかなあと思って書いてたら長くなった。仕事は2日間河原の掃除でした。建材はもちろん、レモン絞り器、北斗の拳コミックス、3時20分で止まった時計、500mほど下流の病院から流れてきたCT写真。でも若い女の子の化粧箱がまるごと出てきた。ヘアピンやマスカラやマニキュアと一緒に、星の砂の小ビンが入ってた。ビンはこなごなに割れていた。かつて意味のあったものが全部小さく細かくなっていて、壊れたのは建物じゃなくて生活だったことを知る。それら人の生きた跡と同じぐらい木の枝も埋まっている。ここで人生を終えた人も多かっただろう。かつて何かだったものの破片だけが大量に残っている。重機が入って一見きれいになったように見えるけど。「地球の歩き方様」とマジックで書かれたレーキをボラセンで借りて、掻いて拾うのくり返し。てごろな「きのぼう」をてにいれたのでぶきにする。地域一帯に干物工場というか磯のにおいを8倍濃縮した感じのにおいがする。見えるところの魚は片付けられていたんだけどね。一度で済む作業ではなくて、雨が降って泥が流れたら、重機で掘り返して、また同じ作業をする。泥をかぶった田んぼや畑の面積を考えて気が遠くなる。役場ごと流されて町長さんも亡くなった町だし、行政主導で行われているとも思えない。まだ見つかっていない人がたくさんいて、片付いてないお宅もたくさんあるなかで、みんなのために一人で花を植えるというのは強い心の要ることなんじゃないかと思う。乗り越えなければいけないことも多い気がする、自分や家族に関する不安だけじゃなくて、被災者格差みたいなものとかさ。菜の花が咲いたらきれいだろうな。 |
2011年 5月 26日 (金) 桂 |
5/3に書いた地図の作成手法が実際のところ結構ややこしく、すっかり忘れてしまいました。なので5/22〜25でまわった上海のルート写真MAPをつくりつつ自分用メモ。次に写真に位置情報をつけるため、付属ソフトの「GPS Photo Tagger」を起動。画像の行程に該当する軌跡を選択し、ライン作成(時間かかります……)「写真/メディア」→「フォルダを指定して追加(またはファイルを指定して追加)」で画像ファイルを読み込む。Google Map の「マイマップ」を開き、「インポート」→先ほど保存したKMLファイルを開く。 |
2011年 5月 17日 (水) 桂 |
(iPhoneのreederを入れたら快適記念、RSSリーダーで読めるかテスト)とてもどうでもよい話を書きます。それは以前使っていた複合機にはじまります。その複合機を購入したのは2005年だったと思います。ガジェットに詳しい(と思われる)人間の「何でもできて便利だってみんな(=ネット上のギークたちのこと)が言ってるよ」という噂話を真に受けて、ろくに調べず選んだのが失敗でした。この触れ込みと現実の落差に「ビョン」という名前をつけました。走攻守揃ったプレイヤーという謳い文句のすべてが中途半端だったあの懐かしい李炳圭選手のことです。複合機をリストラした2009年、本物のビョン選手もNPBを去りました。ビョンに代えて入手したプリンタ兼スキャナ(EP901A)はでかくて黒い筐体から「ブランコ」と名づけました。ビョンにはFAXもついていたので、その穴を埋めるべくFAX専用機(KX-PW820-S)も買いました。そのキビキビとした動作に対し、当時3割を打ちレギュラーを張っていた外野手にあやかり「藤井」と名づけました。しかしながら、しばらくは重宝していたのですが、じきに藤井の出番はなくなってきてしまいました。 |
2011年 5月 3日 (水) 桂 |
佐藤敏宏さん( @satoutosihiro )にご案内いただき、 @ikasamaya さんとともに、東北大学の平川新先生、佐藤敏宏さんのご長男の大介さんらの“古文書救助隊”についていきました。たいへんな数だ。気仙沼の名士宅のリスト(住所等と、おそらく被災状況が書かれたもの)を手に、打ち合わせ。そこに20mの津波が襲ったという。そこにはこの煙雲館を守る鮎貝家の「家中」すなわち家来にあたる人々が暮らしていたという。「三陸沖地震では家中の建物は流されず、人だけが被災した」「チリ地震のときも、この高台からみんなで見ていた。家に伝わって来たという、古文書が詰められた“非常持出し袋”を見せてもらう。ひとつ驚いたのは“古文書救助隊”の取っている方法が集落調査のメソッドとして非常に見事なこと。鮮やかな手順には目を奪われるばかりだった。そして実のところなかなかリアリティが得られないでいた「コミュニティ」なるものの実体がほんのすこしだけ理解できた。こうした集落は被災地に、いろんなパターンで無数にあるのだろうなと。彼らは唐桑町の被災した建物に向かった。短い時間ではあったけど、濃密だった。同じ海沿いの集落を見たとしても、おそらく煙雲館の家に上げていただき、お話を聴かなければ、見える風景は違っていた。貴重な機会をいただき、本当に感謝しています。 |
2011年 3月 9日 (木) み江 |
ひさびさにムトゥ踊るマハラジャのOPを聴いたら一緒に歌いたくなって空耳にした。せっかく文字起こししたのでもったいないからここに置いておきます。みんなも歌ってね☆「ORUVAN ORUVAN(ご主人様はただ一人)」(へーへへーへーへーへーへーへー ほーほほーほーほーほーほーほー へーへへーへーへへへーーえい ほーほほーほーほほーー)★おるばんおるばんむだらーり うらきりまっちゃばとりだーり びにげににっぱばにえまーり あだ べんぞむりっぱばなりわーり★repeat☆ぶーみーえっら あーゆだまだく うっぱりっけ こーなりやだく おんのーぼろろ おっかなまだく あーしくらんだ らぎらもなっく★repeat(せっやせいやだせいやだせいやー へっへっへへー せっやせいやだせいやだせいやー せいやせいやだせいやだせいやー せいやせいやだせいやだせいやー せいやせいやだせいやだせいやあ〜〜) まんでぃみーどゅー まにだぬかーせい! まにだみーどゅー まんでゅんかーせい! まんでぃみーどゅー まにだぬかーせい! まにだみーどゅー まんでゅんかーせい! まんだんからしい じぇいひだどぅーにだ まなんだーふらがー まるっきらどぅー かいでぃこんじゃん かーすぎるんだー みーなわらっく ゆどぅふぁーるん かるくばるくん かーすぎるんだー あんだーろらっく ゆどぅふぁーるん わるでぃんがっだん ぽりどぅびどぅん わるでぃんがーでぃ ぽりとぅるどぅー★repeat(るががろばりえー るががろばりえー かもーり!かもーり!かもーり!がっがっ!かもーり!がっがっ! るががろばりえー るががろばりえー かもーり!かもーり!かもーり!きぇぇ!かもーり!きぇぇ! るががろばりえーあーー ) ばーなぶなくう ぶーみーうぉなくう ばらんかろーてぃ さんでぃがやだるくん ばーなぶなくう ぶーみーうぉなくう ばらんかろーてぃ さんでぃがやだるくん ばーらちょんるど いいっかやらー わるでぃくんどぅん せいっかやらー ぱらめぶげんめい ぱーちょごーどぅー なーはららばー いんでぃがでぃー もとめるんがー でぃらこぼーどぅー もった うんた ゆぬぎらりー ゆにまんゆにめんぽーかーる あら むるまんやなっくまーらーりー★repeat★repeat☆repeat。 |
2011年 2月 25日 (金) 桂 |
それにあたって作成した文章を載せておきます。(実際に文章を書いたのは昨年11月ごろです)今回、京都建築学生之会によって掲げられたdiploma×KYOTOのテーマは「コラージュ、その先……」です。そこで私たちは講評会とシンポジウムに共通する副題として、「これからの設計者に求められること」という軸を考えました。また技術革新によって、建築設計業務の範囲も変容しようとしています。これから社会に出る学生が、自分の将来、そして建築の将来を探るきっかけになるような、さまざまな実務の現場で活躍している方々と話し合う場をつくりたいと思いました。建築や時代に対する学生ならではの問題意識が込められた、独自性の高い展覧会であることを、私たちはとても評価し、尊重したいと考えています。真に学生たちにとって役に立つような、前向きで建設的なイベントにしたいというのが、私たちの願いです。【推薦理由_講評会】講評会では設計から不動産事業、施設の経営・運用、都市計画など幅広い視点から卒業設計を評価していただける審査員を選定しました。・中谷ノボルさん関西にリノベーションの概念を根付かせた先駆的存在です。設計、施工、不動産事業などを包括的に手がけており、幅広い視点から評価していただけるでしょう。あわせて大阪にある古い建物や水辺の魅力の再発見と普及活動を継続しており、近年は雑居ビルをコンバージョンした宿「Hostel64」の運営を開始するなど新たな試みにも挑戦しています。・永山祐子さん空想性と明晰さとを併せ持った魅力的な建築だけでなく、暖かい人柄を感じさせつつも明快で鋭いコメントにも定評があります。また「ルイ・ヴィトン京都店」の設計や京都精華大学での非常勤講師など、関西とのゆかりもお持ちです。・藤原徹平さん隈研吾建築都市設計事務所では設計室長として精力的に多彩なプロジェクトを手がけられながら個人活動も行い、領域を超えたワークショップやイベントを精力的に開催されています。特にコンペ参加を通じて海外の建築事情の最前線をご存知であることと、地方都市でのお仕事を通してプロジェクトを都市レベルで盛り上げるすべを知っている点から、関西という地域の卒業設計展の審査員としてお迎えしました。・布野修司さん都市計画を専門とする研究者として活動するかたわら、評論や雑誌編集といった分野でも長年の間活躍されています。関西では京都大学と滋賀県立大学で教鞭をとり、研究室内外での活発な研究活動やワークショップ等を牽引しながら設計教育にも関わられてきました。幅広い視野と多彩なご経験を背景に、飄々とした語り口から繰り出される鋭い批評を期待しています。【推薦理由_シンポジウム】関西の大学出身の若い世代のゲストに出席いただき、卒業設計の「その先」を語っていただきます。シンポジウムでは特に「これからの設計者に求められること」という問いに対して示唆に富むお話を伺えそうな設計活動を行っている方、「建築家」の枠にとどまらない活動をしている方にお願いしました。・前田茂樹さんドミニク・ペロー事務所でチーフ・アーキテクトを経験され、複数の国際的プロジェクトの実施設計に関わられました。グローバルな事務所での仕事内容や、日本に戻られた理由、現在の日本の状況や設計を学ぶ学生について感じられること、海外経験がどう役立つかなどを、建築設計を志す学生に向けてお話しいただくことを期待しています。・勝矢武之さん卒業設計で優秀な成績をおさめ、修士課程を経て日本を代表する組織設計事務所に就職されました。日建設計で担当された「乃村工藝社」「木材会館」といったお仕事を紹介していただきながら、大規模プロジェクトを手がけることや、BIMなどの先端的な技術を扱うことの、面白さや難しさなどを教えてもらいたいと考えています。・納見健悟さん設計、監理、CMといった仕事を経験。複合施設「上本町YUFURA」やブランディングを手がける「nana’s green tea」などの実例を通して、モノづくりや都市空間を支援・刺激するブランディングの方法論をお話いただきます。かつて京都建築学生之会の共同代表として「Diploma×Kyoto」を改革した経験からも、卒業設計の「その先」に対し示唆に富む話が期待できます。 |
2010年 11月 19日 (金) 桂 |
私は基本的にはホテルと捉えて泊まったのだが、振り返ってみると展示とも意識しつつ泊まっていた。宿泊した数日後、「LLOVE」の隠されたテーマは「誤読」と聞いた。私は宿泊した際に、さまざまな「誤読」をした。10月頭、ウェブサイトのあたかもラブホテルのパネルのようなイメージを見て、われわれは永山祐子がデザインした302号室を選び、予約を入れた。ここでわれわれは、その夜どのような過ごし方をしたいか想像しながら選んでいる。実際に、一緒に宿泊したみ江は、特別な寝間着を用意した。宿泊の当日、その用意したコスチュームをまとい「うずもれる」というテーマに従い床に寝転がってみたり、椅子に腰掛けて新聞を読んでみたりする。森に見立てられた空間での、森の妖精プレイである。しばらく部屋で過ごすと、上着や使ったタオルが樹木にかけられることに気づき、設計の妙に感心する。このあたりまで、かなり無意識に行動している。しかしどこかの時点で「LLOVE」が展示で、自分は鑑賞者でありプレイヤーであることが刷り込まれていたのだと思う。不思議なことに、昼間になると「LLOVE」にかけられた魔法はとけ、自分はプレイヤーではなくなる。しかし並んでいる部屋をひとつひとつのぞくだけでは古い施設に手を加えアートで埋めたインスタレーションのようにも見えてしまう。これは見る側の視力にもよるものだとも思うが、特にアートイベントに毒された私のような人間の場合は、鑑賞に意識的になるあまりに「誤読」の範囲が狭くなってしまうのかもしれない。見学に限定された昼の鑑賞を通して、私は宿泊という行為をともなう鑑賞を「展示」の先に設定した「LLOVE」の独自性に感心した。「LLOVE」はかなりの数の建築家やデザイナー、アーティスト、編集者らが参加したプロジェクトである。つまり参加した人数分の「誤読」が発生する。制作の過程ではオランダと日本という国境を超えて、さまざまな「誤読」がかたちを生み出す。そこに宿泊する人々もまた好きなように「誤読」する。「LLOVE」は仮設的な存在ながら、見るという行為を超えたヘビーな使われ方に入れ替わり立ちかわり直面する。さらにこの場所で大きな意味を持っているのが、2階に用意された映像ルーム「LLOVE THATER」や、1階のカフェやショップ「Souvenir From Tokyo+Amsterdam」「BOEK DECK」などである。アート、建築、本、音楽、オランダといった多彩なテーマが交錯し、それぞれの枠組から意味やコミュニケーションが発生する。11月15日に行われた【BOEK DECK LECTURE 02】60年代オランダと現代日本、『誤読』『書き換え』『遊び』の手法―コンスタント・ニーヴェンホイスのニューバビロンとその周辺の流れから―というトークイベントの中で、「LLOVE」アーキテクト・ディレクターの長坂常は「『LLOVE』では抜けだらけで、その抜けだらけの中に居場所を発見できるような、参加できるような舞台をつくれたら、と思って計画した」と説明していた。「LLOVE」はおそろしく多様な「誤読」が盛り込まれた、得体の知れない空間となっている。わずか1ヶ月という時間の中でたくさんの人々の思いや経験が詰め込まれた、とてもおもしろいプロジェクトだと思っている。 |
2010年 6月 19日 (土) み江 |
【かくれた次元】あじとに巫女と魔女が来ました。やばかったら逃げ帰ってます」あまり気味のよいものではありませんが、危なくないならよしとします。まああじとにはお金のないころ拾ったりもらったりしたぼろい家具や、外国のバザールとかからわざわざ持ち帰った得体の知れないものがごろごろしているので、何もいないわけないとは思っていましたが。「だけど一つだけ気になるのが……何ですかあの壺は?」壺とは紹興酒の古酒かなんかの瓶で、近所の中華居酒屋の店先で「どうぞ持ってってください」とか書かれて10個ぐらい並んでたのを、傘立てにでもしようと思って意地きたなく一つ貰って帰ったものでした。ふだんはその壺は、白浜アドベンチャーワールドで買った犬のハナクソよりくだらないパンダのおもちゃが刺さっているだけですが、毎年七夕になると笹を飾るのに使っています。かつて「庭つき猫つき一戸建て」とかいう寝ぼけた短冊を書いた人が、その年のうちに限りなく近いものを手に入れました。それも棚ぼたで。ある年は本当に枝が折れました。だけど、あの壷はもともとある力を含んでて、人を寄せ付け、その欲望を吸ってさらに強力になる……みたいな循環があるんだと思う」だそうです。魔女は人の欲に敏感だから、壺が溜め込んだわれわれの大量の煩悩がヒットしたのかもしれません。という話をしたらあじとメイトのEがちゃんが「宝くじ入れてみましょう」と怖いもの知らずなことを言い出しました。入れるのはいいけど当たっても困るよね。当選金を自分のために使おうものなら完全に壷に取り込まれそうです。 |
2010年 4月 29日 (木) み江 |
オープニングですごく印象的だった塚本由晴さんスピーチの一部の要旨。「他の人の作品をコンセプトを説明されてから再度見たら、ああそういうことだったのかと見方が変わって、さらにおもしろく見ることができた。キュレーター保坂さんの深い理解と信念なしには実現しなかった。中村竜治さんの大気圏外なアレはいろんな意味で伝説になることが構想の段階からすでに決定していたので、「東京タワーのボルトを締めたんは、わしや」的な自慢をしてやろうと思い、み江さんもちょっとだけのりづけを手伝いに行きました。その制作現場は英国グランドナショナル(*)のように壮絶でしたが、すごく興味深かった。ああいう規模になると、「同じことを繰り返す労力」はもちろんなんだけど、「同じにするための労力」の比重も大きくなる。つまり効率化、規格化するための労力。たとえばのりが乾燥するまで時間のロスが出る、絡んだパーツ同士を外す時間のロスが出る、組みあがったものを作業台からどかす時間のロスが出る、一つ一つは数秒か数十秒だけど何千何万積み重なるとクリティカルになる。人間の作業が均一でないのは当然だし、工業的に作られて精密機器でカットされた紙でさえ、同じように見えても加工の過程でどうしても個性が出てくる。スタッフはそういう工夫に想像以上の時間と頭脳を使っていた。みんな同じにするためにものすごい技術と時間が使われている。最後は山パンの工場なみに生産ラインが完成されて人が機械のように動いていたと聞きました。私が行ったときはこのままだと正直間に合わないっていうペースだったんだけど、それはまだいくつかの大事な問題解決が済んでない段階だったのですね。棟梁の若木さんが会場で、「これを別のところで展示するとしたら、分解して運んで組み立てるのと、また一から全部作り直すのとどっちがいい?」と質問されて、一から作りたいですね、と躊躇なくどMな回答をしていましたが、それはこれをつくるシステムが完成したってことを意味していると思いました。 |
2010年 4月 25日 (日) み江 |
宮沢りえちゃんが畑で自転車こいでた味の素CMのロケ地はここらしい。夏になるととうもろこし畑は背が高くなって、変質者が身を潜めるには絶好の環境であるため、なるべく農道の中央を歩いて帰りなさいねと先生がHRで呼びかけていた。さいわい私は遭遇したことがない。出身を聞かれたら東京ととりあえず答えるけど、もうちょっと突っ込んだ情報が必要なときは東京の田舎ですと付け加えないといけない。たいがいの人、とくに遠方の地域の人が思ってる「東京」にはまず牛や鮎は住んでいないからだ。あきる野あたりだとまだ大したことないけど、桧原や奥多摩などは真剣に山岳僻地であり上海より遠い。私は中央線に乗って三鷹のはずれの高校に通ってたんだけど、うちからだとにぎやかで便利なところに出るっていう意識だし、都心部から通ってた子にとってはのどかなところっていう感覚。ちなみに洛中洛外の「洛中」は幕府の直轄地を便宜上そう呼んでいた。と高橋先生が言ってた。 |
2010年 4月 24日 (土) み江 |
【高橋先生&都市の再定義】大学でお世話になった高橋康夫先生の退官記念シンポジウム+パーテーになけなしの勇気を振り絞って行きました。あまりにも自分がだめ学生すぎたため怖いのと申し訳ないのとで、卒業以来ずっと研究室に近寄れなかったのでした。さんざお世話になったを通り越して迷惑をかけまくった先生方や、りっぱになった同期にもひさしぶりに会いました。歴史研なので文化財関係の職に就いた人がそれなりにいますが、設計の仕事をしてる人も多いです。最もえたいの知れないのが私です。えらい人がたくさん来るのでびびってましたが、なごやかでよい会でした。ご尽力くださった方々どうもありがとうございました。学問の入り口に高橋先生がいてくださったのはとても幸運でした。先生は対象には公正で丁寧で厳密な立場を貫いていて、何かを言うときには実証的手続きをきちんとしなければいけないということを、態度で私らに示していました。計画系の研究はどうしてもそうなりがちだけど、実証的に得られた合理的だったり美しかったりする体系と、現実に今こうするのがいいっていう価値判断とを、考えなしにくっつけちゃだめってことも、教えてもらったように思います。こうしてみると何ひとつ身についてないよな……古いものを研究する人の中には今のものが嫌いという人がしばしばいますが、先生はその点でもニュートラルで、過去の京都をいまの姿と関係づけて話すことはよくあったけど、何がいいとか悪いとかを口にすることはなかったように思います。退官記念講義は例によってちこくしたので(死ね自分)後半のみかいつまんで。中世ヨーロッパで世界都市と言われてたベネチアでさえせいぜい人口10万、ほとんどの中世都市は2万以下。でも中世京都は十数万人の人口があったし、中国の開封は全盛期には100万都市だった。西洋人や中国人の研究者なんかはどうも城壁がないものは都市だと思っていないようなのだが、城壁がなくても京都は都市だし、平泉にも都市的なところがあった。ふだんうかつに大きい話をしない先生が、ものすごい知識量を背負ってした大きい話はとてつもなく重く響いた。それはあきる野っていう中央線の支線の支線の微妙すぎるところで生まれ育ったみ江さんにはDNAレベルの大問題なのであった。 |
2010年 4月 23日 (金) み江 |
黄色かったくちばしが1年で明らかに赤くなっています。新聞の印を見ずに馬名の響きだけで選ぶというものですがよく当たります。これまでに有馬のマツリダゴッホや、スプリンターズSのローレルゲレイロなど穴っぽいところを当てました。そのEがちゃんが今回「ファービー占い」を発明しました。またある馬には「ギギ ギギ」とモーター音を響かせながら無言で耳を動かします。こんな気味の悪い予想法を採用しているのはたぶん世界で3人ぐらいです。それによると皐月賞はローズキングダム・レッドスパークル・エイシンフラッシュの3頭に、ヴィクトワールピサもしくはレーヴドリアンということでした。ファービーがグボアと言った馬たちです。この占いは意外にいい線いっており、ファービーのおかげでエイシンフラッシュに着目できたみ江さんは3連複を取れました。 |
2010年 4月 1日 (木) み江 |
[因縁生起とか実証主義とかタオとか量子論とか(笑)]「当たり馬券は必ず売っている」いい言葉です。座右の銘を聞かれたらこれを答えることにしてるんだけど、なかなか聞かれる機会がありません。「馬券が当たる」「馬券を当てる」「当たり馬券を買う」ぜんぶ同じ現象を指す表現だけど、それぞれ「人知の及ぶところ」に対する態度がちがう。「馬券が当たる」は神様本意。日本語としてはいちばん自然な言い方だからきっと日本語を使う人たちの世界観に近いのであろう。たしかに熟考に熟考を重ねて予測した事態がそのまんま起きて「当てた」としか言いようがない馬券というのはあるが、でも当てた当てたと大声でいうやつはうっとうしい。「当たり馬券を買う」は時間がねじれた言い方。人は確実に意思を持って選んでるんだけど、その行為じたいが縁起かタオか宇宙の意思か知らんが何か大きな流れの中に位置づけられてる感じがする。たとえば私が今この馬券を買うことによって当たり馬券が変わる可能性がある、とかいうような。そもそも当たり馬券はいつから「当たり」なんだ。それとも連続的な確率みたいなもんなのか。だいたいが時間てなんだ。なんか量子力学っぽい話になってきた気もするけどよくわかりません。狩り成功、みたいな。 |
2010年 3月 31日 (水) み江 |
[ファービー覚醒] ←試みにタイトルつけてみた一ヶ月ほど落ちてました。そうなっていることに自分では気づいてなくて、人から指摘されてわかった。「み江さん落ちてんでしょ今」「そんなことはない」「いや落ちてるんだってそれ」「なんだと」「み江さん基本的に自分が落ちてることに気づいてないですよね」そうだったんだ知らなかった……何年自分やってんだ私。飽きるほど落ち続けて電池液もれ一歩手前というところで穴が一つ開いて、風の通り道ができて、思考が流れ始めて、高松宮記念でひさしぶりに馬券が当たって、待ってた報せが次々に来た。1ヶ月で済んで助かった。ちなみに風穴を開ける鍵となった行動は「3ヶ月前に買ったimacを開封する」だった気がする。やっぱ開けるべきものを開けないのはよくないな、魔窟化した戸棚とかもたまには開けたほうがいい。 |
2010年 3月 30日 (火) み江 |
馬は人間と一緒にいて幸せなのかな、とある人に言われたのがずっと突き刺さっていました。つまらない愛護精神をふりかざすような人ではなく、聡明な人が素朴な疑問としてふと口にしたからこそ余計に。けっこう考えたよ。家畜は生まれたときから人間といるのが自然な状態だ。そういう生き物にとって、人間というのは生まれたときから条件として与えられる環境の一部だ。都会で生まれた人間にとっては山や森じゃなくビルや地下鉄が自然であるのと同じで。競走馬は走らなければほぼ肉になるしかないように生まれたけど、せめて生きている間はよい人に出会って、幸せに暮らしてほしいと思う。 |
2010年 3月 29日 (月) み江 |
園田でカツ丼を食べようパドックでお馬さんを観よう小さな「うれしい」を拾って「競馬キンキ」に包んで歩こう探し物はちっとも見つからないけど今この瞬間の「うれしい」があたしの宝物 (須山公美子「園田でカツ丼を食べよう!」より)最初に聞いたときうわなにこのみ江さんテーマ曲、と思ったけど、園田→鴨川、カツ丼→豆餅、お馬さん→ゆりかもめ、とか単語を置き換えたりするとりっぱな左京区女子テーマ曲になるんだよね。競馬キンキ→何だろう、らいふすてーじ? いや絶対ちがうな、ぱんとたまねぎ? とにかくなんかのフリーペーパーだと思うんだけどそもそも私が外に出ないのでわかりません。ああこの歌は「あたしのための応援歌」の王道なのだな。競馬場にいる女性客にもヤンキー系と文化系とありまして、ヤンキー系はお父さんたちとほぼ同じ行動なので置いとくとして、文化系競馬女子は程度の差はあれわりとこうした動機で競馬場に行ってるんじゃないかと思います。そのへんの共感ポイントをうまいことつつけば真逆のアプローチであるクラブケイバのCM(みんなで競馬で遊ぼう!っていうリア充路線)よりむしろ新規客を開拓できるんじゃないかとも思うけど、ソロ女子はあまりお金を落とさないしお父さんたちは居心地悪くなるしいまいち誰の得にもならないって気もします。 |
2010年 3月 27日 (土) み江 |
ニジンスキー振付の「牧神の午後」を初めて見ました。「変態とはなにか」を人体の動きであますところなく表現した10分間。変態!変態!変態!変態! きもすぎて8回見た。【あらすじ】あっニンフたんだ!ニンフたんかわいいよニンフたんハァハァ、あっニンフたんがマフラー落としてったよウヒョ!くんかくんか!!いいにおいだおレロレロ、ああニンフたんのマフラー・・・ハァハァニンフたん【おわり】運動というより静止ポーズの連続。縛りが多い動きのなかにたまに出てくる「くっ」ていう鋭い動きが絶妙にきもい。8回見たらようやく「切ない」が出てきた。100年後の私でさえこうなのだから100年前は阿鼻地獄だったろう。youtubeとかニコ動でいろんなダンサーのを見てみたけどきもさではヌレイエフかなあ、お能みたいに動きがストイックなぶんいっそう変態くさい。ヌレイエフと書いたけどぐぐってみたらダンサーの名としてはヌレエフって表記するほうが一般的なのですね。ヌレイエフと書くと競馬から入ったことがばれる。ダンサー一族の末裔にはたとえばテイエムオペラオーがいます。テイエムは冠名、これは苗字みたいなもので日本的な習慣。でテイエムオペラじゃなくてテイエムオペラ王としたあたりに馬主の祈りが入ってる。(本当) 謎名前だけどいろんな情報が刻まれたいい名前だと思います。 |
2010年 3月 26日 (金) み江 |
騎手がオタク趣味をもっているのではなくオタクが騎手になってしまった小島太一のツイッターが読みたいがために私も始めてみたわけですが、電波を介した人づき合いが苦手なので、ツイッターは人に見せられる覚え書きと位置づけています。3ヶ月前に買って放置してあったimacの箱を開けてようやくセットアップしました。なぜそんなことになっていたかというと、いつもうれしがって線をつないだりインストールしたりするあじとの機械係の人々が今回に限って何もしてくれなかったからです。どうやら「ためにならないから手を出さないでおこう」などと談合していたらしいのですが、たんにmacのセットアップはやることが少なくておもしろくないというのが本当の理由だと思います。macユーザーのカルトじみた崇拝を敬遠していましたが、箱を開けた瞬間に理由がわかりました。届いた箱の中に無駄なものが一切詰まってない。最初は机に置いてみたけど寒いのでこたつに運んできました。こたつに置くとみんなでyoutubeや2ちゃんを見られて便利です。ちゃぶ台を出したりしまったりして使うのに近いですね。 |
2010年 2月 22日 (月) 桂 |
なんとぽむ企画が10周年を迎えていました。 |
2009年 12月 28日 (月) 桂 |
み江さんは東京を去りましたが、まだ年賀状をつくれていません。12/22にtwitter上で年内に印刷に対応してくれる素敵印刷所を募ったところ、ものすごい勢いでレスがかえってきて、twitterが一瞬「はてな」状態になりました。せっかくもらった情報をアップしておきます。 |
2009年 12月 26日 (土) 桂 |
昨日から、み江さんが東京にやってきました。そのみ江さんが、昨日の25日に南洋堂書店のガラスファサードに、ドローイングを書きました。ピーター・メルクリや安藤忠雄も描いた巨匠コーナーです。ぜひみてみてください!絵柄は、建築ツウこと大島健二さんと制作した「神保町対決マップ」をモチーフにした、神保町界隈の建築イラストマップです。「神保町対決マップ」も、南洋堂書店で手に入ります!写真はないのですが、iPhoneでストリーミング中継をしたので、動画は見れます。約80分の動画が細切れでわけがわからなくなってしまいました。動画http://ustre.am/a4zO動画を見た方などのツイートまとめhttp://togetter.com/li/2254。 |
2009年 12月 15日 (火) 桂 |
とりあえず最近書いた感想をこっちにも書いておきます。フランス大使館「NO MAN'S LAND」おもしろかった。サブタイトル「創造と破壊」とか、おいそれとつけられまいアートは多少日が暮れた方が楽しいかも。年末に相方み江が来たら再訪しようかな上の段落はこの書き込みから一箇所だけかきかえました。じゃあ、また地下にもぐりますよ〜!イベント詳細→TOKYO ART BEAT。 |
2009年 11月 19日 (木) み江 |
4ヶ月も何をしていたかというと、789月は農繁期のようなもので、ちうごくのまほうのおくすり(ただの漢方薬)を投与して近代的自己を消しながらただ生きるために働きました。忙しかったので3ヶ月間競馬に行くのを我慢していたところ病気になり10月は昏々と眠っていました。京都競馬場に毎週通いつめて治しました。さる14日に京大でとんでもない講演会があり、私もなぜか講演者として招かれました。テーマ「私の生き方」女子学生が今後のキャリアを考えるためにOGが自己の経験を語るという会。出演者はこんな人たちだ。コンサル会社に勤めてたけど、ご主人がつくる製品を売る会社を2人で立ち上げて、いま世界シェア2位。理学部を出て研究の仕事をしていたけど、司法試験受けていま弁護士。寿退社めざしてOLやってたけど、学問をしようと思って大学に入り直して、いま京大博物館教授。世間の流行に関係なく樹状細胞を研究していたら、時代が彼女に追いついて第一人者になった。女子学生のキャリア支援のための催しなのにキャリアという言葉に関係のない人がひとり混ざっています。わりと大々的に宣伝されていたため複数の人から「み江さんあんなところに出るんですね(笑)」と微妙なうすら笑いを浮かべながら言われてつらい。それでも出ることにしたのは成功者の話よりも失敗談のほうが役に立つかもしれないと思ったからです。土曜の朝からこういう講演を聞きに来るような志の高い女子がうっかり躓いたときに、下を見て安心してくれればいいという親心というか余計なお世話。講演会はとても楽しかった。他人の持つものと自分の持たないものを肯定するじつに暖かい催しだった。呼んでいただいてよかった。女子だけと言わず男子も聞いたらよかった。こんな講演会は学生のときに聞きたかった。しかし自分が学生だったら決して行かなかった。女だらけのシンポジウム的なものを何度か経験しましたが、・話が簡潔、明快・けんかをしない・持ち時間を守る総じて後味がきわめてすがすがしい。 |
2009年 10月 26日 (月) 桂 |
ぽむ日記が遅まきながら、RSS対応になりました。 |
2009年 10月 2日 (金) 桂 |
建築夜楽校に行ってきました。柱の素材、ひいては建ち上がった建物状態の全体を包括する建築のカルテにもなりうる。その可能性の高さを踏まえ、議論は進んでいました。気になったコメント江渡:BIMが進化して、中山さんが「この中には住んでみてもいい」という世界が生まれるといいと思ったりしました。濱野:BIMが郊外化になれきった身体をひっくり返すようなモノを生み出せるのか、というのは気になる。迷っている諸兄はつべこべ言わずに田町へ来たまえ。 #yagakkou」(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2009年 9月 20日 (日) 桂 |
近況:引越しをしました。またiPhoneに携帯をかえてみました。さきほどtwitterにも登録してみたぞ。たいへん緑豊かな環境です。 |
2009年 9月 13日 (日) み江 |
祝意を絵にしてみたよ!!!営利目的のポータルサイトかと思いきや、岡田栄造さんが一人で毎日毎日毎日毎日更新していると知ったときの衝撃たるやいかばかりであったろうか、もうだいぶ昔のことなので忘れましたが、本当にすごいことだ。 |
2009年 7月 21日 (火) み江 |
「代官山おしゃれピラミッドの頂点に君臨する仕事場」を図解するするつもりだったのにどういうわけか「須弥山とか蓬莱山とかムーミン谷とかにある工房の類」にしか見えなくなってしまったビジュアル群(構成桂)と、いろんな意味で深海の底をさらうような粘着5000字インタビュー(文責私)とのコラボ芸により、ほかの建築家のページは現実の東京で仕事してる感じが出てるのに、なんかここだけこの世の果てみたいな10pです。審査より前の取材でしたがちゃんと書いときましたから読んでください。式年遷宮の造営を担当している技師の方へインタビューする機会を得ました。もう一つ、さいきん『伊勢神宮』出た井上章一氏インタビュー@京都の修道院日文研。どっちもおもしろい話が聞けたのですが、どっぷり当事者とウルトラ外野、両極端な取材が続いたので自分の中の風が乱れて立て直しに数日かかってしまった。半年ぐらい前に買って放ってあった『伊勢神宮の衣食住』をにわか勉強に読んだのですが、いい本でした。元禰宜さんが書いたエッセイで、神職にしかわからないような装束なんかのリアルな話いっぱいで、生活が信仰に直結してるさまが伝わってきて、説教くさいことを一言も言わないけど、自然とお天道様に手を合わす気持ちになる。たいへん博識な方で、データとソースがきちんとしていて、伊東忠太や関野貞なんかも登場する。 |
2009年 7月 15日 (水) み江 |
GENETOの山中コージさんから案内をいただいて、15年ぶりに祇園祭に繰り出してみたよ。GENETOさんやその仲間たちが、ふだんはアンティークの着物を売ってるお店を使って、毎回テーマを決めて作品展示と飲み会を同時にやるっていう遊びを時々催している。ここに初めてお邪魔した。東京の人向けにいちおう解説すると、京都は東京みたいになんかのオープニングパーテーとかそういうのがないので、みんなこのようにして社交というか遊びの場を発明するところから始めるわけです。氷裂貫入釉といって、貫入つまり釉薬のピキピキが無数に入って、幾何学文様のようなそうでないような、薔薇の花のような、キュビズム絵画の画面分割みたいなふしぎな紋を一面に形成していて、とても美しい。焼いたあとの釉薬と土の収縮がポイントらしい。器を物色していたら吉永健一さんが現れる。何この気のきいた趣向。たとえば古いボルボなどである。と吉永さんに教わったので見てみた。たしかにふだんは固く閉ざされているであろうそれはりっぱな町家の玄関が開いていて、紋が染められたお祭り用の暖簾の内側に、とても古そうなかっちょええボルボが控えめに、だが明らかに「展示」されている。祇園祭のあの開放感はヴァカンスシーズンの地中海のリゾートみたいですね。 |
2009年 7月 9日 (木) み江 |
み江さんもちょっと絡んだ東京競馬場本ができましたよ。このへんは境洋人さんが懇切丁寧に書いた。テクノロジーと気配りのかたまりみたいな延床17万平米。新良太さんと小暮洋治さんが撮った。ハイソな人たちが頭の5倍ある帽子かぶって着飾って集うんでなく、ど庶民10万人が普段着のままやってきて、一つのものを見ながら心はみんなバラバラっていう、ど庶民のためのスーパーフラットなGT。ちなみにみ江さんは最後に「ニッポンの競馬場建築」的なエッセイを書きました。日ごろ競馬場でうろうろしてる実感に基づいた徒然ですが、クライアントには好評でよかったです。混ぜていただいて本当にありがとうございました。この本のために競馬ファン垂涎のバックヤード見学までさせていただいたのはよい思い出です。裁決室(着順を決めるところ)や検量室(レース後に騎手の体重を量るところ)まで入れてもらえて、正直この仕事やっててよかったと思いました。騎手が目の前で下馬してるところや勝負服脱いでうろうろしてるところをミーハー根性丸出しで激写しましたが、ブレブレのろくでもない写真ばかりでした。よほどイレコミがきつかったらしい。武士沢騎手と伊藤正徳調教師先月は本の完成記念イベント?として、松田平田の方々に東京競馬場の指定席をご招待していただいて、境さんと新さんとフリックスタジオの小園さんと高木さんと観戦に行きました。松田平田チームがまた馬券うまいうまい。新さんは馬がパドックから地下馬道を通って馬場に姿を現すその瞬間の挙動だけを双眼鏡で見て選ぶというやり方で、ビギナーなのにけっこう儲けていて、やっぱりこの人の目のよさはちょっとすごいと思ったよ。 |
2009年 7月 2日 (木) み江 |
日埜直彦さんがリノベしたF.I.L.っていう裏原系ショップが河原町にできて、オープニングレセプションに行く。元は京人形屋さんだった店舗。この棚がまた触れたら斬れるようなビシバシくる代物であり、詳しいことはよくわからないがとにかくプロポーションといい仕上げといい素材といい、あれは、いいものだ。やり方を詳しく聞いたけど忘れました。ぴかぴかとの落差で古いのを浮かせる素朴なリノベじゃなくて、落差はもちろんあるんだけどそれは色だけで、同時にテクスチャと割付は注意深くコントロールして、最初からこう作ってあったんじゃんてうっかり思っちゃうかもしれないぐらいの均衡を狙っているというか。棚を静かに牽制したり静かに喧嘩売ったりしてる感じ。空間がどうとかいうのはないけど、逆に建築家ってカッケエと思いました。いくつかのセクションで構成された展示ですが、全体的にお勉強風味のなか、目に楽しいのはやっぱ工芸です。薔薇図とか生で見たら鼻血吹く。(←これがやりたかった。) すごくデザインをわかってる人なのだなと上から目線で思いました。そしてプラクティカルな意匠は工繊大がやるから京大は構造と歴史と建築論やっとけっていう図式ができたのもなんとなくわかった。 |
2009年 7月 1日 (水) み江 |
組曲「あじとからの手紙 in the rainy season」梅雨の晴れ間 はじける陽射しを花束にしてどしゃぶりの雨と一緒に さあ心のお洗濯移り変わる花の色は あなたの心のようこぶたが病気にかかりました なんという病気でしょう答 ブタペスト。 |
2009年 6月 29日 (月) み江 |
あんな大きい展示なのにみんなハエとり紙みたいに似たような場所に貼りついて映像を見ていて、空間に具体性というか濃淡というかが発生してて、だだっぴろい会場が体感スケールとしてはなんかMETROみたいになってた。複数のスピーカーのまわりをうろうろ歩くと場所によって聞こえる音が変わる、理系男子の喜ぶインスタレーションが楽しかった。快い音じゃないから空間デザインに使えるかっていったらどうかと思うけど。竹モチーフのおされ障子とか、2種類のパターンが組み合わさった網代天井とかで数寄数寄。これらの和室は元は社員の福利厚生のため部活とかに使われていたらしい。和裁部とか?将棋部とか?競技かるた部とか?あと入れなかったけど茶室もあるのよね。私が心得違いでしたすみません。部屋ごとにインテリアのテーマがちがってて、ラジエーターカバーのデザインまで全室ちがうあたりさすがのお公家さま。2階の私室は公的な性格の1階に比べておとなしめだけど、妃殿下の寝室の壁に3本一組のねじり紐をあしらったりして貴人風控えめゴージャス。階段室の腰壁なんか艶のある赤っぽい木と思ったら大理石ですよ。どっから買ってきたんだ。1925年風味はじめいろんなモチーフが使われてるけど、階段室の鉄製枠飾りと照明の椿模様が特別かわいかった。その椿を見ながらソファに座ってたらいつの間にかガチ寝しており気がついたら20分ぐらい経過していた。 |
2009年 6月 22日 (月) 桂 |
関西取材を終えた後京都に滞在して、6/20(土)はタカ・イシイギャラリーのクサナギシンペイ「アイデス」展のオープニングに行きました。クサナギさんは、かつてスフェラで展覧会をされた方ですが、かなり絵の雰囲気が変わっておりました。もの凄い久しぶりに元スフェラ・エキシビションの泉川真紀さんwith息子さん、グラフの工藤千愛子さんや画家の喜多順子さん、タカ・イシイの空間を手がけた原田祐馬さんに会いました。取材ず〜っとお世話になっている写真家の森本美絵さんには、こちらでもお世話になりました。なお山崎泰寛氏も息子の槙くんと来てましたがこれはあまり久しぶりではなく、槙くんにも顔を覚えてもらってるみたいでちょっとウレシイです。ともあれ東京に引っ越して以来建築どっぷり、アートと縁遠くなっていたので、久しぶりの空気です。ぽむアジトに1泊し、近所の某写真家のご実家まわりをウロウロしたり(w、少し仕事したりした後、工藤さんに教えていただいた銀閣寺のユキ・パリス コレクションをのぞいて無性にクロスステッチがしたくなり、muzzプログラムスペースのオレリー・ペトレル展のオープニングをのぞき、アーティストの高橋耕平さんとライターの米原有二さん、Super Window Projectの原口マナさんとお会いしました。そして最後は某住宅の鉄骨の美しい骨組みを鑑賞し、東京に戻りました。敢えて人の名前をいっぱい挙げてみましたが、ようは知り合いの名前を1人挙げれば初対面の人ともスムーズに話が流れてしまう京都のスモールワールド現象にどっぷりだったのでした。森見登美彦の小説が描写してるみたいに、ケンタッキーフライドチキンみたいなチェーン店すら意味を持つ場所になってしまうもんで。ただ地縁と職縁、趣味の縁が複雑に絡み合ってるおかげかネットワークの展開力が高くて、一方でグーグルさんとかに俯瞰的に把握されてしまう視点も(現状は)ないので、結構おもしろいし気持ちがいいです。ただ人と場所を捉えてすべてわかったような気になってしまう関西のノリは、危ういような気もするけども。高野屋貞広の柑橘餅、大洲の気晴の志ぐれ餅そんな感じで京都でうっかり半日バカンスしてるうちに、JCDデザインアワード2009の大賞を中村竜治さんが受賞したとのお知らせが。うーん、京都滞在を削って公開審査を見に行けばよかったかな、と思ったり。長坂常トークショー「僕たちのみのまわりにあるものは、本当にかっこいいのか?」ゲストコメンテーター:中山英之(建築家)・西沢徹夫(建築家)13:00〜15:00(開場12:30〜)濱野智史×藤村龍至トークイベント「設計/デザインを考える」19:00〜(開場18:30〜)長坂さんのトークは『B面からA面にかわるとき』関連イベント。ただし所用で行けなさそう。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2009年 6月 18日 (木) 桂 |
一見大阪の水辺の街並みをそのまま模したものに見えますが、よく見ると現実と違う要素が多々含まれてます。安藤さんのこれまでに構想した未完のプロジェクト群、朝日のツインタワーなど再開発予定の巨大ビル群、大量の桜、ツタで覆われた川沿いのビル……。それがあたかも現実のように横たわっているのです。すごい! パリのシテ島を目指してつくられた中之島は、時を経てヴェネチアと対決……。江戸以前の元の都市構造はおそらくヴェネチア型なので、先祖がえりなのか?ところで出張に出る直前、完全に時機を逸した感じですが、東京都現代美術館で開催されている池田亮司+/ー展を見ました。(体験した限りの)池田モノでは格段に気持ちよかったです。構成の一番のよさは床にタイルカーペットを敷いたことにある気がしました。座れと書いてもおらず美術館なんて場所では地べたに座る慣習もないのにみんな座り込み、壁に寄っかかってしまいます。そんな強い磁場を持った環境が、基本的に音と映像でつくられたものである、ということが月並みですが新鮮でした。4月末にあったMETROでのATAK NIGHT4 Japan Tourのライブもたまたま京都にいたので鑑賞しました。こちらは装置はシンプルですが生音と映像がきれいに同期して床にも振動が伝わってきて、やはり空間いっぱい大変たのしゅうございました。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2009年 6月 15日 (月) 桂 |
週末はちょっと松山に取材で行ってきました。いろいろ拝見しましたが、とりわけ松山城がすてきでした。それはさておき、先月末から今月初頭にかけて、プロ(=つくり手)向けのセミナーに潜るという手段を使い、BIMについてコソ勉してました。従来のCADでは2次元の線分だった図面データが3次元化し、さらに「私は石」とか「僕は20Wの照明だよ」とか属性情報を持つようになりまして、企画ー設計ー施工ー各種シミュレーションをデータ同士で連動できるよ、というもの(たぶん)。先行して、20社40名の連携でC+Aの意匠設計により普通なら数ヶ月かかる多様な解析を含む設計を48時間で完成させる架空コンペという何とも恐ろしいイベントが行われ、その体験を受けて、ご自身が手がけたここ10年位のお仕事を、光や風、音など「流れ」のデザインから解説するというもの。もうアトリエ系の事務所はもちろん学生レベルでも、温熱環境シミュレーションを設計に盛り込むのは当たり前になるかもしれません。先日のミラノ・サローネの展示では太陽工業のソフトウェアを使ってポリゴンをつくり、水着をつくる技術者が立体裁断して薄膜のメビウスの環のような三次元構造をつくったそう。少し前に『AXIS』のためにインタビューを行った際に「生命体のような建築のコンセプトと、温熱環境の連動が課題」と語っていた、その具体的なイメージがつかめたような気がしました。小径木とNCカッターの合わせ技で、チープな国産材から効率的に、伝統的な大工仕事なしで仕口と継手の伝統的な構造をつくった「木材会館」、そして埼玉県美の展示「都市を創る建築の挑戦」でもモックアップが飾られていた、屋上の雨を土のルーバー沿いに流して建物を冷やす「土のすだれ」システムの解説もありました。セキュリティシステムのように、ランニングで環境を売るサービスプロバイダのような新しい建築ビジネスもありうるだろう、というコメントが面白かったです。こちらはメディア関係者シャットアウトのプレゼンでした。特に部材や設備の賞味期限などを考慮に入れ、家のカルテとして図面データを捉える視点はなるほど、と思いました。---BIMのような方法が普及して、建築づくりのプロセスが系で連動するということは、たとえば建築づくりの出発点は巨匠のスケッチ……ではもちろんなく、どこから誰がつくり始めてもよく、どこで誰が修正してもよい(履歴というか、証拠は残る)ということになりえます。いわゆる建築家は、ある意味では(初期から経験測ではなく正確に数字をはじきながらデザインを進められるという意味で)もの凄い万能人になるでしょうし、ある意味では(ニッチな諸々エンジニアやソフトウェアに依存するので)まったく万能人ではなくなります。長々と書きましたが、ようはBIMとかコンピューテーションとかにwktkしてる、ということですよ。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2009年 6月 14日 (日) み江 |
「世界のどうぶつ」ぽむ日記はブログではないため写真をアップするのはけっこう手間がかかるうえ芸がないので避けていたのですが、なんか好評なので続けます。シルクロードに栄えた高昌国の遺跡でありわりと貴重なものだと思うのだが、城壁の外側は牛小屋になっているカシュガル(ウイグル)。はたらくどうぶつ(軽トラ)ウブド(バリ島)。はたらくどうぶつ(水田の維持管理)ウブド。このあとコップ倒されたウシュマル(メキシコ)。甲羅干しを楽しむヒトたちラホヤ(西海岸)。甲羅干しを楽しむアザラシたち。こんなけしからん街だったとはカスバ街道(モロッコ)。 |
2009年 6月 11日 (木) み江 |
そしてどの店もだいたい同じだメリダ(メキシコ)。オサンたちは糸紡いだりしてるマラケシュ。驚いたことにどれも美味しいモロッコのスークはイスラム都市の構造も興味深く品物もめちゃかわいく、大変おもしろいですが、おそらく世界一押しが強くて粘り強くてフィジカルも強いモロッコ商人の客引きをかわしながらの商品選びと価格交渉に必死なので、あまり写真が残っていないのが残念です。 |
2009年 6月 8日 (月) 桂 |
大阪の橋について連載しているフリーペーパー「月刊島民」で”橋特集”が出ましたよ。大阪の中之島界隈の橋は、建築家・武田五一と弟子たちが絡んでおり、デザインオリエンティッドな橋が結構あります。これまで連載でバラバラ書いてきましたが、今回はわりとまとめて読める体裁になってます。折角だから専門家に橋の話を聞くべしと、早稲田の佐々木葉先生に会いに行ったりも。橋の見かたや大阪市橋梁課最強伝説など、いろいろ教えてもらいました。スタイルの良さとモダニズム臭に反応して色々調べたところ京都工芸繊維大学の笠原一人さんの論文にたどり着き、「インターナショナル建築会」絡みで大阪市の技師であった伊藤正文という建築家の仕業であることが判明。先日の上野伊三郎・リチ展を見ても、照明と壁の模様をあわせたインテリアをつくっていたり、ただスタイル移入してるだけじゃなく色々と早すぎて驚きましたが、インターナショナル建築会って一体……。橋の突き当たりにはフェスティバルホールです。ホールの建物は先日拝見したところ、建て替えにあたりカバーが掛かってました。これはこれでカッコよかったりして。たぶんこの世で。私もたくさんいただいたので、今度どこか都内で置かせてもらえるところ探します。 |
2009年 6月 8日 (月) み江 |
以前撮ったキャンデラの写真を探していたらつい思い出のアルバムを見始めてしまって収拾がつかなくなる。結構本気で買おうと思った銅製品屋。やかんとお玉買って兄ちゃんと仲良くなってシシカバブおごってもらったシシカバブの材料乾物屋。安いからってくるみ2キロ買った(たわけ)ナンを売るお父さんたちさてここからは何でも売ってる日曜バザールです。 |
2009年 6月 5日 (金) 桂 |
すこしお手伝いさせてもらった長坂常さんの本「B面がA面にかわるとき」ができました。NOW IDeA by UTRECHTに、出版記念パーティ兼展示オープニングパーティにおじゃましました。うっかり初めて行きましたが、とてもいいところでした。江口さんによれば当初、店舗名を「Opening Party」にしようとも考えたそうで、書籍刊行の瞬間をみんなでシッカリ味わえます。FLAT TABLE(スキーマ建築計画+なかむらしゅうへい)の上、照明(スキーマ建築計画+岡安泉)の下で撮ってみました。 |
2009年 6月 1日 (月) み江 |
いいダービーでした。ちょっと泣いた。とても幸せな気持ちになりました。馬券外したけど。本当によかったなあ。ノリさんはふだんするような派手なガッツポーズも、馬への激励も一切しないで、静かに静かにゴールを駆け抜けていた。それが逆にこの勝利が特別なものであることを物語っていて、映画のワンシーンのように劇的で、テレビの前でぞくぞくした。ゴール直後に2着の豊さんが後ろから近づいてきて、おそらくおめでとうと声をかけて手を差し出して、馬上でハイタッチしてたのにもじんときた。GTレースで驚異の83連敗中だったんだいつも2着ばっかりで。毎年たいがい5傑には入るトップジョッキーなのに。今回も2着だろうとか思っててすみませんでした。そして顔じゅう泥だらけのままウイニングランをして、泥だらけの白いヘルメットを脱いで、10万の観客に向かって馬上から深々と、天覧試合でしかしないような礼をしていた。最高に格好よかった。検量室に戻ってきたら、その場にいた関係者全員がものすごい勢いで祝福していた。みんな待ってたんだなこの然るべき人がダービーを獲るのを。インタビューで開口一番、勝てると思っていなかった、信じてやれなくて馬に失礼なことをした、と馬鹿正直に謝ってたのも格好よかった。久しぶりのGT勝利ですねと言われて、いえ未勝利も500万も(=格下のレース)関係者には大事な一勝ですから、と答えてたのも格好よかった。ふだんどおりの愛想のない、淡々とした態度に包んではいるけれども、馬と人への敬意に満ちた、すごく格好いいコメントだった。メジロライアンの時から19年間ノリさんのダービー制覇を待ちわびた人たちはどんなにかうれしかっただろう、一介のファンに過ぎないしかもその半分の歴史も知らない私ですら一夜明けた今も胸がいっぱいです。目黒記念の方がおもしろいとか言ってすみませんでした。つまり初めて持った馬がダービー馬。足が曲がってて、2歳の夏まで買い手がつかなかった馬を、フォームが好きだという理由で買った、その馬がダービー馬。中卒で会社起こして、200人の従業員を抱えるまでに成長させた、そんな叩き上げの社長が勧められて馬主になって、最初の年でダービー馬オーナー。うま話は読者に不人気なので(たぶん)、この話題は枕にするつもりでしたが、書いてたら長くなりましたので、今日はこれで終わります。 |
2009年 5月 28日 (木) み江 |
そのとおり蝉丸が住んでいたという場所です。こんなふうに歴史や文学史やへたすると神話の有名人にまつわるサムシングがなにげなくそこいらじゅうにあるのが畿内のすごいところです。わが庵は都のたつみしかぞすむ世をうぢ山と人はいふなり 喜撰なんという突き抜けた明るさと切なさと俺とお前と大五郎。ただ「しかぞすむ」。ただ「しかぞすむ」。これをかっこいいと思ってた日本人がかっこいい。黒船来航の折「たった四はいで夜も眠れず」と詠まれたことでも知られています。2001年、それまで内国産馬しか出走できなかった日本ダービーが外国産馬にも「開国」されることになりました。世代の最強馬を決める、誰もがあこがれる一戦がガイジン参加OKになったわけです。この開放元年のダービーに照準を合わせ、持ち馬の中でいちばん有望なアメリカ生まれの馬を育てた馬主がいました。クロフネはこの名を背負って見事にダービー出走まで登りつめ、2番人気に支持されました。みんな黒船に襲来されたかったのですね。クロフネはダービーこそ敗れたものの、その後ダートで前例のない強さを見せつけて日本人の度肝を抜き、その名に負けない仕事をしました。さらに後年この馬主は、たくさんいるクロフネの仔の一頭にスリープレスナイト(夜も眠れず)という名前を与えてG1を獲りました。でもみ江さんは「世代ナンバーワン決定戦」のダービーよりもその日の最終レース「最強のどんくさい馬決定戦」の目黒記念のほうが楽しみだったりします。 |
2009年 5月 24日 (日) み江 |
姪1からはがきが届きました。あの1秒たりとも静止してなかったクルクルパーの姪1が。「あやかはがっこうへいきましたきゅうしょくはおいしいです。まっさきに給食に言及するあたりがちょっとアレだけどりっぱにやっているのだな。こんな季節のおたよりまで書けるようになって。はやくいちりんしゃのれんしゅうをしたいのではやくおくていただけませんか」……入学祝いの催促状だったよ。たまには掲載誌情報。◆「京都の迷い方」ふつうの京都本を作るのにも飽きたエルマガジン社が出した「使えない」京都ガイドブック。50人の筆者が私的に偏愛しているものを前のめりで書いたマニアックなコラムと写真でできています。み江さんは泰山タイルについて書きました。京焼の技が生きた贅沢な建築用タイル。モダニズム建築とか京都市陶磁器試験場とかそのへんを土壌に咲いた美しい花。タイルとか釉薬とか好きなので混ぜてもらえてうれしかったです。活字などめったに読まないみ江さんが(問題発言)珍しくページをめくっていますよ。よくここまで書き手が湧いてきたものだと思うが、京都にはたぶんこの20倍へたすると50倍は潜伏している。◆エルマガムック「京阪神アートブック」建築という観点から見たミュージアムガイドのページを担当。おおむね桂さんが書いた。み江さんもちょっとだけ書いた。 |
2009年 5月 21日 (木) み江 |
テーマは捕食じゃなかった補色。補色の関係を構造にも反映させた緊張感ぴきぴきのちゃぶ台、それとアクリル(だっけガラスだっけ)の表面に偏光する処理を施したキャンドルホルダー。ろうそくを入れたときの色の出方がとても意外できれいで、欲しいと思ってあつかましく値段を聞いたりしたものの、あんな繊細な光を暑苦しい補色だらけのあじとに置いては台無しもいいところである。正直なところ私は色が好きすぎて思い入れ過剰なので、色のデザインについて好き嫌い以上のコメントなんかできねいよと思ったんですが、それだと能がないので、じゃあ好き嫌いをぎりぎりまでそぎ落とした最小限の思い入れとは何だろうと考えてみたよ。思うに「形」というのはどこまでも深読みや禅問答を誘ってくる導師のようなストイックな存在であるんだけれども、「色」はどれだけ意味を込めて計算して作り込んだとしても、他人の手に渡ったら最後、「この先は言いっこなし」と、ある一線から先への介入を笑顔で断固拒絶するような、現世的で、洒落た存在であるように思います。それを体現しているのがたとえばコスメの色で、いまどきの化粧品は光学やらナノテクやらえらいことになっていて、光を集めるとか散らすとか、角度によってちがう色を見せるとか、光をあやつるテクノロジーのかたまりみたいになっている。でもどれほど考え抜いて作っても、使う人には「きれいな色〜」「カワイイ色〜」以上の感想は許さない、ていうところが色の色たる所以かなという気がするわけです。これはなんだか計算ずくと知りながらも若い娘さんの「え〜わかんな〜い」にだまされていたいオサンの心情みたいだぞと思いましたが、そもそも「色」って言葉にはそんな意味もあるのよね。あくまで表に出ているぽわんとした現象の部分だけを切り取った語。その意味で、ちゃぶ台は考えてることがそのまま顔に出ていて正直者ですが、キャンドルホルダーは、計算しつくしてることをおくびにも出さず仕掛けを気取らせず、ただ美しく光ってるところが、「色っぽい」なと思いました。 |
2009年 5月 18日 (月) み江 |
甘いものにはべつに情熱のないみ江さんですが(10代のころにやりつくしたから)、たまたま食べた成城石井の「塩キャラメルミルクゼリー」にはちょっと目が覚めた。変性したたんぱく質を。「このパンナコッタはぎりぎりまでゼラチン減らして作ったんですよ〜」とか得意げに言うな。ゼラチン少ない方が偉いっていつ決まった。離乳食食べに来たんじゃねえ。もしかしてお菓子屋さんは味の輪郭作るのを怖がってるの?作ったらいけないと思ってるの?建築の人がある時から外形作るのやめて地中に埋めるかキューブ並べるかしかしなくなっちゃったよみたいな?あっじゃあもしかすると「ぎりぎりまでゼラチン減らしたんですよ〜」ていうのも「ぎりぎりまで柱を細くしましたよ〜」みたいに中の人たちが共有している研究テーマなの?一つのテーマを追求するっていう美意識はいいと思うけどおいしいかどうかは別じゃん?……とか言いがかりをつけだしたら止まんないほど軟弱ゼリー全盛の時代にあって、この塩キャラメルミルクゼリーの勇敢さときたらどうだろう。今どき見ないゼラチンたっぷりの剛弾力タイプ。こういうのを待っていた。そうたくさん食べられる味じゃないのに。こんなふうに世間の空気なんか読まないで俺について来いと偉そうに言ってみると人は案外ついてくるものかもしれないなと思いました。 |
2009年 5月 12日 (火) み江 |
なぜか表から雅楽が聞こえるので出てみたら、車のスピーカーからでした。「今日は下鴨神社の祭礼です」的なことをアナウンスしながら通りました。そしてその後ろから平安装束の人たちがトラックの荷台に野菜のように積まれて運ばれていきました。もう先月の話になりますが、あじと前住人のとくやま君とその彼女のリズ(イギリス人)があじとに遊びに来て2週間ぐらい滞在しました。この機会に私も彼らと一緒に京都を堪能しました。あとはリズに着物を着せて写真を撮ったり、着物の古着屋さんを見て回ったり、北バチ行ってバッティングしたり、たけのこを丸ごと炭で焼いて食べたり、出町商店街でおかずを買って鴨川で食べたり、左京区的ないつもの遊びをいつもの3倍の速さでしました。写真家のリズは花見という行事に大変興味を持ち、円山公園に何度かロケに行ってました。川岸の桜がぼんぼりみたいにぜんぶ咲いた、京都が一年でいちばん美しい日にやってきて、日本はさぞ美しい国に見えるだろう。とか思っていたら花ではなく花の下で狂ってる人たちの写真を撮りまくっていました。あと阪神競馬場まで桜花賞も一緒に見に行きました。桜とは無関係に白昼狂ってる人たちの写真を撮ってました。イギリス人とは思えないほど小柄で愛らしく、日本食の壁2トップであるところの大豆発酵食品と生魚が大好きで、あじとでおみそ汁を自作したり京大の学食を気に入ったりしており、言葉以外はイギリス人だということを忘れそうな勢いでしたが、生にんじんを丸かじりするあたりは西洋人です。明日は東京に帰るという日、リズが撮ったあじとの仲間たちの写真をくれました。いつものみんなの顔が閉じ込められたいい写真ばかりです。人を撮るのが好きなリズらしいおくりものでうれしくなりました。もちろんみ江さんの写真もありました。「北バチでファイナルハロンに必死のみ江さんと対戦者Kたろう」「マキ(4歳)相手におもちゃのバットを振り回してアイスを見せびらかしながら食べるみ江さんと、それをハア?という目で見るマキ」いつものみ江さんってこんなのばっかりか。 |
2009年 5月 5日 (火) み江 |
誕生日祝いにファービーをもらいました。ワールドカップの前々日にはナドアルシバ競馬場で開かれる毎年恒例の公開調教&朝食パーチーというのに行きました。かつては入場無料だったそうですが今はこんなご時世ゆえけっこうなお金を取ります。世界のゆうめいホースマンがそこいらをうろうろしている素敵な催しと聞いて、早起きして参加し、てんこ盛りビュッフェをむしゃむしゃしているところを日本のCS局に取材されたりしていると、5つぐらい向こうのテーブルになんと!王子様が降臨しました!!武豊です豊さんです素顔の豊さんです!!!海外でもさすがの余裕たっぷり豊さんは、コーヒーを飲む仕草も優雅で無駄がなく、黒いポロシャツの背中にも無駄肉がなく、王子様以外のものには見えませんでした。入場料5k円払ってよかったと思いました。そのほかの時間はCSのドバイ競馬チャンネルを見たり着物にアイロンをかけたりして過ごしました。現地のお金持ちと仲良くなれば石油の採掘現場とかアラブ馬の牧場とかに連れてってもらえたりするのかもしれませんが、一見の観光客が遊べるところは知れています。それならだらだらするかと思い砂漠リゾートに滞在したりもしたものの、とにかく宿泊施設全般が高い。買い物天国とか言われているドバイですが、私の中ではフィジーの次ぐらいに購買意欲をそそらない国でした。み江さんはよその国に行くと、価格交渉用の電卓を腰からぶら下げてまる2日はスークとかバザールを徘徊して、往路持ってきた荷物と同じ体積の布や石やじゅうたんや金属や乾物を買って帰るぐらいスークとかバザールが好物ですが、今回現地で購入したのは絵はがき5枚となつめやし5箱。スパイスに混じって乳香やサンダルウッドなんかの樹脂系の香料が固形で積まれている中東ならではのスーク風景を楽しんだだけで引き揚げました。貴金属店が100軒か200軒ぐらい並んでるゴールドスークにはかなり本気の臨戦体勢で向かいましたが、欲しいと思うアラビアンな装飾品は私のキャパよりへたすると2桁高いため、しっぽ巻いて退散しました。観光地と名乗るには無理があると思いましたが、今回の私のように何かの用事で訪れる人にとってはお金さえ出せば便利に過ごせるので、コンベンションとかイベントとかそっちの方面でがんばるといいんじゃなかろうかドバイは。と上から目線で思いました。満員になったら出航。もっともドバイらしい風景だと思った伝建地区。とてもよくできたテーマパーク。ちなみにバブリーな高層ビル地区は遠かったので近寄りませんでした。ドバイは意外に広かった。遠目に見えるビル群はたいがいアンダーコンストラクション。あと極度にコスモポリタンなところはおもしろかった。アラブ人のほかにインド系アフリカ系東南アジア系が同じぐらいいて、もうどこの人だかさっぱり不詳の人たちもたくさんいて、少数だけど極東の人や白人もいて、街を歩いていてふと気づくと一瞬あれここどこだっけ、という経験が何度かあった。それは心が宙に浮くような不思議な感覚で、この都市のいちばんの魅力はこれかもしれないと思いました。 |
2009年 4月 25日 (土) 桂 |
ヴィヴィアンさん、宮下さん、篠原さん、豊田さんによるお仕事紹介と、就職相談を兼ねた質疑応答で2時間半が予定されてます。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーケンチクのウンチクvol.1 建築学生のハローワーク編日時:4/29(水・祝) 開場19:00/開演19:30料金:学生 ¥1,200/一般 ¥1,500(1ドリンク付)出演ゲスト 五十嵐太郎(建築批評家)平塚桂(建築ライター)たかぎみ江(建築ライター・イラストレーター)ヴィヴィアン佐藤(非建築家・美術家)宮下信顕(株式会社竹中工務店 東京本店設計部)篠原徹也(三井不動産株式会社アコモデーション事業本部)豊田啓介(ノイズ・アーキテクツ代表)不定期ケンチクイベントの第1回は、昨年末に刊行され建築学生にとって目から鱗のような本だとして話題をさらった『建築学生のハローワーク』(彰国社)その編者である五十嵐太郎氏を始め、ケンチク女子2人ユニットぽむ企画、その他超第一線のケンチク業界人をお呼びして、進路・就職相談イベントを開催!参加ゲストの仕事の紹介から、設計以外の建築の仕事の話まで、学校で演習をやっているだけでは中々見えにくい業界の話をして頂きます。検索して) 暮沢さん書評 あまぞん 南洋堂 柳々堂 倉方さん 星さん 満田さん 暁さん 関口さん 谷尻さん 山崎さん アップリンク新井さん み江日記 桂日記 五十嵐隊長……執筆者/インタビュイーがめちゃくちゃ多い本なので、検索したら大変なことになりました。「凸と凹と 竹中工務店設計部のなかみ」レビューのリンク集ができたそうです。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2009年 4月 18日 (土) み江 |
今回のドバイ行きにあたって最も頭とお金を費やしたのは「何を着ていくか」という問題です。たぶん。……といった情報を事前に得て、そんなゆかいな場所に行くからにはこちらも心して装わねばならぬと思いました。ちょっと来いと言いたいです。おしゃれさん同士が写真を撮りあったりしている会場に極東の民族衣装で乗り込んだわれわれはもはや珍獣あつかいで、ものすごい勢いで写真を撮られました。報道関係者からもけっこう撮られたのでどこかの国の誌面でさらされているかもしれません。民族衣装といえばアラブ人は言うまでもありませんが、スコットランドのキルトを着た男性も何人か見かけました。盛装の人たちが本物のアッパーなのか、あるいは祭りに便乗した単なるおしゃれピープルなのかはわかりませんが、こういうお祭りというのは、われわれのような下々の者も盛んに装うことによって貴族のまねごとをして楽しんでもいい日、みたいな気はいたします。初めての海外競馬なのでまちがったことを言ってたらすみません。音に聞くおしゃれ帽子というものは予想をはるかに超える激しさでした。ほかにもゴクラクチョウやオオハシやコンゴウインコなどがたくさんいます。凝ったトリを飼っているのはわりと年配の女性が多いです。さらにドレスや靴をコーディネイトするわけですからたいへん飼育費がかかるはずです。日本女性がみんな寛仁親王妃信子さま(兄は麻生太郎)みたいに帽子を着こなすようになるにはあと200年ぐらいかかる気がいたします。 |
2009年 4月 16日 (木) み江 |
ちょっとドバイに行きました。ワールドカップ(競馬の)を見るためです。ドバイの王様は世界一の馬主であり、いい馬をたくさん買って世界中で走らせていますが、自分の国に世界中のいい馬をたくさん呼んで、世界一賞金の高いレースを開いたりもしています。今回で14年めですが、バブルがはじけたドバイがいつまでそんな景気のいい祭りを続けられるのかあやしくなってきましたので、この機会に日本のお馬さんたちを応援しに行くことにしましたよ。その日はG1レースが5つも行われる特別な日で、世界中から馬とお客がたくさん来ます。今年は日本からは3頭出走しました。そんなゆかいなお祭りは単身参加するものではないので、Kたろうという世界に2人しかいないみ江さんの競馬友達の1人を焚きつけて同行させました。見渡すかぎりフラットな土地にぺたんとコースが貼りついています。JRAのもさもさしっとりした庭園ぽい感じがなくて、ぱきっとした印象の景観です。たしかにナドアルシバは増築を重ねたようなスタンドで、便はあまりよろしくありません。チケットはオンラインで買えてたいへん便利です。席種とくに指定席の種類がたいへん多く、それぞれロケーションとサービスが異なっています。松はシャンパンのついたテーブル席です。(↑写真下のほう)アラブインドアフリカ東南アジアとたいへん幅広いエリアからの労働者でいっぱいです。そこへいくと映画館に毛の生えた値段で快適な指定席に座れ、立ち食いの吉野家と指定席エリアのレストランの間にそこまで値段のちがいがないJRAの競馬場は、格差だなんだいっても相当フラットな日本社会の縮図になっていると思います。ワールドカップの日は、レースが始まるのは5時ですが、会場は2時から開かれ、予想をしたり社交をしたりします。たぶん。当たると賞金がもらえます。ほかにもお金や車が当たるいくつかの懸賞が用意されています。ちなみにワールドカップ翌日に日本でもG1があったのでホテルからネットで買おうとしたら、JRAのサイトが有害認定されてプロバイダにブロックされました。われわれの席はゴールを過ぎた1コーナーあたり上階で、1200mのコースが取れる長い長いゴール前の直線をこっちめがけて走ってくる馬群を正面から見られるすばらしいポジションでした。後ろの席にいたおばちゃんたちはすごい勢いでデットーリ(王様おかかえの世界一うまい騎手)を応援していました。いつもテレビ中継でしか見たことのない競馬場の空気を堪能してたいへん楽しみました。ビュッフェのアフタヌーンティとディナー(席料に含まれる)もJWマリオットかどこかのケータリングでなかなかおいしかったです。 |
2009年 4月 15日 (水) み江 |
ちょっと奈良に行きました。全く何も関係ないのに学生時代を思い出した。そうだあの時分はこういうのが雑誌にいっぱい載っていた。そしてみ江さんは現代建築に夢を持てず歴史研に行った。←布野研に落ちたから大和文華館。旧財閥系邸宅っていう趣のいかつい門をくぐって丘を上ってくと、てっぺんの開けた広場に建物が「載って」いる。広場の大きさに対する建物のプロポーションといい、坂を上がりきったときの視点との距離といい、オブジェクトとして完璧。台座に載った彫刻みたい。庭園はいまいちだった。すごい体験ができるんじゃないかとわくわくして行ったけど、斜面ポテンシャルと借景ポテンシャルが何に変換されているのかが不明で居心地がよろしくない。展示空間はよかった。「花と文人趣味」という、タイトルからしてそそる企画展をやっていて、景徳鎮の筆とかガラスの硯とか彫漆のお盆とか、かわいいzakkaいっぱーいで楽しかった。ちょっとRADあじとでおしゃべりしてきました。ゼミみたいな人数でゆるゆる話をするという企画です。ぽむ企画の生い立ちについて話しました。要約すると「生まれてすみません」みたいな話です。忘れていた昔の気持ちや動機がよみがえってきて恥で死にたくなる一方で、過去から発掘されたことが私に新鮮な驚きをもたらしたりもしました。過去を言葉にして確認するというのは(自分にとっては)大切なことだなと思いました。このような(他人にとっては)ゴミとして出すのもじゃまくさい話をわざわざ聞きに来てくださった方に、せめてもの収穫にと思って、ケンチクナイトのパンフレットをあじとの魔窟から発掘してきておみやげに配りました。 |
2009年 4月 13日 (月) 桂 |
久々に関わった書籍の宣伝を。この本を担当された編集者の長谷川直子さんから「そもそも何でこういう建物が必要とされてるの?」「日本の都市風景をつくっているのは本当はゼネコンなんだよね? なんでそういう建物をやさしく紹介した本がないの?」と言われ、目からウロコが落ちました。我々も「設計-施工に明確なブランド力を持つ竹中さんというのは、実は”ニッポンの美しいゼネコン”として世界に誇るべき存在なんじゃないか」「そーだよ建物雨漏りしないのがあたりまえだとか安全第一だとかこんな言われる国ほかにないもんね」「さらにデザインもかっこいいなんてスゲーじゃんクールジャパンじゃん」……と勝手で安易な妄想をふくらましはじめ、前のめりに執筆+編集協力をいたしました。pp.050-057,118-129,140-147がたかぎ。これからは施工も含めて知りたい。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2009年 4月 13日 (月) み江 |
ちょっと宇治に行きました。ぽこぽこした山がすぐそこまで迫っているのに川幅がゆったり広くて、ダムが放水した水がざばざば流れている。イニシエーション的な出来事のための仕掛けがいちいち気が利いてて、しかもわずか何十歩かの間に用意されている。門、拝殿、一段高いところに本殿、そんですぐ後ろに屏風みたいな山。重層構造が浅い奥行きの中に凝縮されて実現してるから、舞台装置みたいな絵画性がある。拝殿じたいも縋破風でちょっとだけ左右非対称でかっこいい。24時間じっと座ってないと死刑と言われたらここに座る。ところで近頃はこうした社寺仏閣の類までもが充実したミュージアムショップを備えていて卑怯である。ここでも宝相華のついたハンカチだの雲中供養菩薩トランプだのたいへん卑怯なおみやげをたくさん売っている。髪やスカートのなびき方に魂入れたりとか。集めて並べて愛でたりとか。1000年たったらフィギュアも国宝に指定されてハンカチになると思う。 |
2009年 4月 8日 (水) み江 |
吹き抜けを囲んで部屋を配置したりとか部屋によって床の高さを変えたりとか。みんなが灯篭をプレゼントしてくれようとしたのを家主は必死に拒否してその代わり直径60cmぐらいの球体の石にしてもらったらしい。庭は石がよかった。 |
2009年 4月 7日 (火) み江 |
ニワトリを通り越してイモリかムシかってぐらい記憶力が悪いので、見たものを記録しないのは何も見ていないに等しいとようやく気づき、いつまで続くかわからないけどできるだけ書くことにしてみるよ。さいきん訪問したところおぼえがき。路地に面したドアを開けるといきなり忍者屋敷みたいな急な階段があって、これを上ってアクセスする。事務所にするには広すぎるため各種イベントに使っていて、今後はギャラリーとかも始めたいとのこと。何を聞かれるのかどきどきしますが、要約すると「恥の多い人生を送ってきました」みたいな話になるのではないかという予感がいたします。茶室から待合から持仏堂から竹やぶまで揃ってて、有閑倶楽部の野梨子さんちみたいな(発想が貧困)りっぱなお庭であるのだが、絵を描くための庭であるせいか通路の面積が多くて、なんというかゆるい。そんな人に私はなりたい。と思ったら焼けちゃったよ!茶室!!関係者の方は本当に気の毒だ。↓↓↓どっかからのコピペ2007年05月12日 旧J.H.モーガン邸(神奈川藤沢、1931年築)、不審火で半焼2008年01月02日 旧J.H.モーガン邸、ふたたび不審火で全焼2008年05月23日 吉志部神社本殿(大阪吹田、1610年築・国重文)、不審火で全焼2008年06月28日 平出遺跡復元住居(長野塩尻、古墳時代の様式再現)、不審火で全焼2009年02月14日 トトロの家(旧近藤邸、東京杉並、1927年築)、不審火で全焼2009年02月18日 旧三田家住宅(東京世田谷、1889年築)、不審火で全焼2009年03月15日 旧住友男爵家俣野別邸(横浜戸塚、1939年築・国重文)、不審火で全焼2009年03月22日 旧吉田茂邸(神奈川大磯、1884年〜昭和中期)、不審火で全焼↑↑↑不審火って何ですか半分ぐらいは事故かもしれないけどまあ半分ぐらいは放火ですよねたぶん。防災とか防犯は今すぐどうにかしたほうがいいと思うんだよ。がんばってお金集めて保存の意味議論したって焼けたら終わりだよ。中央郵便局が燃えたってぜんぜん驚かないよ。別の話になってきたのでいっぺん切る。 |
2009年 4月 4日 (土) 桂 |
ぽむアジトで花見的なパーティーをしました。おすし(み江作)おかし(3代目あじと同居人氏作)お花(同居人氏が庭に咲いてる花を生けたらしい)フルーツ(友達ながさわさんがもってきた)。中央のみかん「でこももえ」が美味しかった。アジトも結構できるよ、というところを見せてやろうと思ってあげてみましたが、私は特に何もしてません。たのしみ。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2009年 3月 22日 (日) み江 |
先週は東京に何日か行ってました。理想的な環境とは言いがたい(控えめな表現)左の人の家に3泊したら風邪を引きました。今回の遠征のテーマは「取りそこねたキノコを取りに戻る」です。すなわちお世話になったけれどもお礼をちゃんと言えていない人とか、お互い名前は知っていたけれども実は会ったことがない人とか、もう何年も会ってないけど改めて話がしたくなった人などに会って、今後ともよろしくと言って回る旅です。とか言うとかっこよさげですがやってることは昔のつてをたどって金の無心をしている人のようです。ほぼ全員建築関係者ですが誰に会って何をしゃべったかは私的な話なので言いません。ふだんもっと極私的な話を書き散らしておいてどの口が言うかという感じですが、やっぱりがまんできないので一人だけ書くと、大島健二さんに初めてお会いしました。恵比寿の事務所(兼住居)にぽむ揃ってお邪魔して、下にも置かない歓待を受けたいへん楽しみました。以下訪問した場所のおぼえがき。おもしろかった。伊東豊雄さんが果物の皮だとしたら、平田さんは果物をつくろうとしているのだなあと思いました。どういう道具を使ってデザインしているのか知りたい。ミリメーターさんがデザインした道路用防護柵もあるよ。あきる野と日の出の材木屋さんたちが主催。どこ中ですかとか地元トークをしつついろいろ聞いて勉強になった。あきる野で林業やってるのもろくに知らなかったすみませんでした。前川國男の大きさ暗さとコルビュジェの細かさ明るさについて考えようとしたけどすぐ止まる。常設展の17世紀オランダ絵画がよかった。おたくくさくて日本人と相性がいいと思う。ロビーのシェーズロングに座っていたところいつのまにかガチ寝しており目が覚めると20分くらい経過していた。どうやらこの椅子を体験したい女の子たちが順番を待っていたらしくたいへん申し訳なく思いながら立ち去り弁天堂でおみくじを引いたりアメ横で餃子を買ったりする。東京は森みたいだなあ。できるだけ猫ホテル(=桂の家)に滞在する日数を減らしたいので本当のホテルに泊まったりする。神楽坂のほんとに森みたいな狭い路地をぐねぐね上がった豊かな場所にある。東京における斜面ポテンシャルについて考えようとしたけどすぐ止まる。じつは初めて行った。自らを相対化する庭園ていうのはたしかに近代的な存在だわ。複雑なコース形状と起伏のせいで風景があんまり庭園的じゃなくて、イギリスの競馬場みたいな(行ったことないけど)ワイルドな感じがするのもいい。1階のレストラン棟という名の売店街が、各店の3方に幅2mぐらいの通路+カウンターがぐるっと巡ってて、立ち飲み屋街みたいになってるのもいい。ちょっと古めの競馬場の陰影みたいなものがいい。画面で見ててもまるでわからないんだけど、実際見たらもう竜か大蛇かってぐらいうねっているのですね。ちなみにこの日は3年前の桜花賞で勝って私を儲けさせてくれた牝馬の引退レースだった。衰えたとはいえ足取りがいちばんしっかりしていたのが女王らしくて気に入った。そんな女王がドラゴンの背中を駈け登ってきて勝った。ちょっと泣いた。 |
2009年 3月 18日 (水) み江 |
過去日記だけど書きかけが放置してあってもったいないからアップするよ。Kたろうという伏字になってないアラサー男子が着物をゼロから揃えるショッピングをするので、仲間3人でぞろぞろ野次馬をしに行く。男着物がたいそう充実している古着屋さんで、今日は下見程度のつもりが、私が遅刻して着いたらすでにお店の凄腕姐さんたちの見立てによりものすごい勢いでコーディネイトが決まりつつあり、あとはお金を払うだけ状態になっていた。「あらこのお客さんおなかが出てへんわ」という姐さんのつぶやきに気をよくしたらしいKたろうにやにやしながら即決。たいへんいい色の紬アンサンブルに絣の袴までつけて、小物も全部含め73500円。東国から侍が5人も来た。つまりSferaで岡田栄造さんが不定期にやってる「デザインの部屋」のゲストにチームラウンドアバウトの兄さんたちが来たので聞きに行った。ふざけた感想を述べると侍に斬られるらしいのでどきどきしながら書くが、これはデザインの部屋の感想であってroundaboutの感想ではないからまあよかろう。3時間という長い時間枠を心配しましたが、杞憂でした。岡田さんの聞き方は、彼らの設定する問題の中身には踏み込まず、問題設定までのいきさつを聞くというものでした。簡単にいえば「君たちはなぜroundaboutをしているの?」「君たちはなぜそういうやり方をしているの?」という質問です。彼らは自分たちの活動を「部活」と呼びます。3時間のトークのなかで議論という言葉が300回ぐらい出てきました。一口に部活といっても、地域OB一体となって学生王者を目指す部活から、めいめい部室の壁に向かって黙って練習をするギター部までさまざまなスタイルがありますが、彼らの部活は私の理解したところによると、たとえば新しい格闘技のリングの形からユニフォームから一通りルールを決めて、興行のための組織とメディアを整えて、種目として成立させて、ぞんぶんに戦うような活動です。これによってハウストーナメントでは獲得できなかった一般性と、物理的距離を越えた伝播が期待できるというわけです。現に格闘技など見もしない私のような生き物ですらこうして全国巡回トークショーを聞きにやってきたりするわけである。印象的だったのは以下のような点。彼らの議論の枠組みは自分たちの仕事や生活の実感から生じたものである。・いかなるときでも斬ったはったができるように鍛錬している。使っている言葉が個人的な実感からスタートしているらしいというあたりが見えてきて、ようやくみ江さんにもわかってきましたよ。なんでそんなに議論が好きなのか不思議でしたが、個人としての言葉をどうやって遠くに飛ばすか、という問題意識があるのですね。ここまで掘り下げたら私にも共有できる。もはや下部マントルあたりまで掘ってると思うが。あと格闘技をやっている理由はみな少しずつちがうようでした。体を鍛えて戦に役立てるためという侍もいれば、格闘技で社会をよくしたいという侍もいます。そして後半はなんと藤村君が岡田さんに質問を始めました。「岡田さんはなぜdezain.netをしているのですか?」「岡田さんはなぜそういうやり方をしているのですか?」そうして出てきた岡田さんの回答は見事に対照的で、武家vs.公家の様相を呈しており、部活の姿勢がかえって浮き彫りになってこれが非常によかったです。 |
2009年 3月 9日 (月) み江 |
【3日目】ロマンチックが止まってなかったよ雲仙の山を降りて福岡に向かいます。昨日は夜だったのでわかりませんでしたが、このへんには美しい棚田がたくさんあるのですね。じつはぐりんぐりんの中身が「温室」ということをろくに知らずに行きました。もっと休憩所的なサムシングかと勝手に思っていました。でもこの建築の用途が「温室」であるというのは、たまらなくいいと思いました。このハコのデザインと建設にすごいテクノロジーを使っていることは言うまでもなく、ほかにも空調とかバイオとかいろんなテクノロジーを駆使して、本来この地で育たない草花の王国を実現しているのです。あの形はこの夢に捧げられたのですね。温室は19世紀の人の夢だったのかもしれませんが、21世紀の今でも夢としての力を持ち続けていることに、私はいささか驚嘆いたしました。この池からあっちは極楽浄土ねーみたいな抽象化されたお約束を取り結ばなくても、あっちの世界に旅できちゃうのです。それでこの公園はよくいえば空の広い、悪くいえば殺伐とした埋立地にあって、借景はクレーンとコンテナです。そんな風景の底に、形としても状況としても、果物の皮をくるっと剥いて放置したような植物園があります。果物の皮は自然物ですが、ナイフで剥いたら少し人工を帯びます。そんでそれを埋立地にぼいと捨てたら、「明らかに人為的に置かれたんだけど、あってもよかろう」ぐらいの異物感が生まれます。果物の皮というのはその「ある一部」を表した言葉(のつもり)なのですが、建築語に翻訳するのは不得意だしうんと考えないとできないからしません。ともあれ自然と人工とに対する批評性を帯びた距離と角度だと思います。ロマンチックとテクノロジーを信じている建築はすごく明るくて潔くて、私は幸せな気持ちで帰りましたよ。旅の終わりにここに行けてよかったです。最後になりましたが道中運転をしてくださって、坂道+路面電車のコンボで難易度の高い長崎の道を軽く制覇していた鈴木先生根本先生ありがとうございました。役に立たなくてすみません。 |
2009年 3月 8日 (日) み江 |
【2日目】画像検索がめんどうになってきたんですけどもういいですよねありえないヘアピンカーブをぐいぐい攻めて、今井兼次の日本二十六聖人殉教記念館@1962学会賞。ガウディを意識した表面がゆうめいだけど、ここにしかない地形とプログラムを生かしたコンポジションもよかった。そんな坂道を昔は小さな対州馬たん(絶滅寸前在来種)が荷物を担いで昇ったり降りたりしていたらしい。今度来たら乗ろう。子供のころなぜか猛烈にあこがれていた眼鏡橋。たぶん。並と上のちがいは意外にも「スープ」であった。このお店だけなのかどこでもそうなのかわかりませんが、この地におけるこの食べ物の文化的奥行きを感じました。丘の上の階段を上がりきったところがいきなり正面玄関。そして入った瞬間「おおスゲー」と「なんだこりゃー」が同時に出てくる。と思って後から調べたら、恥ずかしながら不勉強で知らなかったんですが、もともと木造で、あとから四方にかなり拡張して壁を煉瓦造にしてるんですね。九州にはこういう木造ゴシックがたくさんあるのだな。縁側の重層的構造に気づいた。園内には移築されたいくつかの洋館があり、順路最後のグラバー邸がやはりいちばんゴージャスなのですが、私はそこにたどりつく前にデジカメの電池が切れましたみなさん気をつけてください。どっかのお宅で有田焼の鉢を洗面器として使っていたのがとてもうらやましかったので今度来たら買おう。いい感じの温泉旅館に泊まりました。ちょっと前にあきる野の温泉をけっこう濃いとか書いたことを反省。 |
2009年 3月 7日 (土) み江 |
柄にもなく寒い季節に動き回っていたら数日間フリーズして関係各所に迷惑をかけました。調子こいてすいませんでした。京都芸術デザイン専門学校(以下CDC)の学生さんたちの卒業旅行にひっついておもに長崎に行ってきましたよ。長崎空港→佐世保→ハウステンボス泊→長崎→雲仙泊→福岡市内→福岡空港という移動距離がやたら長いコースをレンタカー2台に分乗してドライブする2泊3日。1人でも2人でも6人でも旅行の計画と手配はたいがい私がしますが(好きだから)、他人がセッティングしてくれる楽ちん旅行も好きです。と思っていたら、今回の旅行番長が建築に興味がない(笑)ため、弓張岳展望台!とかぐりんぐりん!などと声を上げなければ建築を見ずに帰る羽目になりかねない油断ならない旅行でした。【1日目】車じゃなくて建築に酔ったよ長崎県はどこを走っても小さな海と小さな山がセットで視界に入る、サザエさんのオープニングのような風景が続きます。海面は波もなくて鏡みたいだなあ。斜面の中腹に人工地盤(と車中で呼ばれていた)を作って貼りつくように家が建っています。この風景に囲まれて育った人は関東平野で育った人とは明らかに何かの感性や前提が違うはずだと常々思うのですが、何がどうちがうかをどう証明すればいいのか見当もつかない。こういう道というのはたいてい山林とかの中を通ってるものだと思っていたのですが、この街では杉ではなく家が並んでいるのですね。頂上には坪井善勝設計の3点支持のシェル屋根と、「これが佐世保か」とつぶやかずにはいられないパノラマが待っていました。担当の社員さんがたいへん丁寧に建築的に案内してくださってすばらしい。こんな気味の悪い建築は見たことがないぞと第一印象からあやしい気を感じましたが、内部に入ると気がさらにパワーアップ。建築家の美意識・トリュフを角に切るような素材の使い方・竹中工務店の中の人の汗と誇りの強力コンボが次から次へと同じ濃度でたたみかけてくる。初めのうちこそ「建築の満漢全席や〜」とか叩いていた軽口がたちまち重くなる。密度がありすぎて消化不良を起こし、約1時間の見学を終えるころには全員10kg体重が減ったり総白髪になったり胆道に石が詰まったりする。いや建物を見てハラワタにきたのは初めてですほんと。学生さんたちは前の晩にみんなで徹夜して見たらしいミストとかいうくそ映画のおかげで朝5時から異様なハイテンションでしたが、どうやら非常に楽しみにしていたらしいハウステンボスの期待と現実とのギャップにテンションだださがりで9時に寝ていました。 |
2009年 3月 6日 (金) 桂 |
先日の「狛江の住宅」と、同じ日に見たもの。以下、最近見学した窓。設定ミスでぼやけました。でも窓辺の自然光の溶け方が見えたような気も。音大生のためにつくられたという集合住宅の、ピアノ室の二重ガラス窓。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2009年 2月 28日 (金) 桂 |
南洋堂書店でのイベントで案の定、音痴な歌をさらして帰ってきました。予定していたスケジュールは以下の通り。20:05-20:45 トーク(第1部)「(仮)『勝手メディア』の現在」20:45-21:30 トーク(第2部)「(仮)けんちく書の近未来」話の内容はテンパってたから、かなり忘れた……。そのなかで宿題と自分が受け止めた内容と、その回答のメモ。ーーうっかりものすごく前提をすっ飛ばしてしまったのだが、個人ブログのような無数の解釈の群れたる「勝手メディア」があふれる中で、解釈だけではない勝手メディアが出てきていて面白いよ、という感じの特集を「建築雑誌」4月号でやろうと思っている。で、勝手メディアの可能性として何があるか、と何度か問われたのだが……はじまりはすべてのメディアは勝手であるとして、いまのメディアは形に自由度や選択肢が多い。非生産的な姿勢で楽しめて参加できる(たとえばニコニコ動画みたいな)建築メディアが設計されるといいかもしれないけど、それはどんなものだろう……。たとえば三次元モニタとか。あと、「1995年以後」を選手名鑑的、と言ったら反論があった。カタログ的だと言う気はなかった。RAJではもともと「新聞」という形で議論がまとめられていたのだが、それを本にすると面積配分やヒエラルキー、戦力差が明快になったり歴史的価値が強くなったりする、という書籍化に伴うメディアの持つ性格について言いたかった気がする。仮設建築と建築基準法を通した建築の違いみたいなものも感じる。最後は藤村さんにより建築と建築メディア界隈にある、いろいろな二面性を許容しつつ架橋したいね、みたいなまとめがなされた、と思う。本当に記憶がとんでいる)個人的には建築の中の問題意識とそうじゃない人との認識の二面性には強い興味と関心があり、そこを架橋するような仕事を主体的にやってきた。今後の可能性としては「地震こわいよ」とか「柱が何で細くないといかんのか?」といった建築専門じゃない人が、直感的に不安を持ったり、疑問を抱いたり、入って来やすいところを回答していくことに照準をあてたい。もはや完成物を通した解釈は無数の勝手メディアが勝手にやれる状況に来てるし。生産現場やテクノロジーに踏み込んだ面白さを、わかりやすくキャッチーに紹介したい、気もする。岡田さんがホストを務める3/8京都は、だいぶおもしろいのでは?(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2009年 2月 28日 (金) み江 |
【14−10−18(一千万馬券のうた)】そぼ降る雨の中 メインレースが始まった人気の10番は気合充分で 満を持してレースに臨むブービー人気の14番と どんけつ人気の18番は仲良く彼らの指定席 どんけつ付近を走ってたグレード1のレースだが14番の調教師は 何の期待もしてなかったのでよその競馬場で仕事をしていた14−10−18 来れば一千万馬券14−10−18 雨の東京競馬場<中略>人気の10番が走る ぬかるみに足を取られながらもすがる馬を振り切って ゴールに向かってひた走る実力はあったとて いつも2着に甘んじる勝ちきれない馬ともう言わせないやっと運が巡ってきたのだ<中略>(ところがなんとあの14番が勝ってしまい、さらにどんけつ人気の18番が3着に入った。3連単の配当は重賞史上最高の9739870円を記録した)調教師すら予期せぬことがわれわれにわかるはずがない世の中にはわからぬことがわかることよりはるかに多いもうだめだと思う時実際もうほとんどだめでしょうけどこの数字を口に唱えりゃ活路が開けるかもしれまへんで14−10−18 人生のどしゃ降りに14−10−18 君にも来るぞ 一千万馬券(作詞・作曲・演奏・うた 須山公美子)*・゜゜・*:.。.:*・゜ このごろ1日5回は口をついて出てくるしみじみいい歌なのでいつか紹介したいと思っていたのですが、そのためだけにこのスペースを使うのがなんだか申し訳なかったので(とくにdezain.netからわざわざ飛んでくる人とかに)、左に長文が来たこの機に。JASRACに登録されていないのをいいことに少し多めに引用してみた。14番の調教師がよそで仕事をしていたのも実話。根拠のない励ましとか慰めをしないあたりが誠実で現実的でしみる。人生のどしゃ降りにこの歌に出会いたかった。ちなみにその後、14番は着順どんけつ付近が指定席になり、奇跡に箔がつきました。勝ちきれない10番はどうにか2回勝ちました。 |
2009年 2月 26日 (水) 桂 |
先日出かけた長谷川豪さんの「狛江の住宅」のオープンハウスで撮影した写真をflickrにまとめてみた。オープンハウスをどう咀嚼するかをしばらく考えていたのですが、人間の視野に近い単焦点レンズを使ってみることに。たぶんゴミ箱とっても……という、よいのか悪いのかわからない状態なんですが、ぽむ日記はオシャレ写真が似合わないフォーマットなので、flickrにアップします。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2009年 2月 26日 (水) み江 |
この季節は基本的にどひまなので3日間あじとから一歩も出ずハチミツとクローバー全巻を読み直したり馬の絵を描いたりしていたところ、京都にお仕事に来た新良太さんから電話がかかってきてちょっと表へ出ろと言うのでようやく着替えて外に出る。蜂も観覧車もいいけどおおーと思ったのは柳家権太楼ポートレート。とうてい無理だけど私も見習いたい。明日というか今日から専門学校の学生さんたちの卒業旅行に便乗して九州に行ってきますよ。 |
2009年 2月 24日 (月) 桂 |
1月28日の思想地図シンポジウムでも話題になった「アーキテクチャ」の問題、特に「メタフィジカル/フィジカル」軸で考えるに、建築と建築書と建築書店は共通の課題を抱えていると考えられます。すなわち、情報環境が拡大するなかで物理環境の新たな役割をどう描くかが問われています。webの時代に紙メディアや実空間のイベントの可能性を試行錯誤する私たちにとって、webで登場して紙媒体に移行した平塚さんとどのようなトークになるのか、今から大変楽しみです。……ずいぶん遠くにボールが投げられてしまいました。急にカラオケでマイクが回ってきて歌えそうな歌かと思ったらぜんぜん違った的な感じで泣きながら歌う自分が目に浮かぶようです。 |
2009年 2月 23日 (日) み江 |
11日はラブマスター山崎&夏実さんの車に乗っけてもらって宮本佳明さんの住宅のオープンハウスに行きましたよ。そんでアイデアを形にする勢いがすごいと思いました。着想から実際の家になるまでいろいろ考えたり詰めたり調整したりする過程で最初のアイデアが減衰してない。私も見習いたい。一帯は宝塚の斜面に広がる住宅街で、うねった坂道が生活幹線道路みたいに使われてる風景が新鮮で珍しかったです。蔵のあるお屋敷からかわいい系公営住宅まで京都の街中ではあまり見ないタイプの家が各種あって、住宅まつりみたいな場所でした。だいたい庶民が理想の家についてこんだけ悩めるって世界史上あんまりない経験だよね。お祖父さんの池田泰山さんが始めた「泰山タイル」について聞く。京都で作られていた建築用タイルで京都市内の近代建築にけっこう使われている。晩ごはんまでいただいてしまってありがとうございました。 |
2009年 2月 10日 (月) み江 |
今さらながらipodを買ったので、帰りの新幹線ではPerfumeより2世代は古いテクノ歌謡を聞きながら帰ったところ妙に田園風景とマッチして笑えました。テクノ歌謡は東京土着の民族音楽だとなんとなく思っていたけど、東海道でも問題なくいける。今さら言うことでもないですが東海道新幹線の車窓は、稲作とハイテク工場と土木という日本の基幹産業が1坪の隙もなくびっちりレイアウトされた世界でここだけの風景が延々2時間半続きます。昔はなんてつまらない風景だと思っていました。当たり前すぎて面白くないと思っていたわけですね。鎮守の森だけがきれいに切り取られたように残ってる。町家とか狭小住宅みたいに限られたスペースを最大に使おうとするいじらしさがもはや芸術。私が外国人なら来るたび絶対乗る。 |
2009年 2月 8日 (土) み江 |
8日は新国立劇場で歌劇「グラン・マカブル」(グラン・マカーブルとも)を観ましたよ。オペラといってもリゲティのオペラしかも日本初演であり、現代音楽オタしか来ないだろうと思っていたら満員でびっくりしたよ。ものすごい意欲的な大作だったのでちゃんと感想書きます。ちなみに私が行った理由は舞台美術が中村竜治さんだからである。歌い手さんもオーケストラもものすごく大変な演目だと思いますが、大変さを感じさせなくてさすがだと思いました。クールで抽象的な部分と、具体的でベタな部分とを極端に混在させていました。おげれつとドタバタまみれでばかばかしいけど、愛と死と無常みたいなものも全編を貫いている、そういう脚本の性格の表現としてはよかったと思いました。言うまでもなく中村さんはクール担当であり、無数のひもをグリッド状に吊るした装置が舞台に浮いていて(リボンの展示に似ている)、場面に応じて上下します。3幕の死神の登場の場面、ここがしょぼかったら座布団投げて帰っていいぐらいの見せ場なのですが、いったいどうなるのかと思っていたら、美しい懸垂線が後ろから一列ずつ上がってって、間から金ピカの霊柩車がゆっくり姿を現す、という二度とは拝めぬおバカなコンビネーションに感激したよ。でもあの舞台装置はほんとはもっといろんな使い方ができて、いろんな「場」を作ることができる空間生成装置として作られていたと思うんだけど、演出の段階で、歌劇っていう古典的な形式における「舞台美術」の枠にむりやり収められちゃった感じがするのがもったいくて歯がゆかったです。(それも含めてオペラのパロディ、という意図であれば何も言い返せませんが、たぶんちがうと思う) そういう舞台空間の可能性みたいなところをもうちょと掘り下げてたら、やりすぎすれすれの悪ふざけの部分に説得力というか強さが増したんじゃないかなー。中村さんの実作はこれと、あと流山の眼鏡屋さんを見ただけですけど、どっちも「建築家として何ができるか」というところからスタートしている感じがします。建築の形式とか制度みたいな枠組みに対してものすごく主体的に関わりながら作ってるというか。夜は新宿の思い出横丁で松田達くんと桂さんと、このところGAジャぱんにインタビューされたりしてゆうめいらしいあじと前住人とくやま君と飲む。焼酎が回ってきたころに建築系ラジオの収録が始まる。あじとに以前いた猫をさわるために桂さんの家に泊まる。昔は友達だったのに。ひさしぶりの東京(都心部の意)はたのしかったです。 |
2009年 2月 7日 (金) み江 |
東風とともにかつての教え子から「さっき設計事務所辞めてやった辞めてやったぜヒャッハー!!!!!」というそよ風のような電話がかかってきました。年賀状はいうまでもなく寒中見舞いを出す時期すら逸しました。お正月に帰省できなかったのでちょっと実家に帰り、姪と遊んだり温泉に行ったりしました。あきる野ではさいきん市が温泉を掘りました。温泉の横にレストランがあったり地元の農産物を売ってたりする、われわれが旅に出ると寄って散財せずにはいられない種類の施設が地元にできたのです。「箱根?」「信州?」じつは東京都あきる野市でっす、という趣旨のたしかに美しいけどややヒクツな観光ポスターで宣伝しています。姪2は4歳になり、一日中しゃべりたおしています。気に入った話は何度でもリピートして周りの大人たちに話して聞かせます。今までみ江さんがした教育的な話の中で彼女が気に入ってリピートしているものを紹介してみます。【妖怪あかまみれ】「えっはな(彼女の名)お風呂入りたくないの?お風呂嫌いなんだ?はな知ってる?妖怪あかまみれが来るよ?あかまみれは子供の垢が大好きでお風呂に入らない子供の体をべろべろなめるんだよ。み江さんよくお寺のあたりで見るよ」【黒サンタ】「へえそれサンタさんにもらったんだ。よかったねえ。はないい子にしてたから赤サンタが来たんだねえ。み江さんなんか悪い子にしてたから黒サンタが来ちゃったよ。夜ふかししたり部屋を散らかしたりしたからねえ。朝起きたらみ江さんの枕元に牛のモツと腎臓が置いてあったよ・・・くさかったよ」あかまみれは私の創作ですが、すさまじい恐怖を植えつけたらしくその日以降彼女は自発的にお風呂に入るようになりました。 |
2009年 1月 31日 (土) 桂 |
右の人と同じく年明けをこじらせたひらつかです。初詣に行かず、年賀状書かず、風邪をひき、作業ペースガタ落ちな感じで今日まで参りました。日記も1月以上書きませんでしたが、ひとえに私の怠慢によるものであります。しかし今日は「Live ROUND ABOUT JOURNAL」を観戦してきたので仕方ない。オープンハウスなどに伺った際に個人的にウェブなどで感想を書くように求められる機会はたびたびあります。(表面的な感想を書かないようにクギもさします笑)しかし私は怠慢により最後の全体討論しか聞けずでした。「Live ROUND ABOUT JOURNAL」において設計されている議論の場の構造は、もしかしたら”アメブロ”に近いのかもしれない。1組20分(だったかな)でキッチリ終わるプレゼン。こうした場が、緻密な設計なしでウマく進むわけがなく、たしか昨年のケースでは出演者(1日10組×2日間)全員との打ち合わせが行われ、前日までにパワーポイント資料の提出が義務付けられたと聞きました……。これは完全に想像ですが、少なくとも初期には、アメブロ側が書き手にブログ作法を指導するようなことも多かったのでは。そしてトラックバックとかパーマリンクといった機能はさておき、単純にコメントの量で人気ランキングを決める。こうした教育とメンテナンスと単純化によって、日本で人気のあるブログサイトとなった、という印象です。「Live ROUND ABOUT JOURNAL」でも多彩な出演者たちに簡潔なプレゼンをさせ、観客にコメントを求める。(その場で発行される新聞は、2ちゃんねるのスレの1に貼り付けられたニュースソース的なものかもしれない)しかしこれを上手く機能させるにはアメブロ的な人力アーキテクチャを駆使しないと難しい、ということなんだろうな、と。なお今年は出演者との事前打ち合わせはしなかったそうです。イベントが定着した、ということなのでしょう……?※「建築雑誌」4月号「勝手メディアの台頭(仮)」特集準備中。 |
2009年 1月 31日 (土) み江 |
厄だか大殺界だかの明けた世界は明るくてまぶしいです。「建築ノート」NO.6に「京都の街は学校だ!」と題してFOBA梅林克さんの記事を書きました。ふだんは刺青とか撮ってる瀧本加奈子さんが撮影した克さんのかっこよいグラビアが見どころです。アーキフォーラム中村竜治の回に行きましたよ。厄だか大殺界だか知らないけど長かったなー。ともあれ司会者(+聴衆)とゲストの間を埋めようとすると違いばかりが際立ってしまうエキサイティングな2時間でした。すごくおもしろかったです。中村さんは全然感性の人なんかじゃなくて、理系男子いやちがうな理系研究者の気配がすごくしました。ものの表面に貼ってある意味を通り越して分子のふるまいを見ていそうなあたりが。物質おたくというか物性おたくというか。たとえば何かの法則を一般式で表そうと思ったときに、理論的にはたとえばf(x,y)になるはずなんだけど、現実には分子の大きさやら質量やら分子間力やらが無視できなくなって f(x,y)+α ていうおまけがついてきたりこなかったりしますよね。かといってf(x,y)を無視してるわけじゃなくて、αを考えるために必要ならばf(x,y)も考慮するというか。そういう立ち位置のせいで月から来た人っぽく見えるけど、アプローチは仮説→実証のくり返しという世間の科学者とあんまし変わらないやり方なんじゃないか。「『世界観』は外的要因として与えられるもの(であって自分が持っているものではない)」て中村さんも言ってたし。αが何なのかよくわからないのでたとえ話ですみません。 |
2009年 1月 27日 (火) み江 |
今日やっと初詣に行きました。下鴨神社は冬枯れの枝から陽がたくさん地面に落ちて、谷底の光の国のようだったよ!! 今年もよろしくお願いします。そういえば宣伝がまだだった。私は4コママンガとイラストを描きました。オーケストラでいうところのティンパニのような仕事をさせていただいて光栄です。4コマは初めてでしたが、自分で言うのもあれですけど結構おもしろいと思います。さいきんシャンソン歌手(なのかフォークなのかパンクなのか)の須山公美子さんという人を知りました。競馬はしょせん遊びではありますが、歴史と裾野をもつ遊びはどれもそうであるように、人生に含まれている要素はたいがい内包しているのですね。これがたいそうシャンソンと相性がよい。実力はあるのに大舞台に弱い馬もいれば、なぜ勝ったのか調教師すら首をかしげるような馬もいます。レースを見て勝ったとか負けたとかしか思わない人が99%を占めるなか、競馬にひそむ人生を丁寧に拾う眼力は衝撃的です。そんでそれを、諦観を基調としながらも喜びは祝福し悲しみは慰める、突き放した暖かさでもって歌にするのです。お笑いはこうでありたい。こんなどマニアックな題材から普遍性を取り出して大衆娯楽の形にするたしかな芸。でもぜったいメジャーにはならない。私もこうやって生きたい。実況の魔物この題材で歌を作ろうと思うあたりが普通じゃない。 |
2008年 12月 17日 (水) 桂 |
各方面いろいろ返事とか義務とか滞らせ、ここ数週間さまざまな予定を諦めました。死守したスケジュール。なんか勿体無いことをしていたのかもしれない。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2008年 11月 24日 (月) 桂 |
21日から23日まで京都にいました。21日に阪大で、鈴木毅先生と編集委員会でご一緒させてもらってる田島きみえさんに招いていただき、就職に悩める女子学生さんたちとお話ししました。三回生も院生も、地に足が着いていてかなり感心しましたむしろフラフラしとる自分が恥ずかしかったです。22日は京都造形芸術大学通信教育学部で特別講演会に参加しました。み江さんと2人で話す機会なので、あらかじめ聞いて欲しいことリストを用意し、掛け合い調で互いに質問しあうという形式を取ってやってみました。23日はみ江さんの「京の近代建築」出版記念パーティーと言う名の快気祝いをしました。別行動でわたしはダブルクロノス展に行ってきました。大学祭に合わせた学生有志によるワークショップの講評です。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2008年 11月 18日 (火) 桂 |
11/3にprotype展に行きました。偶然あった山崎一家と一緒に見学。最初はちょっと幾何学が強すぎるかと思ったのですが、座ってまったりしていると、だんだん心地よくなり、花見をしているとそのうち花を忘れる、みたいな状況が訪れます。ついついソファの座面を背もたれにして床にぺたんと座ってくつろいでしまう、みたいな、日本人の部屋と身体感覚の不思議について考えさせられます。ところで11/22(土)京都造形芸術大学でお話します!特別講義シリーズ2008 "Architectural Lecture Series" Vol.5ぽむ企画「いまどきの建築」【講師】ぽむ企画:たかぎみ江 平塚桂 (建築ライター)【日時】11月22日(土)(京都)18:30〜20:00(18:00開場)【場所】京都造形芸術大学 瓜生山キャンパス 人間館NA401教室【定員】150名(当日先着順)入場無料その前後も、いくつかの大学でおしゃべりしたりというのが続く予定です。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2008年 11月 2日 (日) 桂 |
「AXIS」2008年12月号(vol.136)に、ヴェネチア・ビエンナーレのレポートが掲載されました。9/2にOZONEで開催された豊田啓介さんのレクチャーをもとにまとめてます。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2008年 10月 30日 (木) 桂 |
DESIGNTIDE TOKYO 2008のメイン会場に行きました。谷尻誠さんが手がけた空間。素材は……水切りネット!ファッションデザイナーの森美穂子さんに「大きい服をつくってほしい」と発注したそうです。この黒いやつら(ガスを入れた風船のようなもの)が仕事してます。5日間という限定された期間にふさわしい、とてもスマートな回答。だるま落としのように重ねられた鉢を、花にあわせて都合のよい枚数かさねて使うもの。これまたスマート。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2008年 10月 29日 (水) 桂 |
昨日は岡田栄造さんの企画する清水久和さんの展覧会「日本史」をみてきました。井伊直弼[大]かっこいい!シュール!髷貯金箱切り落とされた髷、がモチーフ。本もとてもすてきでした。「Shinatsuhiko」 2008/10/11(土) - 11/3(月) そのオープニングに立ち寄った際の写真も載せます。パーティーご飯@表参道パーティーご飯@京都(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2008年 10月 27日 (月) 桂 |
日本工業大学の小川研究室を取材で訪問しました。学部生主体の研究室で設計されたそうで、ここまでのものをつくりあげたことに驚愕します。近くの象設計集団による「進修館」にも寄りました。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2008年 10月 22日 (水) み江 |
打ち上げ花火を作るサイトがありまして、み江さんも打ち上げて遊んでいたところ、み江さんの花火が優秀作品にノミネートされて人気投票にかけられ、最初のころこそ首位に君臨していたものの、ずるずると順位を下げています。日本の夏の草花をテーマにした慎ましく美しい作品だと自分では思うわけですが、所詮私の感性などデザイン系おたくのそれであり、世の中の7割を占めるヤンキーとファンシーには勝てません。ここは一つおたくのみなさんの力を貸してください。しかし5年か6年かけてじわじわ腐らせた体がそんなペースについていくわけがなく、高野第三住宅(左京区系赤レンガ)にある整体で頻繁にメンテを行っています。先生「あーここか詰まってるのは(ひじ付近の秘孔を突く)」み江「あだdgだだだdだだだddd」先生「てことは腹筋につながってるな、と(わき腹の皮を引っ張る)」み江「gグヘアabばばvfv」先生「1、2、3、4、5……これでどうなるかだな(さっきと同じ秘孔を突く)」み江「あ全然痛くないです」(以下くりかえし)竹中工務店の中の人たちに会った話を書こうと思いましたが、疲れたのでそのうち書きます。 |
2008年 10月 16日 (木) 桂 |
21_21 DESIGN SIGHTで明日から開催の吉岡徳仁ディレクション「Second Nature」展のプレビューに行ってきました。企画協力をしてる岡田さん(dezain.net)に紹介してもらい、architecturephoto.netの中の人に初めてお会いしました。スフェラの広報をしていた青木さんにも久々に会えました。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2008年 10月 9日 (木) 桂 |
建築夜楽校第2夜を拝聴しました。印象に残ったフレーズを以下に。気になり始めたきっかけは、中村竜治さんの「ジンズ流山店」を見に行ったときのこと。TX沿線という21世紀の新興住宅地ではかつて商店街に求められた機能がすべてショッピングモールに委ねられていることを目の当たりにし、衝撃を受けました……。建築夜楽校、おもしろかったです。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2008年 10月 7日 (火) 桂 |
dxb-Arch-LIFE : ドバイ-建築-生活の丸山さんにSkype越しにインタビューしました。ドバイは開発が早いイメージでしたが、意外に設計自体のペースはマッタリとしているそうです。建築結社YSSKさんが、建築系ラジオ10/6配信の予告編にて五十嵐隊長によりぽむ企画チルドレンと認定されてました。仮にチルドレンとすれば、われわれの体たらくからすると奇跡のような存在です。後輩からメールがきたよの巻。京都の後輩・平野くんより案内をいただきました。わたしの古巣スフェラのすぐ近く、あわせてぜひ。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2008年 10月 6日 (月) 桂 |
東工大百年記念館で開催中の坂本一成 建築展『日常の詩学』行きました。坂本先生の「ギャラリートーク」を聞いてきました。塚本由晴さんが進行、計2時間半にわたる師匠と弟子の作品語り。議論を大事にするプロジェクトの進め方が垣間見え新鮮でした。ギャラリートーク展示会場珍しい?壁にのぼり! (*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2008年 10月 2日 (木) 桂 |
数十人の写真家やアーチストによる銀塩写真または銀塩モチーフの作品を展示する銀塩写真の保存運動のような展覧会? なのでしょうか。写真素人なのでよくわからないのですが、セッションという言葉にふさわしい「銀塩タノシー!」みたいな雰囲気が伝わってきました。面白そう!(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2008年 9月 30日 (月) み江 |
すでに左で書かれていますが本の執筆をさせていただきました。↓↓↓アマゾンヌ↑↑↑ワンコイン・ワンテーマのぷち京都ガイドブック「らくたび文庫」シリーズ中の一冊です。写真とデザインだけでじゅうぶん本として充実しているので、私の文章の代わりに般若心経とか六法を載せておいてもいいようなものですが、とはいえふざけた文だとキュートな装丁から浮いてしまうので、けっこうまじめに書きました。建築のキャラを立てたかったので明治・大正・昭和の時代別に構成してみたよ。そういうことをすると後ろに行くにしたがって(時代を下るにしたがって)ページがどんどん地味になることが予想されますが、写真とデザインのおかげで助かっています。プロ失笑必至の解説ページもつけました。京都ではそれこそコンビニ・駅売店でお求めいただけるので、京都みやげに買ってください。 |
2008年 9月 25日 (水) 桂 |
若手建築家の登竜門SDレビューをみてきました。建築は経験が生きるタイプの職能といわれますが、情報化で知が民主化されたのか、かなり平均年齢が下がった印象です。中でも若いチームによる、風がみえる小さな丘は洒落てました。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2008年 9月 16日 (月) 桂 |
こんにちは、無事イタリアから帰ってきました。ヴェネチア・ビエンナーレの旅は天気との戦いでした。11日は晴れてたのですが、12日は午後から曇→大雨。日本館を見学した12日午後は、まさしく曇→大雨のタイミング。現場で「晴れのタイミングでは全然が見え方が違う」と言われ、別会場でもたもたしていたことを後悔。興が乗るとドンドン撮る、ダメだと思った展示はスルー。そこをザハ・ハディドのように部屋まるごとカッコよくまとめたり、別の展示と同居しながら濃い展示が急にあらわれたりします。デコン系の懐かしいドローイング(レベウス・ウッズなど)や錯乱のニューヨークの表紙でおなじみのマデロン・ヴィリーゼンドープのイラストなど懐しく楽しめる展示から、R&SieやJDSといった若手の展示まで多彩。アルセナーレの造船所会場での企画展は、西海岸もしくはオランダ系のハイテク寄りな建築家が中心で、モックアップ、インスタレーション、映像など、複数のメディアを横断する展示でした。総合ディレクターのアーロン・ベツキーによるコンセプトには若手を集めたとありましたが、顔ぶれ的にはデコン系というか、わりと昔から名前を聞く方が多い印象です。どちらかというと各国館の方が若手を抜擢していたのかもしれません。ギゴン&ゴヤーのひとり、ラカトン&ヴァッサルのひとり、ペトラ・ブレーゼを審査員としたコンペで若手建築家を選んだベルギー館、金獅子賞を取ったポーランド館など。ビエンナーレには3日通い詰め、ヴェネチア滞在最終日である14日午後、好コンディションの日本館に会えました。太田さんと藤井さんが前日にミラノに移動されたので、撮影はせず。土木系大学生のさいとうさん、照明デザイナーで夜間学校に通う三橋さんと見学し、政治集会の行軍に巻き込まれたりしながら街もウロウロしました。楽しかったです。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2008年 9月 12日 (木) 桂 |
無事イタリアに入れました。各方面にご迷惑ご心配をお掛けしたことをお詫び申し上げます……。まず、徳山くんが所属するファブリカにいきました。日本の美大的カルチャーから想像するものとは違い、かなり手入れが行き届きすっきりしていました。建物の軸線に沿って周囲に広がるランドスケープが圧巻でした。夜はヴェネチアのタクシーボート(ヴェネチアの風景がまるっと楽しめオススメ)で各国館のあるジャルディーニ方面に行き、ヴェネチア・ビエンナーレ日本館の船上パーティーにうかがいました。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2008年 9月 10日 (火) 桂 |
対応してくれたアリタリア航空ブラボー! 最高です。関空から羽田まで、初スターフライヤーでした。さて、うまくイタリア入れるかな?(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2008年 9月 9日 (月) 桂 |
なぜなら関空発着の方が何故か安かったのと、先日関空のガラスファサードデザインにまつわる話を聞き、改めて見たくなったから。ユニット式のガラスファサードが日本に本格導入されたきっかけとのこと。携帯電話は日本からは普段と同じ番号でつながるみたいですが、こちらも高そう。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2008年 9月 5日 (木) 桂 |
映画「デトロイトメタルシティ」に、クラウザーさんと信者が東京駅からホールまで東京マラソンするシーンがありました。ロケに使われた“デスメタルな建築”はパルテノン多摩と歌舞伎座と清洲橋といった納得のラインナップでした。↑↑後日訂正:清洲橋じゃなくて勝鬨橋だったかも。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2008年 9月 2日 (月) 桂 |
今日はOZONEで「建築・インテリアのコンピューテーション」というレクチャーを聴きました。後半はソフトウェアを使ったデザインの実演と、豊田さんがSHoP時代〜独立後に手がけたプロジェクトの紹介。ジャンカルロさんの紹介事例には、SANAAのEPFLラーニングセンターも出てきました。豊田さんが紹介していた設計のソフトウェアは、徳山くんが石上純也さんからの依頼で「神奈川工科大学KAIT工房」の設計のためにつくったソフトに近いように感じました。豊田さんの話は、コンピューテーションを扱いながら、施工を絡めている点が興味深かったです。純粋な形態生成ツールではなく施工を含めた統合的なツールとして、コンピューテーションの可能性をみている様子でした。コンピュータの性能を利用した三次元的なデザインの建築はグニャグニャ複雑な形をしてるから施工や構造の合理性を犠牲にしているようにも見えていたけれど、それは誤解だったかも、と思いました。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2008年 8月 27日 (水) 桂 |
おいしい朝ご飯をいただき、北海道ホテル名物「客室にある窓辺のお風呂」にお湯をはり、みんなで足湯ミーティングしてみました。そして朝から六花亭本店で、おやつを食べました。十勝地方には正直やられました。の気持ちがわかったのです。なお、み江さんは「帯広、住めるな」と連呼してましたが冬の寒さは考慮してないと思われます。上士幌経由でタウシュベツ橋梁などを見る土木男コースと富良野まわりのラベンダー乙女コースがあったのですが、山道は旭川までたどり着けない恐れがあるため乙女コースに。道中、南富良野で、エゾジカカツカレー食べました。絶賛売り出し中の町おこしメニューらしく、これまた美味。近くに鉄道員のロケ地がありました。現役の駅を映画ように改装してまちなみっぽい仕立てをつくり、ロケが終わったらそのまま駅として使いつつ観光地に生かすという二度美味しい使い方。さて北海道のことを書いてたらお腹が減ってきたので、買い物にきた丸の内オアゾの適当なお店に入ったがハズレ。でも旭川も難しかった。夜8時くらいに旭川についた。というのも旭川は完璧な人工計画都市で、石狩川を隔てて軍と民間をわけたという都市計画がなされている。けど、それは後からわかったこと。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2008年 8月 26日 (火) 桂 |
ラフな柵で仕切られた場と小屋とサイロと麦畑と。そんな育成牧場セットがひたすらリピートします。日高では、学校すら塀の存在がほとんど見あたりません。日高はうまファンくらいしか来ないと言うと大げさですがわりと隠れた観光地だそうで、もったいない。さてメインの行き先、種牡馬を見せてくれる牧場に行きました。立派な家と庭があり、訪れると引退した馬が写真を撮らせてくれたりTシャツをかじったりいろいろサービスしてくれます。高級養老マンションみたいです。2001年につくられた町おこしの大成功例。折りたたみ式の20の屋台(すごくよくできている)が向かい合ってつらなってます。ラクレットを出すお店に行きましたが、むちゃくちゃうまい!……2年に一度、審査と入れ替えがあるそうで、厳しい競争によってクオリティが保たれる素晴らしいシステム。宿泊は象設計集団の手がけた北海道ホテルです。庭につながる吹き抜けロビーとアーチ型のチャペルは壁を介さず隣合っているんですが、たぶん一般の人はチャペルの存在に気付かない。ちょっと軸を振って奥に押し込んだだけなのに……だまし絵みたい。雰囲気を壊さないように独立させつつコンパクトにつなげた構成がすごい。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2008年 8月 25日 (月) 桂 |
み江とぽむアジトに集う友人たち6人で、北海道に来ています。それぞれの趣味(うま、野球、たべもの、お菓子、車、建築)に絡めたあそびをするツアーです。初日25は札幌ドームのツアーに行きました。選手ごとに彩りが違うグッズをかざすなど、ファイターズの華やかな応援はスッキリとした空間に映えていました。ジビエっぽい鹿肉ステーキ980円はじめ、なんでもお手頃で美味でした。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2008年 8月 22日 (金) 桂 |
うわさの建築ラジオの収録に呼んでいただいたので行きました@南洋堂。おもしろかった。しゃべりは全く向いてないんだがそれはさておきラジオというか編集の手があまり入らないメディアの可能性について考えさせられた。すごく簡単な装置で収録している点もびっくりした。建築を800字でサクッと説明する2000年代に続いてまた違うなにかがくるようなこないような。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2008年 8月 19日 (火) 桂 |
今日は「月刊島民」という中之島線の開通にちなみ大阪市街で配布されてるフリーペーパーの連載のため、図書館に調べものです。中之島の橋はだいたい大正から昭和にかけての関一市長の旗振り都市計画でできてます。武田ごいちが影ひなたで糸を引いていたりもしますが基本的には土木ネタで資料集めの勝手がわからず苦労しています。(どうやら建築と違い学会や役所の資料が頼りになることがわかってきた。)細い糸を手繰り寄せながら今日出会ったのが「土木建築工事画報」という雑誌です。昭和元年くらいからつくられていたもんで建築土木問わずひたすら工事現場のレポートと工法解説で占められた雑誌。そして毎月「著名工事視察の手引き」なる日本全国のアツイ現場の見学ガイドが付いているという!いやあ震災復興の大工事時代をフルに楽しむミーハーな姿勢がすばらしい!建築の記事もあるから歴史系の研究者さん等は多分ご存知だと思うんですが私は初見で新鮮でしたす。私もたいてい持ち歩いてます。毎月たくさんいただけるので、ほしい方はお声がけください。 |
2008年 8月 19日 (火) み江 |
ここんとこ数日間めずらしく実家で過ごし、田舎名物「野菜切っただけ定食」を毎日食べたりしていました。実家は暇なのでおもにオリンピックを見ていました。それからあきる野に乗馬クラブがあるらしいという情報を得たので、実家のハイエースを自分で運転して(快挙)乗りに行きました。良心的なクラブでありビジターでも無制限に乗せてもらえてありがたいです。都市近郊には必ずあるあれらのゴルフ場をもれなく牧場とかステイブルにして、接待にはポロとか外乗とかしたほうがエコだしクールだと思うのですが。 |
2008年 6月 16日 (月) 桂 |
昨日はブションで開催された、明治大から京大に異動された田路先生を囲む会に参加しました。淀屋橋とか、難波橋とか、水晶橋とか見てきます!(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2008年 3月 30日 (日) 桂 |
ストリートの向こうに海が見えたり、山がのぞめたりします。3/22(土)は取材の合間にスキーマ建築計画が設計した仕事を2つ。1つは2007/12/19の日記で紹介した野方のギャラリー住居。狭山フラットほど極端なことはしてないものの、既存の細部および居住されてきた痕跡を残しつつの改修。傾斜や厚みや仕上げがさまざまな壁に、いろいろな高さにあけた小さい窓がいっぱい。あえてプアーに設えたアプローチや設備類、そして微妙に変化する壁仕上げ、光が躍る小窓は茶室感あり。たまたまみたテレビ番組でケンドーコバヤシが「プロレスの殿堂が無くなる」という文脈で紹介していたのですが、なかなかかわいらしく気になったので見てきました。オリンピックを機にできた建物だという。お別れに来ている人が結構いて驚きました。プオタらしき人から、ご近所から来られた思われる方まで。変わった点は、2階にギャラリー&ブックショップが登場した。1階のカフェが旬菜料理の「kio・kuh(キオク)」になった。和室3部屋が増えたなど。インテンショナリーズやトラフが手がけた部屋はすべて健在。2階は地方のショップを選抜したセレクトギャラリーという雰囲気で、おもしろくなりそう。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2008年 3月 18日 (火) 桂 |
チェルフィッチュの「フリータイム」追加公演をみにいった。当世わかものコミュニケーションを大げさに表現したような繰り返しや倒置が多用された語り。ふらふらとした動作。とりあえず純粋エンターテイメントというよりは、分析されることを前提としたパフォーマンスという気配がする。アフタートークに社会学者を呼んだり(役名までご丁寧に東くんと鈴木くんだったり)、舞台装置をトラフに依頼したり、グラフィックが仲條正義さんだったり、というのは、文化人やメディアやお客さんを効果的に呼ぶ狙いがある、と同時にそれが見事に効果を奏してしまうタコツボ島宇宙な状況に対する批評性もあるのだろうか。そのあたりは戦略的すぎて見にいったことが悔しくなるけど、そういう反応も確信犯的だなあ。でも社会状況を先取りしているかというとそうでもなく、むしろ併走している感じだし・・などとぐるぐる考えつつ、会場で偶然あった建築の長岡勉さんと、キュレーターの内田まほろさんと、アフタートークに(というか、私がずうずうしくついて行ったのである)。勉さんが冴えたコメントをしていたので、覚えてるかぎりのコメント(+わたしなりの解釈)を書いておきます。「演劇の形式を解体することが自己目的化していて、そのために、ファミレスという設定だったり、若者のとりとめも無い感じだったり、普通に本人がしゃべってるだけ風だったり、といったことを道具として巧妙に利用しているという感じ。これはどのジャンルでも通じる「開いてるつもりが、うっかり閉じちゃってる」の一種なのではないか、なるほどと思った次第。しかしトラフの装置は効いていて(うまく読めるクリエイターをチョイスした点がまた悔しくもあるけど)、奥行きではなくて高さで空間表現しているのが面白い。 |
2008年 3月 18日 (火) み江 |
かつてあじとの猫と「春の祭典」という遊びをしていたことを思い出します。ドルが安いので西海岸とメキシコに行くことにしました。今までウルトラクイズ以外で南北アメリカ大陸に行ってみたいなどとはゾウリムシの繊毛ほども思ったことがなかったのですが、初めてそういう気持ちになったからです。神が作ったものでも人が作ったものでもそうです。それで自分の未知の大陸のスケール感覚というのを経験したいなと思ったのです。などとそれらしいことを言いましたが要は京都盆地のしみったれた寒さがいやでいやでたまらないので、広くて暖かくて乾燥したところに移動したいのです。本当はアリゾナやニューメキシコの赤い大地に行って神の盆栽(おもしろい地形のこと)を見たいと思いました。しかしアメリカの砂漠はこの季節は京都より寒いらしいので断念、そのかわりにユカタン半島を目指すことにしました。ユカたんは熱帯雨林に覆われていますがカルストなので地上に川が流れていないらしいのです。 |
2008年 3月 15日 (土) 桂 |
予選を通過した8本の論文を発表し討論。まず予選を通過した28人のプレゼンを休憩をはさんで一気に聞きます。2位になった話題(?)の斧澤さんと授賞式も終わった後話す機会が少しあり「何故せんだいに出したのか?」と山崎が質問。回答は「去年の日本一では、みんな私性から案をつくったと言っていたが、そこに疑問を持った。本当の私性とは何か、というのを見せてやろうと思った」といった内容だったかと思います。ここ数年の卒業設計で「私の中のけんちく」みたいな案が蔓延する状況に対し、疑問を感じる方は大勢いるようですが、多くの場合は「自閉しないで、もっと社会を見ろよ」という批判をします。しかしながら「私というものを、そもそも追及できてないのではないか」という評は初めて聞き、感心しました。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2008年 3月 13日 (木) み江 |
あじとにネ○ミが出るので傭兵を雇うことにしました。いつも屋根や垣の上からこちらを見ているだけでしたが、今日はかつおぶしを使用して垣の内側に招き入れることに成功しました。実際あじとに猫がいたころはネ・・の気配などありませんでした。クロは床下、モカは天井裏をよく徘徊していたおかげだと思います。ウシは今日はまだまだこちらを警戒してはいましたが、所詮世間知らずのボンボンですから遠からずこの庭をナワバリにするはずです。ところがちょっと目を離したすきにウシは縁側に上がりこみ、あじとにしては高級なシルクじゅうたん(ウイグルみやげ)を泥足で踏みつけてにおいをかいでいるので、とっさに「へえーっ」と叫んで追い出してしまいました。 |
2008年 3月 7日 (金) み江 |
このまえ出版された「図解ニッポン住宅建築」の打ち上げでした。私は帯を書かせてもらっただけなのだが図々しく参加する。条件や敷地をどう読み取って、どうコンセプトを設定して、どうプログラムを組んで、どう形に落とし込んでいったかっていうのを図面とイラストで解説している。(しかも絵まで描いた)参加者は著者の尾上さん竹内さん小池志保子さん、学芸出版社の中木さん。尾上さんは髪が少し伸びていてますますハチクロの山崎に似ていた。これがまたいい。 |
2008年 3月 6日 (木) 桂 |
だからこそ、得られた機会であるようだ。知らなかった。関東大震災で壊れた監獄を復興すべく生まれたもの。受刑者による施工で5年かけてできた。坂口安吾が"萌えた"建築としても有名。安吾が惚れた理由は「ここには、美しくするために加工した美しさがいっさいない。あわせて言及されたのが「工場と軍艦」。詳しく知りたいなら日埜さんの古いテキストを読もう。窓たしかに外見は明快。木のハンパ材(?)をつかって、ふつうは石やタイルでつくりそうな模様を壁につけたり。いろんなデザインを施したのが、施工をした受刑者たちを飽きさせない工夫だとしたらすごい。もしかしたら、どっかに軽く施工者のアドリブも入ってるかも。昭和四年って、生まれた年がかいてある職員の部屋(だったかな)。H22年10月末を目処に整備して、資料館などのつかいかたで一般公開も考えているとか。それはそれはいろいろな有名な方が使われた歴史遺産のようですが。むかしの人の身長にあわせた?にしても低い橋との調和はとれている「オペーク銀座」。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2008年 3月 6日 (木) み江 |
ありがたいことです。引きこもりですが京都そつけいイベントに呼んでいただきました。ありがたいことです。岡部玲子(岡部幸雄の親戚)を見習ってコスプレとかも含めたもっと総合的なエンターテイナーを目指したいです。(まちがい)卒計展のかんそう:・つぶつぶしている・京大生とそれ以外の区別がつかない・サービス精神がある(展覧会として)身体的に違和感のない単位を組み合わせて、関係性で成り立つ空間ていうテーマが流行ってるのはともかくとして、それよりもぱっと見て「あこれ京大生」とわかる作品がほとんどないことにびっくりしましたよ。京大生の作品から非定量性だのアジールだの、わけのわからない言葉が消えた。わかりやすい(ように見える)言葉しか使わなくなった。ポワンとしたとらえどころのない感じを表現しているのがいいんだそうだ。ひさびさに外に出たので人生いろいろ考えた。打ち上げでは山本理顕さんと恋バナをしました。 |
2008年 3月 3日 (月) 桂 |
3/2(日)は京都から東京に戻り、スープデザイン(建築のほう)の新作住宅見てきました。「地形」や「ジャンクション」といった土木ランドスケープに着目した案が多い。審査に入る前にプレゼンを行う形式ははじめて見たけど、建築外のゲスト審査員でもフラットに評価ができる形式で、東浩紀さんも楽しそうだった。建築から引いたポジションの人を土俵にあげつつ、議論としてもエンターテイメントとしても成立させていた。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2008年 3月 2日 (日) 桂 |
リニアな長い壁をグニャグニャさせた輪に、敷地面積の小さい順に105作品が並んでました。後半は作品の評価をして、建築家として独立した経緯を3人に聞き、最後は建築メディアの話に。しかしどうして「建築/社会」というテーマになったのかが不思議でしたが、学生さんたちと対話をすることで、じわじわと解けてきました。また建築メディアや、せんだい日本一以降インフレ化する卒業設計の枠組みそのものにも疑いを感じています。脱建築を意識していると語る方もおりました。それに比べてわれわれの若いころは、ずいぶんボンヤリしていました。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2008年 2月 24日 (日) 桂 |
過去1ヶ月半くらいに見たものまとめておきます。正月にプリズミックギャラリーの岡田公彦展と、表参道ヒルズで開催された蜷川実花の展覧会「NINAGAWA WOMAN」と、パルコで行われた清川あさみ「美女採集」をみました。当時は清川あさみに夢中で人に会うたびにステキステキと言ってたような気がします。モデルのポートレイトをアートで味付けするクリエイターは多いですが(ピエール&ジルあたりから始まる流れなのか?)テーマ設定からモデル選び、スタイリング、カメラマンのセレクトほかもろもろ総合プロデュースの才もさることながら、毒々しい方向に行かずにひたすらキュートにまとめつつモデルのあたらしい表情をみせているのがウマイ。展示ではテーマ”採集”にかこつけて顕微鏡やフラスコといったアイテムをつかってみせており、凝っていました。辛酸なめ子さんの美女論ふうの詩を映像でまとめたオシャレな”美の啓蒙ビデオ”が流れていて、それも見ごたえのあるものでした。1/12はアートアグネスに山崎と行きました。ホテルの部屋をつかったアート直売会です。ガッツリ堪能しました。大量にあった見どころの1つ、高速下の古墳。山崎とエヌ実さんの息子である槙くんが、みんなの似顔絵クッキーをつくってくれました。日本最古の造園学校ともいわれる龍潭寺は、庭も魅力的で、まさに演習用といったかんじのハンパな庭も残っていて、なかなか楽しい。無数の柱というか極小の壁がゆるゆると空間を制御する……というところまでは図面から理解できるコンセプトでしたが、予想をいい意味で裏切られたのは、かなりアナーキーな使われ方をしてもまったくへこたれない、むしろカッコよくなる建築のように思えたこと。そういえば石上さんが担当だったという梅林の家も、使われ方がアナーキーでそれがむしろカッコイイ、という建築だったな。状況は吉田寮とか、ホームレスがたむろする地下街に近いかんじがする。でも吉田寮なんかと違うのは、設計上で限りなく想定された使われ方だという点。いわば新しいOSの入ったパソコンにいろんなアクセサリが初期状態で入っている、という感じ。ただし新しいものに付き物であるハード的な初期不良はまぬがれないのかもしれないけど。置いてあったKAIT工房の案内図。一階の丸田絢子さんの工事用照明を吊るしてアーチや柱のような空間をつくった展示は、以前見たときは展示と気付かず「気の利いたインテリアのショップもあるもんだ」と感心したくらいインテリアデザインに近いもの。上階の展示も、下と同じように洋服とからめたり、いろいろできそう。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2008年 1月 1日 (水) 桂 |
インテリアや車、デザイン、ファッション、情報といったジャンルごとの目利きが、エッジなネタを紹介するという記事です。フレッシュなネタに絡めて、建築界における植物ブームを整理したかったのであります。……ということでみなさま、エッジなネタがあったら教えてください(他力本願)。 |
2007年 12月 19日 (木) 桂 |
中永勇司+高木昭良+大野博史による、西永福にあるバイク愛好家のための集合住宅。旗竿敷地に対してスムーズにバイクを入れられるプチサーキットみたいな湾曲した中庭に面して玄関がそれぞれ開いている長屋型集合住宅。プランも見た目もぐねぐねしててかなりヘンテコだけど、さまざまな曲面はバイクへの対応+構造的な安定を図るという意味がある。壁の上のほうに開けた窓も狭さ(閉じ込められ感)を演出。商店街から微妙に奥まった道路に面したコンクリ打放し建築。見た目のクールさと中の親密さのギャップがおもしろい。打放し建築でこんな親密な空間ははじめて体験した気がする。細部の存在感を消すことがすべていいとはまったく思わないけど、こういう親密さを生み出すために消すのは、いいな。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2007年 12月 9日 (月) 桂 |
急な崖地に跳ね出す小住宅が並ぶ、別荘団地の1件をリノベした建物を見てきました。「昭和30〜40年代に外人さんが住み着いて、徐々にクチコミで広がった」とタクシーの運転手さん。シーランチみたい(行ったことないけど)。外との距離を取りつつベランダと一体化した2面ガラス張りのダイニング。ベッドを押し込むスペースと、洗濯機置き場と開放型クローゼットがセットされたストイックな”寝床”。白砂が敷かれた円形の庭を、時計の針のようなバーがゆったり移動して、そこに仕込まれたレコード針みたいなものが脳の時間認識グラフを描いて枯山水ショーをします。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2007年 11月 14日 (水) 桂 |
お世話になったみなさま本当にありがとうございました。一見ただの建て売りというのも割り切っている。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2007年 11月 8日 (木) 桂 |
---隈さんは自分をかなり動物的だと思ってらっしゃいますか?隈:動物に近づきたいと思っているんですよ。これはたぶん非常に観念的な態度である。動物に近づきたい隈さんですら「集合住宅の基本は間取りではなくて、ユニットの配列です」と語る(注:ただし動物化の話は比較的最近のネタで、集合住宅について語ってる対談は2002年ごろ収録なので、タイムラグがある)。団地イコール平面計画の問題という捉え方は、この本に限った態度ではない。この違和感の源は、数日前に収録した団地座談会である。聞いてて「ほえー新鮮」と思ったのが、みんなして団地を「ディテール」とか「存在感」とか「インフラ」とか「大量生産品としての完成度」みたいなところから語っていたところである。プランについては「団地間って適度に狭くていいよね」とかそんな見方をしていて、いわば動物的団地観だったのだ。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2007年 11月 4日 (日) 桂 |
DIYが全面的、お風呂入って見る景色を重視してガラス張りのバスルームを据えた”設計”も筋が通っている……。今日から橋爪さんのポスターが掲示されているようで、さっそく右の人が撮ってきてくれました。右の人の珍しくマメな動きにビビリましたが、ともかくアップします。いわゆる選挙ポスターとは毛色の異なる、引きで撮影した写真、シックな色遣い。(公職選挙法違反になったらまずいので、写真を一旦削除しました。選挙おわったらまた)(11/19 選挙に負けたので復活させました)(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2007年 11月 3日 (土) 桂 |
美味でした。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2007年 11月 2日 (金) 桂 |
今日はアップルストアで行われた「建築のコンピュータライゼーションを考える Vol. 2」へ。ここの設計のためにオリジナルのCADアプリケーションをトクヤマ@あじと元同居人がつくったというアレです。石上さんのプレゼンを初めて見たけども、一般的な「建物の説明」的なパワポとは違って、図面から実務作業中の写真まで完ぺきにキレイ。家成さんの建物は「阪神大震災を体験して、コンクリートの面が頼りがいのあるもんに見えてきた」という経験(トラウマ?)から、コンクリートではなくても大丈夫なのに敢えてコンクリートの構造体を入れているという。南後さんは、コメントも質問も達者で感心するばかりなのだが、これがほとんど初の司会(学会とかでの司会はしてるみたいだけど)と聞いてさらにビックリ。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2007年 11月 1日 (木) 桂 |
「ぺちゃくちゃないと@国立競技場」に行ってきました。そしてかなり気合いの入ったしつらい。天井に模様を貼り付けたり、オブジェをおいたり、電光掲示板みたいなのが付いてたり。2000人も入ったとか! やっぱりフジロック……。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2007年 10月 28日 (月) 桂 |
石上純也作品について「ヤバイ」「チョーでかい」挙句の果てに「桂さん見たら泣くと思う」だとか恐ろしげな煽りをあちこちから受け、どんなオバケ屋敷だよと思いつつ怖いもの見たさでいってみた。でも、たまによくわからないのもあるけども。石上さんの作品は4階建てのビルの高さがあるアルミの構造物をヘリウムガスで浮かべたもの。初見:謎のモノリスだ!浮いてる!あ、動いた!ギャー怖いこっちくんな。下におりたら、ヒモみたいなので端っこをゆっくり動かしている人がいた。上のほうから見たほうが怖い。おたがい刺激を受けつつ制作したのではないか。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2007年 10月 27日 (日) 桂 |
写真におさまらない(長いから!)これは最後に対岸から撮った。防火シャッターが道路側のファサード全面にセットされ、放水銃や防犯カメラがいたるところについている。「デザイン潮流」とかいろいろなものに毒された目から見ると"ハイテク建築"とか"プログラム建築"とか、ついでに言えば"ガンダム建築"の一種にも見えなくもないのですが、それこそ工学的かつ即物的な成り立ちとそのデザインに憧れてつくられている側面は否めないわけで、むしろ"ハイテク建築""プログラム建築"の祖先であるわけだ。放水銃と監視カメラ建物のスキマにあるパイプとシャッター給水管や屋上のタンクの過度な存在感に「キミもなんだかんだ言って筋肉自慢はしたいわけだよね」と少し安心する。しかしこういう存在感すらも、周囲に防災意識を植えつけるために役立ったりしてるかもしれないのであなどれない。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2007年 10月 24日 (木) 桂 |
建築日和が書店に並んだ!ので、うれしいので写真をとってきました。ありがたやありがたや。撮影したのは10/24。南洋堂書店さんありがとうございます!<よろすく(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2007年 10月 21日 (月) 桂 |
若尾文子との出会いのきっかけである件のトーク番組「すばらしき仲間」を流していました。つまりどちらかといえば矛盾してるものを同時に持っている女性っていうのが最も女性的だし、そういう時代がバロックだったんじゃないか、ということを僕は書いているわけですね。そのときにですね、僕はどういうわけか若尾さんをふと思い出したんですよ(ニヤリ)。うんちくを枕に「矛盾をふくめあなたを全肯定します!」といってのける手法。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2007年 10月 18日 (金) 桂 |
ここ半年くらい一冊責任編集の企画をやっていて調子がつかめなくなっていました。 |
2007年 10月 16日 (水) 桂 |
石川さんにお会いしたちょうどその翌日に「新スケープ」(誠文堂新光社)を出した中央アーキをかこむ会というのを開催されるというので、ずうずうしく傍聴しに行きました@赤坂。石川さんの仲間として住宅都市整理公団の総裁とか、元永さんとか、タモリ倶楽部に出たことがあるけんちく系芸人(?)がいっぱい。それこそテレビを見るみたいなノリで鑑賞して参りました。 |
2007年 10月 15日 (火) 桂 |
初対面でした。 |
2007年 10月 13日 (日) 桂 |
奇しくも事務所の向かいにある梅窓院で、黒川紀章氏のお葬式が行われていたのであった。 |
2007年 10月 9日 (水) 桂 |
研究室のある建物一見普通の家みたいな建物。流山おおたかの森駅で降りて「流山おおたかの森S・C」へ。おそらく建築家がシミュレーションしたその通りの状況が実現されている。にしても約2年ぶりにつくばエクスプレスに乗ったのだが、どの駅前にも大型SCができ、茫漠としていた駅前がそれなりにまとまっている。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2007年 10月 1日 (火) 桂 |
想像を上回る切手コレクションと、そしてあまりにも膨大な蔵書(図書館一個分くらい)と、みっちり整理された資料類を見せていただいた。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2007年 9月 29日 (土) 桂 |
9月26日から29日にかけて、雑誌の取材で、石川県、富山県、鳥取県、大阪(箕面)の温泉旅館をまわってきましたよ。昭和時代に次々と増築した棟がぐるり。魯山人がよく使ったという本館(国登録文化財)の福の間は、繊細な数寄屋。床の間と付書院の絡ませ方や土間と小上がりを組み合わせた縁側など。アートと現代建築を融合した宿。プレキャストコンクリートブロックでまとめたロビー。エントランスのすぐ横に明治うまれの桂公爵別邸があるのですが、それが実は懸造になっているのに気付いた。だから本館も、懸造ふうの勇壮な構造をしてたのかな。細部がだいたいなんでも十字型。高層のコンクリート建築によるホテルとしては皆生温泉で最初のものだったそうで、平面的な皆生温泉では太陽の塔のごとくそびえ立つ威容であったことが想像できます。じつは東光園、うかがう2〜3日前に「経営不振によるゴールドマンサックスグループへの事業譲渡」が発表されたところ。と言っても宿じたいはとても盛況で、雰囲気も自然に明るくて、全くおかしなところは無い。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2007年 9月 18日 (火) み江 |
バスの料金を払おうとして財布から10円玉を出したつもりがインドネシアルピーでした。どれくらい元気かというと5年間放置したあじとのビフォアアフターをし、中国の西の果ての街まで単独旅行したぐらい元気です。旅から戻って風が変わった気がします。あじとの住人とくやま君が大学を卒業して、ファブリカの研究員になるとかならないとかであじとを出て行きました。彼はじつはメディアアーティストだったらしい。石上純也さんとかとコラボしていたらしい。2年間同居していたが最後の1ヶ月まで知らなかった。時々いる「入れるから入った」農学部生だと思っていた。それで次の住人に決まったのは花にたとえると「こでまり」のような男子です。「今週のアフロ田中読んだ?」が合言葉だったあじとでしたが、マンガ棚にとつぜん辛酸なめ子や松田洋子や江古田ちゃんが増えました(彼の蔵書)。なんだろうかこの負けた犬のにおいのする風は。 |
2007年 8月 23日 (金) 桂 |
イヤですねえまったく。オープン・サロン 角田哲也《ファースト・パーソン・スペース》アーティスト・トーク日時:2007年8月25日(土)午後6時30分−午後8時会場:ICC4F 特設会場入場料:無料定員:70名(当日先着順)主催:NTTインターコミュニケーション・センター[ICC]登壇者:角田哲也,平塚桂,中原淳たぶん自分は建築×映像の関連話とか、京都でやった懐かしの「ケンチクナイト」のこととかしゃべります。とにかくしゃべれない、むしろしゃべれないから書いてるという感じでこれまでやってきたわけですが、迷惑をかけないようにがんばります。 |
2007年 4月 3日 (火) 桂 |
DOCOMOMO100選にも選ばれてる大阪の朝日新聞社本社屋が本気でたてかえをするみたい。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2007年 3月 12日 (火) 桂 |
卒業設計日本一決定戦を拝見するために、せんだいメディアテークにいってきました。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2007年 3月 10日 (日) 桂 |
京都精華大の有志による卒業展「町家アバンギャルド」で、しゃべってきました。町家を改造した展示空間の完成度が高くてびっくり。ただ町家に作品を飾るだけでも成立するにも関わらず、ていねいに床に砂利を敷き、ウッドデッキと飛石でルート構成している。しかしあと3日しか展示期間がなく、終わったら撤収するという。 (*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2007年 3月 8日 (金) 桂 |
アトリエ・ワン「いきいきとした空間の実践」のオープニングに行って来ました。3月より東京で働いている山崎と一緒にまわってきました。家具、植物、野菜まで並ぶ住宅の1/20模型が中心で、住宅の内部で展開される生活のありようがプレゼンされていました。学生さんたちが町家を自らいじった会場が面白いです。ぽむ企画「けんちく生態学」 10月10日(土) 13時〜14時半展示「町家アバンギャルド」2007年3月7日〜3月13日の一環会場:京都市下京区中堂寺櫛笥町9番アクセス:阪急四条大宮駅より南へ徒歩10分JR丹波口駅より東へ徒歩8分地下鉄五条駅より西へ徒歩15分市バス大宮五条から西へ徒歩1分(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2006年 12月 31日 (月) 桂 |
なにやら年明け早々に「いまはガンダーラに居るんですかステキデスネ」的なメールを何通かいただいて恐縮です。ガンダーラどころか日本で最もガンダーラ的なプレイスであるところの直島とやらにも足を踏み入れたことがありません。 |
2006年 12月 31日 (月) み江 |
左の人はガンダーラに旅したりして楽しそうですね。み江さんもトイレに立つ時間以外のほぼ24時間をガンダーラ(こたつ)で過ごしています。うどんをゆでるのも3軒隣のコンビニに行くのもいやでいやで仕方がないので、おもに布団をかぶってブツブツ言ったりメソメソしたりしています。ある朝いつものようにガンダーラで目を覚ますと、み江さんの頑丈が取り柄のThinkPadが目を覚まさなくなっていました。青くなって病院に連れて行きました。さいわい軽症で、1泊の入院で帰宅しました。早めに手を打ったほうがいいですよ。」と言いました。そしてさんざ迷ったすえ、自分を病院に連れて行き、「頭をパーにする薬」を使うことに決めました。個人差はありますが私の場合は服用を1回さぼっただけで時代が回るようなめまいがやってくるので、治っても薬をやめるのが苦痛なのです。それで使用を躊躇していましたが、なんか自分のパソコンを見ていたら、そんなことを言っている場合ではないような気がしてきました。はらわたがねじれるような喜怒哀楽が消えて感情がスーパーフラットになり、周囲に余計な関心がなくなり目が据わり、いろんなことの値打ちがどうでもよくなり、真っ白な頭に目から入ってくる映像を垂れ流しに映しているだけの状態で時間が流れていきます。 あれが精神科の病棟においてあったのはとても正しいです。おともだちから上のような激励メールが来ました。お正月用のゴルゴも買い込んできました。 |
2006年 12月 21日 (金) 桂 |
しかしジャンプで連載がはじまった「重機人間ユンボル」というのが本格的土木マンガで大変なので、報告せずにはいられません。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2006年 12月 16日 (日) 桂 |
ちょっと大分に行ってきました。大分は大学時代の美術部の合宿で行って以来、約10年ぶりで、昔の合宿では別府の侘び錆(寂びではなく錆)色の強い旅館とか”地獄”と呼ばれる押し出しの強い温泉とか、見る分には無料な現代建築とかをまわる旅であり、今回の旅とは趣旨が違いました。特に趣旨がかわったのは湯布院です。到着までの車中、編集者の方に受けた湯布院に関するレクチャーによると、御三家と呼ばれる宿があり、どこもメシウマで接客も空間もハイセンスでイカスのだといいます。さすがAny会議という文化的な合宿が開かれた土地です。実際に湯布院というのは、ガンダーラでした。御三家の一つ「玉の湯」付属のレストランは、余計な緊張感を与えない”おかん”的なやわらかい接客が素敵で、おむすびが美味でした。こちらは仕立ての良いスーツを愛するおじさまが似合うシブさでした。でも湯布院にいたのは一瞬のことで、ほとんど阿蘇山界隈をウロウロしていました。「ラムネ温泉館」は写真で想像するよりも良いところでした。そして象設計集団やTeam ZOOの建築をいろいろと探索しました。横長線対称の構成は東京駅っぽいけどつくりは木造の和風、というか中華風? 辰野先生にこんな面があったとは・・。現在の日帰り温泉と同じシステムが、当時から構想されていたことにビックリ。短い間でしたが、楽しかったです。九州もう一つのガンダーラ「くまもとアートポリス」にも、いつか行ってみたいものであります。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2006年 12月 2日 (日) み江 |
とか考えがどんどん痛いほうへ向かっていたある日、とうとう重力に負けました。精華大の授業を終えて学食でうどんを待っていた瞬間、何の罰だこれはと思うほどの全身痛と悪寒に強襲され3日間地に臥せる。あまりの発症の切れ味の鋭さにインフルエンザに◎印を打ちましたが、熱は微熱以上には上がらず、鼻ものども無傷なので、おそらく風邪だの感染だのではなく、電池切れとか液もれとかバグのような内因性の何かであったのだろう。そしたらこれを引き金に今度は心が折れる。今まで苦もなくできていたことが突然できなくなる。私がここで生きているだけで悪なのだが、どこかほかの場所に移る元気もないので挫折所(こたつ)にもぐってうなったり丸まったりする。土に還りたい。どんぐりになりたい。うーんつい半月ぐらい前までかなり元気だったんだけどな。 |
2006年 9月 29日 (金) 桂 |
ぐりんぐりんや台湾のスタジアム案を彷彿する派手なうねりを見て、審査委員長を降りた伊東豊雄が自ら応募をしたのかと思ったら違った環境デザイン研究所だった。右の人が「左京区でみつけた45人のサキョーカー。」に登場してました。我々がいつも会議を開くギョーザ屋や、百万遍のメガネ男子などを推薦してました。全体的に行きつけの店や見知った顔がたくさん登場していて、自らのサキョーカーとしての12年間の重みが身に染みます。非生産的なサキョーカーの生態が前面に出ており、左京区が石垣島かガンダーラかなにかみたいに見えます。こめんと:-----------------------From: 山崎 泰寛Subject: 左京区Sun, 1 Oct 2006 15:29:36 +0900----でもあれですね、左京区民はみんな社会不適応者に違いないという正しい誤解が広がる一冊に仕上がってましたね・・「インドに行くぐらいなら京都へ」という都築きょういち説を積極的にフォローするっていうか。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2006年 9月 29日 (金) み江 |
ようやく週末の香りがしてきました。夏のあいだ煮詰まってべっこうあめになったみ江さんにお湯を注いでくれるのは秋競馬です。ああやっときた秋競馬が。どれほど待ちましたかこのやろう。もう2ヶ月が2年ぐらいに思えました。私が夏競馬でまったく勝てないのはそういうもどかしさによるところも大きいはずだ。とはいえ今年は阪神競馬場が改修中なので、9月は中京競馬場という半端なところ(地元の人すいません)でやるのがもうじれったくてかないません。でも10月になれば大大大好きな京都競馬場にやってきますヒャホーーーイ! み江さんが京都に住み続けているのは単にほかに住みたい都市がないからという消極的な理由がわりと大きいですが、積極的な理由のベスト3ぐらいには確実に「京都競馬場がある」というのがランクインされています。うっかりいま死んだりしたら絶対成仏できない自信がある。前にも書きましたが競馬は祈りです。だから私は仏壇にお線香をあげたり1日5回ひざまずいたりするかわりに競馬をします。最近読み返した本『優駿』(雑誌じゃなくて宮本輝のほう)はすばらしい小説ですが、その理由として、登場人物たちのいろんな思惑を背負って走る名馬に「オラシオン」と名づけたのはとても大きいと思います。白い希望も黒い欲望もオラシオンの一語で結ばれて、無色になる感じがいたします。祈るというのは単に「今」と「この先」をつなごうとする意志で、正しいとか間違ってるとか、賢いとか愚かとか、そういう区別のない、ただの力です。レースが終わった瞬間には全員が「正しかった賢者」か「間違えた愚者」かまっぷたつに分けられてしまうわけですが、審判が保留されている時間だから現れる力なのだと思います。「オラシオン」は人の中にあるそういう力を表した、そして競馬は本質的に祈りの性質をもっていることを表した、とてもいい名前だと思います。「シオン」のあたりがとくに。これが英語だったら興ざめです。◆◆うまブログ◆◆正直、長かったです【9月24日】神戸新聞杯 1400円→1720円○ 1番人気は2着になる直感を重視した× 1着に誰が来るか絞れなかった○ 320円でも勝ちは勝ち○ 3ヶ月ぶりの払い戻しキターーーーーーーーーーまとめ:闇の彼方に光が見えた。 |
2006年 9月 27日 (水) み江 |
◆◆うまブログ◆◆中京開催のせいでエンジンがかからない(人のせい)9月10日【渥美特別】 1000円→0円○ 流れを変えようと思い、いつもなら選ぶであろう馬を切ってみた× そいつらが来たまとめ:秋になったからといって急に何かが変わるわけではない【京成杯オータムハンデ】 1100円→0円× これは難解、当てるのムリ× そんなレースでも買ってしまう判断力のなさまとめ:秋になったからといってはしゃがない【セントウルS】 600円→0円○ 考え方は間違っていない× 発走直前に豪雨が降ってきたので買い目を変えたまとめ:秋になったからといって賭け額を増やさない。 |
2006年 9月 23日 (土) み江 |
ちょっと世界平和を探しに行ってきました。欲や執着をいっぱい見てきました☆どうもここ数年DNAレベルの困難に突き当たることが重なるため、知人の兼業占い師さんに「なぜこのようにおかしなことばかり起きるのでしょう私はふつうに暮らしたいだけなのです」と相談したところ、「うーん。生まれついた星のとおりに生きていると思います」と言われ、業ならしょうがねえやとなんかすがすがしい気持ちになって、ハラが据わってきた気がします。今書いてて思ったのですがDNAと業は似ている。たまたま起きた事象のように見えるけどじつはちゃんと原因があってこうなることが定められていた。みたいなところが。とか言い出すと中沢新一の粗悪パクリみたいになるのでやめる。◆◆うまブログ◆◆【8月20日】夏競馬がだめというのはつまりローカル重賞がだめということではないかと思い、今日は500万下を買ってみる知床特別 1500円→0円○迷いなく選べた×でも外したまとめ:だから何してもだめ【9月3日】札幌日経オープン 1000円→0円× どうやら穴馬一点勝負をしたらしい× なぜその馬を選んだのか記憶がない× そもそもこのレースを買った記憶がない○ この馬券は私のではないと思うまとめ:もうぐだぐだ。 |
2006年 9月 9日 (土) 桂 |
青森に行ってきました。たいへん楽しみました。18きっぷを使ってのろのろ移動しつつ、ノートパソコンで移動中に仕事、ホテルで仕事、と仕事しながら旅できるはず、と思っていたのですが、なぜか都市対抗野球とか高校生の日米親善試合を見てしまい、思うほど仕事ができなかった。普段起きている時間の半分くらいを野球に費やす悪癖があるから、旅に出ることで野球断ちをしようと思っていたのだがムリだった。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2006年 8月 13日 (日) み江 |
今週は五条坂の陶器まつりでした。五条大橋から東山通までの約600m(マピオンで図った)の両側の両側、すなわち全長600m×4に大量の露店が並びます。おっカッチョエエ、と思って足を止めると、去年買ったのと同じお店だったりします。でも年月がたつと趣味も変わってくるもので、以前はクールビューティーな焼き締めっぽいものに目が行きましたが、最近は色の使われ方に興味があります。前はぜんぜん興味なかったのにここへきて急にいいかもしれないという気がしてきました。顔見知りになった作家さんもいます。むかし鬼畜な値切り方で大皿を買ったのが縁で、今では毎年何か買うようになりました。けっこう思い切ったキュートなピンクなのに、いろんな仕掛けでもってちゃんと料理が引きたつようにしてあったりとか。めちゃ使いやすい茶系の皿でも、釉薬とか灰の按配で一枚の中にいろんな茶色が複雑に配してあったり、形を端正にきっちり作ってあったりとか。そのあたりのバランスがいい。(例:倉俣史郎 小西康陽 丸山敬太) 感性や発想は女子のハートわしづかみ、というか女の子そのものだったりするけど、いざ形にするときはオタク属性をフルに発揮して粘着質に作り込むところが男子ならでは。クリエイターとしては恵まれた資質である。◆◆うまブログ◆◆【8月13日】北九州記念 1300円→0円○ひさしぶりに自信まんまんで買った×でも外したまとめ:もういやだ。 |
2006年 8月 12日 (土) み江 |
そこでせっせとジムに通うことにしました。運動して血行をよくするのが重要と思ったからです。というかいつからヒヅメができたのか自分。◆◆うまブログ◆◆夏は好きだが夏競馬は正直早く終わってほしい【8月6日】関屋記念 0円→0円× どれを選んでも勝つ気がしない○ けっきょく見まとめ:買わない決断ができただけ進歩。 |
2006年 8月 11日 (金) 桂 |
たかぎ、馬場さん、たかぎの出身研究室にいまも在籍する知り合いなどと。写真集めは山崎で、多大な苦労をかけました。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2006年 8月 7日 (月) み江 |
38℃の京都に妹と母親が遊びに来ました。姪1は4歳になったところです。生後6ヶ月ですでに性格がみ江さんに似ていると言われていた彼女ですが、成長してすっかり落ち着きがなく行儀が悪く声がでかい子供になっていました。それから「オッケー」と「グー!」のボディランゲージを知っていたので、新たに「ブーイング」と「ファッキュー」を教えようとして妹に怒られる。そんなことをしていると魚棚の店長さんに「こんな大きいお子さんがいらしたんですねー」と誤解される。「ごきぶりごっこ」も教えました。人間役は殺虫剤をスプレーするもしくはやかんで熱湯をかける真似をし、ごきぶり役はあおむけにひっくり返って手足をばたつかせてもがくという、知育のかけらもない遊びです。姪はおおよろこびで一瞬でマスターしました。私ら姉妹も母子でやっていた遊びのはずなのに妹に怒られる。姪2は1歳4ヶ月になっていました。大変ですねと笑っていたところ母親に「あんたもそうだった」と言われ愕然とする。《母親の話》 幼少のみ江さんは常に爆音で奇声を発していた。困った家族は癇の虫封じのまじないをしてくれるという近所の人のところに連れて行くことにした。み江さんはおとなしくそれをされており、母は少し安心した。しかし終わった途端ふたたび奇声を発した。4歳ぐらいのことだったと思います。よその家ではなく自宅だった覚えがあるので、家でも試してみたのでしょう。葉っぱをじょりじょりされるというのは子供にとってはあまり愉快なことではなく、何すんだよ意味わかんねと思っていました。しかしこの「南天の葉の汁を手のひらにすり込む」という行為はいったい何なのだろう。南天の薬効を応用した民間療法なのだろうと思うが、興奮を鎮める作用でもあるのでしょうか。去年アロマにどはまりしたせいでこういうのは結構興味深いです。誰が発明したんだあのまじない。 |
2006年 8月 5日 (土) み江 |
ネイル屋に勝負を挑むシリーズ その2(あらすじ)「フィジーの海みたいな感じで」という思いつき丸出しの注文に、たぶん心の中では「はあ?」とか言いながらも見事な作品を完成させてくれたネイリストさんはプロだった。熟考のすえ、今回のコンセプトは「夏競馬」に決めました。青々とした芝生に8月の太陽がまぶしすぎて泣きたくなる、というかあまりに勝てなくて泣きたくなるイメージです。しかしイメージしか用意してなかった前回とちがって今回は、「きみどり色に白のフレンチネイル」という基本構想まで伝えました。つまり要求を具体的にしたのです。そして薬指にはちょっと大きめの赤とゴールドのラインストーンをつけてほしいと言いました。あほらしすぎて黙ってましたが。ベースの色はネイリストさんと相談のうえ、品のいい偏光パールのきみどり色にしました。ところがそれは赤〜黄系が混じった彩度低めのきみどりであったため、冬枯れの芝生みたいに仕上がってしまいました。考えに考えた今回のコンセプトでしたがやや不発気味。そして客としての自分の要望の伝え方にも問題があったのだろう。ところで先日いしかわという物理屋と話していたとき、何気なくこの「偏光パール」という語を用いたところ、即座に「それは偏光ではないよね」と指摘されました。きっと同じことを言った(そして場をしらけさせた)ことのある者が全国に100人はいるであろう。そして偏光パールというものを知らなかったが知れば全く同じ反応をする者がその1000倍はいることであろう。 |
2006年 8月 3日 (木) み江 |
◆◆うまブログ◆◆「勝てないときは何をやってもムダ」という色即是空的な声と、「苦手だからこそ継続するのだ」という空即是色的な声(なんかちがう)がみ江さんの中で禅問答を繰り広げる2006夏競馬【7月30日】小倉記念 600円→0円○買い目も掛け金も最小限にした×でも外したまとめ:だめなときは何をやってもだめ【7月23日】函館記念 0円→0円○穴狙いの絞り方としては悪くなかった×でも外した×時間をまちがえて馬券を買えなかったまとめ:負けるより悪質な間の悪さ。 |
2006年 7月 26日 (木) 桂 |
「ウェブ進化論」を読みながらwebについて考えたりしてました。Googleの解説を読んで「Googleは10年くらい経ったらすっげえイヤな会社になってそうだな」とか思いつつ。「ウェブ進化論」には、ブログの登場で大きいのは「総表現社会への変化」とありました。とりあえず「スキン」でも変えてみよう、と2〜3日ぽむ日記の似顔絵を右と左を入れ替えてトップページの色を気持ち悪い色(ムラサキ)にしてみました。何件かツッコミをもらったので元に戻しました。ヒマでやってみた、しょうもない悪戯でした。 |
2006年 7月 26日 (木) み江 |
今日は家に帰ったらつっぱり棒ごと服がすべて落下していました。・み江さんは馬蹄に四つ葉のクローバーがあしらわれたストラップを携帯電話にぶらさげています。今日は家に帰って電話をかばんから取り出したところ、馬蹄部分が取れていました。・蹴り飛ばしたパソコンのバックアップ用にDVDドライブを買うため美容院に行くはずだったお金と時間を費やす・靴ずれが悪化する・コンタクトレンズがなかなか外せない・電車で隣に座った人がくさい・北斗七星の隣に蒼星が見える。 |
2006年 7月 23日 (月) 桂 |
建築家とクライアントをマッチングする業者が登場している点も実像だな、イマっぽいなと思いました。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2006年 7月 11日 (水) み江 |
伊東さんを時代区分して分析してくださいという依頼に対し、エディプス期とかジュラ紀とかでたらめな名前をつけました。硬派な雑誌なのにそこだけサイゾーみたいです。今までちゃんと見たことがなかったのですが、というのはケーブルテレビを引いていなかったからですが、あれは世紀の癒し番組「世界の車窓から 今日はストラスブール(♪タランタンタンタ タ〜ララ タララ〜)」を3時間とか4時間やっているようなものではありませんか! それに展開とか仕掛けとか作戦とか、み江さんの好きな長距離レース(競馬の)と見どころがけっこう似ているではありませんか。750円も出して買ったことない自転車雑誌とか買っちゃったよ「ツール・ド・フランス観戦ブック」とか付録についてるやつ。しかもツールの途中からは有料チャンネルでないと見られなくなるから月額1365円払って加入しちゃったよ。グリーンチャンネルのためだけに導入したケーブルテレビにこんな刺客がいようとは。でも子供とちがって見たいだけ見られるんだから大人って本当にいいものですね。 |
2006年 7月 10日 (火) み江 |
なんか私の友人知人職場関係のもうあらゆるところで、何か(すなわち仕事や恋や家庭や健康)がいきなりうまくいかなくなって、というか今までどうにかだましてきたマグマがここへきて噴出して、ダメになった人が続出ちゅうです。あきらかに病んできた人も1人や2人ではありません。被害をまぬがれた少数派は葛藤の少なそうな若い男子学生が中心です。そこで「ダメにやられたら病院へ行く選択肢もある」ことを強く主張したいと思います。それで頭や体のはたらきがだいぶましになります。抜本的立て直しはそのあとでやるのがむしろ効率がよかったりします。どんだけ評判がよい医者でもウマが合わなかったり、逆にうっかり恋しちゃったりすると悪化する(私は実例を見た)ので、そこは自分の足で探すしかないみたいです。あるレベルをクリアしていればその先は好みの問題というあたりラーメン屋のようなものです。精神科医はとかくスタイリッシュだったり目力が強かったり、わりと濃ゆい印象の人が多いですが、そしてそういう先生のファンもいっぱいいますが、私はキャラが立っている人はパスです。ようするに「体力が落ちたら天一を食べるかおかゆを食べるか」という問題である。クイズこの人は何科の医者でしょうと問われたら即「内科!」と答える薄さです。(伝わりにくいな) みずから気配を消しているようなマイルドなおっさんで、ふだんは3分で診療が終わりますが、このまえ私が珍しくぐずぐず泣きながらつまらん身の上話をしてしまったときの対応がものすごく正しくて、やっぱプロはスゲエとだらだら泣きながら見直したものでした。いやあなどっていたわけでは全然ないのだが。ふだんの生活で(自分を含め)プレゼンが仕事みたいなうさんくさい人にばかり囲まれている反動なのだろうと思います。そうするといろいろ体を調べられ、たぶんどこも悪いところが見つからないので、自動的に心療内科に回されます。なぜか精神科医という人種にはスキゾが好き(現象として)な人がけっこう多かったりするらしいですからね。 |
2006年 7月 9日 (月) み江 |
◆◆うまブログ◆◆ただでさえ苦手な夏競馬なのに不吉な前兆が続々【7月9日】七夕賞 1000円→0円×何を基準に選ぶかがさっぱり決まらなかった×自分が勝つところがさっぱり想像できなかったまとめ:勝つためのイマジネーションが減ってきた予感がすごくする【7月8日】塩屋崎特別 1000円→0円×無意識のうちに好き嫌いで選んでいた×11頭しか出てないのに5頭BOXで負けたまとめ:6分の1のロシアンルーレットで死ぬみたいな引きの弱さ【6月24日】せっかくの淀での宝塚記念(*)でしたが、見(けん=買わないで見るだけ)しました。前週やりすぎて疲れたからです。したがって負けませんでした。いっぽうKたろうは最近の負けを取り戻すかのように勝ちました。したがって負けませんでした。負けないということがいかに心穏やかな日曜の晩をもたらすかということを、しみじみ確認して終わりました。 |
2006年 7月 8日 (日) 桂 |
サーバ移転を試み7月7日(金)昼ごろから丸一日あまり、pomu.tvが落ちていました。メールも送信不可能になっていたと思います。 |
2006年 6月 28日 (水) み江 |
先日「かもす」が日常語になったと書いたばかりですが、4日前に同居人とくちゃんがこのマンガを買ってきた瞬間、あじと(といってもおもに3名ぐらい)の言語がいきなり品性下劣になりました。本当はオシャレポップがやりたくて、アメリとか代官山とかミルクティが大好きな根岸青年が、なぜか意に染まないデスメタルバンドをやらされしかも大人気、というイカしたギャグまんがです。根岸が鬼畜モードに入ったときの言動や歌詞がそれはそれは最低最凶で、俺達はすっかりイカレちまったぜというわけです。以下は最近の会話の実例ですが、マイルドに編集しました。本当の会話は親が聞いたら泣くので書けません。「○○は今日来ないの?」「さっき地獄に送ってきた」「こんどの七夕パーテーの生贄は何がいいかな」「何あの態度マジ犯す、尻を八つ裂きにしてくれるわ」(※発言者女、対象者男)ところがこのようにしてSATSUGAIだのファックだの言いくさってるうちに、ここんとこ自分の負の領域を支配していた悲嘆や自責の念(内向き)が、憤怒の感情(外向き)に変化してきました。いいことなのか悪いことなのかわかりませんが、引きこもりより暴走族のほうがある意味健康的なのと似たような理屈で、認めたくはないけれどもみ江さんはちょっと元気になってきてしまったように思います。そしてデスメタルを聴く人の気持ちもちょっとわかってしまったような気もします。 |
2006年 6月 25日 (日) み江 |
まあたしかに今回はMVP的に活躍してましたが、ヨシカツが気になる理由はそれとはまったく無関係に、「大嫌いだったのに好きになってしまった!」という少女漫画かエロゲ(いややったことないけど)でしか見たことない現象が自分の身に起きてしまったからです。(ばか)私は2000年のオリンピックあたりまではサッカーが嫌いだったのです。なぜかというとこういう事情があったからです。そしてヨシカツはまさにその「イキがり男子」臭をぷんぷんどころか「ブシュコォォォ」と音を立てながら半径100mぐらいまで発しているシュールストレンミング(いや開けたことないけど)のようなものとして認識されていたわけです。ついでにぽむ日記の過去ログをあさっていたら、左の人によるたりしてるが下のほうにある';return true">前回の日本代表選手に関する考察が発掘され、これによると女子100人村では99人が川口より楢崎を選ぶであろうと推測されています。たしかに若い(とくに文化系)女子には、男前が前面にでない涼しさのほうがむしろ色気があるように見えるものである。そしていうまでもなく当時の私も「楢崎超☆ラブ」であり、公式サイトとかブックマークしていたものであったついでにシュンスケも。(ばか)あれから4年の間に何があったのだろうか。・ヨシカツの加齢とともにイキがり臭が消えた・ヨシカツの加齢とともに暑苦しさがマイルドになった(あまりなってない気もする)・私の加齢とともに暑苦しさを「面倒見のよさ」「熱意」等に読みかえる回路ができた・私の加齢とともに涼しさがむしろ滑稽に見えてきたなんか自分の加齢を見つめるコーナーになってきたのでこのへんでやめます。なんか単にアホウが好きなだけな気もしてきました。 |
2006年 6月 24日 (土) み江 |
先日のネイルサロンにおけるクリエイターとのコラボレーション(プ)成功に気をよくして「発注」の楽しさを知ってしまい、普請道楽とか庭道楽とかのお大尽の気持ちがなんかわかってしまったような気がしますよやっべー。今日は京都精華大学でとくべつレクチャーをしました。鈴木先生に黒柳徹子になっていただいて、ふだんの仕事の話とかその裏話とかをぽむ二人でぬるぬるとしゃべりました。楽しかったです。ふだんの授業ではルネサンス絵画における遠近法の成立とか意外に堅いネタをやっちゃったりしているので、自分としてはわりと緊張感もってしゃべってる(つもり)のですが。 |
2006年 6月 23日 (金) 桂 |
明日「爆笑建築批評」というなんだかたいへんな題目でレクチャーをやるのでヒマで奇特なヤロウは大集合だ。ヨ・ロ・シ・ク!連続対談レクチャー『空間未来派宣言』全8回第7回 6/24(土) 午後4時〜6時「爆笑建築批評」/たかぎみ江(建築ライター、ぽむ企画)+平塚桂(建築ライター、ぽむ企画)+鈴木隆之(建築家、本学専任教員) ・会場 京都精華大学 黎明館101・申込み不要・入場料無・問合せ先 京都精華大学鈴木研究室075-702-5189。 |
2006年 6月 22日 (木) み江 |
菌マンガ「もやしもん」のおかげで、「かもす」という語が(私のごく身の周りで)日常に浸透してきました。よくかもしてる」「このタオルかもしてきた。<実家から荷が届きました。今回はさやえんどうやイチゴに混じって、本栖湖で釣ったらしいヒメマスの腹に味噌を詰めたもの(父の作品)が入っていたので、焼いて食べることにしました。>「とりあえずかもそうぜ」(=ビール開けようぜ)「よく焼いた方がいいな。かもされると困る」(=当たると困る)「うめー。いいかもしだ」(=いい味だ)「この味噌もかもしてるな」(いやまちがってないが)「さやえんどうにごまだれもかもすね」(=よく合うね)「ああいいかもしだった」(=いい酒いい肴だった)そしてもはや語本来の意味がまったく失われる。 |
2006年 6月 18日 (日) み江 |
昨日はメインレースも見ずにネイルサロンに直行しました。わずかばかりのあぶくぜにを消費する場として、サロンと名のつくところに行きたい気分だったわけです。それで「フィジーの海みたいな爪にしてください」と言いました。あたたかい海に光のあぶくが浮いて、桃色の艶っぽいソフトコーラルがゆらゆらするイメージです。み江さんはこのまえフィジーに行って、「TBS世界遺産」とか「いきもの地球紀行」とか「サンシャイン国際水族館」でしか見たことのなかったすごい海を見ましたが(自慢)、あこがれのソフトコーラルを見ていないのが少し残念だったのでした。記憶の中の美しい絵に妄想が混じったろくでもない注文です。まったく具体性を欠くイメージ先行のクライアントに対しネイリストさんは、マーブルにしてはどうですかと提案しました。そして協議の末、パールの入った明るいブルーグリーンをベースに、乳白色と、ピンクラメとをマーブル状に流すことにしました。ネイリストさんは「こういう色はやったことないんで成功するかわかりません」と正直なところを述べつつ、「でもたぶん思ってるイメージに近くなると思います。どうなるか私も楽しみです」と言いました。お客の注文はピンクやベージュが大半で、そのような色合わせをする人はあまりいないのだと、遠まわしに酔狂を指摘されましたが、彼女もちょっと楽しそうでした。絵心のある人でよかった。そうして曖昧な色彩がゆらゆら浮遊する爪ができました。これはネイリストさんが選んでくれた色でした。フィジーの海というよりはドビュッシーの「海」っぽい感じになりましたが、本当にすてきだと思いました。ネイリストさんも新しい試みが成功してうれしそうでした。クライアントとしていい仕事をしたと思いました。◆◆うまブログ◆◆6月18日今日はKたろうと一緒でした。人と競馬に行って予想を話し合ったりするのはとても楽しいですが、集中力と不動の心がいっそう必要です。大事なこともしゃべってるはずですが、頭に残って予想に影響するのはだいたい余計なことだけだったりします。【7R】3歳上500万 1000円→0円×一頭の厩務員コメントを真に受けた○それ以外は完璧まとめ:嘘を嘘と見抜けない人は(略【10R】大山崎特別 600円→0円×頭使ってない×パドック見に行ってないまとめ:眠いなら帰れよ【11R】マーメイドS 1000円→0円×変なレースだから参加しないともったいない気がしたまとめ:準備不足。 |
2006年 6月 17日 (土) み江 |
盆と正月と百姓一揆とデング熱がいっぺんにやってきたところに隕石まで落ちてきやがったような一週間がようやく終わりました。無力感に耐えきれる強さもなく、淡々と日常の義務を全うする強さもなく、とるものとりあえず京阪電車に乗って、淀で降りました。競馬場にひとりで来たのはひさしぶりです。以前はいろいろなものから逃げるためによくひとりで来たものです。いや単に競馬友達がいなかったからというのもあるが。(だからダメな人もたくさん来る)ここには何万人もの人間がいて、おもに儲けることしか考えていない人と、馬を無事に走らせることしか考えていない人でできていますが、誰ひとり正解を知りません。そして各々がじぶんの正解に向けて、考えたり行動したり祈ったり他人任せにしたりします。競馬場を一歩出たらまた関係性の網にからみとられます。こういう閉じた世界があることがどれほど救いになるか。競馬を始めたモンゴル人だかイギリス人だかは想像したであろうか。私には競馬があってよかった。←JRAのコピーみてーだなんというか矢野顕子の「ラーメンたべたい」みたいなものかなと思います。今度来るときゃみんなで来るわ、でも今は一人で食べたい。◆◆うまブログ◆◆競馬場に行ってしまうと1日1レースとはいかないのが難6月17日【5R】 2歳新馬戦 1000円→0円×着いたらちょうど今年初の新馬戦だったので浮かれた×新馬を見る目などないくせに調子こいたまとめ:慣れないことをするものではない【7R】3歳以上(牝)500万 1200円→0円×女子のレースは難しい×だがそのぶん配当がおいしいと思ったまとめ:よくばりは滅びる【8R 】3歳以上500万 1000円→8550円○自分方程式で解いたら解が2つに定まった×というかただの1番人気と3番人気まとめ:勝つときは無理がない【10R】 樟葉特別 500円→0円×展開の予想が甘い×休み明け馬の評価が甘いまとめ:勝ち逃げする気まんまんで集中力が切れたらしい。 |
2006年 6月 16日 (金) み江 |
◆◆うまブログ◆◆そろそろこの買い方にも慣れてきたから賭け金を増やそうかと思った矢先にG1シーズンが終わってしまい、また一から勉強しなおさねばならない(※G1とそれ以外では予想の仕方が全然ちがうから)【5月28日】東京優駿(日本ダービー) 1800円→2110円○保身ができるようになった×でもまだ夢見がちまとめ:310円でも儲けが出れば勝ち組【5月28日】目黒記念 1200円→0円○考えたことがピンポイントではまった×余計なことをしたまとめ:蛇に足を描いてはいけない【6月4日】安田記念 1200円→0円○7才馬が勝ちそうな予感がした×み江さんが選んだのとちがう7才馬が勝った×いっそ7才馬ぜんぶ買えばよかったまとめ:あのとき感じた(AH)予感は本物。 |
2006年 6月 9日 (金) 桂 |
ぽむ日記が、たかぎのうまブログのページになっていることに今気づきました。今月のカーサブルータスに「ドイツW杯スタジアムを五十嵐太郎さんと鑑賞する」みたいなページと、「バウハウスをあっというまに理解する」みたいなページ(たかぎのイラストつき)と、「卒業設計で考えたこと。 |
2006年 5月 25日 (金) み江 |
この春から京都精華大学で非常勤をすることになりました。「現代建築」で「建築批評」だってよお父さん参っちゃったなこりゃ。少人数の授業しかやったことないので、数十人が相手となるとどこを見てしゃべったらいいのか最初ちょっと困りましたが、もうマイクを使ってしゃべるのにも慣れました。毎回「経済」だの「オーナー」だのキーワードを一つ設定し、読んだり書いたりします。まじめな建築本も読んだりしますが、吉村作治の対談本とかふざけた題材を使うこともありますというかそっちのほうが多いというか。単位のためにコピペの束を濫造するのは誰も幸せにならないのでレポート課題はたまにしか出しません。やってみたいことはいろいろありますが、とりあえずもっとも気を使っているポイントは、背伸びと地べたのバランスです。◆◆うまブログ◆◆いちおう「人生のさまざまな場面での導きになるような反省」を書いてるつもり【5月7日】NHKマイルカップ 1300円→0円×適していない公式を使ってむりやり解こうとした×全然好みじゃないけど容姿に目がくらんだ×全然好みじゃないけどひさびさの合コンだしアドレスぐらい聞いとくか的な誤った「もったいない」精神まとめ:勝負するべきではなかった【5月14日】ヴィクトリアマイル 1100円→1860円○苦手なことに挑戦して成功した×詰めが甘いまとめ:女はふくよかがいい【5月21日】優駿牝馬(オークス) 1900円→0円×半日必死こいて考えたことと全て逆のことが起きた×半日考えてしくじると半日立ち直れないまとめ:あほの子とか言ってすいませんでした。 |
2006年 5月 6日 (日) み江 |
反省のためにうま専用ブログでも始めようかと思いましたが、考えてみればここもブログみたいなものだからここに書くことにしました。競馬だけではなく人生のさまざまな場面での導きになるような反省にしていきたいと思います。(言ってみただけ) うま興味ない人すいません。ていうかここ読んでる人って何に興味あってやって来るんだ? ◆◆うまブログ◆◆【4月9日】桜花賞 2600円→3100円○底を見せていない馬のポテンシャルを信じた×むかし好きだった馬の娘を信じすぎた○好みのタイプだけどあほだから切った×前川清(歌手)の馬というだけで切ったまとめ:偏見はよくない【4月16日】皐月賞 1700円→34700円 ○「皐月賞は速い馬が勝つ ダービーは強い馬が勝つ」の格言にしたがい足の速そうな馬だけを選んだ○買い目を人に考えてもらった×切った理由がまるでわからない馬がいるまとめ:この日はみ江さんのお誕生日でした。家でグリーンチャンネルを見ているとKたろうという人がでかいケーキを携えて観戦にやってきました。ホールのままフォークでほじって食べたいだけ食べました。そして3連複347倍をゲットしました。【4月30日】烏丸ステークス 500円→0円×オッズを見て欲を出した○風評を無視したまとめ:よくばりは滅びる【4月30日】天皇賞(春) 2100円→0円×長距離レースが好きすぎる×好きすぎて時代の変化を受け入れられない×だからといってスタイルを変えるつもりはない×いつかまた長距離の時代が来ると信じているまとめ:天皇賞は特別だから反省してもむだ。 |
2006年 5月 4日 (金) み江 |
うま 始めましたウツが一段落し、た';return true">休養放牧も功を奏し、いい感じに想像力が戻ってきました。そしてジーンズの下に雪山登山用超保温タイツをはかなくてもすむ(でもスパッツははく)ぐらい暖かくなりました。しかしいくらダメスパイラルから脱したとはいえ、今までと同じ方法で勝てるわけがありません。そこでこの機会にやりかたを変えてみることにしました。ポイントはふたつ。その1つか2つのために半日ぐらい時間をかけて考えます。【2】 買い目は頭のいい人に考えてもらう競馬をしない方のために説明しておくと、「予想のうまいへた」と「馬券のうまいへた」はちょっと別です。いいかえれば馬の能力やレース展開や今日の天気や好き嫌いといった数多くのファクターの中から取捨選択をおこなう作業ですから、100人いたら100通りの答えが出ます。いっぽう馬券の買い目を決めるというのは、その予想をもとに、ハイリスクハイリターンを狙うのか安全策をとるのかの方針をたて、どの種の馬券をどれだけ買うかを決める作業です。比較的簡単なプログラミングで可能なはずですが、み江さんはこの演算がものすごくへたで、そのせいでどれほど損をしてきたかわかりません。そこで数少ない競馬友だちのKたろうという人(さいきん京大医学部受かった)にその部分をやってもらうことにしました。本命が飛んだ(=期待を裏切った)ときの保険を含んでいるから馬単ウラオモテより得です」などと出力されるのですスゲエ!おろおろしているうちに締切時間がきてどうでもよくなってアホな大穴とか買っちまう今までの私サヨナラ!しかしこの正確さを保証するものはひとえに信頼関係のみであるという危うさ。 |
2006年 4月 29日 (土) 桂 |
阿部仁史さんインタビュー、五十嵐隊長の大解剖、建築界”学閥”図の3つを書きました。 |
2006年 2月 22日 (水) み江 |
帰省と取材を兼ねて東京に行きましたよ。2年ぶりぐらいに実家に帰ったところ姪が1人増えていました。元からいた姪は口が達者になり私のことをオバサンと呼ぶので「おばさんて言うと怖い鬼が来てさらわれるんだよ」と指導をしておく。父はかつて私たち姉妹に行っていた遊びを今度は孫たちに行っていました。私が以前あじとで猫にしていた遊びとあまり変わりません。やはり定番の遊びにはゆるやかに名前がついていました。この名前を聞いてどんな遊びかわかった人はご立派というか変人。猫にも久しぶりに会いました。外出自由の一戸建てから外出不可のマンションに引っ越した彼らは、すっかり毛がクリーンになっていました。天井裏探検が好きだったモカは常に手足がパンダの腹のような茶色でしたが、今は真っ白です。肉球もきれいなピンクだったとは知りませんでした。しかし刺激が減ったせいか頭が悪くなっているようでした。モカはまだ知能が高くクリエイティブなので、新しい家でも自分なりの楽しみを見つけて比較的変わらずに暮らしているようでしたが、体育会系のクロは一番の楽しみであるお出かけがなくなって、人格まで変わっていました。反応が悪くなり臆病になり、記憶力も悪くなってなんだかロボトミークロになっていました。他人事に思えず不憫なのでコンビニ袋を裂いてクロの好きなひもジャンプをしてやりました。そして私も真剣に頭を使おうと改めて思いました。 |
2006年 1月 31日 (火) み江 |
もう旧正月も終わったわけですが。昨年の暮れにおともだちの家でクリスマスパーティーがありました。プレゼント交換をするから1000円の品を用意しなさいというので、うまい棒を100本詰めて持って行ったら、私のところに回ってきたのは駄菓子屋でよく見るプラスチックのタンクに詰まった「串カツソース味30本入」と「キングカレー(せんべい)70+2枚」でした。あじとに置いておいたらみな面白がって1本食べますが2本目は食べないのであと25本ぐらい残っています。今年の目標:「頭を使う」1年半にわたる適切な治療のおかげでもう信じらんないくらい(自分比)健全を取り戻し、布団にもぐって寝るしか能のなかったころと比べると、スケジュール帳とか購入してタスクマネジメントしようとしている(できてないけど)現在がうそみたいです。」と言うので素直に従い、馬券以外の決断をせずコスメ雑誌以外の文字を読まず旅行とアロマのことしか考えない生活を送っていたところ、本当にばかになりました。考えるのが面倒なのでとりあえずわかりませんと言うようになりました。 |
2006年 1月 29日 (日) 桂 |
隣の歯医者と裏の材木屋が吸収されたようです・・M&A? 京都はこういう風に微妙にのびたり縮んだり、不思議な進化をする店が多い気がします。(例:恵文社、DIDI)また最近京都の友人が、相次いで家を購入しているのですが、いずれも一般的な不動産仲介によるものではなく、所有者に直接声をかけられるという流れでした。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2006年 1月 13日 (金) 桂 |
年末、買ったばかりのLet's noteを従えて四国中国地方を巡る「18きっぷ」ツアー2泊3日に出かけたところ、最初の訪問地香川でインフルエンザにかかり、あの香川県庁の隣の病院で診察を受け、あの「タミフル」を処方され、うどんも食べずにほうほうの体で東京に帰り、そのままお正月を迎えました。「タミフル」の影響(たぶん)で口内炎、口の周り、鼻の穴まで炎症。いま五十嵐隊長の日記をある原稿のためにまとめ読んでいます。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2005年 12月 11日 (月) み江 |
ディープインパクトの三冠祭りだけは参加しなければいけない気がして始発乗って並びましたが。(ばか)競馬が楽しくないのは単に勝てないからという気もしてきました。あまりに負けすぎてもはや勝つというのがどういうことだったのか思い出せないのです。どうやらかつては新聞や馬をみておっこれはいけそうだなとか調子よさそうだなとか判断していたらしいのですが、その時いったい自分は体のどの部分をどのように動かしていたのか見当がつきません。不調とか不幸とかいうのはだいたい本人の思考パターンがダメスパイラルに陥っている状態です。そこでしばらく馬券購入を休止することにしました。たときの衝撃';return true">成功も大金も静けさの中に眠っているとマドモアゼル愛先生も言っていることだ。niftyスポーツの連載などは一見ただの馬券日記へたすりゃ博打打ちの自己弁護にしかみえないにもかかわらず、馬券の向こうにある生への洞察と慈しみに満ちており私は何べん心の目(馬券を買うときに使う目)から涙を流したか知れません。 |
2005年 11月 17日 (木) み江 |
少しは体力がついてきたので、エアロバイクをちんたら漕ぐためだけに月会費を払っていた近所のジムでスタジオレッスンを受けてみることにしました。腰痛体操からボディコンバットまでいろいろプログラムがありますが、ダンスがよかろうと思いました。(むしろ好きだとはっきり言え)誰もそう思ってくれませんがみ江さんは高校生のときにほんの少しだけジャズダンスをやっていたのです。《回想》当時は朝7時20分の中央特快に乗って東小金井駅から15分自転車こいで始業時間の15分前に着きそれなりにまじめに授業を受け放課後は週6日バイト残りの1日でダンスを習い帰宅すれば深夜にもかかわらずお菓子を焼き学校であれほどしゃべった友達とまた電話で3時間ぐらいしゃべって母に怒られてから寝る。という毎日を繰り返していました。同一人物とは思えぬ体力と健全でした。《おわり》そんなわけでジャズダンスのレッスンに行ってみました。60分のうちの40分ぐらいはウォーミングアップとストレッチを兼ねた基本動作、あといわゆるバーレッスンというやつですねバーは使いませんが。ヨガでも座禅でも何でもいいけどやっぱこういう身体を統制する感覚って大事だよなヨガが流行るのもわかるってもんだよ、とか思ったのもつかの間なんだこの息をもつかせぬ怒涛の攻めは先生休憩まだですかダンスってこんなしんどいものだったでぃすか?おっさんも平気な顔でついていっているので何食わぬ顔でがまんしましたが顔じゅう汗ダラーオイルダラー。なんだよ脇の下って筋肉あんのかよ?(ある) しかし身体はn年前にやったきりの動きをけっこう覚えていてやや驚き。ガチガチに固まっていた筋肉は集中ストレッチでほぐれてきたし、回を重ねるごとに筋肉痛も和らいでいくし、肉体というのはけっこう適応力があるものです。流れで覚えられないというか連続した動作として捉えられないというか。ほらあれだ、慣れた言語なら数語を一度に視野に入れて流れるように読めますが、不慣れな言語だと一語一語確認しながらでないと進めませんね。 |
2005年 11月 16日 (水) 桂 |
沖縄の島に行きました。縦列駐車もできない頼りないドライバーなのですが、ずっと運転手をしていました。沖縄はどこも道路に多額の税金が注がれているらしく、たいへん道がキレイです。自然に囲まれた場所なのに、道路沿いに並木が植えてあったり。西表島の道路では、ヤマネコに会いました。カニも道路を横断していました。動物の気配はたくさん感じられましたが、ホテルやお店以外では人間の姿がみえず。離島は不思議なところでした。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2005年 11月 10日 (木) 桂 |
移動距離すごかったです。長崎、山と海が漸近した地形で、駅の近くにあの14聖人があるし、長崎港界隈の建築博覧会状態もステキだ。是非ゆっくりしたい。ホールで小中学校の合唱コンクールが行われていたのでちょっと覗いてみたら、小学生が「グラントワ」の歌を歌っていてびっくり。テーマソングまであるのか!? 出雲は約5年ぶりでしたが、駅前に新しいホテルができていたり、進化発展を遂げていました。山崎@出雲出身から情報を大量に仕入れたおかげもあって「あご野焼き」「俵まんじゅう」「生姜糖」「島根牛カレー」などお土産を珍しく大量に購入。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2005年 11月 8日 (火) み江 |
かかりつけの心療内科の先生が開業したので今度からそっちに行くことにしました。新しいクリニックの待合室はアイボリーと白木を基調とした、美人じゃないけど明るく気立てのよい娘さんみたいな部屋で、白い一人がけソファがた';return true">名曲喫茶柳月堂のごとくすべて受付のほうを向いて並んでいてちょっと意表を突かれます。患者同士が顔つき合わすのを避けるためのアレンジなのですね。だがこうしたバリアを取り除くためのさまざまな工夫を一瞬でぶち壊しているのが花。蘭のたぐいはグロなので(サイコ系とか内臓系とか)値段が高いという理由だけで病院に贈るのはいかがなものかと思いましたよメンタルクリニックはとくに。 |
2005年 11月 4日 (金) み江 |
どうもこのごろ働いてお金をもらうとかごはんを食べるとかようするに生きること自体が面倒で面倒でたまりません。死ぬまで眠っていられたらいちばんいいのですが。そうしたなかで比較的楽しいと言えるのではないかと思うものがあります。詳細は省きますが先日プロのメイクアップあーちすとにタダでメイクをしてもらう機会がありました。(デパートのカウンターにいるおねいさんはべつにプロではない)東京から出張してきたその兄さんは顔が濃い目で、み江さんのストライクゾーンにはかすりもしませんでしたが、アイメイクのときなんかあごに手をかけながら「はいこっち見てください」と目をのぞきこんだりするので、ドキドキしちゃう女の子がいても不思議はないと思いました。そうしてできあがったカオはまあ元が元だけにそうかわりばえのするものでもない気がしましたが、サプライズは後からじわじわやってきました。化粧崩れしないのです!半日たっても毛穴浮かないマスカラ落ちないクオリティが全然下がらないんだようおおおおおい!!翌日から「あの味を家庭で再現する」試みが行われました。基本的な理論をまじめに研究し道具や下ごしらえの大切さも理解するようになり応用の幅も広がりました。なぜこんな楽しいことを若いうちからもっとやらなかったのだろうああなんてもったいない人生を生きてしまったのか。とか思っていたある日、トクヤマにだまされてあじとにケーブルテレビが導入され、珍しいので5秒ごとにチャンネルを変えて遊んでいたところ、松下由樹とかが出ている昔のドラマをやっていました。そしたら女子の化粧がヤバイ!顔が白い!口が赤い!眉が海苔!建築のみならず近年のコスメにおいても重要キーワードの一つであるところの「透明感」というやつがいっこもありません。そういや当時はメイクといえばそのようなマットを通り越してマッシブなものを指していたためまったく食指が動かなかったことを思い出した。なんだぜんぜんもったいなくねえや。調べたら1994年のドラマでした。94年といえば妹島さんも注目されてはいたけど、建築学生はみんな安藤忠雄をパクったマッシブな模型をドスドス作っていました。透明感メイク夜明け前といった時期であったように思います。 |
2005年 10月 31日 (月) 桂 |
元スピードスタジオの保坂さんの「自邸」見学にいきました。極小敷地に作られた極小住宅。白い壁に囲まれた小空間を一つの光源で充満させる空間。引っ越してから、すごく丁寧な暮らしをするようになったそう。終わったあと、はじめてもんじゃを食べる。というのも関西の人はお好み焼き文化があるので、東京のもんじゃというものがやたらと気になるらしく「もんじゃ食ってきたで」という自慢話を10年あまりさんざん聞かされてきたためです。--行き帰りに「SS概論」という本を読んでいたのですが、これが面白いかったです。慶應大学の学生二人組(ぽむ企画みたいな?)が5人くらいの島根の有力者たちにインタビュー(対談形式)。その隙間にイラスト(たいして意味がない超ゆるいもの)が挿入。インタビューが終わったあと、なぜか二人組が4ページくらいで反省会を行う。見たことがない形式の本!でも読みやすい。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2005年 10月 22日 (土) 桂 |
「おいしいキッチン」という、デザイナー酒井俊彦さんのディレクションのもと、福井の工場と東京のデザイナー5組が共同開発したキッチンプロダクトシリーズが今秋誕生しまして、その書籍化に関わりました。「おいしいキッチン」はじめました。わたしは福井の工場での制作現場レポート部分を手伝ってます。福井の工場ツアーは、たいへん面白かったです。しかしながら製造過程を書き起こすのはなかなか難しく、おかげで織機や金属加工のプロセスが多少わかるようになりました。「おいしいキッチン」で開発された商品は、なかなかいいものがいっぱいあって、しかもデザインものにしては価格が手ごろ。わたしもGomaがデザインした水玉模様のショッピングバッグを愛用しています。 |
2005年 10月 21日 (金) 桂 |
写真レベルをハードで底上げするために、Lumixを買いました。はじめて撮った建築は藤村さんベラさんISSHOのPHOENIX BUILDINGという集合住宅です。“薄付き”で、団地マニアの方が発見された「おしゃれ染めハウス」の塗りたくり感とは異なるナチュラルメイクです。水回りの高さで空間を2分割して、飛び出させたりへこませたり、開口を開けたりとプランで遊んでます。キッチンや風呂など水回りが部屋から飛び出していたり、収納が飛び出したり…これは住む人を選びそう。わたしは結構住みたいとおもいました。 |
2005年 10月 5日 (水) 桂 |
阪急梅田ビルが解体かーー、と思ってたらあの青年の城のトウモロコシカプセルが解体ですと!!もう工事始まってるですと!!ショックだ・・。どうなるのか、思いを巡らしていました。2.保存運動が起きる→補修して大分の図書館みたく再生する。結構3.がありそうな気がしてきました。 |
2005年 9月 26日 (月) 桂 |
仙台に行ってきました。「フルキャストスタジアム宮城」で野球観戦してきました。あの大魔神佐々木が県知事に改築を直訴したという球場が、観客席とグラウンドが近いステキボールパークに変身してました。雨の中、ネット裏の屋根なし年間指定席まで埋まっていました。石巻と登米にも足を伸ばしました。マンガテラピー?駅前商店街がマンガロードという名前になっていて、シャッターに絵が描いてあったり、フィギュアが銀行の前に立ってたりします。 左:旧登米高等尋常小学校 右:森舞台登米は山添喜三郎の「旧登米高等尋常小学校」、隈研吾の「森舞台」をみてきました。前者は藤森照信先生の卒論テーマだったという建物(「建築探偵奇想天外」より)。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2005年 9月 15日 (木) 桂 |
あと出たばかりの「meets」の「京都本」(すでに4冊目か5冊目くらい?)にも、特集「寺の遊び方」内の「枯山水なら間違いない」という記事を書いてます。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2005年 9月 12日 (月) 桂 |
先日なんとなくタモリ倶楽部をみていたら「建築ツウ」「建てずに死ねるか」の著者である大島健二さんが出演されていました。テレビ用に無理してザックリさせた感がありつつも、明快で理解しやすく、いい仕事だとおもいました。冒頭タモリさんに「大島健二…あ、オーケンですね」て紹介され、後ろで「踊るダメ人間(だったかな?)」が一瞬流れていた気が。ちょっと前に石川さんや元永さんも出ていた「タモリ倶楽部」なので、流れ的にはた';return true">この人とかもそのうち番組に呼ばれてしまう気がするけど、やっぱり「オーケン」なんだろうか。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2005年 8月 18日 (木) 桂 |
東京のいいところの一つ:雑誌がコンビニに並ぶのが早い(プチ喜び)というわけで水曜深夜現在、木曜発売の「モーニング」を読んでいるのですが、新連載「へうげもの」by山田芳裕がすごかった!冒頭はこんな感じ。オレたちの人生[ルビ:ライフスタイル]を決めちゃった男!!!疾風新連載!!「へうげもの」サブタイトル:Tea for universe. Tea for life.男34歳、へうげ心は顔に出る。のっけから主人公織部がそれにしても……信長様はよいものを着ておられるあの南蛮服の見事さはどうだ……「びろうど」という不思議な光沢の布にうっすら浮き出る唐草牡丹斬新かつ見る者を夢心地にさせる信長様にぴったりなお召し物よ……と延々とファッションチェック、戦国ものにあるまじきまったり感。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2005年 8月 14日 (日) み江 |
世界水泳と世界陸上を見て思ったこと:「なぜ水泳の兄ちゃんはみな性格が悪そうなのか」今日はめずらしく重い足腰肩ようするに全身を上げて外出し、おくりもの用のきれいなコスメを買ったりアフタヌーンティーでアップルパイを食ったりジュリークで全身アロママサージとかしたり小金で買えるちまちました楽しいことをいろいろして、仕上げとしてデパ地下でアボガドやまぐろの入ってる小洒落たのり巻きを買いました。ハラをすかせて楽しみに帰宅したところのり巻きがない!ない!ない!そういえばバスの中で寿司折を持っていた記憶がない!地下街のトイレの棚に置いた記憶だけがあるー!!もともと注意力や記憶力がよいほうではありませんが(むしろ悪いとはっきり言え)、投薬によってあきらかに加速していると思います。抗鬱剤はとても簡単にいうと頭をパーにするクスリですから誰と何を話したかやちょっと前にとった行動などをニワトリ級の速度で忘れます。以前はせめてヤギやウシ級だったはずです。と青年エイチ(さいきん『思想』デビューした)に科学的に説明したところ、「はいはい世の中の悪いことはぜんぶクスリのせいですからね明日戦争が起こっても世界が滅んでもクスリのせいですねープ」などと非科学的に罵倒されこのような人が社会科学研究やってまースとか名乗ったりするのを許すことはできないと思いました、というかハラがすいたんですが。 |
2005年 8月 7日 (日) み江 |
み江さんは夏競馬は勝てたためしがないからもう手を出しませんといいつつ見ます。見ているとなぜか眠くなってきて競馬新聞に突っ伏したまま宵の口まで熟睡します。したがって競馬は自律神経失調とか鬱とかの治療に使える可能性があるので誰かそういう研究をするといいと思います。このまえ現在の労働量を五十嵐隊長の5分の1とか書いたところ、トクヤマに「5分の1も働いたらみ江さんなんか一瞬で倒れるというか五十嵐さんの労働量は∞だから5で割ったところで∞」と言われました。「五十嵐隊長の労働をどんぶり一杯すくいとったぐらい」に訂正します。(弱気)と書こうとして気づいたが左の人がぽむブログにコメントしてますねスマナカッタ。でもせっかく書いたからupする。旧同居人エヌ氏(とキャット2匹)は左の人と手に手をとって一緒に東京に行ってしまい、み江さん一人では家賃が払えないので新しい同居人を迎え入れることにしました。わかものらしく部屋からなんか動物園的なにおいがしますが、生気のなさにおいては植物を通り越してもはや鉱物であったエヌ氏のいたころと比べると、あじとに活気が出てきた気がします。まあ住人の構成が「半病人×2」から「いちおう健康体の域×2」に変わったわけだからあたりまえである。いや女子と同居したことはないのだが「汚いくさい捨てろ仕舞え片付けろ」等を自分を棚に上げて遠慮なく言えるというのは非常に大切なことだ。 |
2005年 7月 31日 (月) み江 |
地下食品売り場が異様に充実していて活気があるのはまあなんとなく予想どおりとして、私の健康回復に多大なる貢献をしたもののひとつにアロマテラピーが挙げられるのですが、よい精油がいろいろ揃ってるのが意外にも阪神百貨店だからです。ここの6階は美容院やエステやリフレやネイルサロンや枕ショップやおしゃれ漢方薬局などが詰まったリラクゼーションの総合商社になっており、可処分所得高め女子(+時々オッサン)を吸い寄せようとしていますが、そんなフロアでも平気で六甲おろしを流す阪神百貨店が私はわりと好きです。地下食品売り場には粉物だけで10種類はあるんじゃないかという勢いのジャンクよく言えばソウルな立ち食いコーナーがあって、お寿司とかオムライスとかも縁日の屋台みたいに食えます。名前からして「スナックパーク」まるでルナーパークみたいです。ひとり女子の聖地たい何個食べたであろうか';return true">アフタヌーンティー級に低いです。夕方ともなれば仕事帰りにひとり黙々とソース味の何かを立ち食らう巻き髪のOLさんがひしめきあうというけっこう異様な光景が見られるのですが、たぶん誰も異様とは思っていないそんな阪神百貨店が私はわりと好きです。 |
2005年 7月 27日 (木) み江 |
そうしている間も仕事はいちおうしていました。さいわい勤務時間も内容もかなり融通の効く仕事でしたので恵まれていたと思います。世の中には抗鬱薬飲みながらも毎日9時-5時といわず9時-9時とか10時-12時とかでおつとめを続けている人もたくさんいるわけだからほんとうにたいへんなことだと思います。あいかわらず予備校で教えたり京都芸術デザイン専門学校で教えたりしています。予備校仕事はそれまでの蓄積がありますから、アタマをすり減らす「新しいことを考える」をさほどしなくてすみましたし、なによりハタチ前後のまっすぐですなおなわかものと日常的に接触してたわいもない話をしたりするのは心身の健康にはよかったと思います。これが根性ねじ曲がったどすグレーの大人だったらそうもいきません。専門学校では、なにしろ科目名からして文化研究訳すとカルチュラル・スタディーズ訳すとうさんくさいですので、なんだか申し訳ないぐらい好き放題やらせていただいています。予備校で小論文の授業やりながら文章指導のスキルなんかもそれなりに貯まってきたし、なによりいま自分が人に教えられることなどこれくらいしかないからです。●課題1 好きなものについて話すあなたの好きなものやお気に入りについてスピーチをしてください。あなたがいかにそれが好きか、どんなところが好きか、あなたにとってどれほど価値をもつものか。聞く人にどうやったらうまく伝わるか工夫してください。お互いよく見知った仲なので、やる気のないスピーチにはけっこう容赦ないコメントが飛んだりします。なんか斎藤孝のパクリみたいですが言っとくが彼の著書は仕事で必要だった一冊しか読んだことないぞ。ちなみにしょっぱなは私がやりました。競馬について話しました。「好きな馬は」「最高配当は」などのほか、「内国産馬はなぜサンデーサイレンス産駒に勝てないと思うか」というマニアックな質問をされました。答える側は相手が何を話してほしいのか予想して、聞かれたこと以上のことを話してやる。これができていないと文章にしても厚みのないただのプロフィールになってしまうからです。新聞とか雑誌なんかでよくある人物紹介コラムみたいなやつね。書けたら赤ペンを持って回し読みし、お互いに添削・批評します。何がまずいのか具体的に指摘して、どうしたらもっとよくなるのかアドバイスする。見知ったクラスメイトのことなので、「○○君の意外な一面を知りました」というコメントがけっこうあります。言葉には対象の見え方を変える力がある(そしてそういう力のある言葉を批評と呼ぶ)ということを感じとってもらえたらしめしめです。最後は赤ペンの入りまくった状態のものを全員ぶんコピーして配ります。たのしいクラス文集のできあがりです。ちなみに私も生徒と一緒にインタビューしたりされたり書いたり書かれたりしました。ある生徒は私の手書き原稿を読んで「先生は字がきれいなイメージがありましたが裏切られました」というコメントをくれました。ドキュメンタリー中にもあるように、グロピウス設計のこの建築は、竣工するやいなやヨーロッパ中から注目され、同時にナチスや共産党など時の権力者たちからは忌み嫌われました。いったいなぜこの建築がそれほど人々の関心を集め、評価されるのか。「同じものを見ても着眼点は人によってこれだけちがう」「批評は感想とちがう」ことを感じとってもらえたらしめしめです。●前期試験 記述式テスト、問題は事前発表問1 これまで実際に自分の目で見た建築の中で、印象に残ったものを一つ選び、その建築について批評文を書いてください。問2 あなたの好きな建築家、インテリアデザイナー、アーティスト、映画監督等、視覚芸術系のクリエイターを一人選び、その人物の人物評を書いてください。好きな建築やデザイナーのことを書くとなると、つい感情が先立った主観的な「感想文」に陥りがちですが、その建築や人物のどこがどう評価できるのか、自分はなぜ素晴らしいと思っているのか、他人を納得させられるだけの客観性と論理性を保った「批評文」であってください。かといって客観的な事実だけを並べた説明文で終わらないように。レポートでなく筆記試験なのは、ネットで拾ってきたコピペの束を読む羽目になるのを避けるためです。資料の持込みを禁止しているのは、たとえ他人の受け売りであっても、必ずいっぺん自分フィルターを通して、自分の言葉にしてから出力してほしいからです。おもしろかったらここで発表しようかな。 |
2005年 7月 26日 (水) 桂 |
それにしても、この日記にはコメント機能が無いので、右の日記の五十嵐隊長の5分の1に対してのツッコミが入れられなくて「ああくそう」と思った人は多いはずだ!わたしの元に、今もっともみ江の近くに居るはずの人間から「無限は割っても無限だから5分の1はありえない」という秀逸なツッコミがメールで届きました。まったくそのとおりだと思いました。また、近くに居るのに本人に直接言わないあたりがIT時代らしい、いい距離感だとおもいました。なのでこれをさらすことでコメントに変えさせていただきます。 |
2005年 7月 26日 (水) み江 |
あんだけの寝たきり生物(要介護)がとうとう先月、3年ぶりだか4年ぶりだか5年ぶりだか忘れましたがともかくここ数年で初めて自発的に本屋の建築コーナーに行き建築本を購入するまでになりました。生まれて初めて自発的に総合病院に行きました。呼吸困難と全身倦怠感を主訴として総合内科にかかりました。ひととおりの検査をしましたが胆のうにしょぼいポリープが見つかった以外は予想どおり絵に描いたような健康体(数字上は)でした。去年払った国民健康保険料53万円返せこの能無しがとか心の中で罵りながら予想どおり心療内科に回されました。そんで抗鬱薬と抗不安薬をほんの少しもらいました。私は鬱じゃねえぞこのヤブがとか心の中で罵ってすみませんでした。余計なネガティブ感情は消えしまいにゃ建設的な問いまで立てられるようになるぞやったね!という戦略の薬です。けっこう貴重な経験をしたと思います。それからあのゆうめいなロールシャッハテストを受けるという経験もしました。魔王や春の祭典や吉田戦車の描くいやな生きものみたいのが次々出てきておもしろかったです。ついでに副作用による18時間耐久便秘も経験しました。闘争の記録を報告するのはやめますがもう二度としたくありません。そんなわけで文を書くとか何かを決めるとかアタマの体力をとても使うことに関してはまだなんだかおぼつかないですけれども、それ以外はおおむね健康的でブンカ的な最低限の生活を送れていて、五十嵐隊長の5分の1ぐらいは働けてるんじゃないかというところまでやってきましたよええやってきましたとも!弱っているさなかはものすごくいろんな人に助けてもらったなあと思います。恩返しはこれから少しずつしていかないといけないですけれども、さしあたって今できることがあるとしたら、もしカラダが動かなくなったりアタマが動かなくなったりしたら、気の持ちようとか思わないでさっさと病院に行くといいと思います。まわりにそういう人がいたら働けとか運動しろとか言わないでお医者に行けとしつこく言ってあげるといいと思います。本気の鬱でずっと苦しんでる人に比べれば私のケースなんてぜんぜんしょぼいですし何の参考にも励みにもならんですけど、自分の問題だから自分で何とかしなきゃと思ってたことが薬の力を借りたらずっと楽に解決できる可能性もあるということは、おおぜいの人に知っておいてもらいたいと思いました。MRみたいなまとめですみません。 |
2005年 7月 17日 (月) 桂 |
デジカメのメモリカードを16倍増して以来写真を撮るだけとってほったらかししてたらいつのまにか500枚くらいになっていました。整理しつつ気になったものを載せます。このサイトによると、日帰り天然温泉と中古車販売店を融合したものらしい。スタジオボイスには悪魔の館(©たけし城)って書いたんですが、実際は昔の遊園地にあった迷路の館ふう。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2005年 6月 22日 (水) 桂 |
ちょっと京都にかえって、すぐ東京戻ってきました。とくやまは銀閣寺あたりで活動しているすてきなおんがく家とコンビを組んでおり、よいプレイだった。ウームの料理もすばらしかった。現在スフェラでやってる展示もなかなかよかった。抜けたことで客観視でき、あのエキシビションスペースの実力に、わたしは気づいた。つぎの帰還よていは七夕あたり。 |
2005年 4月 8日 (金) 桂 |
4/2付でスフェラの店頭業務から退きました。東京で住む物件も決まりました。どうも左京区一乗寺(=現居住地)みたいな適当に猥雑でダメな感じじゃないと住む自信が無い。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2005年 3月 11日 (金) み江 |
(本物)早く改造人間になりた〜いを合言葉に、通院投薬外科手術代替医療生活改善休養運動写経など多くの手段と金を尽くし、おかげさまで私も松田聖子級の不老人間になれましたというのはうそですがかなりHPを取り戻しつつあります。ヒットポイントというのは……弱っているときというのは出走できないぶん自分の脚質や血統や距離適性などについていろいろ考えたり考えなかったりするもので、病気とかケガとかでどうにも身動きとれないときというのは、唯一神からお米の神さままで八百万の神ホトケが「止ま〜れ〜」と言っているようなものかもしれないと思いました。 |
2005年 2月 18日 (木) 桂 |
行きたいー行きたいー行きたいー行きたいー。ちょうど一昨日、東京出張の機会があって閉館まぎわに駆け足で見てきました。まさしくヒノさんの解説を聞きながら経験したい展覧会だと思いました。いいなあ、東京のヒトがほんとうにうらやましい!!!!!京都自慢(負け惜しみ):東京から行くのは大変だといううわさのかなざわに先日ようやく行きました。 |
2005年 2月 14日 (日) 桂 |
昨日からスフェラで、ぽむ(主にみ江)が教えている授業で学生たちが作ったフリーペーパーを配布してます。全部で12名のクラスで、4チーム編集部をつくらせ、半期かけて1チーム一点のフリーペーパーを完成させました。そしたら全員「食べ物」に向かいました。建築の学校でメディアづくりをやると、研究会的な活動に向かう場合が多いと思われますが、み江の指導方針と学生さんらの資質のたまものか、そういう要素が全くないのが新鮮でいいですね。 |
2005年 2月 6日 (土) 桂 |
数日前この日記で強いaiを語ったにもかかわらずせじまかずよ+にしざわりゅうえ読本を紛失してしまったしまったファン失格。たぶん全世界でやまさきとあと4名くらい。 でも金沢の開館は10月だたにょ。 |
2005年 2月 2日 (火) 桂 |
(1)2001-2003に手がけたインテリア仕事(全てJCDデザイン賞に入賞)をまとめたDVDの上映+販売(2)アートディレクション・編集・ライティングまで手がけた企業コンセプトブックのアートワーク展示+配布。ところで妹島和世読本が新しく出たり、古いヤツもついに増刷がかかったりして感慨深いです。だってしょうがないんだよねバリバリの学部生だったころに薫陶を受けてるからさ。10年ちかく前、建築界を席巻したセジマというモード。図面やスケッチに革命を起こしたのであった。大島健二さんが「建築ツウへの道」でナンシー関がビートたけしへの思い入れを語るがごとく自らの安藤忠雄への思い入れを語っていましたが、まさしくそれと同じような思い入れがあるわけです。ある機会に採ったアンケートでは、京阪神の学生さん中心に「アトリエワン」「藤本壮介」の二者がダントツ人気。そうした刷り込みはそれぞれの学校であり、例えば京大ではいちばん最初の設計課題で、ミースの「バルセロナ・パヴィリオン」の模型をつくるので「ミース最強」刷り込みが入ってしまい、その呪縛からなかなか抜けられません。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2005年 1月 1日 (土) 桂 |
■2005年年賀状 2004年を回顧してみようと思って、関心空間を使ってみました。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2004年 12月 14日 (火) 桂 |
まずは開業したばかりのハービスエントに。すごく盛況で、なんと90人くらいの来客があったそう。月に17本のレギュラーと、イレギュラーをあわせたら数え切れないほどの仕事量を誇る超多忙なイラストレーターShu-Thang Grafixこと浦野周平氏。彼の描くイラストは、誰もがきっとどこかで見たことがあるはず。そんな氏を囲んで、エルマガジン副編集長・竹内厚氏と、わたくし、ぽむ企画・平塚桂(兼業ライター)が、雑誌の仕事の現場についていろいろお話しします。◆トークショウ「(必殺)雑誌の仕事人」 18日(土)18:00-19:00 Shu-Thang Grafix ×ぽむ企画(ライター)×竹内厚(エルマガジン) \500 予約・詳細www.ricordi-sfera.com/stg/(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2004年 12月 9日 (木) 桂 |
ひさしぶりにスタジオ・ボイスに文字を書きました。 |
2004年 12月 6日 (月) 桂 |
12/4(土)のデザインの部屋とてもおもしろかったです。中山さんは、とてもしっかりした方向性を持っていて、そしてあの岡田さんと「デザイン(家具とか)の話ができる」というおそるべき建築家でした。 様子をくわしく(tomonagatokuyama.jp)→やまさきさんのレビューみなさまどうもありがとうございました。SDレビューで鹿島賞を受賞した『2004』のステキな模型が、まだスフェラに置いてあります。たぶんあと1週間くらい置いています。トーク終了後、残った人たちと『ルイ・ヴィトン京都』へと行きました。青木淳さんとその事務所出身者が手がけたルイ・ヴィトン各店舗のファサードは、素材と光の干渉で奥行きのある現象を発生させることが多いのですが、ここでは偏光板を用いた縦ストライプの作用で陰影のある外観が生まれています。昨日(日曜)はデザイン携帯"talby"を入手しました。COCON KARASUMAにも立ち寄りました。唐長に伝わるというパターンを用いた模様そのものは違和感ないけれど、緑色が周囲に対して強すぎる気も。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2004年 12月 1日 (水) 桂 |
雑誌の記事のためにインテリアの歴史を勉強しています。インテリア関係の本に書いてあることを総合すると、いわゆるインテリアデザイナーという職能が確立されたのが、1970年前後らしい。半年ちょっとまえにTOTO出版から出た『MOD EAST』とか『ザ・タイガース 華麗なる招待』のようなステキGS映画とかを見るとよくわかる。「スナック&喫茶」では、若きクラマタやアンドウによる、赤と白で統一されたファンタスティックプラスチックなインテリアなどが掲載されていましたよ。の右上が忠雄氏による「OSコーヒーショップ2001」の内装【書誌詳細】異色クラブ・バー. -- 商店建築社, 1972. -- (商店建築デザイン選書 ; 4)感覚的な服飾店. -- 商店建築社, 1972. -- (商店建築デザイン選書 ; 6)貴金属宝石店・ショールーム. -- 商店建築社, 1975. -- (商店建築デザイン選書 ; 9)スナック&喫茶. -- 商店建築社, 1974. -- (商店建築デザイン選書 ; 8)ドライブイン・レストラン. -- 商店建築社, 1974. -- (商店建築デザイン選書 ; 7)ファッション・ショップ,美容院. -- 商店建築社, 1976. -- (商店建築デザイン選書 ; 10)魅力ある外装の造形. -- 商店建築社, 1970. -- (商店建築デザイン選書 ; 2)個性ある和風料理店 : 小料理 . 割烹 . 料亭 . 酒房 . 和食. -- 商店建築社, 1972. -- (商店建築デザイン選書 ; 5)秀作レストラン. -- 商店建築社, 1970. -- (商店建築デザイン選書 ; 3)魅力ある外装の造形 : ファサード・ウィンドー・看板. -- 3版. -- 商店建築社, 1972. -- (商店建築デザイン選書 ; 2)話題の喫茶店・Coffee Shop : ティールーム .ゴーゴー . ケーキ . スナック. -- 商店建築社, 1970. -- (商店建築デザイン選書 ; 1)(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2004年 11月 25日 (木) 桂 |
昨日ひさびさに一日中を寝てくらした私は夕方起き出して、これまたひさびさの洗濯をすることにじました。ああこれでは洗濯ができない! とりあえず50円玉をつくろうとおもい、近くの自販機でジュースを買いました。1000円入れ、120円のGokuriグレープフルーツを選びました。やはり、おつりが全部100円玉と10円玉で出てきました。あきらめきれずに隣の自販機でBOSSを買いました。120円のBOSSに対し、200円投入、やっぱりお釣りは全部10円で出てきました。ここまできたらあきらめるべきなのですが、もうヤケになっていたので、また200円入れてQooを買いました。お釣りはすべて10円玉で出てきた上に、出てきたジュースはファンタグレープでした・・・。http://www.ricordi-sfera.com/news/20041126_heya.htmlさてファンタグレープほか3つのジュースを抱え、コンビニで150円のカップラーメンを買い首尾良く50円玉を手に入れました。ところが洗濯機を見たら先客がいます。もう止まっているのにしょーがないなあと、借りてたビデオ(シーズ・オール・ザット)を見ました。見終わってのぞきにいくと、やっぱり洗濯物が入ったままです。しょーがないなあと、ビデオを返しに行き、さらにもう一本(猟奇的な彼女)を借りて見ました。洗濯物はやっぱり入ったままなので、寝て起きてから洗濯することにしました。朝、確認するとやっぱり洗濯物は入ったままでした。そのままスフェラに出かけてしまったので、まだ洗濯できてません。でも、買ったジュースは全部飲んでしまいました。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2004年 10月 30日 (土) 桂 |
多数の建築家が参加する展覧会(期間はたった数日間)が2つあり、行ってみました。「建築の京都−OBJECT」展〜普遍性を備えた美しい建築とは〜」10/30日(sat) - 11/3(wed) 12:00-20:00@ASPHODEL新井清一 / 梅林克 / 河井敏明 / 關聡志 / 高崎正治 / 高松伸 / 竹山聖 / 玉置順 / 山口隆 / 若林広幸 / 渡辺豊和会場は、スフェラの近くにあるFOBA設計のギャラリーです。入ってまず、高松伸先生による巨大熊手みたいな天津博物館に出迎えられ、1階から3階まで濃厚な模型やオブジェが。「建築プレゼンテーションの最前線」展〜相手を引き込む熱意と手法を大公開〜10/30日(sat) - 11/3(wed) 11:00-19:00(最終日は15:00)@ART COMPLEX1928阿部仁史 / 新井清一 / 有馬裕之 / 今村雅樹+佐久間菜穂子 / 梅林克 / 遠藤秀平 / 奥山信一 / 河井敏明 / 岸和郎 / 隈研吾 / 小泉雅生 / 小嶋一浩 / 小山隆治 / 角 直弘 / 關聡志 / 高松伸 / 竹山聖 / 玉置順 / 團紀彦 / 千葉学 / 塚本由晴 / 鄭秀 和 / 手塚貴晴・手塚由比 / 長坂大 / 長田直之 / 中村勇大 / 中村潔 / 納谷学+新 / 葉山勉 / 平尾和洋 / 前田紀貞 / 宮本佳明 / 吉村靖孝 / 米田明 / 若松均たくさんの人々が出展。コールハースの「CONTENT」展を思わせる、できるだけ生々しく現場の風をふかせる展覧会でした。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2004年 10月 24日 (日) 桂 |
中崎町にいってきました。そのへんの若いのがふらっと空き家に入居し、なんとなくお店とかが作られ……ディベロッパーや国といった大きな力が関わらずに、自発的に街が再開発されていることが憧憬の的となっている(かもしれない)ネオガンダーラです。レジコーナーが古い映画館のもぎりみたいになっていたり。背が高くないと見れない本棚があったり。食器、お香や植物といった細かい調度品や本の並べ方には清潔感があります。建築家吉永さんが主催した団地・ダンメン・ピクトさんというトークイベントへ。子供時代に毎週末通っていたお話会会場を思わせるサイズ感や雰囲気で、大人になってもお話会に通っている自分に我に返ります。住宅都市整理公団の総裁氏と初めてしゃべりました。中崎町は小さいエリアにさまざまな施設が詰まっていて、歩きやすかったです。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2004年 10月 8日 (金) 桂 |
東京に行きたいなあ、と最新のCasa BRUTUSを見ながら思います。今月のCasa BRUTUS、鯖すし100の鯖を食べました。↑鯖@あじと(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2004年 10月 4日 (月) 桂 |
Modern Style In East Asia 2004 京都展関連シンポジウム「建築アフタヌーン 中国ナウ!」が盛況におわりました。裏方として山ちゃん徳ちゃんと携帯メールで連絡しつつ進行し、こちらもスリリングでした。京都だけではなく、結構遠くから来た人も多いようで、椅子が足らなくて大変。 |
2004年 10月 2日 (土) 桂 |
昨日はアトリエ・ワン「街の使い方」展のオープニングに、山ちゃん、とくちゃんと行って来ました。世界各国の展覧会に招かれそのたびに話題をさらうという「展覧会のプロ」アトリエ・ワンの初めてのソロ個展。メイド・イン・トーキョーにペットアーキテクチャーといったリサーチプロジェクト、模型をくるくる回した「踊る建築」、そしてミニ・ハウス+ハウス・アサマの実物大模型。あとは、何かあるたびに作っていた映像がものすごいいっぱい、という構成です。想像していたのとちょっと違うところもあるけども、味わい深い展覧会でした。映像はざっくりしたつくりで、そのぶん生身の空間が伝わってきて、ついつい長居して見てしまいます。展示は細かく見ると時々ちょっとしたギャグもあったり。でも、あまりにキツキツになってしまったら、入場をお断りしてしまうかもしれません。会場リコルディのご厚意により、終わった後、会場を立ち飲みカフェにしていただきます。なので、なんでもいいからゲストの顔が見たいという人、ちょっとおしゃべりしたい人、余韻だけでも味わいたい人など歓迎。----Modern Style in East Asia 2004関連シンポジウム:「建築アフタヌーン 中国ナウ!」 中国ナウ!の申し込みについてお知らせ:定員いっぱい+立ち見での予約を多数いただきました。 中国でのプロジェクトを抱える若手建築家たちが展示スペース4階のモダンなカフェに集結。 しばらくの間、余韻をお楽しみいただけます。 シンポジウムにご来場いただけなかった方のご来店も、歓迎いたします。 |
2004年 9月 7日 (月) 桂 |
この一ヶ月、スフェラでやる展示(Modern Style in East Asia 京都展)の準備をしていました。ようやく3日にオープニング・レセプションを行うことができ、始まりました。入場料を徴収するというのが準備する上でかなりプレッシャーになりました。レセプション風景もっとそんな傍らでたまに原稿も書いたりしております。だいたい6月から最近でたやつまで。 |
2004年 7月 30日 (金) 桂 |
スフェラっつうとこで1年ほどブックショップを担当してたのですが、これからエキシビションも担当するようになります。中国と日本のピチピチ若手建築家・アーティストが16組参加して北京で開催されたものの巡回です。今回の展示では、中国から作品を運ぶのが無理(ぜんぶ激でかいしな)だったり、会場がそんな広くないから作品が入りきらないので、展示自体はちょっとダウンサイズしたものになると思います。なのでクレジットに「編集:ぽむ企画」って入れさせてもらいました。以下詳細Modern Style In East Asia 2004 in Kyoto― モダンスタイル・イン・イーストアジア 2004 京都展 ― 2004年5月15日(土)〜6月13日(日)に北京東京芸術工程にて開催された展覧会Modern Style In East Asia 2004の巡回展。「ライフスタイル」をテーマに日本・中国の16組の若手建築家、プロダクトデザイナー、アーティスト達により作られた作品・パネル・模型を展示。 |
2004年 7月 23日 (金) 桂 |
たら消えると思うけどアンケート';return true">これ。 |
2004年 7月 16日 (金) 桂 |
それはともかくわたしはこれについて予知夢を見ました。一昨日スフェラの休みを利用して2ヶ月ぶりくらいにまんが喫茶に行き、そして「のだめカンタービレ」で人気の二ノ宮知子のちょいむかしの作品「天才ファミリーカンパニー」を読破してました。それの後半部分で、青山ブックセンターみたいな書店が出てくるのです。そこに主人公の天才少年がバイトで入り、インターネット書店をしたり経営を立て直そうとしたりする…とかそんな感じ。それを読みながら「ぽむアジトみたいな家だなあ変人にペースを乱されて怒ってる主人公は私か」とか思うと同時に「青山ブックセンターもやば…」なんてすこし思いを馳せたり…そしたらホントに。ちなみに、知らせてくれたのはやまさきでした。そんな書店員な我々はやはり、再来週のたり同調したり)';return true">caloの書店員ナイトには行こうと思ってます。 |
2004年 7月 13日 (火) 桂 |
告知たのかな?';return true">(またまたネタもと)先日ここでスタッフ募集の告知をし、数名の応募があって結局3名増員したばかりなのですが、もう1名急募です。ただし正直申しましてバリバリの文系人間は難しいです。理数系メガネや建築系メガネのPCスキルと比べたうえで文系美術系の方をピックアップできる度胸が私にはなさそう。よろしくお願いいたします。 |
2004年 7月 12日 (月) 桂 |
遅くなりましたが、デザインの部屋たいへん良かったです。ブックショップの空間をちょっとあけて、下のお店から椅子を借りて並べただけという空間の雰囲気もアットホームかつ隠れ家調で良かったとおもいます。岡田さんの質問は「それ、どうやって仕事もらったの?」とか「それ、建築としての居心地はどうなの?」とかそんな率直さが武器です。 |
2004年 7月 3日 (土) 桂 |
【緊急告知】「デザインの部屋 〜the case of dezain〜」第1回 松川昌平(000studio)×岡田栄造(www.dezain.net)驚異のデザイン・ニュースサイトwww.dezain.netを運営する岡田栄造氏の司会による、少人数でまったり楽しく、がコンセプトのデザイナーズトークショウ。第1回は、松川昌平(000studio, synctokyo)を招き、近作等についてプロジェクターで写しながら、いろいろ語っていただきます。日時: 7/9(金) 20:15開場 20:30スタート(お店は一旦20時に閉店します)場所: スフェラ・ビル 2F スフェラ・アーカイヴ入場料: 500円人数: 最大40名(先着順)ご予約は、件名「トークショウ参加希望」とし、お名前・ご連絡先(電話、メール)・熱いメッセージを添えて以下のメールアドレスまでお願いいたします。 |
2004年 6月 26日 (土) 桂 |
トクヤマ(この日記を読んでスフェラ・アーカイヴのスタッフとして応募してくれた20歳京大生ちなみにみ江と同じ某ICU高校出身)と、奥さん(←なまえ。増田屋ビルでギャラリー運営)と回りました。6/18(金)15:00 book246(青山1丁目)新たにできた書店を見学。日埜さん驚異の蔵書に圧倒されました。6/19(土)22:00 バー・トラウマリス(六本木、complex内)住吉智恵さん、名和晃平さん(ライブペインティングをしていた)、小崎哲哉さんと名刺交換する。いろんな方々が押し寄せるスポットにつき……、6/20(日)12:00 渋谷とある展覧会を手伝っていた方と、ランチミーティング。6/20(日)17:00 sign(外苑前)展示の見学(白根ゆたんぽ展)6/20(日)18:30 CIBONE青山見学。 6/21(月)18:00 BANKART1929(横浜)横浜の近代建築銀行をリノベしたアートスポット。建築批評講座に呼んでいただいたので、しゃべる。(しゃべれませんでした)この建築批評講座、いうなれば「五十嵐太郎養成講座(by山崎)」。ようやくスフェラでやってることと、ぽむでやってることが、結びついてきた感じがします。これまでは徹底的に切り離して別のチャンネルでやっていた。それでもいいんだけど、しんどいところがあった。微妙に誤解も生むし、がっかりされたりもしてきたし。ブックショップの空間もアレンジでき(とくちゃんサンクス!)、エキシビションとブックショップのスペースを連動させたり、リコルディで映像を流したり、変えていけそう。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2004年 6月 17日 (木) 桂 |
きのうは、右の人と青年エイチ(京大大澤マサチ研)と「下妻物語」を観てきました。おもしろかったです。右の人は、「ウォーターボーイズ」以来の映画鑑賞だったらしいです。また横浜のBANKARTで五十嵐さんと磯さんのレクチャーに招いていただいたので、お話しをしてきます。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2004年 6月 14日 (月) み江 |
また会えてうれしいよ。たいていの人は複数十年生きておれば、命に別条はないけれども日常生活の質を落とすような身体的不具合が1個か2個か3個は出てきて、だましだまし暮らしていくものです。花粉症だとかすぐハラをくだすだとか頭痛持ちだとか、まあ個々人の体質の延長上みたいなものであるから各自つき合い方を心得ていて、不具合が発露しないような生活習慣を心がけたりクスリで抑えたりするものであろう。わたくしも大病こそ患ったことはないものの、20代も後半にさしかかったころからいくつかの不具合が自覚できるようになったので、整体に行ったり漢方をやったりなどしてだましだまし暮らしていたわけです。しかし最近ある重要なことに気づいてしまった。「全然だませてない」今まではどうにかだませていたつもりであったがここ1〜2年の暮らしぶりを見ると全くだませてないんじゃないだろうか。朝起きて着替えただけで心臓バクバクいう。バスに乗っただけでゼイゼイいう。ふつうは寝たらエネルギーが充電されるものだが、栓が抜けてて電気だだもれになってる感じ。何をするにもおっくうでたまらない。「どこそこの展覧会おもしろいよぅ」とか「どこそこでみ江さんの好きそうなナントカが売ってるよぅ」とか聞いても、「行ったら楽しい」よりも「行ったらへとへとに疲れる」が先に立つので動く気になれない。最近はとうとう競馬場にも行かなくなってしまった。今日やっとの思いで洗濯をしたら、干すのは次の日、取り込むのは一週間先、たたむのはさらに一週間先、という感じ。完成にたどり着けない。キーを打つのがつらくてつらくてたまらない。書き始めようとすると体がすくんだみたいになって動かない。いや何も書いてなかったこの数ヶ月、ぽつぽつと日記を書きかけた日もありますもちろん。でも集中力が持たず未完成。われわれにメールをくださる方もいて、ありがたく読ませてもらってるのだが、返事を書くのがつらすぎてああ申し訳ないと思いながら未完成。急になったわけではなくて数年かけてじわじわと進行してきたために自覚が遅れましたが、どうも自分は健康上の理由でもって生活がハタンしているようなのです。 |
2004年 6月 7日 (月) 桂 |
サイトリニューアルしました。the expired...にしようかとも思いましたがとどまりました。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2004年 5月 12日 (水) 桂 |
今週の金曜に予定されていた篠原一男先生の講演会が中止になってしまいました。スフェラでも篠原一男本を入荷したのですが。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2004年 4月 26日 (日) 桂 |
だいたい役目はおわりかな。いろいろ目処がついてまいりました。この一週間は、面接的なことを何件かやったりしてました。昨日の日曜日、あまりにも久しぶりに京都の街をうろうろしました。全国のペナントが壁に貼り付けられた状態はなかなか壮観。↓13:00 「ペナント・ジャパン」展で紹介されていた福井という喫茶店(?)に行く。東京で言うとここは、バー・トラウマリスみたいな感じなんだろうか。行ったことないけど。早くもテナントが入れ替わり、shuhariが新たに入っていた。↓19:30 蛸屋海六たいへんたのしかったです。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2004年 4月 18日 (土) 桂 |
とにかく視聴率の高いサイト(ココとココ)に立て続けにさらされて…という状況の山崎が挙式のために実家(島根)に帰っている。そして私は式に列席することなどはなく、むしろ身代わり的に店番をしているのでした。この状況に備え、わたしは一冊の書物を買っておりました。数日前、とあるベストセラーと書いたそれは『負け犬の遠吠え』です。内容は、よく知られているとおり、世の中には子なし夫なし30代後半以降という負け犬と、そうじゃない勝ち犬がいて、その間には深く埋まらぬ溝があり…という女子の社会的立場を分析的に語るエッセイなわけだが、エッセイストという立場からはみ出さないように上手にキッチリ線を引いたスタンスが賢いと感じた。『Realizing Design』と『レム・コールハース 行動主義』どっちも、『AXIS』などに書いてる女性ジャーナリストの著作で、TOTO出版からさいきん出たもの。『Realizing Design』は日英対訳でビジュアルメインで、トクジンさんとか西堀さんとかの今に至る過程をインタビューしたもの。いや、たぶん行動主義と比べちゃうのがよくない。文中では「コールハースのドキュメンタリー本をつくるにも、コールハースとのスケジュール調整がホントに大変で追っかけも一筋縄ではいかんのよ」ということが著者によってたびたび語られている。藁半紙みたいな紙でめちゃくちゃ軽い。かなり意表を付く構成で、コールハースがガンガン出してるビジュアルブックとタメをはる編集力を感じました。4/15(木)あんまし覚えてないのですがふつうに一日ひとりで店番していたような気がいたします。4/16(金)超早起きしたので、洗濯や掃除を完璧にこなして、ちょっと生まれ変わった気分に。4/17(土)気づいたら昼の12時になってました。本がたくさん売れる。そりゃあ日本の建築君も、いまニューヨークに行ったらヴィトンに行くよなぁ。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2004年 4月 15日 (水) 桂 |
た方には何もあげません';return true">最新のカーサブルータス、東京・京都最高の二泊三日を教えます、京都関係の記事をいくつか担当してます。あととじこみアドレス100の「高松+若林どれも強烈!」が載ってる見開きに、夜型人間のための京都二泊三日といったあたり。4/12(月)なんかアホみたいに本が売れてる(当社比)という連絡がおととい、昨日と入ったので期待してみる。出勤前の午前中に、スフェラのアーカイヴのサイトを更新、wettbewerbe aktuellというドイツのコンペ雑誌が入荷したので、ウェブで買えるように。それが本日の売上げのほとんどを占めました。アジトに舞い戻ってちょっとカーサの原稿を書いて…と思ったらなにやら床にダウン。4/13(火)妙に早起きして、すっきりシャワーを浴びて、と思ったらもう一度どろのように眠ってしまい、気づいたらなぜか午後7時、出勤時刻を3時間も過ぎていて、いろんな人から多数の携帯着信履歴が。あら、マナーモードにしてたのね。おおいそぎでスフェラに行って店番を交代して、時間になったらざざざと店を閉めておおいそぎでぽむアジトに戻って、スペインから戻ったばっかりのみ江とともに一気にカーサの原稿を仕上げる。終わったら3時すぎ。4/14(水)思いっきり寝てしまってまた起きたら周囲は真っ暗。 |
2004年 4月 12日 (日) 桂 |
録音用のMDとレコーダーいずれもテープや電池が切れていて、段取り命の自分としたことが準備がなってない。でも良かった。で、普段だったらそのままリコルディに連れて行って、さらにビル内消費を増やすはずが、パーティー中。が、恐ろしいことにつれていった方々は味オンチとまでは言わないけど料理にそんな興味がない上にトンデモナイ飲んべえ。途中ご飯を食べに行ったりしつつ、5時間くらい書いてだいたいの目処が。1時間くらいでだいたい目処が。 |
2004年 4月 9日 (木) 桂 |
ひたすら眠り、起きたらもう夜。なにやら4時間もお客さんが来なかった時間があったので、荷物をまとめて発送して、到着分を検品してならべ、いっぱい来てる請求書をチェックして、といったもろもろの細かい処理が、妙にあっというまに片付く。これは敷居が高い本屋ほど、打率は高いとおもわれるので、たかけりゃいいってものではないな。おお、ほぼ完成してしまった。たぶん14あたりにニューバージョンに変身します。明日は隊長とカーサ対談なのだが、ネタがもうれつにコアな感じでその上た日の日記ですね';return true">「三島賞、1968年論、浅田彰、シュトックハウゼン、イングヴェイ・マルムスティーン」だとかで盛り上がる人たちなんかについていけるわけがないのだがついていかないとマズイので付け焼き刃。戻るとなにやら疲れたかんじの山崎がいて、カウンターの中になんだかしっかりした名刺がいっぱい並べてある。いろいろお客様がいらしたようです。 |
2004年 4月 8日 (水) 桂 |
たのかな?';return true">(ネタもと)ものはためしでここに書き込みしてみます。細かいスキルはさておき、将来的にお店を任せたいな、と思える人物であるということをまず第一に考えています。われこそはという人がいたら、簡単な履歴書っつーか職務経歴書つーか自己PRを送ってみてください。 |
2004年 4月 7日 (火) 桂 |
給料安くてもいっぱいはたらける人、下記の状況を見てもひるまないこわいもの知らず、「オレは山崎ってヤツなんかより仕事出来るぜ!」という自信まんまん君いらっしゃい。週3日から応相談だが、このゴールデンウィークあたりからバリバリ働けるとよろしいかと。パソコンだいたい使える人歓迎。4/6(火)うっかり夜更かししてしまったのであるが、今日は遅出。相変わらず、お客さんがいっぱいきてありがたい限り・・よく寝たので店番もしんどくない。お客さんがとぎれた時に、山崎と諸々の打ち合わせを行う。わりと真面目に話しているつもりだが、げらげら笑ったりしてるので、傍目にはサボっているように見えるはずだ。dezain.net岡田さんの、わりと最近はじまった日記をチェック。キラーズ展を撮った、超ステキな写真がイイ!岡田さんの日記はめちゃくちゃ面白いです。意識してるのかどうかはわからないけど、なんつーか「今日の伊勢湾は大漁です」みたいな書き方だ。岡田さんにとって、デザインサイトめぐりは釣りかなにかなのか? 閉店作業を終えて、ちょっとした打ち合わせのために某ギャラリーに電話。いちおう丁寧語を使っているけどげらげら笑ったりしているので傍目にはサボっているように見えるはずだ。映像の話をしていたら、懐かしのケンチクナイトでお世話になったcocomadの元メンバーの名前が出てきたりして、京都の狭さを痛感。その後発注書を少し送ったりして22時。あああ、この数日でスフェラのウェブをリニューアルして本を6冊くらい読んで、コンフォルトの本文を書いて・・・とか先のことを考え、また軽くへこむ。 |
2004年 4月 5日 (日) 桂 |
いちおう今後のヴィジョンはあって、うまくいけば数ヶ月後は左うちわで、今の日記を見ながら「ああああのときぁ大変だったねえ」なんて山崎と語り合えればいいなと思う。とくに仕事を背負い込む体質ってわけではなくて、周りの状況を見て最もベストだと思われる行動を取ってきた結果、今の状況があるのだ。関わっているいろいろなことのうち、儲かる見込みがありそなとこを重点的にブラッシュアップして、システムをガッチリ作って、勝手にうまーくお金が回ってしまうようにしていきたいのです。)そのための努力を、まわりくど〜くやっているのが現状。こうやって業務日報を書くのも、そのための布石、という意味もあったり。だからある程度光が見えてきたら、やめます。商品ポップ作ったり、長いメールを書いて送ったり。そのあたり、だいたい出来たかな、という午後3時すぎからお客さんがひっきりなしに来る。無理矢理店番を抜けてリコルディに取扱説明書やらフライヤーやら商品サンプルやらを持っていって説明したり。店に立っているのは楽しいのだけど、結局事務作業や細かいデザイン作業は閉店後、ウェブをいじったり原稿を書くのは休みの日や遅出の日の前日深夜に限られる。作品集を店の床(!)に広げてサインをはじめたり、お客さんに英語でばりばり話しかけたり。アジトに戻ったら、み江さんからイラストが届いてました!ケンケン・チクチク用。で、出発直前に書き上げて関空から送ってくれたのが届いたのでした。きっと、そういうのを一度してみたかったに違いありません。昨日のウチに届いていた伊瀬関連商品を検品して陳列。キラーズ展、子どもが大喜びしてたり、若い子がベッドの上でゆっくりおしゃべりしたり、かなり好評。そのほか発注書つくったりメールを書いたりなんだかよくわからないうちに終電で帰る。家で『僕たちは編集しながら生きている』を読みつつ寝る。 |
2004年 4月 3日 (金) 桂 |
"雇われ店長"としての遠慮があったので避けていましたが、誤解されていることも多いような気がするし、いろいろと抱え込んでしまってしんどくなる。(山崎は約週3ちょっと)「好きな本に囲まれてるのっていいなあ」好きな本は流通の事情で入れるのが難しかったり、大して売れなかったり、お店の雰囲気にあわなかったりするので、あんまし置いていないです。このあたりの手間がかかる部分は、ほとんど山崎がやってくれてる。これも売上が立たない文化事業フロアを守るためのオプション仕事と捉え、率先してやっている。そこにでかい展覧会が始まったりすると、破裂しそうになる。そんな苦しみを分かち合う(?)ために、可能な範囲で書いていこうと思う。たぶんそれなりに興味深いものではないかと思うし。人がいっぱい来る、状況は人手を要しているのだが、疲れ果てていたので休んでしまった。全負担をしょってくれた山崎ありがとうゴメンナサイ。うわさによると某大物女優が来られたとか。バレエ留学してただけあって、英語でキラーズさんとコミュニケーションを取っていたとの話。自ら撮影した写真を使った映像と、音楽がリンク。驚いたのは、本棚のミニマルさ。エヌ実さん(建築系出版社勤務)と、同じ会社のエヌ井さん(我々にタカマスヨシコさんを紹介してくれた人)、この場所の設計をした柳原さん(大島哲蔵さんの弟子だった)などと会う。お店を運営してる石川さんが編集にかかわる、『ペナント・ジャパン』の色校を見せてもらったり、キラーズ展のDMを置かせてもらうという営業活動をしたり。で、11時すぎにスフェラに戻ったら、まだ山崎もイズミカワさんもキラーズさんも残っててビックリ。でも入れるのが下手で、あとでイズミカワさんが全部ふくらましなおしていた。そのほか届いた本を検品。忘れないうちに議事録作ったり、メールニュースを追加変更してバババっと送ったり。棚卸もエキシビションの準備も案外あっさりしたもので、主に伊瀬聖子作品上映@リコルディからみの調整を。機材がみつからずこまっていたけど、DVDプレーヤー本体を発見し、急に話が進む。機材のセッティングも、ビルでいちばん機械に強い人が長いコードをインターネットで発注してくれたので完璧。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2004年 3月 20日 (土) 桂 |
今日は、卒計展をひやかして来ました。引退したあとも部活にやってくるOBのように、毎年見に行っています。コンテンポラリーアート、写真、デザインなどの本を中心に、ギャラリー・カフェも付いたブックショップだそうです。惜しまれつつ閉店した大阪の某ブックショップの店員さんだった方々が始めるそうです。秋口にお二人でスフェラ・アーカイヴに遊びに来てくださったとき、本屋さんをやろうとしてる、という話を少しばかり伺っていましたが、こんな早く実現させるとは。そしてオープンまでのバタバタを公開する日記にのけぞりました。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2004年 3月 7日 (日) 桂 |
週刊じゃないほうのプレイボーイ(表紙・安藤忠雄)と、TITLEを新幹線のホームでまとめ買いし、最終ののぞみ車内でうなぎ弁当をあっためながらのけぞった。TITLEにミリメーターすごく大きく出てる!そしてスフェラ・ビル前のセブンイレブンでおにぎりといちごサンドといっしょに買ったBRUTUSには松川夫妻が……。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2004年 3月 5日 (金) 桂 |
2回目となる今回取り上げたのは磯崎新×福田和也「空間の行間」です。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2004年 2月 27日 (金) 桂 |
そんで、それぞれの本に対するコメント量がバラバラなのが、またナイス。というのも、雑誌なんかのライターをやっているとすっげぇしょっちゅうあるのが、「一物件について400字で、5つ紹介してください」とかキビシ〜クフォーマットを決められ、ほんとうに好きなものも、数あわせで選んじゃったものもおんなじように紹介するはめになるってパターン。こちらは、基本的なフォーマットは決まっているけど、分類や形式はめちゃくちゃゆるくて(そこがマズイんだよ!って怒る人もいそうだけど)そのせいか、文章の勢いは強いし、「これ、マジで好きなんだな」「正直この本あんまおもろなかったんやろな」といった想像もそこそこつく。紹介されてる書籍を網羅した素晴らしいコーナーと、相変わらずセンスばつぐんなポップが作られていて、関連書籍までいろいろ買いあさってしまい思うつぼである。一ヶ月に一冊、新刊を紹介するというペースは、ほんとうにありがたい。「面白く、かつ、我々のツボをつき、おまけにイラスト化しやすい建築本」という無茶苦茶な条件にちゃんと適合した本を紹介できてます。 |
2004年 2月 21日 (土) 桂 |
ベルリンに行きますって書いたっきりしばらく行方不明になってみました。フリーのための青色申告デビューガイドくびっぴきで勉強し、たり、いかにもソフトやさんのソフトって感じですが前述の書を読めば使えます';return true">やよいの青色申告も購入して入力したり入力しなおしたり、すでに100時間くらい費やしている気が。これまでさぼっていたツケもあってやることが結構いっぱい。もう一個はたかったので採用しましたが、フレームはやっぱり良くないなあと思いました。';return true">すへらってとこのウェブサイトを構築し直そうとしているのでした。こないだdezain.net岡田さんの導きで、造形大通信のスクーリングというもので講師をやって、本屋運営について語ったので、ついでにいろいろ説明を。まあ当たり前の話ですね。本屋でバイトすらしたことがないライター風情にいきなり本屋をまかせるわけがない。いろいろオプションつけてプレゼンしてなんとかありついた仕事でございます。空間や客層を見た感じではコテコテ建築書よりか、テイストになじむような、さわやかインテリア寄りのセレクトで知性の薫りただよう1コーナーがふさわしいっぽい。そのあたりの答えが見えないところでうまくバランスを取ってベターな回答を出していくのはけっこう得意なはずなのだが。そういうのが好きだからこそ建築設計を専攻したりウェブとおつきあいしたりしてるのだが。と、はきだしてみました。これまで敢えて避けてはいたのだけど、こういうウェブ日記の使い方もあるよなぁ。 |
2004年 1月 15日 (金) 桂 |
アムスでは建築に驚きたいです。あと古本を買ってきますたぶん。昔雑誌で見て興奮したミナエルト・ビルと、『Casa BRUTUS』の1月号で紹介記事を執筆したNLアーキテクツ設計のバスケットバー。これも昔雑誌で見て薫陶を受けた建物なので見てみたい。LANが入ってるホテルを予約してみました。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2004年 1月 1日 (金) 桂 |
きのうはぽむのアジトで年越しておりました。集まったのは・ぽむ二人・青年エイチ(京大大澤マサチ研・修論前なので余裕がないらしい)・ゲスト一名(ここは毎年変わるらしい)・キャット2匹(主人の奴は名古屋に帰ってしまったので取り残されたらしい)という「帰りそびれた人々」。鴨とクレソンのお鍋(去年から定番の、失楽園で食されていたメニュー。うまい)に赤ワインにカマンベールや生ハムのオードブルという無駄にエロな食べ物をつつく会でした。「あ、紅白もう終わっちゃうね」「年賀状の図案どうしようか」「あ、いつのまにか年があけてるじゃん」とか、「朝生は姜尚中出るの!?」「出る出る」「ヤター!!(喜ぶみ江)」とかそんな風に、つとめて平穏に年越しておりました。やがて年が明け、挨拶などが届く頃合いかとおもむろにメールをチェックしたところ京都の書店・三月書房さんが発行するメルマガ「三月書房販売速報」が目に入りました。おめでとうの言葉の一つもなく、おもむろに、「今年は8号しか発行できませんでした。」という閉塞感漂う一行からはじまり、「出版業界の景気は下降の一途で、この暮れにも、大明堂と青樹社の解散や芳林堂の池袋店売却が公表されましたが、自主解散される出版社や、自社ビルを売却して経営の立てなおしをはかられる書店のほうが、死んだも同然なのに倒産すらままならない多くの書店や出版社よりはまだましかもしれません。」「うちの店も今年はやや売上げが落ちました。」といった後ろ向きな、しかし興味深い内容に終始しておりました。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2003年 12月 14日 (月) 桂 |
昨日13日土曜日、ふたたび名古屋行ってきました。とくにコメダコーヒー、ここではじめて知りました。「てんこもりモーニング」「人々の気軽な社交場」といった名古屋の喫茶店文化を象徴する一大チェーン店で、名古屋中心とした東海地区に数百件、いまだ増殖中らしいです。椅子とテーブルまで借りて空間再現されており、なるほどふかふかした椅子と大きくも小さくもないテーブルは、何時間でも長居できそう。気になったので早速行ってみました。行ったのは中京競馬場のちかくのコメダ。おなかがすいていたので、わたしはカニグラタンとカプチーノ、み江さんはピザとウィンナコーヒーを注文。チーズがたんまり、クリームたんまり。そしてデザートに、得体の知れなさが気になった「シロノワール」というお菓子を注文。これまた盛況。「イエノカタチ shumai展」は、会場構成がすごかったです。小さな模型が100個くらい壁に据え付けられ、一つ一つ豆電球でライティングが施され、ホタルみたい。全部大須のパーツ屋さんとかで探してきたものを材料に、DIYで作ったという話です。初日・2日目までは、うまく動かなかったり、なんかが焦げる匂いがしたり、半田付けでヤケドしたりとかいろいろあったらしい。会期延長したらしいので、ぜひ見るといいです。最後に愛知淑徳大の清水先生が「ほかの都市は、ベンヤミンとか、小津安二郎とか、ステキにポエティックにほめてくれる人がいっぱいいるけど、名古屋はそれが不在だ」みたいなことを言ってたのが印象的です。 |
2003年 12月 7日 (月) 桂 |
ちょっと名古屋行ってきました。まず行きがけに、養老天命反転地に立ち寄りました。しかしここはデートスポットとして盛況な感じで、一乗寺けいぶん社にいそうなカップルで溢れていることに驚きました。しかし三時半すぎに明治村に着いたらもう閉園。というわけで行き場を失い、なぜか向かった先は中部大学。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2003年 12月 7日 (月) み江 |
愛と言語を探す旅に出ていました。(わりと本当)クリスマスシーズンに贈るバイオホラー『ホワイトデビル』===予告編===白い悪魔が猫を、そして人間を襲う!冬の出町柳に降りかかる生物兵器の恐怖!獣の本性が露になる……!?=========*映倫から*食事中の人は読まないほうがいいですその日はとある原稿の締切でした。私たちがふだんどうやって文章を書いているかを少しばらすと、たいがい、一方がおおざっぱに書き、他方が直し、また一方が直し、を繰り返すという方法でこらぼれーしょん(プします。そんでその日の深夜も、桂さんが原稿を書いている間み江さんはすることがないので、いつものようにキャットをつかまえて尻の穴を観察していました。とくにモカは排便がへたなのかわかりませんがいつもウンコがついていてくさいのです。ところがその日はウンコだけでなく、なんか小さな白いごみがくっついていました。」といって桂さんに見せました。」といって桂さんも笑いました。モカの動きに合わせて揺れるとかそういう感じではなく、自律した運動を行っているような気がしました。いや実際はごく小さいものなので、大した運動ではないのですが、まあそんな気がしたわけです。あまりよい種類ではない一つの予感がよぎりました。再度モカをひっとらえて尻の穴を食い入るように見ました。白いものの先端がひろひろと動いていました。み江「う わ あ あ あ あ あ あ あ」桂 「うるせえよ」み江「動いてるううううううううううううう」桂 「う わ あ あ あ あ あ あ あ」ムシです!ハラに棲むムシです!うじむしみたいなムシがモカの尻の穴から顔もしくは尾を出してひろひろ動いているのです!超こえええええええ!!!現場は大パニックになり、桂も私もなぜか友人知人に報告メールを出すなど意味のよくわからない行動をとり始めました。騒ぎで飼い主も部屋から出てきました。「エヌくううううううんモカがムシを飼ってるようううう」モカの尻を見たエヌ氏は言いました。結局、飼い主が翌日仕事に行く前に病院に連れて行くことになりましたが、キャットの異常に気づくことができたのはひとえにふだんからみ江さんが猫の尻の穴をよく見る習慣があったのと、競馬で鍛えた動体視力のおかげだと思うので、感謝状と副賞の一つもほしいと思います。翌日、迷惑なムシメールを送りつけられた一人である青年エイチ(大澤マサチ研)という人から来たおポンチな返事。 朝、いそいで読んだので「もかの」という部分に気づかず みえさんの尻から「白い細いもの」が出ていたのかと思って はっきりいってリアクションに困りました。 いやー「もか」の話でよかった。 |
2003年 11月 17日 (月) 桂 |
前日は1時間睡眠で車片道2時間の取材から戻るやいなやビルに直行し午前1時まで準備というスケジュールでしたが、気合いで開店1時間近く前にたどり着く。どうやら家を出るときどっかで引っかけてきたらしい。耳かきをたなびかせながら原付で疾走していていたらしい。2:めんどくさい書類を作ったけど全部捨てちゃったよ。会計報告書を作ったりという細かい作業もあります。で、会計報告書を作ってみたのですが、なぜか「このしごとは、やまさきがものすごくやりたい仕事に違いない」と思って、消去してしまいました。結果はもちろん、論文が佳境に入ってるやまさきに向けて余計な仕事を増やしただけでした。 |
2003年 11月 16日 (日) 桂 |
「ワラッテイイトモ、」上映会がおこなわれました。12時にはビルの外に、当日券待ちの列ができており、一回目、二回目あわせて100人くらいのお客さんが来てました。テレビは結局一台でしたが、50人というボリュームがひとつのテレビを見つめる光景はなかなか面白く、雰囲気が出ます。映像は、全部はちゃんと見られなかったんですが、とにかく編集が達者という印象。一回目と二回目で、ぜんぜんお客さんの反応が違うのが面白かったですね。二回とも上映後、k.k.さん五十嵐さんとお客さんとのディスカッションが行われてました。一回目は異常に白熱した議論が、二回目は和気藹々と製作技術などについて。IMIの学生さん、京都の二十代後半有象無象、基本的に、専門ではないけどどっかで映像にかかわってるみたいな人たちで、製作者同士の健全な交流。 |
2003年 11月 11日 (火) 桂 |
今日は早起きの予定があったので、知り合いに電話してもらうように頼んだ。しかしその方はその時刻に電車に乗ってたらしく、仕方なく私宛に携帯メールを入れたようだ。ようだ、と書いたのは、私がそれをまるで覚えてないからだ。後で起きれたかと聞かれたので、起きれなかったとこたえると、「え、でも返事くれたじゃん」といわれた。休まなきゃ! と思っていると、ちょうど時間が出来た。で、初心に帰って「インターネットでいろんなサイトを訪問する」ということをしてみた。あえて、ではなく、気づいたらなんとなく。この言葉、初めて入力した。しばらくアナログ中心の生活をしていたら、乗り遅れてしまった。ブックショップに一冊だけ入れた「ウェブログ入門」を買って読もうかなあ。今回は京都だったのでお呼びがかかったのです。と、とってつけたように書いてみます。さいきん上映情報掲示板みたいになってるので。 |
2003年 11月 7日 (金) 桂 |
「ワラッテイイトモ、」二回目上映もやることになり、受付を開始しました。あと立ち見席減らしました。でも出来たらテレビ二台くらい使って流したいねえ。 |
2003年 11月 4日 (火) 桂 |
スフェラ・ビルでやる『ワラッテイイトモ、』上映会が48時間経たず予約いっぱいになっちゃいました。 |
2003年 11月 3日 (月) 桂 |
夜は懇親会をたぶんやります。 |
2003年 10月 29日 (木) 桂 |
森美術館のこけら落とし展覧会のカタログに収録されるよていだったものが、「こんなネガティブな内容の作品は載せられない」と没にされ、ゲリラ的に雑誌掲載されている「マンガ・森ビル入門」。最初は『建築知識』連載だった「ケンチクふしぎ研究所」。今日は「大阪リノベーションツアー」に行って来ました。以下、その予定を組んで、同行者二名に送ったメール文と、解説。--------------みえさんやまさん明日の予定です・異議申し立てがあったらいってください。##ここの展覧会、行くたびに啓蒙されます。 | ー17:00ごろ 谷町六丁目駅まで徒歩5分ー天満橋直通 ##み江しごとのため脱落。 大阪市北区西天満2-8-1 大江ビルB1F##閉店しちゃう!んで行きました。 |
2003年 10月 21日 (水) 桂 |
先週末、北山をナイトクルージングしていたら(80年代調)忠雄の80's作品『B-LOCK北山』がこんなことに。これはこのお祭りに参加したひとが作ったものらしいです。巧すぎるので、ストリートを盛り上げるために業者さんが作ったのかと思っていました。77とか83とか番号がついたお化けが多いし、トラッキーもいたし。夏の思い出2右の人の夏の思い出〜一月ほどまえ、甲子園で阪神優勝決定の試合を見てやがりました。にわかファンですらない上に元・巨人ファンの関東人だとばれたらやばいと思ったのか、帽子とメガホンとタオルを出先で買い込んで擬態を行ったようでした。いずれも淀で買ったもよう。 |
2003年 10月 10日 (土) 桂 |
9月頭、み江とその予備校講師仲間と白浜に行きました。わたしが全行程を運転しました。白浜はスゴイところでした。まるで伊豆半島を江ノ島サイズに凝縮したようなポテンシャル。楽しかったです。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2003年 9月 22日 (月) 桂 |
ブックショップSferaArchiveのサイトをつくりました。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2003年 8月 27日 (木) 桂 |
わたしがブックショップをしたりしてるスフェラ・ビルというところの近くに、時を前後して(というかほとんど同時に)IDEE関西初出店であるところのIDEE experienceというのが出来たんですね。というのも、スフェラ・ビルに遊びに来てくれた時に、何年かぶりに東京に行き、とくにIDEEに行けたことが大変すばらしかったという話をすごくうれしそうにするのです。そしてIDEEですごく欲しい本があったのだけど、それを買えばよかったとかしきりに後悔するので、「三条にできたIDEEに行ってみたらあるかもよ?」と言ったら、ビックリして、少し困惑していました。「大阪の●●が閉店するらしいよ」とかレアなネタを教えてくれる情報通でありながら、なぜかIDEEの京都出店は知らなかったらしい。そしてそれは、ついにガンダーラに行くことができた、と思ったら「ガンダーラ支店、そこにあるよ。」という話を聞いてしまった状況なのである。上は極端な話ですが、京都に生きる人々には、わけもなく東京に対する距離が遠いひとが多く、京都はおろか堀江あたりの家具屋情報なんかもいくらでも知ってるのにIDEEのことを「いつかは行ってみたいガンダーラ」のような存在として認識してる人は潜在的に多いような気はします。 |
2003年 7月 30日 (木) 桂 |
東京に行ってきました。2:大団地展今回東京に行ったいちばんの目的。いや期待通りのステキ展覧会でした。3:プラダ青山店 いわずとしれた新名所。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2003年 7月 28日 (火) 桂 |
ちゃんと調べないでいったので、入れませんでした。 |
2003年 7月 27日 (月) 桂 |
品切れを予測して買い占めに走ったのです。案の定、京都の本屋をざくざくっと見た限りではあんまし残ってない。たぶん京都では一番沢山在庫を持ってるので、買いそびれた人はぜひいらっしゃいと思います。 |
2003年 7月 22日 (水) 桂 |
先代の建築家ドラマ『協奏曲』を学部生時代に見ていたわれわれとしては、じつに感慨深いです。なにしろ7年前の建築家像は「ミスター現実離れ」田村正和だったのが緒形直人に進化したわけです。近年の建築業界をすんごいわかりやすく書きおろした名著『建てずに死ねるか建築家住宅』に「建築家がコンビニに並ぶ時代」と書いてありましたが、いまや建築家は一般的に見てもずいぶん等身大なイメージになったのですね。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2003年 7月 17日 (金) 桂 |
ブックショップ、オープンしました。そのパーティーに五十嵐隊長がやってきて、ブックショップについて日記で詳しく紹介してくれました。新しくCKRあらためクラーソン・コイヴィスト・ルーネの手により生まれ変わったビルは、スフェラ・ビルという名前です。ワタシが作りました。わかりやすさとオサレ感を兼ね備えた優良サイト(のつもり)ですが、ただの紹介サイトなんで別に見ても面白くありません今のところ。「スフェラ・ブックス」か「スフェラ・アーカイヴ」のどっちかから選べと言われ、何となくアーカイヴを選んでしまったのです。単体のお店だったらこれでもいいけど、複合店舗だとお客さんが本屋さんの存在に気づかない。これは失敗しました。担当編集さんが直感で考えたフレーズですが、実に言い得て妙。我々の仕事は、本を選んだり、仕入れたりして、それを売るのがメインですが、ギャラリーの監視も仕事。白い壁についた足跡を消すのも仕事。本の仕入れについては、かなりの裁量権は与えられてますが、それでも多少ビルのコンセプトに合わせた雰囲気のショップにすることも必要。その経緯は、まあ以前にも書いたと思いますが、たちも勉強になったな。氏の遺稿集『スクウォッター』はスフェラ・アーカイヴでも買えますぞ';return true">大島哲蔵さんやるはずだったのが亡くなってしまい、それで話が降ってきたというものです。正式にブックショップをやるってことに決定したのが二月、それから俄勉強で本の仕入れを勉強して、無理矢理本屋さんの体裁を作ったけど、まあ、まだまだかな。だから少ないリスクで、たくさんの本でお店を埋め尽くすことができるのです。なぜならば、そこを介して本を仕入れる契約をもらうためには多額の保証金を詰まないといけないのです。時によってはさんざんイヤミを言われたりするという具合です。)だから慎重に、腐らないクオリティを持った本を、少しずつ少しずつ入れてるわけであります。この辺は、いろんなウェブを見たり(プロジェットの店長さんや、INAXの本屋さん、学芸出版社のカリスマ販売部社員さんの話が特に参考になった)あるいは永江朗さんの本を読んだり、三月書房のメルマガやらで知識を得たものです。棚を構成したりするのはすごく面白いですね。階段を上がってきたらいきなりコールハースの「S,M,L,XL」が見える(つかみ)。雑誌(特にブルータス)の古本・バックナンバーを厳選して入れたりとか、結構工夫してやってます。雑誌はある期間が終わったら書店から消えちゃうので、その辺を逆利用しているのです。料理コーナーではBRUTUSの野菜特集(版元品切れ、ギリギリで入れられました)を置いたりとか。東京で仕入れた新古書や古本と、目利きの方々にセレクトしていただいたヒップなデザインブックがまぜこぜカオス。何回か平台の配置替えとかしたけど、もうちょっと棚が欲しいところですね。CKRあらためクラーソン・コイヴィスト・ルーネさん謹製の巨大一人用ソファを独占すればなかなかいい気分。 ビルが意外に見つけづらいとか、見つかっても雰囲気的に入りづらいとか、入ったところでどこがブックショップかわからないとか二重三重に敷居の高い、無駄に隠れ家感のあるお店ですが、それでもなおかつ訪れようという猛者は歓迎いたします。 |
2003年 6月 11日 (水) 桂 |
『x-knowledge HOME』7月号ミース特集に、「これがガラス建築の名作だ」という文章を寄稿しました。王道なテーマで何か書けと言われたのは初めてのこと。CKRのウーラさんにポラで写真を撮ってもらい、ビルの見どころを説明してもらいました。でもオープン6/20と書いてしまいましたが、延期になりました。あとルイ・ヴィトン建築展の記念撮影もビックリした。白夜書房から出た『トーキョー・ダイニング』という、クリエータたちのキッチンを紹介してる本に、「まんがにおけるダイニング」として一ページコラムを執筆しています。ではまた。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2003年 6月 2日 (月) 桂 |
また東京にいます。そんなわけで東京にいるのですが、何をしに来たかというと、本の取引上行かなくてはならないトコがあったのです。あとは挨拶したり。しかし大概ふらふらしてました。昨日夜は一緒に来てた山崎に連れられて、彼のゆかいなテンプラ屋仲間とか、ミリメーターとか、wtnvさんなんかと新宿のいなたいお店で飲んでました。あれに比べると巷のリサイクル/デザイン系プロジェクトは全て屁みたいにみえます。た';return true">tnプローブのあるハナエモリビルに行けばモリハナエ(本物)に出くわすし、新宿では2晩れんぞく早稲田の学生の雄叫びを聞くし、東京はステキです。本屋で売るための古本とかバーゲン本も買いましたよ。新刊書が結構キチンとした建築/デザイン書籍中心になるので、ちょっとしたスパイスにしようかなと。でも関西では珍しいブルータスとか東京人のバックナンバーをうっかり多量に買っちまった。 |
2003年 5月 24日 (日) 桂 |
ダ・カーポのインタビューを受け、建築ブームについての感想を求められました。「一般誌で、建築を扱う各雑誌の位置づけ」「安藤さん以外にも覚えておくべき建築家」などを聞かれ、思いつくままに答えたもの。その場で考えて答えたので、本当に直感的な感じなのだけど。BRUTUSの本屋さん特集に感銘を受けました。図書館みたいです。今月は1万円以上つかいました。喫茶コーナーではお茶を頼まないでも、買う前の本を読ませてくれるのでありがたいです。私が運営する本屋さんも6/20あたりにオープンする予定。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2003年 4月 27日 (日) 桂 |
そして六本木ヒルズへオープン翌日に行くというおめでたいマネをしています。昨日この方がデザインしたという八百長バーに寄ったところ、世界都市展の打ち上げをやっており、乱入させてもらってしまいました。田中浩也ちゃんなど関係者多数の場に居合わせたせいで、本編より長い予告編を見たような状態になり、世界都市展を見に行かないわけにゃ行きません。五十嵐隊長は相変わらず清々しかったです。今日は「たかがバロウズ本。」刊行記念講演会後飲み会に潜入してきました。なんかパーティーピープルみたいなことをしてますが、ブックショップ広報活動。なんか参加者は数字に強そうなかんじの人が多くて、おどろくほど女子が少なかったです。山形さんは相変わらず清々しかったです。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2003年 4月 23日 (水) 桂 |
我々はこの春、ひそかに非常勤講師デビューしました。学生さんは、我々が投げかけた「知ってる建築家の名前を全部書いてください」とか「好きな建築家は誰ですか」とか「お気に入りの場所を教えてください」といったヘタレアンケートに真剣に回答してくれて、とてもありがたいです。たまに「ザハディド」とステキな省略をする方も。「京都六大学卒業設計展」の今年のパンフレットでも、好きな建築家アンケート結果が出ていたので集計してみました。1.ジャン・ヌヴェル 6票1.アルヴァロ・シザ 6票2.ガウディ 4票3.スカルパ 3票4.藤井厚二、青木淳、スティーブン・ホール、ヘルツォーク&ド・ムーロン、原広司、ザハ・ハディド、スヴェレ・フェーン 2票首都圏で同じようなアンケートを取ったとて、ガウディましてや藤井厚二が出ることはないだろうな。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2003年 4月 10日 (木) 桂 |
」と「「一度は行きたい」建築定番ツアー決定版!!」という記事を書きました。「「一度は行きたい」建築定番ツアー決定版!!」には、み江画伯によるステキイラストも載っているので、是非見てください。実は我々イタリアに行ったことがないので、「「一度は行きたい」建築定番ツアー決定版!!」についてはイタリア留学経験のある建築家の松本正さんに変な建築とか見るべき建築とか多数教えて貰ったり、学生時代にイタリア建築めぐりを経験している友達に資料を貸してもらい、入れ知恵でなんとかしました。」は、さらにわからなかったので、物知りでサッカーが好きなビハインドザマスク氏のおうちに深夜おじゃましました。イタリアで行われた十年以上前のワールドカップの映像を見せて貰い「デルピエロがこんなスタジアムいやだ、観客とピッチが遠く臨場感が無いと言っていた」等細かいネタを教えてもらうことでなんとかしました。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2003年 4月 5日 (土) 桂 |
『スタジオボイス』特集・東京デザイン計画2003に「誰でもできる都市計画」という記事を書きました。今回は、いろんな事情により、図の下書きをイラレとかいうソフトで作りました。納品した時点では、もの凄ください図でしたが、でざいなーさんの手直しによっておされに変身してます。ああでももっと取り上げる図を減らせば良かったかなあ。この特集では、いろんなクリエイターさんが勝手に東京を都市デザインしたオリジナルのイメージが豪華に並んでます。表紙はクラインダイサムさんの描いたバブル。企画をもらった段階では、我々もこれらに並ぶはずだったのだが、無理だ出来ないと言って全然別の内容を提案し、二色刷の地味なコーナーで「ほめ殺し」の建築三酔人さんに並べてもらいました。それは本当に良かった。危ないところであった。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2003年 4月 5日 (土) み江 |
そういや自動車学校で「ぽむ企画を知っている」というけんちく学生さんに会いました。京都工繊大2回生のツツミ君ぽむの右がすっぴん寝巻で寮のソファに寝そべってちんすこうボリボリ食ってハナクソほじくってだっるそう〜にカーサブルータス5月号のラフを描いていたのを目撃したことは黙っているように。【復活】まけ日記【言い訳集】3月16日 回収率0%待ちに待った1ヶ月ぶりの競馬場でしたが、ハナ差で万馬券逃したりとか新しい買い方を試したら裏目に出たりとか、ろくでもない仕打ちをたくさん受けました。3月23日 回収率270%ぐらい今日は15番人気3着を当てました。前走も悪くないしパドックでも元気いっぱいの成長著しいヤングなのに、騎手が地味・育ちが地味・勝ち方が地味の3大ジーマミーで不当に人気が低いと思ったので買いました。そこでふと思ったのだがこれはアイドルオタクが「デビューから目を付けていたけど売れちゃったからもういいや」とか言ってるのに少し似ている。ちなみにわれわれの古い知人であるアイドルオタクK君に昔聞いた話では、スピリッツのグラビアに登場したアイドルはすでに売れてしまったとみなすらしいです。3月30日 回収率10%ぐらいほどよく気合いが乗っており馬体も良好でしたが稽古が軽すぎました。4月5日 回収率−−今日は寒いので競馬に行きませんでした。そのかわりモー娘のバカ女決定戦(国数英社理のテストを実施して成績順位を出すというゆかいな企画)を見て、2着安田・最下位辻を当てたので満足です。 |
2003年 4月 2日 (水) み江 |
いつのまにか京都に戻りました。ちゅらさん総集編を見て10ぺんぐらい泣きながら沖縄の暖かい風やえたいのしれない色とりどりの花や、白砂の上の巨大ドブネズミなどを懐かしんでいます。世の中にはあんな美しく快適な土地があるというのになぜ私はわざわざこんな納戸みたいな湿っぽい盆地に住んでいるのでしょうか。免許ですがむりやり卒検合格して帰りました。おおかたの予想どおり第2段階もみきわめがちっとももらえず、超過料金を半月分の馬券代ぐらい支払いましたが、私は悪くないので親の育てかたが悪いのだと思います。シミュレーターでは人を3人轢き殺し、教官には認知→判断→操作のうち認知と判断が全然ないと言われ、あまりのダメさにとうとう校長先生が自らとくべつ補習をつけてくれました。左の人が「デルタで落ちた女」であるのと同様み江さんも「糸満で校長にダメ出しされた女」として生きていかねばなりません。だいたいが免許を持ってない歩行者はドキュンな動きをして迷惑なので、普通免許なんか義務教育で中3全員に強制的に取らせればいいと思います。(てめえが言うな)左の人は「沖縄で取った免許なんかなめ猫の免許、京都で使えるわけがない」と言ってばかにしますがたぶん正しいです。私は路上教習で「交差点を曲がろうとしたところ歩行者が渡り始めたので横断歩道の手前で停止する」というごくアタリマエの練習をいっぺんもしたことがありません。なぜならば歩行者がやってきたためしがないからです。《教習所の思い出》ある日女子寮で宴会をして酔っぱらって夜の教習コースに侵入して遊ぼうとしました。するとぽつんと灯のともった一室で数名の教官が三線の練習会をしていました。先生缶けりしていいですかーと聞きましたところああいいよーと言いました。それで先生たちは生徒が大型二輪にまたがって泡盛飲んだりとか、S字クランクを自転車で疾走したりするのを意に介するでもなく、一緒におしゃべりをして遊んでいました。この人たちは長生きをすると思いました。 |
2003年 3月 25日 (水) 桂 |
山崎について知りたい場合はこのようにぽむ日記を検索すると良いな。確定申告の際に私が集めた書籍レシートおよそ10万円相当を見て「そんなに本買ってもったいない」と言い放つ生き物です。そんなみ江が去年自腹で買った本はマンガと競馬本と参考書を抜いたら『ハリー・ポッター』だけだそうです。『リコルディ』は辻村久信設計で1996年オープンしたもの。日経アーキテクチュアのインテリア'96(だったかな?)の表紙になるほどですから、居心地が悪すぎて逆に気持ちいいってくらい、極端にフォトジェニックなところです。われわれもけんちくの同級生数人で出かけことがありますが、けんちく学生が勝負デートに使うなど、何か(て何だ?)を象徴するような愉快な場所でした。わたしが愛してやまぬお店の一つです。食器にもやったらめったら気合いの入ってるお店で、西堀さんと共同開発(!)したオリジナルとか、イタリア直輸入のピッカピカグラスとかが出てくるのです。そういうのを折角集めたんだからみんなに分けて(売って)あげよう!という商い事情により、今度ショップとかギャラリーとか、いろいろ入れた複合ビルにしようとしているのですね。ホントはそこを担当するのは故・大島氏だったんですけども、代わりにやることになったのです。そういうのを避けるために、いろんな目利きに本を選んで貰って、逆に私が教えてもらおうかなあと思いました。‘○○さんの選んだ10冊’みたいなコーナーを常駐させるのです。さて、この岡田さん、今日山崎とした打ち合わせで、こんなことを言っていたそうです。「『Casa BRUTUS』って、全然‘Casa’のことを扱わなくなっちゃったよね」(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2003年 3月 3日 (火) み江 |
すでに車の運転に飽きたみ江さんです。(写真はあとで)あとはいつもデザートとかおかずをサービスしてくれる喫茶店とか飲み屋とか、町のめし屋ていう感じのとこばっかでよいのですが、さすがに飽きてきたので自炊がふえました。ソーキを買ってきて煮て食ったりしています。さて各地には郷土料理というのがあって、もちろんそれらを食べることは重要なわけですが、喜んで食っているだけではシロウトで、やはり都市探訪のプロ(いつプロになった)としては、それらがどの程度本物の名物なのかを見極めることが肝心です。半月かそこらいるだけで知ったようなことは言えませんが、沖縄名物として知られているものはほぼ本物確実と思います。たとえば沖縄そばは東京におけるそばぐらい文化だと思います。食堂にたいがい置いています。ちなみに焼きそばというと沖縄そばを炒めたやつが出てきます。 |
2003年 3月 1日 (日) み江 |
唐突ですけど向こう2年ぐらいの目標ができました。「姜尚中とプライベートでお食事をする」仮免むりやり合格しました。なんかいつまでたっても第一段階のみきわめがもらえなくて結構乗りましたが私は悪くないので教官が悪いのだと思います。生徒にあだなをつけられたりしてみ江さんにおける予備校程度には楽しそうに仕事をしているように見えます。さっそく路上に出てさとうきび畑の中を走ったりしています。これが京都なんかで路上に出ようものならさっそくおびただしい数の市バスとタクシーと路駐と高校生チャリの群れを縫って走らねばならないのですねざまをご覧ください。ざまあみろとか言うとまたバチが当たるので敬語で言ってみました。自分の音楽というやつを追求したい気持ちもわからんでもないですが餅は餅屋といいます。他人のつくったすごくいい歌を歌うほうがりこうな場合も多いと思います。今どきのわかものがよくカバー曲を歌ったりしているのは考え方が堅実なためそういうことに早くから気づいているからという気がします。一口メモ:スーパーでも豚肉はかたまりで売っている。 |
2003年 2月 25日 (火) 桂 |
しかし原因がたくさんありすぎてどれのアレルギーなのかわからない。(原因として考えられるモノ:花粉/アトピー体質/キャット/食生活/部屋が汚い)まぶやーも落ちるらしいしアレルギーも治るのではないかと沖縄行きを企んでいたのですが、3月の沖縄はけっこう高いのであきらめました。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2003年 2月 24日 (月) み江 |
今日気になった一言「今の競馬はメガネ不足だと思う」おかげさまで具合は少しずつよくなってきました。わたしの熱が下がった瞬間こんどは同室の女の子が熱出して倒れましたので、憑いていた何かが移動したのだと思います。音楽と図工だけ元気になるあほな小学生みたいです。小学生ついでに寮の女の子とTSUTAYAでたのお気に入りはどのライダー?';return true">仮面ライダー龍騎を借りてきて見ています。各タイプのハンサム君が13人も出てくるお母さんたちに大人気の番組です。教習のほうは3D空間認識能力がまるでないことがばれ注意されたら口ごたえしないと気がすまないことがばれ(略一口メモ:沖縄では「さんぴん茶」(ジャスミンティー)がメジャー。 |
2003年 2月 21日 (金) み江 |
4日経ちましたがいっこうに熱と咳と頭痛のオンパレードがやみません。いよいよたらどうするか';return true">まぶやーを落としたのではないかと思います。まぶやーはびっくりしたりショックを受けたりした場所に落とすらしいので、私のまぶやーはかなりの確率で競馬場に落ちていると思います。体から抜け落ちたまぶやーはその人の姿になってうろうろしたりもするらしいですから、この週末に淀や仁川で馬券を握りしめたみ江さんを見かけたらご一報ください。教習のほうは自分の非を認めないことがばれ脳のメモリが少ないことがばれ、スーパーマリオの最初のカメをよけられないぐらい機械の操作がへたなことがばれ、すべてを最短距離で進めようとする性格まで一瞬で教官にばれ、自分の弱点がつぎつぎ顕わになって鬱になってきました。 |
2003年 2月 18日 (火) み江 |
ふつうに考えれば原因は環境の急激な変化だとか虚弱体質だとか、私の抜けたぶんの仕事までを一生懸命やってくれている京都の人々に対しザマアミロおしりペンペーンなどと暴言を放ったバチが当たったとかなのだと思いますが、ここは沖縄です。もしかして「何か」に取り憑かれたのかもしれません。私は超常現象とかからはもっとも遠いところにいる超絶世俗体質だと思いますから、そんなものはいまだかつて見たことも食ったこともありませんが、話を聞く限り内地よりたくさんいます。彼女も沖縄に来てからだと言ってました。(以前住んでいた名古屋ではなかったらしい。さすが超絶世俗都市ナゴヤ)そういや河井敏明さんという人も沖縄南部にワークショップに行ったら学生が「見た」って話をしてました。どうやら一人になってふっと気を抜いたりするときに取り憑かれるらしいので、それ以来トイレに行くときは「まぶやーまぶやー」と唱えることにしていますが、すでに取り憑かれてしまったのであれば意味のないことです。という話を別の女の子にしたところ「あー大丈夫だよ。ここの寮にはいないらしいから」と言われました。なんでも以前にいた「見える」2人組がそう言っていたらしいのです。もっと空間とかを超越して「出る」もんかと思ってたけど場所に憑くのか。ていうか「見える」人ってそんなにたくさんいたのか。 |
2003年 2月 17日 (月) み江 |
目の前が海で、いつも湿った暖かい風が吹いています。今日はよく晴れて初夏みたいでした。きのうから車に乗り始めました。たのしいです。ギアチェンジはあんまり問題ないと思いますがハンドル操作がへたくそで、強引に動かすと(車に)嫌われるさーとか、(車の)行きたがってる方に手を貸してやりなさいねーとか、哲学的なことをいっぱい言われます。こんなアナーキーなことでいいんだろうかとも思いますが、吉田寮より100倍整頓されているしまともな秩序が保たれています。滞在期間は長くて一ヶ月という入れ替わりの激しいところなのに、集住の枠組みみたいなものは短いスパンでけっこう継承されるものだなと変なところで感心します。それよか東京から来た女子大生3人組がこの寮を見てカルチャーショックを受けたと言っていたことに軽いカルチャーショックを受けました。自主管理とかその手合いはふつうそれほどお目にかかれる空間ではないことをうっかり忘れていた。 |
2003年 2月 15日 (土) 桂 |
だからこれからしばらく、ここみたいに遠距離でまったく関係ないそれぞれの興味分野を書く日記にしようかな。しかし、合宿免許といったら一ヶ月近くかかりますが、われわれはこれまでそんなに長い間離ればなれであったことが無いのです。=怒濤の打ち合わせ5連チャン=12日の水曜日、東京に行きました。プロの方でさえ怒濤だという打ち合わせ5連チャンをどシロウトのワタシがなぜする羽目になったのかは謎。こっちから頼んで会ってるのが半分だからプロの方みたいに売れっ子てわけではない。明け方新宿に着き、歌舞伎町のまんが喫茶で準備しつつぐだぐだした後、山崎と合流してリベキン展を見物。リベキンはカッコイイけどiccのたてものは苦手です。「フツウだけどディティールは鬼のように詰めた」という空間は、なんか窒息しそうになるのです。くだんのひみつ進行中プロジェクトのため。なんつうか後に余韻が残るステキな方でした。このあたりに行くと聞こえてくる噂通りに本当にピアスしてるし本当にイエーって言います。または京大のサークルに一人はいるキャラという説も。へろへろになりました。 |
2003年 2月 15日 (土) み江 |
(本当)そうです前から言ってた「沖縄行って合宿で車の免許を取る」を鋭意実践中なのでありますまはははは!み江さんが有言不実行ばかりと思ったらおおまちがいだたまには有言実行もするのだざまをみろ。2月に入ってからというもの例年どおり寒さおよび寒さによるストレスで体じゅうボロボロになってきましたから、南の島で健康をよみがえらせたいと思います。なにしろここではジーンズの下に分厚いウールのタイツを2枚重ねではいたままストーブに張り付かなくても平気なのです。そういえば沖縄は平均寿命も日本一長いけど県民所得も日本一低かったような記憶がありますがたぶん気のせいです。 |
2003年 2月 4日 (火) み江 |
さいきん初めて会った人。( )内は私がかんがえたあだ名です。●松本正さん(いたこ)建築家、元F.O.B.A。事務所に遊びに行きました。元うどん工場だかトウフ工場だかをリノベした建物です。お寿司を取ってくれましたが6人いるのに注文したのは4人前だけ、そんで食べる権利を一種類ずつじゃんけんで奪い合う「すしじゃんけん」でもてなしてくれました。FOBAはああいう白いオシャレハウスとかも作っていますが話を聞く限り事務所は大学の探検部みたいなところではないかと思います。去年工繊大の先生になって京都に来たばかりです。有益な情報サイトとなって社会に還元されるわけですから犬のクソより役に立たんてめえらの研究なんかよりよほど正しい税金の使われ方です。えいぞうの名言「ぼくはデザインしか知らないからなあオタクだから」カッケエ!超カッケエ!いつか言ってみたいがしかし10ぺん生まれ変わらないと無理。●橋爪紳也さん(ミキティ)今をときめく大阪のたい';return true">まち学者。いちおうと言ったのは私が自信持って歴史研を出ましたといえるような学生ではなかったからでありむろん橋爪さんの責任ではありません。祇園のおばんざい屋に連れてっていただきました。たぶんほとんどの人が想像するとおりのおもしろい方でした。生まれは大阪の街なかの塗装屋(たしか)というあたりがひきょうです。営業の仕方とか偉くなり方とかいろいろためになることを教わりました。 |
2003年 2月 3日 (月) 桂 |
こんなに間をあけたのははじめてです。仕事が増えたというのもあるけど、今ちょっと転機にさしかかっているのです。今ほんとうにしんどいので、せめて将来偉い人になったら若い頃の苦労話として蕩々と語ろうと思っています(妄想)。テーマは偉くなった私(妄想)がしげしげとながめて「こんな〜時代も〜あ〜ったねと〜」と口ずさむ日記です。1/24 名古屋ツアー用のステキな旗以前お話していたように、FLATという名古屋の建築学生グループに呼んで貰って、「ぽむと行く名古屋けんちくツアー」してきました。でもFLATのみなさんの仕切りがすばらしかったので、何とか乗り切れました。用意されていた質問に答える「ぽむ記者会見」をされていた時に五十嵐隊長があらわれました。このとおりすばらしい建築で、いたれりつくせり。(ただし建物全体がオモロイのであって部屋等はフツウだから建築の人しか喜ばないな)1/25 名古屋ー東京名古屋2日目。見学した建物一つ一つについて参加者と一緒にツッコミを入れたりしつつ、ゆるゆると都市・名古屋を見つめ直しました。他都市でもやってみたいと思いました。後でスライドショーを見ると、どの写真も道ばたのチャリ群とかへんな標識とかが入っていて、カッコいいルイ・ヴィトン名古屋の建物とものすごいコントラストのお笑い写真になってしまっています。ルイ・ヴィトンの日本初の路面店が名古屋に建てられたのは、一番そういうスタイルを保つ上で難しい都市だから、という理由によるそうです。どんな場所でも成立するガラスモアレファサードを作ったのは上手といわざるおえません。・オアシス名古屋の地下街はゆうめいですが、寒い時はみんな暖かい地下に潜って外は閑散としてしまうとは知りませんでした。名古屋人は地底人だったのです。賛否両論あるらしいですが、屋上のふきさらし空中庭園で少なからぬ若きカポォが愛を語らっていたのでまず安心です。上の広いスペースに何にも機能が無いと、はじめは良くても後々ちょっとつらいような気がしました。地元でこれまでの経緯を見てきた建築の先生も、今後の廃墟化を心配しておりました。み江が名前をつけました。名古屋のそれは新宿あたりのそれより住環境が充実していて、緑に囲まれていて、なんとなくほのぼのとして村っぽいです。公園は子供の遊び場や悪い奴らのたまり場ではなくヴィレッジのためにあるそうです。でもとっても会場が寒かったので、ちょっと中座して、クラインダイサムさんのバー「super Delax」に隊長と菅野さん、日埜さんらとともに行きました。あっさりした雰囲気で秘密っぽくて、誰かが「東京に来たばかりの田舎者のスノビズムをくすぐるような空間」と言ってたような気がします。(さいきん脳の許容値を超える情報と義務がガンガン入ってくるせいで誰が言ったか忘れた)戻ってもまた寒かったので、ほどなくしてyucoさん中村謙太郎さんとラーメン屋に。戻って田中浩也さんの超カッコイイサックスが六本木の町並みを背景に繰り広げられたspacetimedesignsを見て、帰れればいいのに実家が遠いという理由で、渋谷のカラオケボックスで始発が動くまで時間をつぶす。ちなみに1番目は小学校の時のオリエンテーリング(豪雨のなか、はぐれて迷子)2番目は中学校の部活(超体育会系ソフト部で炎天下を300mダッシュ10本)壊れた無印の安い鞄超重いを抱えつつ、東京来たらホテルに泊まれるくらい偉くなることを心に誓う。六本木の町並みを背景に繰り広げられたspacetimedesigns1/26 実家で泥のように眠る。だいたい書き上げて2時間寝て起きて出かけて(でも遅刻)資生堂パーラー☆☆☆で打ち合わせ。少し偉くなった気分になる。ペアシートはかなり個室っぽくて、とりあえずわれわれにはぴったりの空間でいいあんばい。行き先に迷い、ホテルのボーイさんに連れて行って貰った上、鞄(ごろごろの付いていないノーパソや本や着替えの詰まった最悪の代物)まで持ってもらってかなり偉くなった気分になる。諸事情あって新幹線で仕事の電話やメールをたくさん。新幹線用に買った雑誌はダイヤモンドZai。1/30 資料用マンガを探しに行くためにみ江と京都精華大学マンガ図書館へ。精華大学マンガ図書館その後アートアンドクラフトの中谷さんのご好意で橋爪紳也さんと祇園の不思議な店で「おばんざい食べ放題」という豪華なのかつましいのかわからないコースをいただく。2/1 バイトに行き、終わった後髪を切りに行って、本屋で動けなくなる(寒さで)。2/2 いっぱい寝た後、バイトに行き、終わったあと山さきと打ち合わせ。こないだデザインネットの岡田さんと行った飲み屋さんのチェーン店であった。北山というのはバブルの時代に京都にも自由が丘っていうか青山っていうかそんな感じの街を作ろうという動きによって作られた、オモシロけんちくが通りにいっぱいあるおかしな街です。基本的には雑貨屋さんとスーツ屋さんしかないので学生とフリーターとヤンキーしかいない京都では没落する一方というマーケティングに完ぺきに失敗した謎タウンです。そんなところに何で行くのかというと、BEAMSが都会に退去した後に入ったヴィレッジヴァンガードがあるからです。でもかなり遠慮してくれていたよな気もします。 |
2003年 2月 3日 (月) み江 |
2月1日 回収率 100%ちょい勝ったときの日記が負けたときより短いのは、単に他人の負け話は楽しいけど勝った自慢なんかうざいからに決まっているのですが、でもたまにはいいじゃん頼むから自慢させていばらせて語らせて〜。そこで理由を考えてみました。競馬をちゃんと見始めて3ヶ月、馬選びもけっこう上達したんじゃないかと思いますがたぶん自分向きの買い方を発見したというのも大きい。ワイドだから当たると2つ取れる。「しみったれた買い方をすな、オトコは三連複」とか言ってる人は一生JRAの売上に貢献しててください勝った者の勝ちだバーイ剛田剛。2月2日 回収率 279%左の人がたいへんなことになっていますが私も今日それとは無関係に辛いのです。しかしどんなに辛くても悲しくてもターフに朝はやってきて、今日も幾百の馬とホースマンが二度とはない勝負を始める、だからどんだけ涙で競馬ブックが曇ろうと、歯を食いしばっても這いずってでも行って死闘の行方を見届ける、それがファンの務めというものではないですか違いますか!競馬好きならわかるだろうこの気持ち!!書いてて泣けてきた。 |
2003年 1月 22日 (水) 桂 |
いやあ直った直ったcgi。AA良かった。 |
2003年 1月 22日 (水) み江 |
●リクルート住宅情報の別冊『都心に住む』に、「5分でわかる建築家」という記事を書かせていただきました。残念ながら首都圏でしか売ってないので気のきいた東京みやげとして一冊どうぞ。●1月25日土曜日、六本木THINK ZONE(ぞぬ)にてたぞ';return true">sparks cafe*というイベントがオールナイトで行われます。簡単にいうと建築と映像のイベントであり、つまりたけどな';return true">【ケンチクナイト】のようなものです。ケンチクナイトに出てくれた田中浩也ちゃんとかゼロスタの松川くんとかも出ます。(しつこい)ぽむ企画はイベント自体にはタッチしていませんが、パンフレットに文章を書かせてもらいました。ということでした。 |
2003年 1月 21日 (火) み江 |
【さあ今年も】 まけ日記 【負け初め】1月5日 回収率 15%なんか競馬の世界では一年の計は金杯にありとか言うそうですが正月から大凶を引いて犬に噛まれた気分です。しかも今日はモスクワのように寒くて(いや行ったことないけど)、見てのとおりわたしはかなり競馬が好きですが、初めて「寒さによるつらさ」が「競馬による楽しさ」を大幅に上回り、帰るころには体温がトカゲ並みに下がってマジで悲惨でした。大凶を引いて犬に噛まれたうえにバナナの皮で滑り今どき探すほうが難しいドブというやつに落ちた気分です。手ぶらで帰るのもしょぼいので、淀の商店街でコロッケを10個買って帰りました。【スランプ脱出?】 かち日記 【確変中?】1月12日 回収率 約200%神様が降りてきて気持ちよく勝ちました。やけに馬がよく見えました。換肉して帰りました。1月19日 回収率 326%今日も神が降臨しました。今日はちょっといい鶏に換えてみました。 |
2003年 1月 20日 (月) み江 |
あけました。昨年中は仕事をくれたりケンチクナイトでこき使われてくれたり楽しくあそんでくれたりいろいろお世話になって本当に感謝しています。【み江さんの新年のすごしかた】左の人改めミカさんに倣って下線をつけてみました。●例年どおり京都で年を越しました。ミカさんが詳しく書きましたので付け足し程度にしておきますが、今年の面子は、京大高松伸けんきうしつの男子学部生と京大大澤真幸けんきうしつの男子院生というすーぱーえりーと君たちです。京都からうっかり逃げ遅れたところをぽむに捕えられたのではなくこの日のためにわざわざ集まってくれたにちがいないのです。めんどくさいので7日になってからようやく行きましたが、しかも一人でこそこそ行きましたが、自宅から徒歩3分なので庭同然です。めったに行きゃあしませんが、しかもそのほとんどは近道としてチャリで素通りするだけですが、鬱蒼とした糺の森は都市の喧噪から逃れて思索できるとってもステキな散策スポットです。●2日以降は毎日ハタチ前後のヤングに囲まれてにぎやかに過ごしました。つまり毎日予備校の冬期講習でした。仕事始めはちょっと景気のいいことをしようと思い、講師仲間(といっても2人)と相談して、ふだんとちょっとちがう格好で授業をしようということになりました。み江さんは「昭和の女教師」をテーマに、先日ヤフオクで1200円で買った古着スーツを着てメガネも髪型もレトロっぽく完璧に作り込んでいったところ「何や先生。北朝鮮のアナウンサーみたいやな。」と言って爆笑されました。しかし今年の正月は宇宙食名古屋食でした。というのも「名古屋人のうた」で愛郷心をかきたてられたらしい名古屋人どもがものすごい勢いで地元の物産を買ってきたのです。皮薄めの酒饅頭で、一見ふつうの身なりをしているのですが、「数日たって固くなったら油で揚げて、またバター焼きにしてもおいしく召し上がれます」(うろおぼえ)箱に書いてあることがふつうではない。おそらく饅頭をそのまま食べるだけではクリエイティビティを満たすことはできないにちがいないのです。いちおう彼らの名誉のために言っておくと、バターで焼いた奈屋橋まんじゅうは思いがけないうまさでした。 |
2002年 12月 29日 (月) 桂 |
「フラット」という名古屋けんちく学生チームの出してるフリーペーパー第一号がアジトに届きました。伊東豊雄インタビュー、毎月開催しているレクチュアのリポート、コラムなどバランスもよく、読みやすい構成でした。「伊東さんのファッションについてカーサのような雑誌をみる限りでは今までの建築家のイメージとは少し違うように感じるのですが?」伊東さんのファッション↓ 昨日の日記に書いた『AXIS』の「紙短情長」に描いたイラストです。「こういった服を着ることで今の時代の刺激を受け続けたいからね。」我々は来月「フラット」からレクチャーに呼ばれてしまいました。教えられることがないので「ぽむと行く名古屋けんちくツアー」という感じにしてもらいましたが、それはそれで何様だという気も。もう一つ届いたものは、「ゴーストワールド」のマンガ本です。ダメ女子二人組がひたすら毒を吐くアメコミです。しかし送り主は主人公二人組から、われわれを連想したようです。右の人と映画版を見たときは自分のことを完全に棚に上げ、ながさわというキング・オブ・ダメ女子トモダチを連想していたので。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2002年 12月 28日 (日) 桂 |
ここ2〜3日で立て続けに携帯でんわと手帳(われわれの間ではマルチメディアノートと呼ばれている)を無くしてしまいました。このままだと年明けまでにはハードディスクを壊してデータを飛ばし、実印と預金通帳をなくし、免許と全財産の入った財布を落とす勢いです。それはともかく今日は、われわれが「紙短情長」を書いた『AXIS』が発売されました。毎回指名されたデザイン界の大物が手書き校正無しで原稿用紙一枚を埋めるというコーナーです。どんな人が過去に執筆したかというと、建築関係では例えば伊東とよお先生に西沢立衛さん西堀晋さん、クラインダイサムさんに果ては二川幸夫先生まで担当。我々がなんでこんなとこに書くことになったのかは謎。しかし我々のような者は一筆書きで済ませるわけには行かないので、それはもう、六本木おされ先端デザイン雑誌の雰囲気ぶちこわし覚悟、倉俣のイスにウ○コをする覚悟で過剰に気合いを入れました。きっちり下書き→清書をし、イラスト図解までつけました。「さいきんの建築ブームについて一言」という依頼だったのでそのような内容。建築ブームによって、建築家とクライアント、ジャーナリズム三者の関係性がどう変わったか、というあたりを論じてみました。つまり(よく言えば)私がほったゆみで右が小畑健という役回りです。なのに思い切り会話体にしてしまったので、さぞかしやりづらかっただろうなあと思います。なにしろ無駄に「なんだかわかりませんが」とか(見たことないから想像)とか(脳内でこの3文字をつけたし)とか書いてあります。でもなんか、すごく律儀に訳してあって驚いた。なんだかわかりませんが→I'm not sure what's going on,見たことないから想像→This is just my guess because I've never seen it.脳内でこの三文字をつけたし→they add this word in their head正直、すまなかった。 |
2002年 12月 23日 (火) み江 |
担当クラスの生徒を焼肉に連れていきました。ひと月の馬券代ぐらいの金額が3時間で消えました。なんか軽く片手を越えるぐらいの人から有馬どうでしたかと聞かれたので【最後まで】 まけ日記 【最後まで】12月22日 回収率 17%今年の中央競馬も最後です。今日もよく負けました。しかし最後の最後の最終レースで、間違って購入した複勝馬券が引っかかり坊主をまぬがれました。しみったれた往生際の悪さがいやです。有馬記念は例によって穴狙いでタップダンスシチー(2着)とかコイントス(3着)に○をつけ、ちゃんとファインモーション(5着)は切ってシンボリクリスエス(1着)を本命にしたくせに、なんか発売締切5分前になったらすべてがめんどくさくなって、「絶対来るわけねえ来たら競馬やめるでも好きな馬」でロマンを買いました。というか逃げました。着順はやっぱりケツでした。いろいろ疲労がたまってたりな。あんまし理解されてないみたいなのでいちおう言っとくと、競馬は決断の積み重ねなので精神力が要るのですわかりましたか。先週思っくそ他人に責任をなすりつけてみましたがいや自分が悪いってわかってるんですよほんとは。 |
2002年 12月 20日 (土) み江 |
よーく知ってる」生徒「どっか雑誌かなんかの会社行ってはるんやろ?」み江「…… 本 上 ま な み か 」生徒「そうそうそう!!エス本先生に頼んだら本上まなみに会えへんかなあ?」東京のエス本先生、いまあなたの人気が急上昇中です。だらだらと伸ばしていた(というか勝手に伸びた)髪が腰まで届かん勢いなので、半年ぶりに美容院に行きました。前髪をつくってみたり色を付けて青鹿毛にしてみたりしました。これでどう?よくなったでしょ?」とか言うんで鏡見たらち っ と も よ か ね え よあのなアタシはこんな髪型したかねえんだよ。要らんことせんと言われたとおりやれや。ということが一度ならずあったのでもうオトコはこりごりです。化粧っ気がなくて自分の頭なんかかまってないような人のほうがおしゃれな髪型にしてくれたりします。とここまで書いて思いましたがこれは何も美容師に限った話じゃなくてあらゆるジャンルで言えるんじゃないか。 |
2002年 12月 17日 (水) み江 |
なにしろこれまで論理的な文を書く訓練なんか受けたことがない生徒が大半ですから、最初はもうそれはそれはでたらめな何かを読まされるわけですが、そのぶん上達が速い。Mくんはたいへん文章が苦手で、夏のころはもう一文字も書けないというありさまだったのですが、その後特訓を受けてようやく人並みに書けるようになってきました。すると彼のおそるべき感性が顕わになったのです。●課題『今までに最も失望したこと』たいがいの高校生であれば、いじめに遭ったとか祖父が死んだとかテスト前なのに勉強しない自分に失望したとか、まあそういったネタを持ってくるわけですが、彼の選んだテーマはこれでした。「サンタクロースはいないと知ったこと」そして「この経験を今後に生かしていきたい。」と締めくくりました。いや限りなく正解に近い締めくくりなのですがいったいどう生かすというのか。●課題『私の理想と現実』たいがいの高校生であれば、私の理想は争いのない世界だとか『燃えよ剣』の土方歳三だとか意志の強い人になりたいとか、まあそのようなことを書くものですが、彼は一行目でこう言い切りました。「僕の理想は、鳥に生まれてくることでした。さらに彼の答案の下書き(メモ)を見てみました。 理想 現実 −−−−−−−−−−−−− 外人 日本人 自由 (予備校の名) 遊ぶ (予備校の名) 鳥 人間いや彼を擁護するとですね、こんな抽象化や図式化ができるようになったこと自体がものすごい進歩なわけです。まだ「外人」を選択しなかっただけほめてやらねばならないのです。 |
2002年 12月 15日 (月) 桂 |
先日000STUDIOのshoさんがアジトに来てくれました。shoさんはギンギンな出で立ちで全くあじとの風景になじまず、はでな皮のコートをキャットがべろべろ舐めまわしてしまいました。先日からわれわれがとても気になってる「けんちく+不動産」の話題も出ました。「ぽむも誰かと仕事場シェアしたりしないの?」と聞かれましたが、何より友達がいないので難しい……。京都だと「アート系学生くずれのグループが群がっている」という現象に集約されるので、うまくやらないと「ま た 京 都 か よ」って言われておしまいになる。ところで、ちょっとした場を作ることを「面白いことやってる」と片づけられがちな気がするのですが、この表現なんとかならんもんか。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2002年 12月 15日 (月) み江 |
さいきんヤフオクでダウンのコートを買いました。生まれて初めてダウンというやつを着たのですが、ぬくいわ軽いわでスバラスィーものですね。今まで肉じゅばんとかボンレスハムとか甲殻類とか京大生専用モビルスーツとか悪口言ってすまなかった。【悲惨】 まけ日記 【悲惨】今日はエヌ実さんと阪神に行きました。初競馬のエヌ実さんは馬ページをプリントアウトしたものを持参し、質問項目を用意し、電車の中でいろいろ書き込みをして勉強していました。本日の回収率 0%ああやってしまった。くやしいので他人のせいにしますが、どうもほのぼのした人と行くと回収率が下がる気がします。今日みたくターフの見える芝山に座っておしゃべりしながら牛丼食ってるようではだめなのでしょうか。よく晴れた日曜日に手作りのお弁当と敷物を持ってステキな(メガネの)お兄さんと競馬場に行き、「どう?おいしい?」とか言いながらたまたま100円だけ買ったやつが万馬券になっちゃって、うわあどうしようねとか言いながら二人でステキなお食事をして帰る、というのが私の夢なのですが、そんなことは望むだけ不幸なのでしょうか。 |
2002年 12月 14日 (日) み江 |
ゴダールから大衆演劇まで手広く手がけすぎの京大生座長が率いる、いわずと知れたミュージカル劇団「とっても便利」のパクリです。「♪早く電話に出れ(出れ) 誰か電話に出れ(出れ) オレは出たくない〜」とか、「♪ポジティブシンキン ポジティブシンキン ただのまやかし〜」とかいう具合です。さて先日ながさわの家でたこ焼き会が行われたとき、いしかわという音オタがKLIMPEREIというもっさい夫婦派ユニットのCDを持ってきました。劇団とってもぽむにふさわしいヘタレなアコースティック曲が粒ぞろいだったので、面白がって「やまさきのうた」だの「雑誌社の新人サラリーマンのうた」だの即興でいろいろ歌詞をつけました。よくできたやつをご紹介します。「キャットのうた」さいきんメザシを食べてないさいきんアジも食べてないさいきん鶏も食べてないさいきんレバーも食べてないカリカリばかりカリカリばかりカリカリばかりカリカリばかり主人の奴は手を抜いている*カリカリ=固形キャットフード「名古屋人のうた」(改訂版)味噌カツなんか食べないしういろうだって好きじゃない(*)だから名古屋人て言うな 名古屋人て言うなあんかけなんか食べないし赤だしだって飲みません(*)くりかえしきしめんなんか食べないしあんこパスタなんて食い物じゃねえって言ってんだろうがコラ!(*)くりかえし濃い味つけが好きなのはオレの趣味名古屋は関係ない断じて関係ない。 |
2002年 12月 11日 (木) み江 |
さらによく見たらこう書いてあります。でもこういうのってメディア的には革新的試みとか実験的精神とかって言われちゃうんだよな(プ以前左の人がテレビでスーパー歌舞伎かなんかを見て、「あんな一世紀前のセンスで前衛だの実験的だの言ってる伝統芸能の世界は甘やかされすぎ」的なことをどっかで言ってて、まったくその通りなのですが、あるいは前衛だの実験だのは周囲が勝手に言ってるだけであり、やってる本人らはお楽しみ会気分でやってるだけなんじゃないかと推測してみる。茂山君と仲がいいらしい笹岡様も生け花パフォーマンスを始めたのはどうやら学祭でたせいか昨年メリケンのサーバ屋に更新止められたことがあるページ';return true">WARSMANと生け花ロックをやったのがきっかけだったらしいしな。ところでさっきドラマシティのHP見たらこんなことまで書いてありました。「バレンタインデーは、クローン人間ナマシマのスーパー狂言はいかが?」あのう、ここを読んでいる男子の皆さん全員に問いたいのですが、バレンタインデーに「クローン人間ナマシマ観に行きましょうよ」と誘ってくる女の子というのはどうなんでしょうか。 |
2002年 12月 10日 (水) み江 |
2時の奥様番組に人気家具屋としてたちも関西人';return true">grafが出ていました。【まだ続く】 まけ日記 【まだ負ける】12月8日 回収率 86%阪神競馬場はこの週末のように雨が降ったり寒かったりする日でも快適に過ごせるのはすばらしいですが、まーだどっち行っていいのかわかんなくなるんだよコラ!いや原因の半分はわたくしの方向音痴ですが垂直水平の移動がまっすぐにできないプランにも残り半分の責任があると思います。色気を出したい気持ちはもうわかりすぎて嫌になるほどわかりますが頼むからこういう明快さが命の建物では余計なことをしないでほしいと思います。12月7日 回収率 52%武豊が一日で8勝も上げて日本新記録を作りました。こんな日に穴党が勝てるわけがありませんという言い訳ができて助かりました。 |
2002年 12月 4日 (木) 桂 |
縁あって、たホームページ';return true">アート・アンド・クラフトという設計事務所兼不動産屋さんの中谷さんに会いに行きました。一年ちょっと前に、建築な雑誌多発期に創刊されたLiVESという雑誌で記事を見かけて以来、かなーり気になっていた事務所です。焼き肉で餌付けされたから言うわけじゃないけどすごく革新的な試みをしているのですね。で、会いに行ったらやはりさすが経済原理に乗っかっているだけあって、事務所はちゃんと夜終わるらしく、6時にはからっぽでした。建築家はあんましショールームとか作らないみたいだけど、お客さんからしたらちゃんと店構えみたいなのがあるとかなり安心できるはずなのです。中谷さんは京都工繊大出身で、バブル時代に不動産屋さんで働いていたらしいです。このあたり、絶妙なプロフィールだと思いました。なにしろ工繊大というのはイメージ的に悪い要素が一切なくて、アカデミズムの仲間になることもできるし、でっかい会社にも入れるし、プロダクトの学科もあってグルービジョンズみたいな全方位型デザイナーにもなれるし、とにかく何にでもなれる学校なのだ。このあたりが、高邁な理念に裏付けられた建築家マインドを持ちつつお商売もうまいという、いそうでいないキャラクターに結びついているのだな、という気がしました。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2002年 12月 4日 (木) み江 |
建築家が不動産屋を兼業して何が良いかというと、まず作ったものを見せてから売れるということです。できちゃったものを見せる方が100の言葉とCGと模型よりも100倍伝わるのはアタリマエだ。いい感じに腐ってるボロい建物がつまらんマンションに建て替わっちまうのを歯がゆい思いで見ていただけのそこのお姉さん、宅建持ってればアナタがディベロッパーになれるんですよ。なんか資格学校の宣伝みたいになってきた。そういうわけで今から建築やろうと思ってる人はだまされたと思って不動産も勉強するといいと思いました。これはふだんろくでもないことばかり言っているわれわれがごくたまに言うごくわずかな「ろくでもあること」の一つにちがいないのでまじめに聞くように。あとオープンハウス(*)に対する意見がすばらしかった。「オープンハウスするんやったらチラシ配って近所の人にも見てもろたらええやん。20人か30人か来てくれたらもしかして1人ぐらいはああええなあ、うちもこんなん頼もうかな思う人がいるかも知れへんやんか。なんで建築家仲間しか呼ばへんのかなあ」ああまったくその通りだ。(*)住宅が完成したときおもに建築家が関係者を招いておこなう内覧会のことだ關聡志さんにも感じたことですが、とことん合理的な発想と現実的な知恵、夢はあっても夢のようなことはいっこも言わないあたりがさすが関西人。大阪で商売成り立たせてる建築家(プロフェッサーアーキテクトじゃなくて)の才覚ってスゲエよと関東人のわたくしなんかは思うわけだよ。 |
2002年 12月 2日 (火) 桂 |
ヤングジャンプできたがわ翔さんが2001年から2002年上半期にかけて『HONEY!』というマンガを連載していたのをご存じでしょうか。これがものすごい家具マンガだったのです。全然知らない家具もたくさん出てきました。巻末には、作者の方の家具に対するものすごくアツイ思いが何ページも書き連ねてあり、読み応えがありました。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2002年 12月 2日 (火) み江 |
そんなわけで昨日は阪神競馬場に行ってみました。淀に行くのと比べて時間も交通費も3倍かかりますが京都WINSのつまらなさに比べたら屁でもありません。阪神競馬場は阪急電車の仁川という東京でいうところの府中ぐらいの駅にあって、駅降りるとなんじゃここは!ベイエリアか!京都駅か!ピューロランドか!数年前に改装されたばっかでぴかぴかでガラスで大屋根でモッダーンなの。モッダーンだから平面も京都駅みたく複雑でどこ行ったらいいのかわかんねえの。しかもパドックに京都駅みたいな羽みたいな屋根までついてるし。(それはそうなんですが)なんかお台場に一人で来てしまったような疎外感。若い新規客を狙うのはいいけど長年JRAの売上に貢献してきた古典的なオッサンたちはちょっとかわいそうです。ふつうG1に出るような馬というのはエリートさんですからみな堂々としてりっぱなのですが、2歳牝馬というのは人間でいうところの高校生女子なのででたらめでした。G1のくせにまっすぐ歩かないわ文句たれるわゲートに入らないわでおもしろかったです。見たことないけど。その中にあって一人だけ中澤裕子を通り越して美川憲一のような落ち着きと貫禄をたたえていたのがダントツ人気で勝ったピースオブワールドさんです。本日の回収率 129%勝った分は肉に換えて帰りました。高級肉でつくった牛丼は槇さんの白髪のように上品でした。つうかこんなに味のある牛食ったことねえよ。肉のために次も勝ってやる。 |
2002年 12月 1日 (月) み江 |
ごぶさたしました。いきなり言い訳しますが、左の言うとおりわたくしも平日は各種バイト、週末は競馬に行くから忙しいのです。さいきんは平日朝から晩まで働いている反動で土日は何が何でも競馬場にいかないと気がすまなくなりました。自分と対話するために行くのです。【馬】 まけ日記 【馬】11月30日 回収率 50%ぐらい京都開催が先週で終わって今日から阪神なので、京都のWINSで買うことにしました。祇園の花見小路にあるため景観に配慮した茶色い建物で、和風のへんな屋根ふうのものとかついてるのが笑えます。ここらへんは今回の学芸メルマガで書きましたので略。だからた人も含め';return true">購読しろって言ってるでしょう。しかしここのWINSはモニター少ないしうどん屋とかないしオッサンたちは「差せ!」とか叫ばないし、しかも連勝は1000円単位でしか買えない(ふつう100円から買える)という最凶につまらないWINSで、とても半日いられたものではありません。11月24日 回収率 46%ジャパンカップは荒れ荒れでワイドなのに30倍もつきました。人気馬を買う勇気を持ちたいです。11月23日 回収率 208%いつも淀の駅前で「ブックよろしいか〜ペンよろしいか〜」と言って競馬新聞とかを売っているたんですが';return true">小さいおばちゃんが亡くなったという噂が某ちゃんねるで流れましたが、今日見たらいました。私の前を歩いていた兄ちゃんがおばちゃんを見て笑っていたのでこの人も某ちゃんねらーだと思いました。このおばちゃんが皆に愛されていることがよくわかりました。11月17日 回収率 83%4日前にタクシーにはねられた(実話)ときにふんだくった示談金を握りしめて淀に行きました。1日前にマンションの隣室が火事で焼けた(実話)doppoという人と行きました。「夏休みに全国建築めぐりの旅をするつもりが全国雀荘めぐりの旅になってしまった(実話)」ぐらいギャンブル回路ができているので学習速度がちがうのです。しかも競馬に行くときはゲンかつぎでスーツを着てくるあたりが勝負師です。本気デートでうっかり競馬場に来てしまった兄ちゃんに見えなくもないですが、そうでないことはお互い口もきかず一心不乱に新聞を読んでいるのですぐわかります。ちなみにメインのマイルCSで買った投票券を晒します。ネタにしかならないので換金もせず持って帰ってきました。簡単に説明すると「38万馬券まであと1.6m(み江さんの身長は153cm)というところで転んで水たまりに顔を突っ込んでぶくぶく言っている」状態です。11月16日 回収率 45%ぐらい 土曜開催は空いててまったりしています。だからといって予想が当たるわけではないことは数字が証明しています。11月10日 回収率 15%今日は大勢で淀に行きました。そんでその後はあじとで左の人とエヌ実さんのお誕生会が行われ、十数名でチーズフォンデュとかキムチ鍋とか食いました。食材と飲料を提供したのは今日勝ったエヌ氏という人とdoppoという人です。11月 9日 回収率 123%半年ぶりに勝ちました。 |
2002年 11月 6日 (水) み江 |
なんか毎日曜に何をどう誤魔化しても高いとはいえない今日の回収率を報告する場と化してきたのでたまにはちがうことを書きます。というか先週は土曜日に突然予備校から「明日は模試の試験監督(*)です決定です断ったらクビ(やや誇張含む)」と言われ泣きながら模試のマークシートを2-7などと塗りつぶしていたので回収しようがなかったのです。(*)予備校で年にいっぺんぐらい回ってくる租庸調でいうところの庸のようなもの今週は取材で大阪周辺のホテルにいろいろ行きました。詳細はひみつですが、いずれも大阪商人の商売根性が三者三様に発揮された施設であり、改めて大阪という都市は政治家でも学者でもマスコミでもなく「社長」という人種が動かしていることをしみじみと味わう秋の旅。今回初めて雑誌のさつえいというのを経験しました。勝手がさっぱりわからないのでカメラマンさんに任せっぱなし教わりっぱなしでえらいお世話になりました。ベストアングルを得るためには勝手に民家というかアパートの屋上に上るとか、料理をおいしそうに撮るには皿の後ろ斜め上から光を当てるとよいとか(いや今回食べ物の写真は撮ってない)プロの技をいろいろ習いました。ぜんぜん関係ないけど利息と利子のちがいをご存じでしたか。わたしは今日知りました。利子は借りた人が貸した人に払うもので、利息は貸した人が借りた人から受け取るものです。と広辞苑に書いてありました。いや今日授業中に話題になったので調べただけなんですけれどもね。たまには勉強になるぽむ日記。 |
2002年 11月 5日 (火) 桂 |
取材で箕面観光ホテルと、カプセルホテルのカプセルイン大阪に行きました。ところで、われわれは以前よりカプセルホテルにあこがれていて、泊まろうとしながら、やむにやまれぬ事情で断念したことがあるのですが、こういう形で初潜入するとは感慨深いです。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2002年 11月 3日 (日) 桂 |
滋賀ツアーしました。MIHOミュージアム(I.M.ペイ設計)に行きました。・MIHOという名前はミホというおばあちゃんの名前から取っている・そのおばあちゃんのコレクションを展示するために作られた・信楽の山奥にあるというまたぎきの情報から、山奥のひっそりとした私設美術館だと思い込んでいたので、巨大さとにぎわいにおののきうまく感想が。希望が丘文化公園 青年の城に立ち寄りました。あの中銀カプセルタワーが造られたころにできたもので、新建築にはちょうど同じ号に、しかも前後で掲載されてます。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2002年 10月 27日 (月) み江 |
シンボリクリスエス見事でした。素直におめでとうと言いましょう負けましたけれども。ですが有能でたいな体';return true">端正な3歳牡馬と百戦錬磨の岡部のジジイという組み合わせは、どうも飛び級とかで大学院に入った地味な美青年と両刀遣いの好色老教授に見えていやです。本日の回収率 28%しかし今日いちばんついてなかったのは2週連続落馬の憂き目に遭ったことではなく、帰りがけにふたばに寄ったら豆餅が私の前の人で売り切れたことです。カスピ海ヨーグルトを飼い始めました。同居人が動物を飼っているので自分も飼いたくなったからですというのはうそですけれども。牛乳を買ってきてパック開けてこのヨーグルトを少々入れて半日も放っておけばあーら不思議たちまちヨーグルトになっているというもの。今回私が株分けしてもらったのは近所に住む予備校バイト仲間(彼は近所のおばあちゃんからもらったらしい)からですが、実家でも飼っていたし学芸出版社でも頒布されていました。菌とともに作り方の書かれた孫孫孫コピーぐらいのメモをもらうわけですが、これがパソコンのプリンターではなくあからさまに「ワープロ」で作ってあるの。「横倍角」の文字なんか久しぶりに見ましたよヤングのみなさん知ってますか横倍って。さらにこのメモは各ルートでぜんぶ違ってた。地道に作成している人がたくさんいるわけです。牛乳の味がそのまましてうまいので毎日食ってますが、しかしこれだけ生命力の強い生物ってやばいんじゃないのか?ほらたらぜんぶ食え';return true">ブルーギルとかたらぜんぶ刈れ';return true">ケナフとか。もしかして世界征服をたくらむわるものが日本人を全員キノコ人間にしようとして送り込んだ刺客ではないのか。 |
2002年 10月 20日 (月) 桂 |
関西ドイツ文化センターで行うVJ/DJパーティーにwtnvさんが来るというので遊びに行きました。渡邉さんはこの週末、大阪/広島/京都と渡り歩いていたそうです。未来人と思われてる気がすると言っていました。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2002年 10月 20日 (月) み江 |
ノーリーズンにはやられました。パドックで勝つ気まんまんのオーラを出していたノーリーズンからうっかり流してしまったために京都競馬場のスタンド席で新聞を叩きつけタオル(雨よけ)も叩きつけ手すりをガンガン蹴りイッテヨシだの肉になれだの叫んだ一人は私です。この馬に3000mは長いんじゃないかとか言いながら5mで落馬→終了とはいいオチをつけてくれたもんだ武豊。フランス流のジョークですか?ていうかそんなキャラでしたか?今日は久々に淀に行きました。ふだん殺伐としたWINS(オッサンばかり)を見慣れてしまったせいかGTの競馬場(ファミリーやカポォがたくさん)はとても上品な場所に見えました。本日の回収率 75%た';return true">複勝やらワイドでちまちま回収そんで夜はメディアアートのパーテーとやらに行ったのです。パーテーといってもたぶん東京の人が想像する興行チックなそれとは微妙に違って、会場は日独会館だしシモーヌ深雪さんとかがうろうろしているし、各部屋で勝手に好きな音楽流して踊ってたり(かどうか知らないがそのようにしか見えない)手づくりサンドイッチが売られていたり、どうも学祭いや寮祭ノリです。もっぱらビジュアルの祭りなのに音楽がなんだかすごくて、正体不明のソロベーシストの兄さんとかギターとパーカスの二人組とか、どこから呼んできたのか知りませんが若いのに独自のスタイルを確立しまくったストイックで上手な人たちが集められていて、食堂ライブっぽくて京都っぺえと思いました。 |
2002年 10月 17日 (金) 桂 |
右の人と神奈川県立美術館に行きました。ノックアウト 右:軽い…自然石上の細い柱(軽い!)と、ランドスケープ越しの清楚なたたずまいにノックアウト。良かったです。作品もさることながら、その展示方法にぐっときました。展示物は本の装丁が多いのですが、展覧会のためにわざわざ作ったという本屋さん風の三段の棚をキャンチで壁に取り付けて、本を立てかけるという凝りよう。外から見た展示風景。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2002年 10月 16日 (木) 桂 |
ポケットがたくさんついていてシール収納力も抜群なのです。の交換日記帳を買いました。のメモ帳 |
2002年 10月 16日 (木) み江 |
昨夜は左の人が実家に泊まりに来て、そのまま朝から一緒に仕入れについて行きました。子供のころは仕入れに行くのが大好きで毎回ついていきました。紙製品とかおもちゃなどのこまごました製品を扱う問屋が並んでいます。とくに造花を売ってるお店を見るのが好きでした。庭になってる柿とかを持っていったり、私はまったく記憶にありませんが問屋でおもらしをしてそこの家の同じぐらいの年の女の子の服を借りていったらしいとか、そういう家族的というか日本的なビジネスなわけです。小売りをしている問屋もありますので左のようなすてきなおみやげがたくさん買えます。今日は姪に会いました。両親に歌心がないせいでまったく歌というものを歌ってもらっていないらしく、「踊るダメ人間」とか「レーダー・マン」を歌って聞かせたらうれしそうに笑っていました。 |
2002年 10月 15日 (水) み江 |
ブックマークかへでした。来てくれた人ありがとうね。勇気を出して会場に入ってくださった初対面の方々うれしかったです。もっとお話ししたかったなあ。有名どころではこの前銀座で個展を見てこの人会ってみてえと勝手に思っていた、けんちく出身メディアアーティスト?の小阪淳さんがとつぜん来てくれたのでびっくり。おゾヌの椅子展はすごくおもしろかったです。あの球体にも入りました。座ったとたんに広がるマイ宇宙(と書いてコスモと読め)!まわりの音と視界が適度に遮断されて、天然の彼方へ逝ってしまいそうな完璧なマイスペースが展開されるのです。見た目は気持ちよさそうなのに座ったとたん「なめとんのかワリャ!」なのもけっこうあります。個人的にはメイドインジャパンのラタンチェアがよかったです。すわり心地くらべコルビュジェ なかなかよいイームズ 当たりはずれありミース だめバウハウス系 クソマッキントッシュ まぐそてなとこですか。あとマッキントッシュの椅子は床の間なので花を飾ったりするのはいいけど座ってはいけません。それぞれの椅子に体圧分布のグラフがついてて座り心地をサイエンスしてるのも楽しかった。椅子100個見るぐらいなら中山行って馬100頭見る方がましとか言ってすまなかった。 |
2002年 10月 14日 (火) 桂 |
AXISでCKRというスウェーデンのデザインユニットによるたなあ';return true">家具の展覧会へ。打ち合わせで六本木アークヒルズにうかがい、カラヤン広場でやっていたデザイナーズウィークの実験家具展を見てきました。高崎正治さんが出していた机が不思議でした。スタジオグレイプという方々の出してた組み立てユニット椅子が格好良かったです。あと三村大介さんが出してたピンポンブザーの付いた夫婦用の机も気になりました。エス本くんが青い顔して配っていました。 左:TDW風景 右:デザイナーズウィークオフィシャルの販売ブースその後リビングデザインセンターOZONEに移動しブックマークカフェの様子を見せてもらいました。原宿に移動し、縁あって青木淳さんの事務所から独立した永山祐子さんが設計した美容室を見せてもらいました。お花畑が中庭にあったり、パラボラアンテナが電気のカサになってたり。北山恒さんが設計した建物の中。夜はロータスでご飯食べました。有名なダイニング、行ってみたかったのです。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2002年 10月 13日 (月) 桂 |
昼過ぎに下北沢で待ち合わせ、山崎という人とともにその界隈の複合系本屋さんをうろうろしました。まずカフェ・オーディネールに行きました。結構たくさんあります。古い本をたくさん並べると雑然としそうですが、きちんと整理すると端正でおしゃれな空間になるもんだなと感心。ギャラリーとCDショップとカフェが渾然一体となったところです。面白かったのは、ハコ貸し(枠貸し?)してる棚。アーティストやクリエイターに貸して、展示に使ったり宣伝に使ったり本を売ったり、自由に使える場所にしているそう。 現代ハイツどっちの店もすごく面白いと思いました。本、カフェ、音楽、アートなどバラバラなジャンルが空間的に連続していました。まさに下北を凝縮したということなのかも。下北沢ひさしぶりに行きましたが、道が細く直交していなくて複雑で、小さい店がたくさん。 下北三大アイテム? 本・CD・古着の詰まった袋小路つづいて青山オン・サンデーズとナディッフへ。オン・サンデーズではキラー通り建築展と、それにまつわる100の建築本フェアをやってましたがよかったです。9坪ハウスの展示を見てきました。そもそもの設計者である増沢さんが考案した9坪の家5原則にのっとって、デザイナーがそれぞれデザインして模型を作るという、大人のための設計演習! 左:9坪ハウス模型。スミレさんとアオイさんがパソコンでゲームをやっていました。ミリはなんだかヘナヘナな人たちであんしんしました。(ほめ言葉)そのまま中林さんのブックマークトークを聞きました。dezain.netの管理人すごいよなという話になったり。あと大学の同期の、構造設計事務所所員のエム田氏と会ったんですが、数年ぶりに会った彼は長髪、ヒゲ3ミリ、ジャケット、眼鏡、全てが南青山仕様でした。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2002年 10月 13日 (月) み江 |
例の方へのインタビューはそりゃもうおもしろかったに決まっているのですが、風邪引いてる上に2日で6時間しか寝てないとかハラが猛烈に痛いとか、おおよそ史上最大の任務にはふさわしくない体調で、緊張のあまり貧血起こしそうになるし、終了後はさっさと帰って寝ました。そんで今日も左の人と山崎改めミスター山が本屋めぐりをする一方、実家で昼過ぎまで寝てました。そもそも私は本屋に行くという行為を「銀行に公共料金を支払いに行く」「区役所に住民票を取りに行く」ぐらい面倒くさいと思っているので、できれば行かないに越したことはないというのが本心です。夕方お買いもの及びkiss-cafeの下見のため吉祥寺に出ました。高校がわりと近かったのでよく遊びました。東急の裏とか今ほど賑わってなくて、ぼちぼち雑貨屋とかめし屋ができはじめたころですね。久々に来ましたが駅前のお店がぜんぜん変わってなくてびっくり。吉祥寺は百貨店などの巨大資本ミセが4つか5つぐらいありますが、それらへの依存度が高くなく、こまごました小売店とか商店街のパワーが感じられるのが心地よいです。しかしkiss-cafeで聞いたところによると、吉祥寺ではさいきん街おこしにコスプレのパレードとかアニメのイベントとかやっちゃったりして何かカンチガイしているぽいのです。 |
2002年 10月 12日 (日) 桂 |
右の人が書いている(タイムラグあり)さる大仕事を終えました。開口一番、「キミら誰?」と聞かれました。名刺を出し、京都から来ましたとおみやげを渡したら「あーキミらがインタビューが説教になってるだの好き放題書いてる人たちか。ガハハ」と一笑されました。予定の時間を1時間もオーバーし、たくさんお話をしていただけました。インタビューの主旨とは違うけども、これまでの仕事のやり方(ex.アポなし撮影…たぶん昔の話とくに外国)や、行動(ex.とにかく建築が好きでミースの柱は頬ずりするほど)など、貴重な面白エピソードをおうかがいしました。終了後、TNプローブでやっていた9坪ハウスのシンポジウムの後のパーティーに参加しました。モデレーターをつとめた五十嵐隊長、ホリイさん、flick studioの磯さん、横国の菅野裕子さん、ブックマークカフェでもお世話になったスミレアオイハウスのオーナー荻原修さん、WARMS秋村さん(じつはこのサイトを作った人!ビックリ)など沢山の方とお会いしました。隊長ホリイさん磯さん菅野さんと山崎で原宿のタイ料理屋で食事しました。ホリイさんはwebそのままという感想をよく見かけるんですが、まったくその通りで、吸ってるタバコの銘柄(echo)までイメージ通りでした。 |
2002年 10月 12日 (日) み江 |
ブックマークカフェのためです。純喫茶らしくわれわれがぽむ企画以前に制作したくだらねえものとかこっぱずかしいものをいろいろ持っていって晒す予定です。当日はブックマークカフェのトップページにわれわれの直筆クソFAXが貼られますのでこちらもどうぞご覧いただきたいと思います。ぽむ企画史上最大の仕事でありいつかは通らねばならないと思っていた関門であります。意外に早く訪れた感があります。たいへんな緊張により武者震いがします。もったいぶってまだ黙っていますがずばり正解した方には直筆FAXをお送りします。 |
2002年 10月 11日 (土) み江 |
その日は歴史研ドクター女子のKさんと鴨川河畔のかへで遅い昼めしを食い、わたしはそろそろバイトの時間なので出町柳駅、Kさんは大学に行こうと二人で賀茂大橋(地図中央のでかい橋)を渡っていました。ものすごい勢いで消防車3台と救急車1台がデルタ方面にやってきて、河合橋と書いてあるあたりで止まりました。しかし火事があったようには見えません。消防隊員がばらばらと降りてきましたが、耐火服も着てないし緊張感もありません。付近にいっぱいいる厨の誤報の類と思いました。ところが消防隊員はデルタから人払いを始めました。昼っからバーベキューをしていた学生グループ(かどうか知らないけどそうとしか考えられない)がすごい勢いで場所を変え、亀石で遊んでいた子供も追い払われました。」と言いました。」イヤホンで無線を聞いていました。バズーカ砲のようなカメラを提げていましたが、どっからどう見ても報道関係の人には見えず、無線おやじかカメラおやじのようでした。「デルタにヘリが降りる」この不意の事態に胸が高鳴りました。すでに重たいカバンを地べたに降ろし見物する気まんまんです。 |
2002年 9月 26日 (木) 桂 |
先週の水曜日は、『POPEYE』の「ボクらが知りたいデザイン集団のすべて」特集をみながら家具屋さんとかアジト的なビルなどを見てきました。大阪は、新しいお店でも南船場=元々繊維問屋街、堀江=元家具屋街という文脈を引き継いでお店ができていることが多いけど、ここは生産の街に家具屋さんができてるのが面白いと思いました。弁天埠頭のフェリーターミナルにクリエイターなどが集まっているところで、吉田寮と同じにおいがしました。最後は堀江へ行き、新しくできた複合ビルcolを冷やかし、カフェfeelへ。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2002年 9月 18日 (水) 桂 |
たまにアジトにくるおともだちは、ものすごく美術館に行く人です。そして「今日、愛知県に行って来たよ日帰りで。豊田市美術館でやってる曽根裕の展覧会見てきた。昨日は「ダニエル・リベスキンドって建築では有名?」と聞かれました。なぜかと聞いたら「きのう広島に展覧会見に行ってきた、日帰りで。関西からその勢いで行くのは日埜のアニキくらいかと思ってたよ。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2002年 9月 15日 (日) み江 |
今まで日曜日の昼といえばバイトだったのですが、9月から日曜フリーになり、新婚さんいらっしゃい→アタック25→京都テレビの競馬中継 のフルコースを堪能しています。それで今日のローズSを見ていて久々の大型3歳牝馬との呼び声も高いファインモーションに妹島和世のにおいを感じ取りましたがこのあと潰れると恥ずかしいので小さい声で言います。ワンピース以外の本という本を一切読まないその中学2年生が夢中になって読んでいるハリーポッターを読んでみたところワンピースと同じぐらいおもしろかったです。それでまだ邦訳が出てない第4巻をいち早く読んでお子らに大人の偉さを見せつけてやろうと思い、原書を買って150ページ読みましたがまだ5分の1にもなってません。 |
2002年 9月 13日 (金) 桂 |
ありがたいことです。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2002年 9月 10日 (火) み江 |
1.現在発売中のLmagazine(関西地区の情報誌)にコラムを書かせていただきました。2.今日発売のたって建築家!」';return true">casa BRUTUSに書かせていただきました。とフライングで書いたもののまだ現物を見てないので本当に載ってるのかどうかわかりません。各自カフェの名前をつけてくださいということでしたので「純喫茶ぽむ」と名付けました。4.み江の私仕事というかバイトですが、バイト先の学芸出版社でメールマガジンづくりを始めました。第1回目は團さん仙田さんの京都プールのレポートを書きました。バックナンバーはHPに載せてないので読みたい人はここから購読してくださいそして本を買ってください。たイラストがウマカワイイ';return true">『一目でわかる建築計画』おもしろいんだってば。 |
2002年 9月 6日 (金) み江 |
「北の国から」を見ました。なぜならばわたくしの実家にはドラマを見るという習慣がなく、しかも夜9時台はNHKのニュースセンター9時と決まっていたからです。そして実家を出て以降もごく最近までテレビのない暮らしをしていたからです。それで見る前にエロ崎という人にかいつまんで説明してもらいました。その説明によると「北海道を舞台としたろくでなし親子3人の話」であり「20年間同じ脚本家・スタッフにより制作され、子役の成長を見守ったシリーズ」ということでした。知らない人のためにかいつまんで説明すると、「代官山の一街区にろくでもある店や家を建てる事業」であり「30年間一人のた人';return true">建築家とスタッフが関わり続け、街の成長を見守ったプロジェクト」であります。ようするに選ばれた人にしかできない仕事というやつです。今日は珍しく本を買いました。前者は、しつけを怠ったために手のつけられないどヤンキーに育ってしまった子供のごときうちの庭を何とか矯正しようと思って買った実用書です。後者は北海道・日高における競走馬生産の現場を取材したルポであり、将来お金持ちになって馬主になったときに必要な知識なのでこれも実用書です。ともかくあじとにはそれなりの庭があり、コブシ・梅・楓などそれなりにさまざまな木が生育しているのですが、植物のデザインとメンテナンスのポイントがさっぱりわからないので放ったらかしで、しかも地面がへんなコンクリートで固めてあるしもうみっともないったらありゃしねえ。マジでどなたかランドスケープデザイナーの方助けてくれませんか。 |
2002年 8月 23日 (金) み江 |
お盆は実家に帰らなかったのかと挨拶代わりに聞かれる今日このごろですが、あきる野ではお盆は7月にやります。こち亀の両さんも同じことを言っていたのでたぶん東京はどこもそうです。それで先月実家に帰ったらなんか妹が仔を産んでいました。まだ生後1週間で、GA DOCUMENTぐらいの大きさでした。両親が名前をつけたようでしたが勝手に和歌子と呼びました。陣痛が始まっているのにそれと気づかず、ゲリで腹が痛いのだと思いトイレにこもったが何も出ず、お医者に行って「あのーウンコが出ないんですけど」などとまぬけなことを言ったらただちに分娩室に入れられ1時間で生まれたといいます。妹はかつて実家で飼っていたニワトリの世話をするかのように淡々とかつ図太くえさをやったりフンの始末をしたりしていました。さてようやくあこがれの伯母になれました。わたしは猫だろうと人間だろうとおおよそ子供をかわいいと思うメンタリティは持っていませんが、早く伯母というものになってみたかったのです。伯母は子供にたくさんのことを教えなければなりません。両親は決して教えてくれない大切なことがたくさんあるのです。あんたのおかあさんとおとうさんは携帯の出会い系メールで知り合ったんだよとか、あんたはおかあさんとおとうさんがそのつもりはなかったんだけどたまたま試したら一回でできちゃった子供でねとか、そういう大切なことを教えるのも伯母の役目です。ゲリと間違えられたことも言わなければなりません。まずは「ぐりとぐら」、次に「ふしぎなえ」、それから「存在と時間」といきたいところですがタイトルに漢字があると難しいから「アンチ・オイディプス」ぐらいにしておいたほうがよいですか。 |
2002年 8月 10日 (土) 桂 |
学芸出版社編集者のエヌさんのはからいで、右の人とともに『考えごとの家』のタカマスヨシコさんにお会いしました。5年前のSDレビューにて、クマのぬいぐるみを使ったプレゼンを見て度肝を抜かれた方も多いかと思います。わたしもその1人でしたが、今回実際にお会いしてお話を聞いて再び度肝を抜かれたのでした。ポリカ包みの家は、夜になったらぼんぼりのように光ります。割り切りと覚悟に有無を言わせぬ強さを感じました。ビデオを見せていただきました。そういえばこれも発売当初、右の人が気づいて大変なものが売られていると報告してくれたものです。ただ者じゃないタカマスさんは優しい雰囲気で、語り口も淡々としてました。それがまた強者感に拍車をかけていました。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2002年 8月 7日 (水) 桂 |
御幸町御池上る西側に新しく出来たコムデギャルソンの入るビルを眺めていたら、同じく建物を眺めていた元建築少年の河井敏明さんに会いました。勢いで河井さんの新作マンションを見せてもらいました。「コンテクスチャリストやから」と意識的に一体化してみえるようにしたそう。これも公団の方々にとって中庭的な存在になるよう設置したとか。"ゾクの犬血苦少年"とか好き放題言っててホントすみませんでした。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2002年 8月 1日 (木) 桂 |
某関西情報誌編集者の方と会いました。大阪勤務ながら百万遍在住だったので近所のBonboncafeへ。わりとよくあることなのですが、お会いするまで男女ユニットという誤解をされていました。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2002年 7月 26日 (土) 桂 |
乃木坂のサブウェイでシェイクを飲んでいると、隣でテレビ局員らしき方が電話を矢継ぎ早に掛けていました。「やっぱり3ー3でやりたいっていうか、かわいい子の方がオレの面子が立つっていうか先輩にねー。東京大学生産研究所跡地が、ごく一部を残してほとんど更地になっていました。カッコイイ 右:入り口ツタの絡まった建物トランスギャラリーのえびす秘宝館へ。「社内恋愛とか無いの〜?」「え〜ありませんよう」「じゃー彼氏は〜」「出来ないんですよね〜」といった会話にエス本くんと右の人が「不倫しまくりに決まってるじゃん」とか「うそこけいるに決まってるじゃん」とかボショボショ小声でツッコミを入れてました。ここで「東京マーケティング店」という概念を思いつきました。そして各都市で、店をつくる上での根本原理みたいなもんが違っているのではないかと。合コンは3×3が主流、合コン向きの照明の大きさは何ルクス、合コン向きの料理はカルパッチョと角煮といったリサーチに基づいて最適解をまとめる。店の中に大仏を鎮座させてしまったりする。・京都学祭店京都の場合、学園祭気分ようするに儲け度外視で‘自分ら’が楽しむためのお店をつくる。バイトの時給が400円だったり挙げ句の果てにボランティア(無給)だったりするということも。デザイナーズものだったり業態がダイニングバーやらカフェやらだったり店員が小ぎれいだったりという意味では同じ。たぶん他都市でも、例えば名古屋・博多・神戸・金沢…あたりも何か店を成立させる原理みたいなもんがあるだろうと思いました。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2002年 7月 25日 (金) 桂 |
ゼロスタが内装を担当したdecfiveへ。緊張感バリバリのお店を想像していたのですが、意外に弛緩できるところだったので、安心しました。 女子小中学生向けにカスタマイズされたという109-2に出かけました。ミニスカタンクトップの若い子がたくさんいました。オトナの店員さんも似たような格好で、いたたまれない気持ちになりました。ミニモニショップもありました。木造半屋外で、表面的にしか冷えていないビールを出し、食事がとんでもなくゆっくり出てくるだらけた飲み屋さんで、落ち着きます。しかし隣の個室では4ー4での合コンが行われていたので、恵比寿という立地の飲み屋では合コンを避ける方法はないのかもしれません。あのYahoo!から「すばらしいサイトです是非登録させてください」とお願いされたのだそうです。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2002年 7月 24日 (木) 桂 |
まず新宿に強い右の人に連れられてファーストキッチンへ行き、小1時間鋭気を養いました。右の人は名刺をつくるために実家へ戻り、一人汐留のビル現場へ。浜離宮は周辺のビルが借景、工事音が楽しい場所でした。園内に発着所があったので、水上バスに乗ってみました。アメリカ人がはしゃいでいました。 左:借景は汐留のボス電通ビルほか 右:うれしそうなアメリカ人その後御茶ノ水に行き明治大学の見晴らしのいい学食でスパゲティを食べました。ばかでかいタバスコが置いてあったのでかけたらたくさんかかりすぎてしまい困りました。明治大学の学食になぜか女子高生がたくさんいたので10年以上前の自分に思いを馳せる。「御茶ノ水とわたし」1990年ごろ、うだつのあがらない県立高校生であった私はあまり深い考えもなく駿台予備校に通っていました。3時間かけて英数の厳選良問各一題を解説するという授業はマニアすぎ、まわりは有名私立高生と思われる男女が楽しそうにしていて、ついていけず退屈でした。当時流行っていた文春ビジュアル文庫『ベスト・オブ・ラーメン』『ベスト・オブ丼』を頼りに1人でラーメンや丼を試すことにハマりました。制服姿だったのでおそらく大変浮いていましたが、周囲の目を気にしないという意味では当時のわたしも完璧に女子高生だったので平気でした。(おわり)ニコライ堂右の人と合流し、サブカル系マンガ誌の編集者の方とお会いしました。場所がコージーコーナーというのが、マンガ誌っぽいなと思いました。フロアに仕切りが少なく開かれたつくりになっていて、誰がうろついていてもわかりません。【ケンチクナイト】のビデオを貸しました。社内カフェがあり、雑誌類を読みながらだらだらして良いとのことなので、そうさせていただきました。花くまゆうさくの新刊がおもしろかったです。小阪淳さんの個展を見ました。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2002年 7月 22日 (火) み江 |
そういやふた月前に東京文化会館に行ったことについて書きます。わたしはオタじゃないので以下は推測と伝聞ですが、彼らの基準はずばり「音」のみ。1に音2に音3に音、4ぐらいにようやく視覚デザインが出てきますがこれは席が広いとか舞台が見やすいとか、ようするに客席の並べかたです。ただし「音響設計」のです。さてそうした状況にあって東京文化会館は双方の評価が一致するものすごーく稀有なホールなのですが、わたしは中に入ったことがなかったので気になっていたわけです。わたくしは音がわからないのでこういう形がいちばん好きです。当日券でいちばん安い天井桟敷1500円を買いました。ビジュアル的に楽しみたいけんちく見学者はこの席で十分です。た舞台';return true">内装はたまげたものでした。壁の重たい前衛ふうレリーフと、赤緑黄の布が張られた曲げの木製椅子の軽さがマッチしてないこと宇多田の歌詞と曲の如し。み江さんは耳の中でねぎを栽培しているので音のことは小さな声で言いますけれども4階席にいてもソリストのオーボエにマイクが仕込んであるかと思うぐらい目の前で聞こえて気持ちよかったです。でも弦と管がなんかバラバラに聞こえてきました。ロビーはすげえよくできていました。段差とかバルコニーとかいろんな細かい仕掛けが埋め込まれているので、たいそう広いんですがゴジャース社交場て感じではなく、開演前の幸せな時間を「各自が好きな場所で思い思いに過ごす」ていうてめえらの大好きな空間の教科書みたいになっていますから一度金払って体験するといいと思います。 |
2002年 7月 20日 (日) み江 |
今日は予備校の同僚の先生が参加するコンサートに行きました。そのほかに児童小説(と称したエロ小説)を書いていたりとか、えたいの知れない活動をしている高学歴のすくつです。わたくしなんかもう当たり前すぎるくらい当たり前の存在なので、うっかりこれがふつうなのだと考えがちですが、心を強く持って早く抜け出したいと思います。さてコンサートは京大関係者(かどうか知らないがそのようにしか見えない)による混声合唱団で、ルネサンスの世俗曲とかまあ潔いまでにどどどマニアックなプログラムでした。合唱団は男9女7の小人数編成でしたのでわたしは音楽とともに「カップル当て」とかやって楽しみました。そこで帰り道にほかの先生から聞いた話ですが、お見合いパーティーなんかの場合、カップルになりやすいタイプというのがたいてい決まっているそうなのです。おもしろかったので紹介します。・男子のリーダー格はか弱いタイプの女子とくっつく・女子のリーダー格はカップルになれない・かわいいマスコット系男子も結局カップルになれない・無口でクールな男前の男子はスケ番とくっつくこれで解けましたね木村さんと工藤さんの謎が!楢崎セイゴーも絶対スケ番とつきあってるんだろうなあしかも無駄にべっぴん。 |
2002年 7月 16日 (水) み江 |
「男はディフェンス」という結論を(わたしだけに)残していつのまにかワールドカップも終わりました。とか書くといつまでそんな話してやがるのだと冷たく言われそうですがしかし考えてみるとワールドカップが終わってからまだ半月しかたっていないので「いまでも吉田栄作が好きな人」を見るような目つきで見るのはヤメロ。今日は太陽カフェというところでやってる期間限定雑貨屋に行ってみました。わたしは皿とかタイルとか買いました。しかし太陽カフェは5年経ってじつにいい塩梅に腐ったものだと思います。オープン直後は、白で統一されていながらよく言えば素朴悪く言えばぞんざいな手づくりインテリアがどうにもぎこちなく、つまり白派なのか赤派なのかはっきりせず居心地悪かったものでしたが、今では白いソファはパンダの腹のごとく茶色くなり、タイルはところどころ剥がれ、前庭の桜も成長し、すべてが馴染んで男子京大生(かどうか知らないがそのようにしか見えない人)も訪れる落ち着いた赤派カフェになりました。こうして一つの建物の行く末をソフトも含めて見届けることができるというのは得がたいことであります。あとかへというのはマスターのキャラが大きいと思いました。ここの店主夫妻を知ったのはわりと最近のことですが、白くてピッカピカの粋がりアートカフェにしたかったとはとても思えない方々でありました。 |
2002年 7月 12日 (土) 桂 |
昔、従兄弟が小学校で『机上旅行クラブ』というクラブに入っていました。2人とも行ったことのない国の地球の歩き方を持っています。これに便乗して沖縄ツアーをしよう!と、ぽむアジト同居人エヌ氏が提案しました。これは良い考えだなあと思い、せめて日記にでも書いておけば少しは実現度が上がるんじゃないかと思って書いてみました。★★ 日本全都市の都会的画像 ★★机上旅行的スレ 面白いぞ(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2002年 6月 27日 (木) み江 |
ひと月ぐらい前にやって来ました。主人の奴(@たぶん20代後半リーマンであろう';return true">殴るぞ!)がなにか名前をつけたようでしたが無視して勝手に黒いほうを「松井」、白いほうを「高橋」と呼んでいました。その後「クロマティ/高橋」「クロマティ/シロマティ」「クロマティ/ポンセ」などを経て、「クロマティ/モッカ」に落ち着きました。わたしはあじとに集まる人間の大半がネコ派であるなか孤高のイヌ派であります。わたしは宍戸錠みたいな顔をした大猫が好きなのです。ですから彼らも早く礼儀と強さを身につけた大人になってほしいと願っています。たまになでてやるのはかわいいからではなく根性の曲がった大人に育ってほしくないからであり、猫じゃらしで遊んでやるのはいつか外猫になったときに立派なボスになれるよう足腰を鍛えているだけなのですが、対外的には「猫の好きな人」に見えるかと思います。しかしやって来たときには小学生ぐらいのかわいこちゃんでしたが、このごろ図体はでかくなり小知恵をつけ精神的にはガキ、というまさに厨房状態になってとてもいやです。以前ながさわという人が「自分の子供が中学生になるかと思うと子供を産むのがいやだ」と言っていましたが名言です。 |
2002年 6月 24日 (月) 桂 |
今日は『住宅建築』編集者中村謙太郎さんが京都にやってきていたので会いました。昼間は輪島にいたとか。京都三条木屋町のクック・ア・フープに行きました。ここはラテンがかかっていてピータン豆腐やら豚の角煮のはさまった包子のうまい、結構昔からある定番飲み屋なのですが、じつは間宮さんという関西を代表するインテリアデザイナーが設計したデザイナーズレストランのはしりだと聞いたことがあります。床にタイルで模様を作ったり、不定形の壁がむら塗りだったりと、設計図のある店にはみえません。どうみても店の人らがセルフビルドで作ったようにしか見えません。ちょこちょこ雑談ちゅうに面白い方向性が見えてきたかな。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2002年 6月 20日 (木) 桂 |
昼すぎから大阪に出ました。まず中之島にあるgrafに行きました。……行ってみるまでは「どうイチャモンをつけたもんか」と思ってたのですが、逆に感心しました。内装はけっこう抜いた感じで、床も天井も窓もけっこうそのまんま、いじってません。カフェに入りましたが空間構成は超オーソドックス。「建築的」に、床から天井までバリっと区切ったりしていない。ただその場所を区切る壁や床材、家具がいい感じなので空間が成立している。家具ブームって、アンチ建築(構築)のムーブメントなんだと再認識しました。そして【高松伸と私】展覧会に行きました。学生さんの卒業設計や設計演習の過去ログが展示されていました。角田くんが映像化の作業をしたそうです。右の人と合流して堀江の町をうろうろし、てきとうにお店に入ったら、椅子が全部grafでした。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2002年 6月 19日 (水) み江 |
わたしは左の人とちがって活字を読む習慣がありません。したがって本屋とか図書館というところにも必要なとき以外はまず行きません。しかしこのごろは教え子の中2男子の参考書を買ったりするので(以前よりは)本屋に行くことも増えました。ご存知のように教科書とか問題集のたぐいというのはゲロも出ないほどつまらないので、あれで勉強しろというほうがどだい無理です。講談社といえばわたしはこの前のNHKスペシャル以来まーだ2ちゃんに貼りついており勇者的活動はしないけれども検証本ぐらいは3冊買おうかと思っている程度に腹を立てている件の首謀者でありますが、なんだかんだ言って講談社は障害者を食い物にしたり二番煎じ雑誌をたくさん出したりして儲けた裏でこういうあまり金にならなさそうなことをやっています。阪神大震災のとき善良な市民から巻き上げた金で炊き出しをした山口組の姿が重なります。ところで最近の中学英語の教科書見たことありますか。・介助犬のおしごと・将来の夢は農業です・日本は単一民族ではありませんアイヌがいます・サラワクの森林伐採・コロンブスはアメリカを「発見」したのではないなんかすごく時代を感じます。自分が中学生のときはオンドリの喧嘩の話とかおめでてえ文ばかりだった気がしますが。あと昔はスティーブとメアリしか出てこなかったけど今はキムさんとかムカミさん(ケニア人)とかがいます。 |
2002年 6月 18日 (火) 桂 |
『誇大妄想建築ー森田一弥個展』を見てきました。場所は日本イタリア京都会館の地下にある、ちょっとイカした古めの物件を扱ってる不動産屋さんspace alternativeの付属ギャラリーです。これはもしかして左官屋さん?そういえば、こないだアジトに遊びに(勉強しに)やってきた関西大学4回生の梅田君が、「京大の設計作品てオレらには想像つかないような(ヤヴァイ)作品がバンバン出てくるんですか」などと言ってたので、「いやそんなことないよ」と答えたのですが、やっぱ京大ヤヴァイのかも。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2002年 6月 12日 (水) 桂 |
や、びっくりしたです。ファンなのでおくやみをかいたほうがいいのかなああでもどうせなら文体模写とかで書いたほうがいいよな…と思ったら、yucoさんの日記で挙げられてたこれ最強。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2002年 6月 5日 (水) 桂 |
6/3(月)松田達さんの企画により、修学院離宮に行ってきました。すごく楽しいところでした。現代人が「おうちをカフェみたいにしたい」とか「デスニーランドに住みたいナー」とか思ったとします。やられました。写真では伝えにくいのですが田んぼとかがあるのもまた、アントワネット様がお遊びで農作業をなさったというプチトリアノン宮殿チックでいい。ちゃんと(?)大原女もいた。同じ建物を左から撮ったもの/右下から撮ったもの近世の庭師たちは、現代の空間プロデューサーよりももっと口八丁でうさんくさい奴らだっただろう。そんな話を(右の人と)しました。わたしはそこで帰りましたが、残った皆様はその後桂離宮→金閣寺→京都国際会議場とハシゴしたそうです。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2002年 6月 1日 (土) 桂 |
今日は、あじとに東風意匠計画の大川信行さんと山内彩子さん、F.O.Bにおつとめの篠原真基さん、説明省略松田達さんが来ました。とても10+1な感じなのは山崎が連れて来たからなのです。出た話題は、VOGUE NIPPONの某特集にツッコミを入れるとか。われわれに合わせてくれたのか、その前に十分お話をしていたからなのかどうかはわかりませんが、まともな建築の話があまり出ませんでした。大川さんに「どっちが左か右か」を一発で見抜かれたり、松田さんに「なめくじ大丈夫でしたか」とか言われたり。ここで重要なのは「我々が、そのみなさんの書いた文章をほとんど読んだことがない」ということなのだ。今週のSPA!にあったのですが、大槻ケンヂは人と会うときは著書に付箋を貼りまくったやつを持っていって、「読んでるぞ!」と威嚇するんだそうです。我々も『ランドスケープ批評宣言』にバリバリ付箋を貼ったやつを机にドン!だ。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2002年 6月 1日 (土) み江 |
東京日記を書いたもののいつものように放置してあったのでまとめてうぷします。5月19日(日)今日はシマーモト君ことエス本くんと、エス木くんという男子2名と遊びました。エス本くん(ぽむ界隈でのあだな:人生負け知らず)はあれからピンクのベルトを締めてめでたく就職が決まり、この4月からマガヅンハウスという会社で働いています。エス木くんというのは京大けんちく構造系出身ですが大学で会ったことなんか一回しかありません。設計演習や構造力学の単位をご学友に×で×××××させて卒業した極悪人ナンチャッテ建築くんですが、お金を貯めてあのetwに出資したり内装(の施工)も手がけるなど「けんちくカコイイ」こともしています。めでたく就職が決まり、この4月からパッポン堂という会社で働いています。彼らとはバイト先の予備校で一緒でした。むやみに高教養高知性な会話の飛び交う講師部屋にあって、高校生ともせんようなくだらねえ話ができる同僚として貴重でしたが、なんか揃って超人気企業に就職しちゃって辞めちゃったのでみ江さんは友達がいなくなりました。そんで早速東京弁なんかしゃべっちゃってスーツとか家具を大人買い(*)しちゃったりして憎いこいつらが憎い×100(*)ペプシを箱買いしたり100k円のスーツを3着買ったりする買い方のことそれでこんなバブル野郎どもと何をしたかというと、「中田カフェに行き、たまたま行われていたたしはこの時間は「私の青空2002」を見ていたのでよくは知らない';return true">木村&さんまドラマのロケを眼下に見物しつつ、某製品のCFプランを考える(←パッポン堂の研修課題であるらしい)」トーキョーブラボー!(ゲラ)業界人ブラボー!(ゲラゲラ)なんかもうわざとやってんのかって感じですね。中田でひと儲けを考えた頭のいい人間について思い巡らす。あと今日は有楽町ソフマップに行きました。むりやり無印と合体したりして努力していますが店内自体はただの「広々したソフマップ」。・初心者および女子の大半は機械に詳しい人と買いに行く→秋葉に連れて行かれる・一人で買いに行く人のうち、他人に頼らない向学心のあるタイプは自分でいろいろ調べて安い店を探す→秋葉に行く・一人で買いに行く人のうち、周りに詳しい人がいないためそうせざるを得ない人は厨もしくは引きこもりなので銀座のような街には出ないと思われしたがってパソコン屋がお清潔でお銀座というのは女子供のための動機にあまりなってないんじゃないでしょうか。競馬なんかはイメチェンでずいぶん成功しましたが「ねえ今度競馬に連れてって〜」とは言っても「ねえ今度パソコンショップに連れてって〜」とは言わんだろふつう。とここまで書いて気づきましたがそういえばいましたいましたこういう店にふさわしい客層。20代後半〜30代で男子はさほどパソコンに関心があるタイプではなくお買い物のついでになんか新しいお店ができたからねえちょっと寄ってみなあ〜いって感じの。まあ何より問題なのは店員がたURL';return true">秋葉原とちっとも変わらんことに尽きます。建築と広告は使う頭が一緒というか「建築学生は使える」ことを知ってるあたりがさすが電通の次ぐらいというか。5月18日(土)今日は例のパリ13区ピアニストがリサイタルをやるので行きました。千駄ヶ谷の会場までわたしはふつうに電車で行きましたが、母をはじめ地元の人々は例によって近所の老人ホームかどっかのマイクロバスを借りて行った模様です。彼女とは「こんな年にもなって定職もない貯金もない免許もないようするにダメ仲間」として仲良くしてきましたが、なんといつのまにか免許を取りしかも音大の講師の口まで得ていました憎いこの女が憎い本日のプログラムは、バッハリストベートーベンショパンのそれぞれ最も有名な部類の曲を弾くという、豪華幕の内弁当(しかも彼女の得意とするフランスとかロシアのおかずが入ってない)を通り越してもはや巨人であり、演奏家にはどうにもならない巨大な意思すなわち興行者様とかスポンサー様の存在を感じさせました。アンコールに弾いたドビュッシーのマイナーな曲に本人のささやかな抵抗がうかがえます。 |
2002年 5月 28日 (水) 桂 |
夜、友人はっちゃんのさそいで、鴨川の河原でお弁当を食べることになりました。参加者は、腐れた友人ながさわと我々です。そこにショウガと山椒のはいったおにぎりがありました。ゆっくりいただこうと、ラップにくるまれたそれを、開封したまましばらく放置しました。再びいただこうとソレを一口、なにやらネバネバした食感が口中に…。大急ぎでアジトに駆け込みました。猫が逃げ出そうとするのも放置して一目散に洗面所に行きうがいを100回して歯ブラシで舌をガリガリやりました。そうこうしているうちに他の人々もアジトに戻ってきました。どうやらナメクジがもの凄い大群でいたようです。」(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2002年 5月 22日 (木) 桂 |
あじとにやってきた猫クロマティ高橋右の人が出版関係に就職活動をしていたころ、web時代の本は一体どうなるのか、みたいな議論をまじめにやってたのです(み江さんが)。で、(もちろんみ江さんが出した)結論は、「モノ」として生き残る、ということです。たとえばWsamarus2001とか。気の利いた装丁。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2002年 5月 21日 (水) 桂 |
アトリエ・ワンの事務所が近かったので、諸々のお礼に伺ったものの、お二方がおらず、所員さんと雑談。ようするに親分が居ないうちに勝手にあがりこんで「ぽむ参上!」と壁にでかく落書きして帰ってきたようなもんです。しかも所員さんたちにアトリエ・ワンの新作物件を教えて貰ったのですが、右の人が「ラーメン!ラーメン!」と騒ぐので、一つも見られませんでした。ゴメンナサイ! 地図のコピーまで貰ったのに。茗荷谷に移動して、美術出版社の斉藤さんにお会いしました。」「あ、こんなところに収納が」「いや、きっもちいい〜ですねぇ」とか言いながらずかずか上がり込んで茶を飲みました。神社の敷地の一部なのだそうで、鳥居がみえますい〜い眺めですねえ(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2002年 5月 20日 (火) 桂 |
東京に行ってきました。足もと固めますレストランタワーはと、の看板東京タワーツリー東京タワー水族館とその魚スーベニールたちあふれる昭和感。改装されたカフェ東京タワーを自分なりにカスタマイズして楽しむステキ夫婦楽しいおみやげコーナー。右の「スーパー模型」に注目だ! けんちく模型の最新流行は薄い素材の模型とどっかで聞いたのですが、こういうことですか?(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2002年 5月 14日 (水) 桂 |
アトリエ・ワン出版から出た「ブロークン・パリ」を山アから見せてもらいました。パリ随一"ダメ"な区である13区をリサーチした本。13区について、なんとなく記憶がよみがえってきました。我々だいぶ昔にパリ旅行にいきました。そのとき現地ガイドをしてくれた右の人の幼馴染みピアニストさんはフランスの有り難い感じの文化について潔く無頓着でした。図書館で楽譜借りるから行っていい?といって連れて行かれたその図書館は、あの図書館でした。彼女はむしろ治安のよくない=素人にはお勧めできないとされる13区になじみがあるらしく、「ごはん」とか「買い物」とかリクエストをすると何故か13区に連れて行かれるのでした。右の人が安い旅行鞄が欲しいといったらチャイナタウンの中にある船場問屋街ライクなショッピングセンターに連れて行かれました。フレンチをモリモリ食いたいといったら、観光客は絶対こなさそうなお店に連れて行かれました。でも13区を走るバスではスリに遇いました。やっぱり殺伐としたところなのだと思いました。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2002年 5月 14日 (水) み江 |
左の日記がやたら長いのでこのスペースを利用して連休(そんなものはない)の過去日記を書いてみる。5月7日(火)恒例行事と化している健さんを聴きに行きました。奮発していずみホールのど真ん中の席を買いました。こんないい席座ったことありませんヒャッホウ。そこでいつもより微妙にめかし込んで行きました。そしたら山崎という人はネクタイ着用で来やがりました。わたし負けましたわ。でもリーマンのコスプレのようでした。健ちゃんの第九はまるでバロックのようなモダーンさでした。かっちょえかったです。今日の演奏はそのうちCDになって出るので、フェルマータ10秒伸ばすカツカレーみたいな第九にげっぷが出そうな人は食っとけ。健サマはあいかわらずしゃべりも指揮っぷりも明快!た';return true">私にもわかる!ステキー!話の端々からほとばしるあれはモノホンの教養しかもパーの私にもわかるように伝えようと努力してくれてるのよなんて誠実なのキャー!とつまりわたしは山形浩生がモテる(らしい)のと同じ理屈で健さんが好きなのです。まああれだ、無理無理でお勉強しちゃって岡崎京子がとか言ってるてめ(略)5月6日(月)おともだちが連休を利用して期間限定ロシア雑貨屋を開きました。そのためだけに単身ロシアに行って買いつけてきたそうです。かわいいものがたくさんありました。わたしは銀のスプーンを買ったよ。まああれだ、無理無理でお勉強しちゃってゴダールがとか言ってるてめえらとは違うってこった。でもそこはオタクゆえ、その才を商売に結びつけようとか何かに役立てようとかせず、ただ自分で消費しているだけ。企業はこういう人を雇ってぽーんと金を渡し勝手に遊ばせておくだけでずいぶん儲かるはずだと左の人などは前から言っていますが、いかんせん見た目がへにょへにょなので人事部のオッサンには見抜けません。まああれだ、女性ならではの感性とか言ってるやつに限ってわかってねえってこった。たぶん。建築旅行の際は紫タマネギに彩られた建物を見るだけでなく、かわいい人形とかハンカチを買ってきて女の子に配ると吉。5月X日連休前にうっかりあのNHKスペシャルを見ちまったせいでずっと祭に参加しています。見ましたかあれ。幸運にも見てない人は見なかった幸せをかみしめるか、あるいはまとめがいくつかできてるからちょいと見てゲロ吐きそうになってください。わたしはビルに航空機が突っ込んだときにも抱かなかった危機感という名の社会派な感覚を今回はもうほんとに珍しく抱きましたよ。NHKが講談社とつるんでるとか後ろにカルト団体がいるとか障害者の逆差別だとか、まあ突っ込みどころは無数にあるのですがそれにしてもヤヴァイのは、あんなぞんざいな番組で感動しちまう人間がたくさんいるという事実。そんなに簡単に洗脳されていいのかオイてめえらの人生は犬のクソより安いのかよアァ?もうなんでこの国が太平洋戦争に向かったのか少しわかった気がするよ日本はきっとまた戦争するさそのうちな、と生まれてこの方使ったことのない憂国という言葉が出てきそうな勢いで。 |
2002年 4月 27日 (土) み江 |
*たのかこの会社';return true">ケイブンシャの『ガンダム大百科2〜哀・戦士編』が届く。ほら子供のころ絶対一冊は持ってたでしょうハガキサイズで厚さ3センチぐらいあって「プロ野球大百科」とか「スーパーカー大百科」とかあるあれな。いや単にヤフオクで個人的に買っただけです1と3は持ってるんで抜けてる2を。「青少年おとなのための講座・アムロ精神分析編」とかいうコラムがあって、子供のころは難しい話だなスゴイナーと思っていましたが、今になって読むとアホアホな文章です。さてこういう本の元の持ち主はたいてい同年代の男子なわけで(1と3も知人男子にもらった)、当時小学生だった彼らのゆかいな書き込みが散見されます。誤植をじぶんで訂正した跡とかね。しかもカタカナのツが書けなくて「カシ・レシ・キシカ」になってたりとか。 |
2002年 4月 26日 (金) み江 |
お元気でしたか。わたしは冬が嫌いなぶんこの時期はいきなりトップギアで加速してオレ天才とか思ったりしておめでてえのですが、今年はなぜかいつまでたっても浮き上がりが訪れず、毎日激しく反省したりして殺伐と暮らしています。わたくしのことを漆原教授だとかたいですね夜遅くまで開いてる店な';return true">黒須仮名子だとかハムテルのおばあさんだとか言う人がいますがわたくしだって反省もすれば鬱氏もします。これはよくないと一念発起して、ぶりっと化粧して勝負服を着て網タイツとか履いて一人で祇園(のWINS)に出かけたら、たちまち冷えて病気になってろくでもありません。ちまたのおねえさんたちはよくあんな保温性も何もない穴タイツとミュールで平気だよなあわたしゃいまだに靴下2枚だしジーンズの下はステテコだよ。救いは皐月賞で(せこい勝ち方で)勝ったことです。小澤征爾って濃ゆい顔してたのな。 |
2002年 4月 23日 (火) 桂 |
用事が何もなくて夜8時まで熟睡してしまいました。「裏原宿系カリスマ☆不動産屋」「おしゃれカフェin&out」「Let's iモードマダム」といったラインアップ、いずれも素晴らしいものでした。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2002年 4月 22日 (月) 桂 |
ぽむアジトに来たお客さん。しっかりとした肩書きですが、70年代後半生まれだそうです。上2人は旅行中に立ち寄ったそうで、古本を買うのがとてもうれしい。建築設計室を名乗るおふたりは共に2ヶ月前に東京から京都にやってきて、事務所を開設したとか。東京で話題のどでかいプロジェクトの話とかしました。がんばって下克上した者が住めるのです。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2002年 4月 20日 (土) 桂 |
昨日はhashくんはじめ阪大の‘わかもの’が多数あじとに遊びに来ました。あじとの土間に停められた馬たち阪大生はバイク率が高いのだそうです。めずらしい特色だとおもいました。ケンチクナイトのビデオをお見せしたりした後、お好み焼き屋→14sdによるバーprestoopnikへ。ケンチクナイトお手伝い人でこのたび京大の某T研構成員となったdoppo君、ながさわ、山崎も呼び(つけ)ました。彼らは槇センセイの『建築と私』を京大まで聞きにきて、定員オーバーで入れなかったそう。たんです。 |
2002年 4月 11日 (木) 桂 |
パンフは結構気合いを入れて作ったものです。これにはビックリしました。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2002年 4月 10日 (水) 桂 |
日経アーキテクチュアが届いた。いや別になんか原稿とか書いたわけじゃないんですが、ケンチクナイトの宣伝を入れてもらった号を下さったのです。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2002年 4月 9日 (火) 桂 |
さて、ようやくですね、【ケンチクナイト】イベントレポートというか反省文をupしたのです。読んでね!→ケンチクナイト 反省wtnvさんの教え子さんで、東京からわざわざ来てくださった方が、こんなステキなレポートを作ってくださりました。→こちら我々のものとは違う観点からの率直な感想で、別アングルで撮影した写真も掲載されてます。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2002年 3月 29日 (金) 桂 |
ひきつづき【ケンチクナイト】に映像とパンフレット用の文章を寄せていただいたお礼のために、山崎とともにアトリエ・ワンを訪ねました。アトリエ・ワンは渋谷の裏手にあって、ウナギの寝床な細長い空間に机が横に並んでいました。本棚にけんちく以外の本がたくさん並んでいてとてもおもしろかったです。どうやら半分プライベート本棚化してるみたいです。裏にマンガもありました。「伝染るんです」が全部ありました。光州ビエンナーレに出してるインスタレーションもなんと「Manga Pod」というマンガに囲まれたツボ、というかマンガかまくらという感じのもののようです。そして店員全員外国人の店Las Chicasを経て、ケンチクナイトin東京話に興味を示してくださってるギャラ間の方のご厚意で空間術講座に行きました。二年前の新建築(2000年4月号)、岸×内藤対談の印象が強く、是非このひとたちの生対談を見たいと思っていたのでめちゃくちゃ楽しかったです。内容もその記事のネタの延長にあり、ビルバオを何故か(・∀・)イイ!と言い張る岸さんが他の2人からツッこまれいいわけしてさらにつっこまれるというかけあいが楽しいものでした。内藤さんが言っていた「いくじなし」の建築という概念もオモシロイ!座談会が終わった後、内藤さんにあいさつをすることになってしまい、ものすごく固まってしまい困りました。何を言ったか覚えてませんが何を言われたかは覚えてます。二川幸夫という方にぽむ企画のサイトを紹介したとかなんとか、ええ、なんだかその意味を深く考えて今すごく浮かれた気分が冷めて夢から現実に引き戻されています。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2002年 3月 28日 (木) 桂 |
イベント当日はけっこうバタバタしてしまったのでそれを詫びに行く気持ちも半分、ケンチクナイト、次は東京で、という流れがなんとなくできていて、そのあたりの話などをうかがいつつ、反省会。ビデオ(出演者のcocomadあこさんが作ってくれたダイジェストと、出演者の角田くんが作った自作の各30分)を見ました。会場は東工大ツカモト研M2で、ケンチクナイトでもしゃべってもらった「スーパー大学院生」藤村くんのあじとです。そんな彼のあじとなので、とても良い場所にあって模型とかがたくさん置いてあるような立派なオフィスに決まっています。ゼロスタshoさんと田中浩也さん、住宅建築中村謙太郎さんと、ちょうど東京に来ていた山崎がきました。shoさんから、なぜケンチクナイトに出ることになったかというあたりを聞きました。いや東京出演者のゼロスタ・田中・今日は来なかったけどwtnvというひとたちは全員極めて明るくてノリがいいのです。だからこそ初心者が開催する野とも山ともつかないイベント出演のために京都くんだりまでサクッと来てくれる。おもろい人たちです。みなさんに厳しくいわれたので、ケンチクナイトのリポートをおいおいwebに載せます。ビデオを見て「おもしろい」と言っていました。日記を読みながら「なんでこんなに毎日いろいろなことが起きてるんだろう」と思っていたわけですが、そのひみつがわかったような気がします。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2002年 3月 15日 (金) 桂 |
今日は鋭意【ケンチクナイト】の設営をしていました。そんなわけで、昼間からたら関西けんちく好き好き会の略なのね';return true">Kaのヤング3人、京大けんちくのdoppoとカヲルという『自ら進んで奴隷を引き受けたチーム』に来てもらい、ばりばり動いてもらいました。みな建築学生だけあって、自主的に空間構成なんかを考え、ちょっとした演出も提案してくれてしまいます。Kaの梅田君木村君は田中浩也さんの時間にDJもすることになりました。しかし机や畳を組み合わせて舞台を作ったり、暗幕を吊して空間を分けたりという作業はシロウトには難しいので、設営のプロを呼びました。そこでいきなりウレシイニュース!ケンチクナイトでは、アトリエワンの新作映像も流れることになったよ。なんと昨日完成したばかり!詳しくはプログラムを見てね!東工大塚本研の藤村という兄さんに来てもらいます。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2002年 3月 14日 (木) 桂 |
本日、ついに当日配る用のパンフレットができました。我々もかなり文字やら絵やら書きました。印刷技術についていろいろ教えてくれたたです。製本奴隷をしてくれたビハインドザマスクさんぶんちゃん学さんありがとう。編集長の山崎が「このパンフを読むためにケンチクナイトに来い」と言っています。他にもいろいろと機材関係の打ち合わせやら買い出しやらかけずり回っているのですが、それはまた別の話です。 |
2002年 3月 11日 (月) 桂 |
新建築増刊『建築20世紀』という、けんちくの大学院試の勉強をしたことある人は全員持ってるべんり本があります。それに載ってるたくさんの巨匠顔写真を見て、いちばんかっこいい人を選ぶという遊びをしました。さて気になる結果ですが、ワタシはグロピウス(グロさん)、み江は白井晟一(晟一サマ)を選びました。 |
2002年 3月 7日 (木) 桂 |
また曜日がずれてしまいました。 |
2002年 3月 7日 (木) み江 |
正月に今年の目標として「一人で釣りに行く」を掲げましたが、早くも撤回します。車の免許を取るのは延期となりました。もう決めたもんね。わたしは爬虫類並の冷え性なのでこの世で最も寒いのが嫌いです。(マジ)したがって2月〜3月は生きているだけでストレスがたまります。しかも山に囲まれてて空が狭くて圧迫感ありありでむかつきますこちとら関東平野育ちなんだよ空ってえのは無限にどこまでも続くもんなんじゃねえのかべらぼうめ、とか関係ないところで腹が立ったりしていけません。考えてみればわたしなんでわざわざ京都なんかに住んでるんでしょうね。そういうわけですから以前から、仕事をするなら2月は1ヶ月まるごとヴァッケーイションを取れる仕事にしようと考えていました。盆も正月も要りませんから2月だけはあたたかい南の島で暮らすのです。今年はうっかりケンチクナイトなんか入れちゃいましたが来年から鋭意実行に移すぞ。でもこういうことを言うとわざわざわたしの前で新しいお洋服を見せびらかしたりすてきなお食事のじまん話とかして貯金の邪魔をする奴が15人は出てくるに100ペソ。 |
2002年 2月 17日 (日) み江 |
なんか人と会ってばかりで楽しそうな気配もしますが書いてもつまらない事象とかもたくさんありますから見た目ほど楽しいオンリーというわけでもないです。昼は田中浩也くんフロム東京があじとにやってきました。学部こそ違いますが京都にいる時期がわれわれとずいぶんかぶっており、生息地も西部講堂周辺とかなり近かったのですが、初対面です。しかし生息地が近かったせいかいろいろな意味で話の通りがとても早かったです。田中くんはラーメンが好きそうでした。夜は技術ナイトでした。角田くんと中原くんが機材の相談にやってきました。いっぽうビハインドザマスクさんがあじとPCのネットワークの設定をしにやってきました。これだからスキルないのカコワルイとか言わ(略)角田くんらとビハインドザマスクさんはまったく別件でやってきて、お互い面識もないですが、よくわからないけど機械について何か話しており、何か生じたようでした。 |
2002年 2月 16日 (土) 桂 |
【ケンチクナイト】のサイトをだいぶ更新しました。フライヤーとかも出来ました。14日はwtnvさんが来ました。たぶん発音は‘うとぅぬう゛’だと思います。なんだか強そうなノートパソコンで、いろいろとプレゼンを受けました。しかしそのノーパソと、白ibookの2台を背負った人間に、「名古屋でういろうを買ってこい」と頼んだ我々はオニですか? でもぽむアジトに泊まるつもりでやってきた彼もたいがいだと思うので、まあいいか。ジャンプ二冊を枕にして、ホットカーペットの上で寝てました。今日はツカモトさんが京都に来られていたので、夜中に都会のバーに会いに行きました。「しゃべる建築」とか「ペットアーキテクチュア」など、けんちくな映像を見せて貰う予定でしたがいろいろ事情があって見られず。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2002年 2月 16日 (土) み江 |
2002年、冬平塚桂の元に一台のパソコンが届いた機械好きな父の手づくりであるパソコンはぽむあじとに運ばれた強力なスペックを生かし 映像編集の要となるはずだっただが パソコンは作動しなかったいぶかしく思ったビハインドザマスクがカバーを開けたぽむ企画の技術顧問であるマザーボードが 破損していた「これは、だめだ」男たちの戦いが始まったビハインドザマスクは直ちに電器店に問い合わせたしかし 求める部品は型が古く現在扱う店はなかった手づくりの壁が 立ちはだかったビハインドザマスクはマザーボードを求めて大阪の街を歩いた「あった・・・」ビハインドザマスクは工具を携えてぽむあじとへ急いだあじとにはエヌが待ち受けていたロボット製作に携わるプログラマである「こんなことは毎日のようにやっているから」2人は慣れた手つきでマザーボードを交換したチームワークがものを言った1時間後、パソコンが起動したあじとは歓声に包まれたこれ以降ケンチクナイトの準備は急ピッチで進むことになる(予定)「ありがとう ミスターマザーボード」(♪風の中のすーばるー 砂の中のぎーんがー)プロジェクトXなんてもんじゃないしプロジェクトPぐらいだな。 |
2002年 2月 14日 (木) み江 |
夜、wtnvさんという人が東京からあじとに来ました。山崎という人も打ち合わせに来ました。そして木本さんが刷りあがったフライヤーを持ってきてくれました。にぎやかでした。ピンク色でかわいいフライヤーができましたよ。 |
2002年 2月 10日 (日) み江 |
大阪でひのあにきと会いました。今までケンチクナイトの件で今までいろんな人と会いました。そりゃ話が多少かみ合わないこともありました。しかし今日は最強にかみ合ってませんでした。(これは、どうしたことだ。)と思いましたが、話しているうち、「ひのさんはケンチクナイトはおしゃべりをするところだと思っており、映像とか音楽はべつになくてもいいと思っている」ことが判明。 |
2002年 2月 9日 (土) み江 |
今日はぽむあじとの改造デーでした。あじとにパソコンやビデオを整備して、映像の編集ができる「すたじお」にするのです。今日は大勢の人が同時にいろんなことをして祭りでした。わたしはこんちうはかせ(ローディー兼和歌子*)とともに桂邸からパソコンを運び出したり、棚を買いに行ったりしました。ビハインドザマスク氏(機械顧問)とながさわ(映像制作)は機械のセッティングとかをしました。ぶんちゃんはお買い物に行き炊き出しをしました。エヌ氏はそれらとはあんまり関係なく玄関の電気配線を直しました。桂は連日のどれい労働のせいで床に倒れたまま息をしていなかったので葬っておきました。夜は鍋でした。そしてフライヤーづくりでした。桂さんが表(絵のほう)、み江さんが裏(文字のほう)を作りました。 |
2002年 2月 8日 (金) み江 |
チケットを刷りました。ちなみにこの店は同人誌制作べんりリンク集で見つけました。安い印刷屋を世の中でいちばん知っているのはあの人たちです。しかしチケットにうその地図を載せました。 |
2002年 2月 7日 (木) み江 |
えがちゃんがぽむの好きな焼き菓子をたくさん持ってあじとに来ました。ケンチクナイトでも「えがケーキ」を売ってくれることになりましたよ。 |
2002年 2月 6日 (水) み江 |
会場でお客さんに配るパンフレットづくりのノウハウを教えてもらうため、パンフ編集長の山崎とともに、イズミという人を訪ねました。この人はZujaというフリーペーパーを発行したり、全国のフリーペーパーを集めて展覧会をたと心底思う';return true">やったりする手だれです。集めたフリーペーパーを大量に見せてもらいすごくおもしろかったです。デザインから内容まで勉強になりましたよ。ところでイズミはいま流行りの「西陣の町家」を3人でシェアして暮らしていました。中途半端な町家だけどねと言っていましたが、中途半端対決ではぽむあじとの勝ちでした。 |
2002年 2月 5日 (火) み江 |
ながさわがイームスが撮った映画のDVDを買ったとかで、あじとで一緒に見ました。見る前は「オシャレなものがきらいなながさわ」と「イームス」が結びつかなかったのですがこれがまあガツンなビジュアル映画でした。たとえば「校庭を洗う」と題して、アスファルトの上を洗剤のあぶくがきれいな模様を描きつつゆっくり流れていくさまをアップで延々撮るだけなんですが飽きない。あと自邸を撮った映画もありましたが、ぜんぜん建築映画じゃなくて、家の植物とか小物とかをアップで次々写すだけの、どうみても雑貨映画。まあようするにこのイームスって人らはオタクで、イームスの椅子が置いてあるカフェとかが好きで夫婦としてのイームスにあこがれちゃったりするカポォなんかよりはるかにながさわに近い人種ってことだ。 |
2002年 2月 4日 (月) 桂 |
重い荷物を運んだり積み上げたりしてとっても運動になります。ものすごい速度でガムテープをはったり新聞を丸めて詰めたりの作業をリピートするせいか、こないだから左手の筋がなんかおかしいです。でも仕事が奴隷すぎて次のなり手がいないし、そもそもそこでバイトしてる人は全員辞めたがってる気配があるし。スキーはやったことがありますが、スノボはない。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2002年 2月 4日 (月) み江 |
お手伝いきぼんのどっぽ君(本名)という人があじとにやってきました。京大4回生・留年決定してヒマ・設計演習すら単位を落とす引きこもりというので、どんだけダメなやつかと思ったら、あじとに来る客の中ではたんだ言ってみろ';return true">シマーモトと並ぶぐらいのおしゃれ野郎(パンク系)が来ました。オープンデスクもちゃんと行ってるししかもなんかプロポーザル通ってるし、単位ないとはいえなんかけっこうちゃんとデザインをやっているみたいなのです。物理工を卒業して建築に編入したと言ってました。 |
2002年 2月 3日 (日) み江 |
カヲル君とともに吉田寮食堂の実測をしました。桂は15分、わたしは30分遅刻していったところ、カヲルが一人でほとんど全部済ませていました。試験前の学生さんにこんなことをさせるわれわれは鬼畜ですか?夜は、モトリペアが縁でメールをくださった木本さんがあじとに来ました。ケンチクナイトの印刷なんかをお手伝いいただけるというだけでなく、なんと!スバラスィー洋菓子を持ってきてくれました!われわれには手の出ない高級品です。あじとはえさを投げ込まれた魚群のごとき興奮状態。木本さんは神扱いされました。たったこれだけで手のひらを返したように対応が変わります。 |
2002年 2月 2日 (土) み江 |
「ボランティアという名のどれい大ぼしゅん」の告知を出したところ、数名の学生さんが名乗りをあげてくれて、あじとにやってきました。ほかの3人はイベント好きの兄さんなので納得がいくのですが、この人は「川端たのか';return true">ニックはオレの部屋」と豪語する日曜大工系であり、べつに映像とかに興味があるというわけでもなく、ぽむ読者であったわけでもなく、来た理由がどうしてもわかりません。でも絶対誰もやりたがらないだろうと思っていた立て看板を作りたがっていたのですごく助かりました。 |
2002年 1月 29日 (火) 桂 |
そして先週号から"学生クリエイター男子"が登場しました。なんでも彼は「前からユニットを組んでVJのはしりみたいなことをやってた」んだけど、「今は空間とかグラフィックとかの仕事をノンジャンルにやってる」と。そして「コンテナを改造したアトリエでオンガクのついてる映像」とかを流して、女子を口説くわけです。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2002年 1月 24日 (木) み江 |
わたくしの生活に「テレビ」と「ビデオ」と「ゲーム」が加わりました。長年そうした文明の恩恵を与ってきませんでしたので、マッチを手にした原始人のごとくまだ使い方がよくわかっていませんが、火の便利さを覚え「かくへいき」とか作るようになるまでそう時間はかからないと思います。マターリした音楽とともに「世界の車窓から」みたいな国内外各地の風景映像を延々垂れ流しにします。先日は海辺の町の日常風景を流していました。地べたに店を広げるおばちゃん。わしづかみにされたカニが暴れます。北陸の鉛色の空がまぶたに浮かびますね。そのミスマッチがかっちょエエかといったら特にそういうわけでもないし。 |
2002年 1月 19日 (土) み江 |
(たぶん)日本で最も忙しい指揮者健さんが大阪に来たので山崎という人と聴きに行きました。ケンチクナイトさえなければ群馬まで行く勢いだったんですけれどもね。大阪センチュリーのいずみホール定期で、ベートーベンの7番8番でした。オタの人のために書くとベーレンライター版です。プログラムにはありませんでしたが、今日は最初に朝比奈隆追悼演奏ということでベートーベンの弦楽四重奏曲をやりました。隙がない熱演でスゲエおもしろかったです。7番もかっちょえかったですが、個人的には今までおもしろいと思ったことのない8番をおもしろいと思えたのがよかったですね。この旋律がこの楽器からこの楽器に渡されるとか、ここはこの楽器とこの楽器を鳴らしたいんだとかが、耳の中で金魚を飼っているわたくしなんかにもわかる(気がする)わけですね。そんでようやくベートーベンてスゲエなーとか思ったりするわけですああ手続きがめんどくせえなあ古典てやつはよ。自分が歌ったときにも思いましたが、オケの人もすごく弾きやすそうな指揮だと思いました。あと今回もぜんぶ暗譜でやっていました。あんまりぴったりくる感じでもないのですが強いて挙げるならということで。 |
2002年 1月 12日 (土) み江 |
いつもは位の低い客しか来ない位の低いぽむハウスに、今日は位の高いお客様が二組も来ました。位が高いので鯛のあら炊きをお出ししました。(ようするに作らせる)石田くんといって、京大の総人を出たあとなぜかサイアークに行ってけんちくを始めた人です。ケンチクナイトで使えやゴルァとゆって、授業で作ったけんちく映像「まちののりもの」(われわれが勝手に命名)を持ってきました。へぼいもん持ってこようものなら小一時間問い詰めてやる気まんまんでしたが、これがなかなかよいものでした。ロスの都市の風景をつなぎ合わせただけの映像ですが「カチョイイorめずらしい絵」「畳み掛けるようなテンポ」「長さは3分以下」の3点が揃っており、映画の予告編のごとく飽きません。ありがたくケンチクナイトで使わせてもらうことにしました。へぼかったらお約束どおり小一時間問い詰めます。二組目のお客がまた位が高い。もちろん単独でお見えになるわけもなく、連れてきたのは同業者の友達がいない設計事務所員・毛利たんハァハァであり、彼は「白」ぐらいです。さすがは貴公子、うちの2軒となりのコンビニにシーマで乗りつけ、麩菓子だの韓国海苔だのCD抱き合わせチョコレートだの駄菓子を大量に買ってきてくれましたが、明日は「生け初め」だからと言ってにんにくポテトチップは2枚しか食べませんでした。 |
2002年 1月 8日 (火) み江 |
めずらしく終日けんちく番組でした。今日、「建築と私」行ったんです。そしたらなんか人が少なくて空席まであるんです。お前らな、こんなありがたい説教聴き逃してんじゃねーよ、ボケが。これ考えるのけっこう大変なのでこのへんでやめますがあいかわらず身の引き締まるお話でした。わたしはこの世でもっとも「説教オヤジ」をなめくさっていますがユキオ先生ともなると別です。■夕方:ワイドショー今日のユキオ先生の話で、ライトは計算ずくで商売人で口八丁で腹黒(いやそこまで言ってない)という話題が出ました。そこで先日諏訪内晶子ファンであることをカミングアウトした山崎という人がいいことを言った!「ライト=カラヤン」なるほど計算ずくで商売人で口八丁で巨匠ですね。なお小澤征爾=安藤忠雄であり朝比奈隆=丹下健三ということになりました。■夜:トゥナイト新年会はオトナの話でした。 |
2002年 1月 7日 (月) み江 |
明けました。本年もよろしくお願いいたします。というかここ数年出してないのでもはや来なくなりました。今年の目標は昨年末にも書きましたように「ひとりで釣りに行く」。そういえば去年の目標「掲示板デビュー」を果たしてないような気がしますがテメエで掲示板つくって書いてますからよしとしてください。 On hearing the news, ...=( )( )( ) she heard the news, ...みたいなやつな。ちなみに去年の初夢は、「『いやー文章で食べてこうと思ったら僕ぐらい仕事しないとやっていけないんだよねー』と五十嵐隊長にしみじみ言われる夢」でした。われながら天才的な初夢だと思いました。あまりにネタくさいので黙っていたのですが。 |
2002年 1月 6日 (日) 桂 |
Flashで年賀状つくりかけたのだ。ゴノレゴみたいにお話するヤツ。ゴノレゴ作ったポエ山さんはMacOSにデフォルトで入ってる音声ソフトを使って作ってるらしいのです。簡単そうに見えたので「よーし桂さんもお話つくっちゃうぞー」と作り始めたんだけど、なんか巧く作れなかったので、最後のシーンだけgifにして控えめにupします。こちら→(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2001年 12月 31日 (月) み江 |
今年最後の1日に何をするか考え、「引っ越し以来片付いてないわが家を少しどうにかする」と、「今年の総括をする」で悩みましたが後者にします。ようするに書きかけて放ってあった日記をアップするということです。 |
2001年 12月 30日 (日) み江 |
朝比奈翁がお亡くなりになって、自分はオタでもヒナラー(と言うらしい)でもないけどめずらしくいろいろ考えました。ステージに登場しただけで魚おおおおとものすごい拍手が沸き起こるのです。足取りもやばいし腕もちゃんと上がってないんですけどそれでも一部で一般参賀とか呼ばれていたスタンディングオベーションが魚おおおおおと5分でも10分でも続くわけです。うおと読んでください念のため。ああ今日も無事に舞台に上がってくれた、それだけでみんな幸せになって帰っていく、もう生きているということ自体が芸。この人は100歳まで振っている気がしていたしいつでも会えるなあと思っていました。小学生のころ親戚やいとこたちと遊園地だったか水族館だったかに行くことになって、とても楽しみにしていたのに、当日少し熱を出してしまいました。わたしは平気だから連れてってくれと頼みましたが、大人たちは「またいつでも行けるから。」と言って、あたりまえですけど取り止めにしました。わたしは大丈夫だからと泣いて主張しながら、ああこの機会を逃したら二度とそこには連れて行ってもらえないのだなと冷静に理解していました。子供は可能性が失われることに対して泣くんじゃなくて、目の前の一瞬が失われたことに対して泣くんだな、とか、ともあれ2回だけだけどジジイを生で聴けてよかった、とか思いつつしんみり追悼番組見てたら山崎というやつから電話がかかってきて、「追悼特番見てますかみ江さんこの手のじいさん好きでしょう。」と言われて当たっていたのでむかつきました。 |
2001年 12月 21日 (土) 桂 |
右の人が合唱に参加する第九を聞きました。これまで「指揮者って楽器も弾かないのに何故リーダー的に扱われているのだろう」という認識だったのですが、今回、素人合唱団入り大混成オケを大統率していることを目の当たりにし、ようやく指揮者はちゃんと全体をきちんと監督してるんだってことがわかりました。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2001年 12月 21日 (土) み江 |
さて本番でしたよ。わたくしは「女学生ふう」をコンセプトに白綿シャツ+黒プリーツスカートでまとめましたので、調子ぶっこいて「おさげ髪」で舞台に上がりました。健さんの指揮はもう超超超歌いやすかったです。合唱の部分は一緒に歌ってくれるし(棒だけだとずれがちなのだが口動かしてくれると安心)、オケとずれたらはいこの楽器に合わせてねをしつこく言うし、ちゃんと合えばにっこり笑ってオッケーを出すわけです。念のため言っとくとこれらは当然オケの指揮もしながらやるわけです。4楽章しか聴けませんでしたが、譜面に忠実できびきびした第九でありかなり好きなタイプのベートーベンでした。でも自分みたいなのが足を引っ張っているかと思うとなさけなくて歌うのやめたくなります。クラオタというか音楽全般オタのビハインドザマスクさんとその同居人のぶんちゃんという人にかんそうを聞いてみました。お前は合唱をやる気があるのかと小1時間問い詰められるかと思いましたが、「ぜんぶ暗譜で指揮していた」「しかもミスがなかった」「オケの人弾きやすそうだった」「あんな親切な指揮者いません」「ずれ直し力がすごい」「たぶんほとんどリハーサルなしだろうけど」「いやー見どころたっぷり」とか言って楽しそうでした。この人たちは観客のプロなので、京響の実力とか、み江さんみたいのが混じってるアマ合唱団のレベルがどんなもんかはわかってますから、ずれまくったり音外しまくったりはアタリマエで、その上で指揮者がどこまでがんばるか、を観察して楽しんでいるらしいです。素人合唱聴かせて申し訳ないと思っていましたがこんなに喜ぶんだったらチケットまけてやるんじゃなかった。・家族や知人が出ていればブラボー→満足度◎・多少聴く耳がある→満足度△・観客のプロ→指揮による健さんは合唱団の女の子には髪形がカワイイと言われ、左の人とぶんちゃんにもれなく萌えられ、やはり外見で得をしているのではないかと思いました。もちろん合唱中脳内になんか出していたわたくしは超超超ラブです。とりあえず来年の衣装は「女教師ふう」で逝きたいと思います。 |
2001年 12月 19日 (木) み江 |
なんかまーだカンチガイしている人がけっこういるのですが素同居だって言ってるでしょうアンダスタン?明日の家族とすまいのあり方を考えるけんちく人ですもの「20代独身男女が一つ処に住む=入籍とか同棲の類」などといった発想はもっちろんしませんよねもちろん?ひとりでだらだら昼メロ見ていたら大阪ガスの人が点検に来ました。あからさまにわたしより若い兄ちゃんです。おっこれはまさに『危険な若奥さまの昼下がり』というやつであるなさすが一軒家ヒャッホウとか思っていたら、ほんとに点検票に「応対した人:奥さま」に○をつけられていて鬱でした。大阪センチュリーの定期演奏会に行ってきました。最近「皇太子をかっこいいと思うようになってきた」らしい左の人といい何があったぽむよ。み江さんは耳の中でりすを飼っているので説得力ありませんがかんじんの音もたぶんいいです(*)。安い席しか座ったことありませんがあんまり悪くないからです。大阪のわさわさしたところに突然おカルチャーなかんじの森が現れて木々の間からエントランスが!ていうベタなアプローチもいいです。 |
2001年 12月 12日 (水) み江 |
召還されました。いやもうとっくに復帰してたんですけどさぼってただけです。引越して半月経ちましたがまだ松の内が明けません。これが新婚家庭(ゲラ)であればみな訪問を遠慮したりするところですがそうじゃないので容赦なく来ます。こっちもあまり客と思っちゃいないのでめしをつくらせたり茶を入れさせたりしていますから全然大変じゃありません。暖房照明等インフラが未整備なので、今のところ双方とも共用リビングを中心とした生活を送っています。そんでただいまーとか言うわけです。ここはひとつ「お風呂?お夕飯?それともア・タ・シ?」といった最低のいやがらせをしたくてたまらないのですが、嫌われて出て行かれると(家賃に)困るので我慢しています。そんでわたしがガンゼンヴェルトとかぶつぶつ言ってる横で、エヌ氏がカワイイネとかコッチニオイデヨとか(シーマンに)言うわけです。そんでなぜかエヌ氏が突然「ぜんざい」を作り始めたりするわけです。なのでわたしもおこぼれを頂戴するわけです。やはりここは「ねえ一緒に暮らし始めて2週間になるわね(ポッ)」といった悪質ないやがらせをしたい気持ちでいっぱいなのですが、夜逃げされると困るので我慢しています。いやこの手合いのセクハラネタはすでに10個ぐらい思いついたんですけれども。わたしは以下のような変化がありました。・ちゃんと寝巻きを着替えるようになった・ちゃんと朝顔を洗うようになった・ちゃんと風呂に入るようになった・ちゃんと歯みがきをして寝るようになった・ちゃんと(以下続く)やっと人間になれたよベム!いつまで人間に化けていられるかが問題です。 |
2001年 12月 7日 (金) み江 |
今回は荷造りをもうマジでいっこもしませんでした。スタッフがやってきた時点で冷蔵庫の中は今朝まで食ってたまま、台所には今朝食ってた皿が転がっていた有様だったので、エロ崎先生にお前は本当に引っ越したいのかと小1時間問い詰められそうな勢いでした。少し言い訳をすると、部屋が狭すぎて荷造りが物理的に不可能だったのです。あと、本とか食器はまだいいんですけど、国籍不明のにわとりのお面だとかジョー樋口のぬいぐるみだとかクソリアルなへびのおもちゃ(*)だとか上海で買った動くパンダだとかが山のようにあり、これら意味不明のものが著しく整頓意欲を削いだのです。でも優秀なスタッフのおかげで夜には見事に終わりました。(*)母親の沖縄だか台湾だかのみやげ こんなもん娘へのおみやげに買うかふつうしかし引き渡された新居を見て超!超!超!ショック!!み江部屋が改装されています!塗り壁と竿縁天井が真っ白いクロスで覆われている!あの天井見ながら寝られるのすごい楽しみにしてたのに!むあー!大家さんは親切でやってくれているだけに苦情の言いようがありません。しかも、やはり最近町家に引っ越したバイト先の編集者エヌ井さんから「うちの自慢の座敷の写真にょーん俵屋の壁塗った佐藤左官所に塗ってもらったんだよーん私が担当した佐藤さん著『土壁・左官の仕事と技術』も好評発売中よろしくねうほほーい」というメールが来たりして(いやこんな知性のない文章ではない)追い討ちです。もうクロスひっぺがしたろか。 |
2001年 12月 5日 (水) み江 |
過去日記11月22日(木)早起きをして尼崎に釣りに行きました。といっても仕掛けから何から準備してもらって、わたしはえさをつけて投げるだけです。空と海が広いところでした。風も雲もなくて、気持ちよかったです。連れていってくれたのは歴史研の同期で、グループに必ず一人はいる「先生」のあだ名で呼ばれる人です。先生とあだ名のつく人は一目置かれているの法則(われわれが勝手に作った)のとおり、この人はわたしが今までの人生で会った中でも5本の指に入る「根っからのクリエイター」で、気がつくと手が勝手に何かを作っているという種類の人で、しかも何を作らせてもプロみたいに完成度が高く、MKタクシーの車体イラストコンペに応募したら採用されて30万もらっちゃったりして、もちろん設計も大変にうまいのですが、建築もさっさと降りてしまい、休みが多いことで知られる天下のゆうめい企業系列のハウスメーカーで働きつつ、休日は釣り三昧という仙人みたいな暮らしを送っています。大漁でした。先生の実家にお邪魔して刺身で食べました。カワハギの刺身うまかったです。大量の魚をさばいてくれてたくさんおみやげをもらいました。アジとサヨリは塩焼きにしました。ママカリは酢漬けにしました。斜面に沿って家々が貼りついていますが、変な造成はせず山の形が丁寧に残されていて、各戸の敷地内に坂があったりします。むかし各戸に義務づけられていた生垣も少し残っています。ちなみに先生は卒論修論をこの地元の住宅開発史でお書きになり、そのテーマのおいしさに誰もが内心ズルイと思いました。わたしは実家が釣具屋であるのとはあまり関係なく釣りがけっこう好きですが、誰かが連れていってくれるのを待っているのもつまらないので、ここはひとつ来年の目標として「一人で釣りに行く」を掲げたいと思います。なのでぜひ「ぽむカー」を手に入れるところから始めたいと思います。 |
2001年 12月 2日 (月) 桂 |
Resfestに行ってきました。飢えをタダでもらえるチュッパチャップスでしのいぎつつ、かように芸術は「努力」「意志」にてムリムリにおのれの頭にインプットするもんですなとあらためて。ケンチクナイトもそのあたりを考えてうまくプログラムと会場構成を考えた方が良いかな。Metro止めて吉田寮食堂あたりが会場によいのかな。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2001年 12月 2日 (月) み江 |
今日は合唱の練習に本番指揮者が来る日でした。見た目はイジ(略)ですがキャラは紳士です。ロビーで佇んでいるさまはただの日曜日のおとうさんですが指揮台での動きは素おとうさんのそれではありません。あたりまえか。このギャップがさらに萌えをかきたてます。珍しいぐらい巨大掲示板で(外見以外は)叩かれないし、なまじ男前であるためにオタ男子からたとえばこの人とか';return true">の妬みを一身に浴びたりしないぶん、むしろ外見で得をしているのではないか?わたしはつねづねこの世で最も効率よく女にもてる職業は指揮者だと思っています。ただでさえ自分を教え導く人に惹かれてしまう女子は多いのです。与謝野晶子や華原朋美や松本千秋はたくさんいますがその逆はあまり聞きません。でたまに目が合ったりする(気がする)わけです。ゆえにもてたければ眉毛を抜いたりダンベル上げたりする努力を音楽の勉強に回して母校のオケとか合唱団とかの指導に行くほうが堅実なような気がします。と経験者が言っていました。 |
2001年 12月 1日 (日) 桂 |
Resfestでは、teevee、宇川直宏といった有名映像作家によるショートムービーがいろいろみられるようです。文化情報通の元(今も?)オリーブ少女ミキコさんにオススメしてもらったスーパークールでヒップなアニメ「スーパーミルクチャン」も楽しみです。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2001年 11月 25日 (日) 桂 |
【ケンチクナイト】関係で、またまた[etw]にて話し合いです。DJさんを交えて「イベントとは」というあたりから講釈をもらいました。そこで唐突に「クラブと私」昔右の人と竹村延和さんを聴きにMetroにいった日のことです。クラブに疎い我々は10時に入り、何時間も前座(?)のDJタイムをやりすごしていました。いつはじまるんだろう(モヤモヤ)としていたところ、午前1時ごろに急に人が増え始め、メインショータイムが始まりました。待ちに待った竹村タイムが始まって30分くらいした時に、見覚えのある方がやってきました。それは「農学部く○しま」という、お世話になっている居酒屋の大将でした。大将は一言「今日のオンガクカッコエエな」と言いました。そう、大将はスケジュール表をみるまでもなく、ふらっとMetroにやってきたわけです。そして程良くオンガクを楽しみ、30分くらいしたらさっと帰って行きました。プレイヤーの名前と抽象的なイベント名の冠されたフライヤー。‘高松伸 島根県出身 織陣にて独特のスタイルを生み出し…’みたいにベタに説明して顔写真のっけるのは無粋なんですかね? 映画のようにキッチリタイムスケジュール組んでチラシに載っけておくのは無理なのか?とまあ自分の運の悪さや疎さからくる逆恨みみたいなことをつらつらと書いてしまいましたが、自分ならわかりやすいイベントを心がけたい。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2001年 11月 20日 (火) み江 |
きょう、「建築と私」行ったんです。そしたらなんか人がめちゃくちゃいっぱいで入れないんです。で、よく見たらなんかドア閉まってて、入れない人締め出されてるんです。なんかTRD通信とかにも載せてたし。で、仕方ないから弁当食いながら出待ちでもするかってんで、締め出し食らった山崎って奴と外に出たら、学外らしき人に、建築学科どこですかって訊かれたんです。それで弁当買って戻ってきたら、さっきの人が廊下で、ドアに耳押し付けて一生懸命聞いてるんです。そこでまたぶち切れですよ。あのな、遠くからわざわざ来てくれた人に、記者クラブから追い出された記者みたいな真似させんじゃねーよ。お前らは本当に講義を聞かせたいのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。お前ら、有名人呼びたいだけちゃうんかと。まあお前、1は、スケッチに色でも塗ってなさいってこった。 |
2001年 11月 19日 (月) み江 |
やっべー今週のワンピースマジ泣いた。(ベスト1はサンジ君編)わたし此度の戦が終わったらコーザはビビちゃんに譲ってあげますからチャカかペルと結婚しようと思ってたのにあんまりです。わたしとしては生きていてほしいのはやまやまですが、もしこれで死んでないようならメリケン粉にたんそきんと書いて尾田っちに送らなければなりません。昨夜はビハインドザマスク邸で鍋でした。この家は常においしいごはんが用意されているし、同居人のぶんちゃんはよくわれわれにレアなかわうそグッズをくれるので、「ぽむ み江」と書かれた歯ブラシが置いてあるぐらいよく行きます。その後みんなでしし座流星群を見に行きました。おるすばんしとってん君改めもう本名(に近い感じ)で書きますよシマーモト君がカーを出してくれたからです。ぽむにはもちろん車がなく、車を持っているお友達もなく、わたくしに至っては運転免許もありませんので、ドライブは大変ありがたいイベントとして珍重されています。2時ごろ船岡山に行ったんですが曇ってて、近くの建勲神社に寄って、「真っ暗な石段にじっとしゃがんでいるらしき人影」を発見(した気が)してギャーギャー叫んで帰っただけでしたが、4時にはきれいに晴れて、詩仙堂の上のほうまで行って、毛布に寝そべって見ました。りっぱな流れ星がたくさん飛んで、街の灯がぴかぴかして、この世はけっこう光栄に満ちているなあと思いました。もちろん願いごとも三度唱えましたよ「金金金」と。真っ暗な神社でかなり本気で無口になっていた左の人と、星が飛ぶたび「あっ」とか「わー」とか言ってなかなか願いごとが言えない山崎という人の姿が印象的でした。 |
2001年 11月 18日 (日) 桂 |
いろいろ話し合いをするために右の人の家に行きました。今、右の人の家は、タダでさえ狭いのに引っ越しのためのダンボール等により移動するためにはものをどかさなくてはならないという15パズル(�右の人)状態です。しかも暖房器具がないのでとても寒く、仕方なしに2人とも布団をかぶっていました。そこで話していたのは、水面下で進行中の【ケンチクナイト】関係のことです。0スタさんwtnvさんになぜか日埜さんまでも出演? なかみ知りたい方はこちらへどうぞ。と、マジメモードだった我々ですが、なぜか名古屋人ネタが出ました。なんで名古屋のソバは平べったいのですか?なんで名古屋の喫茶店はモーニングにあんこの詰まったパンを出すのですか?なんで名古屋のケコーン式はむやみにゴジャースなんですか?なんでさんざんネタにされてもその態度をくずさないのですか?ああなぜにゆえに名古屋の人は厳しく独自文化を持ちつづけるのでしょう。そこで右の人が一ついいことを言った!「名古屋は0地帯だ。東から来た文化も西から来た文化もここでリセットされて無になる。この前けんちくテキスト系サイトWSBさん(レビュー大募集中)に、こんなヒトの存在を教えてもらいました。さらにプリチーな背景つきだ! またよく見ると、おすすめマンガやおすすめ音楽や飼っているニャンコの紹介と一緒に自作けんちく設計作品の紹介があります。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2001年 11月 18日 (日) み江 |
「はい手を挙げたお客様今からスピーチをやっていただきます」おいおい大当たりだよ。ていうかちょっとできすぎじゃないですか?親戚や同僚やご学友もいっぱいいるのになぜゴルゴが狙ったように幼なじみですか?仕組まれた香りがすうっとたなびいていきませんか?と思ってふと周りを見るとみんな「赤いフタのジャム」をもらっているのに、わたくしだけなぜか「青いフタのはちみつ」。よい子のみんなはもうわかったよね?ラッピングは透明だから中身を「選んで」渡すことができるんだね!「はめられた・・・・・」それより肉食ってる場合じゃないですね。こんなうまい肉めったに食えないと思ってまさに気合入れんとしてたところだったのに。もうないことないことしゃべりまくったろか。アカペラで井上陽水メドレーでも歌ったろか毎日吹雪吹雪氷の世界。でもそこはぐっと大人になってちゃんと泣かせましたので誉めてください。えらいなあオレ、というか幼いころお母さんを癌で亡くした子だったので泣かせストーリーが即用意できたというのが真相。どんだけ写真ヘタクソでもラ・トゥーレットとか撮ったらそれなりに見られるってやつです。(新婦はわりとケロッとしていた)素で泣ける披露宴なんてもう一生ないだろうなあ。ケッコン式というのはどこか無理してて寒かったり腹黒臭がたなびいていたりというのが相場ですが、今回はマジでハートウォーミングな式で、ひとえに新郎新婦の人格だと思いました。しかも二次会まで楽しかったです。わたくしモテモテでした。 |
2001年 11月 16日 (金) 桂 |
右の人が夏休みの宿題を途中まで書いてほったらかしです。困ったものです。働いていたネットベンチャーが潰れて以来、ちょっと考えが後ろ向きになってもいます。ネットで金儲けは幻想、みたいな風潮も強い。まあこんなこと考えていたな、ということを書き連ねてみます。・大学院情報サイト某M工大のけんちく学生二名が遊びにやってきた時に思いついたネタ。・小学生向けポータルサイト私がネットベンチャ会社で働いていたころに思いついたネタ。それなりに敵はいますた人には楽しいゾ';return true">コレとかコレとか。結構マジメに考えていて、教育ストリーミング関係の展示会をお台場まで見に行ったりもしました。上の3つのうち、一番気合いが入っていたのは「小学生向けポータルサイト」ですね。儲かるかどうかというのはともかく、子供に理科や算数の面白さを伝えるコンテンツ作り、今でも純粋にやってみたいと思います。さて、地に足を、とか言いつつも今日も一つビジネスネタを思いついてしまいました。 |
2001年 11月 15日 (木) 桂 |
右の人推薦の「大建築」にあるBBSですすめられてたFlashムービーhttp://games.sohu.com/fightgame/fight3.htm とても(・∀・)イイ!!です。 |
2001年 11月 15日 (木) み江 |
本日のテーマ:精神世界深夜、近所のコンビニにおやつを買いに行きました。勘定をしているとレジの兄ちゃんが言いました。「いま何か音聞こえませんでしたか?」「え、どこでですか?」「この店の中です。何か太鼓みたいな音」「いやとくに何も聞こえませんでしたけど・・・」「ぼく霊感強いんです」兄ちゃんよ。「私いつも妹にお弁当つくってもらってるんだけどね、うちの妹むかしウルドゥー語やっててパキスタンに留学してたこともあるのね、その影響だと思うんだけど今ラマダンに入っちゃってるの、だからお弁当つくってもらえないんだよねー」彼女はふだんは豚も食べるし1日5回祈るわけでもないそうですが、けじめというか折り目つけるって意味でそういうのもありだなと思いました。ラマダン中の妹萌え〜とか思った奴は泣きながら去れ。わたしは以前、断食をすると宿便も出るし頭も研ぎ澄まされると聞いて、3日間おも湯で過ごしてみたことがあるのですが、とくに何も出なかったうえに風呂で貧血起こしてぜんぜん精神的ではありませんでした。その名もたい「大建築タイム」';return true">「大建築」 でかいぞ!そしてやられろ!なんだかんだいってみんなでかいものが好きなのだ。 |
2001年 11月 11日 (日) み江 |
冬毛も生えてきたし冬眠の季節になったからだと思います。■9月8日 土 くもり■幼なじみの結婚式に出席しました。小中と毎日一緒に学校に行き一緒に遊びお習字に通った親友です。そのさまはプチぽむでした。昔から女子2名でつるむ癖があったようです。会場は東京ベイに面したレストランです。わたしの案内されたテーブルは、同じく同級生で20代後半ダメ女仲間のホリエさん(とはいえ最近活躍しているのでわたし取り残され)のほかは、全員新婦の叔父さん叔母さんで、見事に親族席でした。レストランだけあって料理はおいしく、おっお母さんいけるクチですねとか言いながら親戚の方々とも酒をついだりつがれたり、本職のピアニストであるホリエが演奏を披露したり、楽しく宴は進行しました。肉が出てきたころ、新郎新婦がお色直しを終えて入場してきました。最近はキャンドルサービスという謎のイベントはあまり流行らないらしく、かわりに新郎新婦が客席を回ってひとりひとりにドラジェ(砂糖菓子)を手渡したりするようです。列席者には透明セロファンできれいにラッピングされたジャムの小瓶が手渡されました。ひととおり配り終えて新郎新婦が着席すると、司会の人が言いました。「恐れ入りますが皆様、先ほどお配りしたドラジェの包みをお開けになってくださいませ。手を挙げていただけませんでしょうか。わたしも肉をモフモフ噛みながらがさつに包みをほじくりました。当たりです!ヤッター!福引きは2次会などではよく行われますが、披露宴でやるからにはよほどいいものがもらえるに決まってます。わたしは元気よく「はーい」と手を挙げました。 |
2001年 11月 9日 (金) 桂 |
で、移転後10日分の統計をみたらこの結果です。無駄に意味ありげな順位で笑いました。Q2は出版社とかが2,3混じってたのを省くという情報操作をしてますが。出版社といえば、rockinon.co.jpからのアクセスが一回ありました。 |
2001年 11月 9日 (金) み江 |
そういうわけで最近はドイツを理解するためと称して『オルフェウスの窓』を再読したりジャガイモを食ったりしています。それで独文のドクターを講師に招いてドイツ語講座(と称した飲み食い)を開催したりしているのです。「歓喜の歌」(原詩:シラー 超訳:み江) 【祭】もうヒッキーじゃないよ【祭】 友達できた奴、彼女できた奴集合! みんなでワショーイしましょう。200人でこれを大合唱しろってか?わたしどこか間違ってますか?。 |
2001年 11月 8日 (木) み江 |
「風雲たけし城」好きだった人。「コリントでポン」てどういうのでしたっけ。どうもたよ';return true">こういうものであるということですがわたしの記憶では違うのです。巨大な柱の形をした着ぐるみを着て10人ぐらい並び、「スターボウリング」のごとく転がってくる大玉に倒されないよう踏ん張るってやつじゃなかったですか?そしてこれが重要なのですが、着ぐるみの柱はギリシャふうで、しかもてっぺんには渦を巻いた柱頭がついていたと思うのです。だからこそわたしは「渦の柱=コリント式」と思い込んでたのです。それがたんイオニアたんハァハァサイト';return true">誤りだとわかったのは大学に入って世界建築史の講義を受けたときでした。コリントでポンの由来は建築様式ではなくピンボールのほうだったのはまあ確かなことだとしても、でも柱頭は渦を巻いていたような気がする。 |
2001年 11月 7日 (水) み江 |
ナワバリ分け可能な間取りというのが絶対条件なのに加え、エヌ氏は駅近くだの猫飼うだの言い、わたくしはぽむ部屋をよこせだの犬飼うだの言い、家探しは難航すると予想されましたが、幸運にも不動産屋3軒目にして決まりました。ですがそんなに楽したわけじゃありません。じつはこの家には厳しい入居審査があったのです。それゆえ半年も貰い手がつかなかったようなのです。当然われわれには絶望的と思われましたが、しかしエヌ氏の勤務先が天下のゆうめい企業であったのをいいことに、わたくしの収入源が教育関係っぽい点をアピールしたり(嘘はついてない)、また最大の問題である月収はそれぞれ最も忙しい月の合計額を申告し(嘘はついてません)、せこい小細工で承諾を取り付けました。ああエヌ氏がちゃんとした会社員で本当によかった。これがぽむ二人だったら阪神が優勝するぐらい無理です。ところで今回の家探しで隠れプレッシャーとなっていたのは世評です。わたしはべつにマンションでもいいかなと思っていたのですが、みな他人事だと思って「マンションじゃ芸がないでしょやっぱ一軒家でしょ」だの「もちろんひねったとこに住むんですよね?」だの勝手なことを言いくさります。なんか銀行員との見合いにケチをつける人みたいですね「え〜ゲームクリエイターとかビジュアルクリエイターとかそういう人とケコーンしてくださいよぉ〜」余計なお世話です。安いボロ町家とか住みたかねーんだよ寒いし改装面倒だしKANSAI STYLEやりたきゃテメエでやれ、とは思いつつも気が小さいのでソバ職人ぐらいにはケチのつかなさそうな家を選びました。 |
2001年 11月 6日 (火) み江 |
「引越しと私」その2しかし数年暮らした結果、「暑かろうが寒かろうがあまり変わらない」すなわち自分は寒いのが嫌いというより動くのが嫌いなだけであり家の広さは関係ないことがわかりました。日記がcgiになったからといって更新頻度が上がるわけではないというのに似ていますね。加えて長い学生生活の澱が溜まり、少量の出血でも死に至る小動物のごとく、多少散らかっただけで居住機能が致命的に奪われて腐海となり樹液すする私は蛹化の女。というのは100万回生きても無理ですけどせめてシソや山椒を植えたり白菜を漬けたりしたいわけです。そういうのは自分ひとりのためにやってもつまらないので同居人がいるといいのです。そこでエヌ氏に話をもちかけ、このたびのルームシェアと相成ったのでした。わたしの周囲で理想の同居人人気投票ナンバーワンを獲得した人物であり、わたしとしては申し分ありません。はい今トタテグモって言った人。 |
2001年 11月 4日 (日) 桂 |
日記cgiのカスタマイズについては、この方にアドバイスをいただきました。解像度の低いモニタに対応させたりネスケ3に対応させたり。webバリアフリー主義で行こうと思っているので、表示がおかしかったりしたら教えてくれるとありがたいです。 |
2001年 11月 2日 (金) 桂 |
早速リンクしてくれたわれらが隊長ありがとうございます。・・そして、福島のファンキィな建築家たら、やはりfullchinドットコムなのですかね';return true">佐藤敏宏さんから、かなーり重要なまちがいを指摘するメエルがすでに舞い込みました。もひとつ、けんちく雑誌ガイドの更新日付が未来になってる、という指摘も別の方からいただきました。他にもバグ(というのか?)があったら教えて下さい。コソーリ水に流させていただきます。 |
2001年 11月 1日 (木) み江 |
さてぽむサイト引っ越しました4649アッレメンシェン。「建築と私」超ゴジャース編も始まることですのでわたくしもひとつ「引っ越しと私」その1。この4年半ほどはカプセルハウスに暮らしていました。6畳ぐらいの極小スペースにキッチンバストイレがぜんぶ詰め込まれているためこの名がついていますというか勝手につけました。大家さんとはときどき果物とかおみやげをあげたりもらったりするなど良好な関係を築いていました。親戚関係もなんとなくわかっちまいますしお子様が生まれるとか奥さんが変わるなどのドラマも知れました。先日引越し祝いにと大家さんにいただいたハンカチはわたしの好みのツボをついており、趣味もばれてると思いました。わたしは狭いのは苦になりません。寒いのが嫌いなので、家が広いととくに冬期(*)は台所寒い→お茶すら沸かさない風呂寒い→風呂に入らない着替えが寒い→一日中ねまきなどダメになることが経験上わかっているため、むしろ狭いほうがよかったのです。その点このカプセルハウスは就寝・炊事・洗濯・お勉強などぜんぶ半径2mで用が済み、パソコンいじりながら一歩も動かず冷蔵庫から麦茶とかマヨネーズとか取り出せるので最高でした。 |
2001年 10月 28日 (日) 桂 |
前書いたみたいに女王卑弥呼をやる日も近い?。 |
2001年 10月 20日 (土) み江 |
左の人に引き続き、わたくしも私的に引っ越すことにしました。以下家自慢の羅列なのでウザイ予感がする人は読み飛ばすように、というか基本的にショボ日記なんだからたまには自慢させろや。りっぱな庭と土間があり、野菜や犬猫はもちろんのこと、脱穀したり豚とかヤギを飼えそうな勢いです。そしてこの家の一室が新たなぽむあじととなります。とはいえわたくし一人では家賃を払えないので同居人がいます。ルームシェアのみを目的とした純粋同居です。だいたいが同棲とか入籍の類だったらこっぱずかしくてこんなところで言いふらすわけないじゃん。ちなみに先日の「まだ書けない事情」というのは「親にまだ言ってない」でした。どうも妹夫婦がここを読んでいるらしく、迂闊に書くと歪曲された情報が両親の耳に入るおそれがあったからです。口には出さないけれども内心早くムコを取ってほしいと願っているに違いない老いた両親をヌカヨロコビさせては胸が痛みますからね。それで本日ようやく実家に電話したところ み江「それで同居人ていうのが男子なんですけど」 母「ふーんそう。 |
2001年 10月 18日 (木) み江 |
指揮者をホスト系にするかたしが言ったんじゃありません!この人たちが言ったんです!';return true">イジリー岡田にするかで迷いましたが、後者の合唱団にしました。すでに衣装の黒スカートを買っちまったぐらいやる気まんまんです。いや単に買い物したかっただけですが。はい今笑った人あとで職員室に来るように。ていうかわたしの地声を知っている人全員か。 わたくしだって自分の声とキャラぐらい受精卵が32個に割れたころから知っていますので、当然アルトをやるつもりで初めての練習に行きました。はい今ジャイアンて言った人あとで空き地に来るように。あたくしのゴンズイ玉を転がすようなコロラトゥーラを4時間聴かせてあげますから涙しなさい。 少し言い訳をすると、合唱経験が中学校のクラス対抗合唱コンクールのみ(しかも伴奏やって歌さぼった)という絵に描いたようなシロウトなので、少し発声を教わっただけでものすごーく上達した気がします。まあしばらく練習して(周りの人が)我慢できなくなったらアルトに帰るので大目に見れ。(何が)ついでに本番は北山の京都コンサートホールなので、けんちくなキミはリハーサルの合間にわたしと舞台裏を探検しましょう。 |
2001年 10月 12日 (金) み江 |
ああよく寝た。みんな元気だった?最近のジャンプはカコワルイカポォ派代表ことトガシ某の影響で無断欠席が多いですね。今週はジャガーとたけしがそろって休載するし220円のうち110円返せって感じです。とくにたしぎの出てくる4ページすごくなかったですか。いいキャラになりそうで楽しみが増えました。バイト先の編集者ナツミちゃんを誘ってというかそそのかして年末の第九合唱団に参加することにしました。一度やってみたかったのです。だって生オケ背負ったカラオケよ? あんなの聴くより歌うほうが楽しいに決まってるじゃないですか。なんで今までやらなかったんだ。そんなこともどうでもいいですか?えーと何から書いたらいいのかなあ。夏休みはもちろん遊びました。泳いだり合宿したり。2学期になってからは家と職を探していました。おかげさまで新しい家庭教師の働き口とスバラスィー新居を得たり。サボってる間ぽむにメールをくださったみなさまごめんなさいね。これに懲りずまたください。ちなみに10万ヒットを得たのはぽむに時々メールを下さる建築とはぜんぜん関係ないライターの安原さん(自宅普請中)でした。 |
2001年 10月 9日 (火) 桂 |
個人としてはこの2ヶ月ほど、かなり鬱な状況が続いていて、更新する気持ちが起きなかったのです。1.会社倒産鬱の原因の一つには、勤め先(ネットベンチャー)が8月半ばに潰れてしまったことがあります。ここ数ヶ月はこの収入で生計を立てていたのですが、それがぱったり途絶えてしまったのです。しかしどこからどう見てもつぶれてしかるべき会社に見えました。だから潰れたこと自体はそんなに驚きませんでした。2.仕事探しそんなワケで収入源を確保すべく、求職活動に出ました。実はこの間まで、“webでざいなー”という職種についていました。制作過程には建築設計に似た部分があったり、ECサイトの計画は都市計画に近いもんがあったり(やったことないから憶測)と、結構楽しいので、しばらく収入源にしようかと目論んでいました。しかしスキルを持った人間が倍々に増えてる職種です。自分がweb専業で生きていけるとは思えないのであきらめて別の方向を探します・・・といったはいいけども、できることってなんすかね?3.引っ越し予告そんな中、とりあえず心機一転を図るべく、身の回りを徹底的にチューンナップしています。パソコンを買い換えたりもらったり、引っ越し先をフレッツADSLにしたり。おかげで新居にふさわしい環境が自宅に出来ました。独自ドメインを取りました。ドメイン取ったのは2ヶ月も前でしたが、まあそこは慎重に、リンク切れをなおしたり細部を詰めていたら時間がかかってしまいました。理想としては「まかないを中心にしたオフィス」、つまり広い台所があって美味しくご飯が食べられる仕事場が作りたかったのですが、次はばっちりです。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2001年 8月 30日 (木) 桂 |
とにかく二人そろって更新サボりを決め込んでいたのです。なのにインコミに紹介されもうすぐ10万ヒットだったりします。■引っ越しをしました5年の長きにわたり、風呂なしアパートに住んでいたのですが、この住処に起きる自然災害などが恐ろしくなってきたので引っ越しをしました。どういう災害がおきていたかというと、湿気が多く、普通に保管している本や服にカビがはえる。という状況で、基本的人権も侵され、キノコ人間になってしまってもオカシクない環境にあったのです。それでもなぜこれまで引っ越しをしなかったのかというと、ひとつはゴダールの「万事快調」に影響を受け、壁を青と黒に塗ってしまい、出るに出られなかったこと。もうひとつは、働かざるもの食うべからず的な観念にとらわれて「こうしてつましく暮らして自分を戒めてるから」とモラトリアムを正当化していたこと。まあそれでも食い扶持を確保する目処もついた(というのはまやかしだったということが後に判明)し、少しはまともな環境で暮らしてもよかろう、花折断層がブチ切れて生き埋めになるかもわからんし、と引っ越しに踏み切ったわけです。そして行き着いた先はオートロック付きのマンション。バブル時代に建てられただけあって、設備にぬかりなし。8年ほど前に友人が暮らしていたマンションなのですが、当時は築浅で広め、お家賃お高めと手の届かない物件でしたが、今は築15年選手ですので礼金タダで家賃もふつう。離れてみると以前暮らしていた家のヒドさもよくわかりました。暮らしてる時点では感覚が麻痺して亭主の理不尽にも耐えられたりするのでしょうが、一回別居すると相手の悪いところが見えて関係の修復は不可能になるわけです。羽賀健二さんに向かって「お前は負け組ってことだよ」と救いようのないメールを送りつけた梅宮アンナさんの気持ちがわかります。■8月中は古い部屋と新しい部屋と両方借りた中途半端な状態で、今書いたようなことをしみじみとかみしめていたのですが、8月も終わりに近づきさすがに旧居を出て行かねばならなくなったころ、山崎というひとから電話がかかってきました。曰く「かつらさん、引っ越しするならついでに運んで欲しいものがあるんですけど、しかもそれ、8月30日までに運ばないといけないんですけど、おまけに僕はいそがしいから30日しか開いてないんですけど引っ越しはいつするんですか?」などと勝手なことを言っていたので手伝ってもらう条件で、一気に引っ越すことにしました。しかし5年も住んでいたので、湿気によりゆがみを生じた本棚や、京大文学部と書いてある謎のテーブルや車のシートなど使っていない家具が大量にあり、まともにゴミ出しをすると途方もないお金がかかります。この生清掃工場体験が最高におもしろかったのでちょっとレポートします。かなりの異形とウワサに聞いてましたが、期待以上のテーマパークぶりに大満足でした。ディズニーアニメのお姫様が閉じこめられるお城とハヤオアニメの天空の城を足して吉本の書き割りにしてみたようなものをイメージしていただければ大体あっていると思います。専用アプローチの途中、要塞のエントランス手前には橋があり、そのあたりも“城”ぶりがいかんなく表現されています。彼らに予約番号と、前もって役所で取ってきたマークシートを渡すと、車の重さを量られます。2001年8月末現在で100キロ800円だったと思います。捨て終わった後、また車用体重計に乗って、差し引きで料金を支払う仕組みです。すると、後ろのシャッターがこれまた物々しく開き、深い滑り台と、その底にベルトコンベアーの流れる「谷」が現れます。さて、すっきりしたら精算です。100キロ800円とさきほど書きましたが、なんとワタシのゴミは100キロオーバーの126キロで1600円かかってしまいました。是非右の人にも体験してほしい(というか私がもう一度行きたいんですが)ので、お近くで持ち込みゴミを捨てに行くという方は、ぜひ我々を連れて行って下さい。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2001年 8月 16日 (木) 桂 |
大文字焼きの日とあってサンダル半パン京大生と浴衣女子カップルで蒸し暑ーくごった返す出町柳駅を通り、出町柳駅の地上キヨスクで、売店を半分ガラス戸で締めクーラーをかけノートパソコンを持ち込んで店番している強者おばちゃん発見。 |
2001年 8月 15日 (水) 桂 |
某出版社でけんちくビジネス雑誌を編集しているyucoさんと会いました。 yucoさんがインタビューを敢行したという山形浩生とその周辺の話をし、ファンシップについていろいろと。 |
2001年 8月 10日 (金) 桂 |
東京からたずねてきたわかもの2人と会いました。我々などはハタチでようやくインターネットという言葉が出回り始めたのに。 我々はわかものと会話をするのが久しぶりで、いろいろと新鮮でした。一人は梅林さんに「30代建築家30人による30の住宅地」の該当ページにサインをもらったそうです。そして手塚夫妻などの名前があがりました。あと、驚いたのは東京の自宅通学の学生さんは、人によっては1時間半かけて原付通学するという話。 |
2001年 8月 6日 (月) 桂 |
ついに隊長こと五十嵐太郎さんとご対面してしまいましたので、とりいそぎ報告いたします。元エディフィカーレゾク仲間の松原永季さんとともに4人でフラフラと京都の夜を徘徊してまいりました。次に松原さんに連れられてた';return true">孫助へ。さらに若林広幸氏による改装の施された1928ビルの地下にあるカフェアンデパンダンへ。 我々に合わせてくださったのか、難しい話は一切抜きで、けんちく周辺の噂話などでもりあがり、とってもたのしかったです。 松原さんには「ぽむ:浅草キッド=隊長:たけし」という新説をいただきました。これはいまひとつピンとこなかったのですが、なんでも松原さんは建築界には珍しい(偏見)プロレスファンらしく、「浅草キッドの軽くて深いプロレス論が似ている」とのことです。なんだかありがたい評価です。 この機会に、非常勤で教鞭を取っている大学名が4つも入った「いま、この瞬間にしか通用しない隊長の名刺」をいただきました。大切にしたいと思います。そう、周知のとおり、隊長は今現在、たくさんの雑誌にせっせと原稿を書き、たくさんの大学で教鞭をとっていますね。多忙ぶりのおかげで「SPA!」に取材されてしまったくらいでしたね。しかしご本人はぼちぼち身を落ち着けたいとおっしゃっていました。 |
2001年 8月 4日 (土) 桂 |
個人的に引越しをすることになりました。最近は住空間も売り始めたようです。無印良品に‘共感’した建築家やプランナーが主導でコーポラティブハウスやマンションを手がけるというもののようです。 我々のボスのにしおさんは、「日本人は無印に犯されている!このままでは、無印で家具を買い、無印で服を買うにはあきたらず、さらには無印な犬を飼い、そして無印なセッ◯ス!!」とその危機感を表現していました。そういえば、ミサワホームは坪30万円のおうちを売り出したそうですね。 |
2001年 7月 25日 (水) み江 |
ゆえにわたくしは多くの大きいお友達のように子供のころからジャンプを読み続けているわけではなく、読者歴は2年5ヶ月です(こち亀除く)。それ以前は食わず嫌いでした。ようするに少年漫画の「絵がキタナイ」「服装カコワルイ」「ストーリーがアホ」を許容できる大人になったのが遅かったのです。ジョジョも第6部から読み始めたわけですが、せっかくなので当分1〜5部は読まんとこうと思います。 |
2001年 7月 24日 (火) み江 |
某所でゴーストライターをやった報酬に図書券をいただきました。そもそも活字を読む習慣がまるでないうえ、常に「ジャンプを買うとこのアイスは買えないな」などとコンビニで悩むくらいの金額しか財布に入っていない小学生以下のわたくしにとって、これは本を買うビッグチャンスです。(買えねえって)結局買ったもの・山口英文法の実況中継(上・下)・尾田栄一郎カラー画集どこの高校生ですか。この機会に白状すると、わたしは尾田栄一郎のコミックスを全部持っています。ジャンプ購読者になったのもワンピースのせいです。「クソお世話になりました!!」は琵琶湖一杯分泣いたねマジで。わたしの中で尾田はしまぶーの次ぐらいに「ごはんをつくってあげたい漫画家」にランキングされています。ああこの人はイマジネーションの量が違うよなあぜひともごはんをつくってあげたいことだ。しかしずっと気になっていることですが、男子キャラは(妙な服でも)スタイリッシュなのに、ナミだけはいつもGAPとコムサを足してナイスクラップで割ったような格好をしているのですごく浮いていると思います。 |
2001年 7月 19日 (木) み江 |
オレ発見!梅雨が開けた途端に日傘が壊れる法則!今年も博物館実習の労働力学生さんがやってくる季節になりました。オレよりえらい重要文化財の図面様のための空間ですから仕方ないですが、おかげで予定していた作業が全然終わりません。どなたかお手伝いしてくれる方いませんかいやマジで。 |
2001年 7月 14日 (土) み江 |
《今日の生こいずみ》小泉さんが遊説に来ました。わたくしが行かないとでもお思いですか。炎天下1時間前から市役所の車寄せ下に場所取りをし、ナツミちゃんの妹さんが作ってきてくれたおにぎりを食ったりして待ちました。はい今「やれやれだぜ」とか言った人。学祭に東様とか宮台様とか山形様とかひろゆきが来ても、あなたはもちろん見に行ったりなどしませんよね。家の隣の警察署に林檎様とか辻・加護とかが「一日警察署長」に来ても(来ないけど)、あなたは行くわけなんかないに決まってますねアァ?このイベントはさまざまな種類の見世物に似ています。《ビジュアル系》・「純」「じゅん」とか書いた自作うちわを掲げているギャルちゃんがいる・警備の若いおまわりさん「みなさんに一つお願いがありまーす!小泉首相が到着しても、絶っ対に前のほうに走って行かないでくださーい!」《甲子園》・ヤジの数々。話が長い野中には「早うやめえ」手短に済ませた府知事と市長には「野中の話よりよかったでー」日傘のおばはんには「(前が見えないから)日傘やめえみんな暑いんや」「せや痛みを分け合えや」(野中が「改革の痛みを分け合う話」をしていた)・小泉さんの演説が5分経過すると人が帰り始める《全員集合》・しかし本日いちばんのアトラクションは、小泉さんの演説中に「宮崎学」カーがやって来たことです。わたしの位置から見ると、ちょうどステージ中央の小泉さんに下手背後からそろそろと近づいて、様子をうかがうように停車する宮崎カー。・わたしはこの状況にピッタリな言葉を知っているぞ「志村ー!うしろー!」。 |
2001年 7月 13日 (金) み江 |
オレ発見!給料が入った途端に自転車をドナドナされる法則!件の「おるすばんしとってん」君がライブをやるというので左の人と見に行きました。場所は元祖酒蔵改造ライブハウス、たくたくと読む';return true">磔磔です。出演は、揃いも揃って体温と血圧の低そうな兄ちゃんたち(女の子はそうでもない)が頭の良さそうな曲をつくるバンド3組です。ようするにメジャーなアーティストが来れば採算取れるから普段はノルマなし、というぜいたくな環境がなせるワザであり、さすがは横綱・・・いや学祭だってもっと盛り上がるだろうふつう。おかげさまで技(と学歴)をムダ使いした時間をマターリと堪能させていただいてお得感満点でしたが、そんな芸があるならちったあ銭に替えようや。 |
2001年 7月 12日 (金) 桂 |
間宮さんは南船場という大阪隋一のオシャレスポットにここ6,7年で30軒あまりお店をデザインした空間デザイナーです。日経かた店もんといえばコレ 個人的に大推薦';return true">商店建築社が出すような本を、彼らはおおよそ半額で出してしまうのがすごいなあ。 |
2001年 7月 12日 (金) み江 |
部屋の整理をしていたら、高校時代の落書きが発掘されました。「わたくしの理想の男子」を描いたものです。おそらく東小金井のモスバとかでシェイク一杯で3時間ねばりつつ友達とダベりながら書いたりしたのでしょう。ええわたしにも娘時代がありましたとも。ご丁寧に絵まで入っていますが、ようするに「中村俊輔−筋肉+メガネ」とか「ハッピーマニアのタカハシ(金子賢ではない)の髪ボサボサ」を想像していただければおおむね正しいと思います。ああそれなのにいったいどうしたことでしょう。よりによって『ヒカルの碁』のたびたびすみませんが「ほも板」です';return true">倉田六段です。(しないけど)以前ぽむの間で「オカマとかしこいデブは社会的役割が同じ」という話をしたことがありますが、ある種のキャラにとってデブはアドバンテージです。ゆえにオタキングが本当にオカマになったら無敵だと思います。似たようなモンスターをもう一匹召喚するだけなので、意外に簡単のように思うのですけれども。 |
2001年 7月 9日 (月) 桂 |
忙しいといいつつも、巨人ー横浜三連戦は見ていました。この七夕シリーズは優勝した年も横浜が劇的な三連勝をかざったゲンのいいシリーズです。優勝した年を彷彿とさせる強い横浜を見て「すわ復活か?」などと思っていたのですが、第三戦4点リードの7回表ノーアウト一塁で打率三割を超える三番打者に送りバントをさせる森野球の真髄を見て、我に返りました。 |
2001年 7月 7日 (日) 桂 |
最近妙に忙しかったのです。6/28の私の日記で、「ヨーダは吉田戦車『殴るぞ!』における和歌子のようなものだ」と書きましたが、次の瞬間、この方から「ヨーダはルーカス」というお題のご指摘メールが届きました。したがって和歌子がほりのぶゆき作品の登場人物だったら正解なのですがそんなわけありませんね。 |
2001年 7月 7日 (日) み江 |
演奏家というより学者みたいな風情です。そもそも本日のプログラムは「地位も名誉も要らない 一緒に逃げよう」「あなたは若いわ 私のことは忘れて未来に生きて」「ギコスカヤ 死ぬときは一緒だよ」「ああ愛しいモナーノフ」(抱擁)という場面で流れるはずの革命メロドラマな曲(*)なのですが、この人はNHKアナウンサーの如くしれっと弾くのです。おかげで「ジェットストリームをつけたはずなのになぜかラジオ深夜便が流れてきた」状態です。それから開演前の客的にヒマな時間、ロビーでオケの人たちが演奏をしていました。田舎ホールとか産業会館とかいろいろ言ってすまなかったよ。 |
2001年 7月 6日 (金) み江 |
今までそんな人まわりにいなかったのにここんとこ急に複数名知り合った人種として以下のような方がいます。 ・教育学部生 ・ドラマー ・島根県人以上の全項目に当てはまる山崎という人とともにデルタで花火をしたり、なぜかetwでビールを飲んだりしています。今日は北山のためにはさらに3回曲がって100m歩きます';return true">イソザキホールP席1500円を聴きに行きました。(そんなカポォはいません)なんかまだ友達いないみたいですが、われわれがこうして仲よくしているので東のみなさん安心してください。でもたり';return true">五十嵐さん槻橋さんあなたがたの人気者は腹黒です。しかし赤かろうが白かろうが内装にどうしてもチープ感と手づくり感がただよう、それが学祭ミセ。 |
2001年 7月 1日 (日) み江 |
おもしろそうなのでついていきました。ところが何を買うかと思えば、「ショッキングピンクの細くて安っぽいベルトがほしい」とわけのわからないことをのたまいます。ネタかと思いましたが本人大マジで、どうも彼のイメージしている面接コーディネイトの重要なポイントであるようなのです。バーゲン女子集団をヅカヅカかきわけてNICE CLAUPに入り、ギャル系ショップのおねいさんに「ピンクの細いベルトありませんか」と聞きまくり、大中(に似た中国雑貨屋)を攻め、ヴィトンに突入し、ついでにギャルソンに入って「ふつうの会社だったらまずアウトっすよ」と店員に言われながら傾いたシャツを試着し、ギャル島コンサバ島モード島チープ島ブランド島と無差別じゅうたん爆撃。ちなみに志望先は業界の中でももっとも傾いた某出版社だそうです。しかしまあ・イメージどおりのお洋服を探して数時間歩き回る・シェーキーズで食べ放題ピザを食うこんなことをしたのは高校生のとき以来です。 |
2001年 6月 28日 (木) 桂 |
拙稿の掲載された『GA JAPAN』51号が届いた。今回の巻頭と『○と×』は原広司の札幌ドーム...とた(あたりまえ)';return true">五十嵐隊長にならって記してみました。一度こう書いてみたかったのです。それはともかく、本家本元『GA JAPAN』に我々の原稿が載ってしまいました。記事については絵がヘタすぎるとかツッコミが甘いだとか、すでにいくつかの意見をいただいたのですが、その中のひとつに、「ヨーダはE.T.じゃなくてスターウォーズに出てきたキャラです。」というものがありました。これについては、さる製菓会社のサラリーマンで、スピルバーグと吉田戦車が好きなY氏による解説をもって釈明させていただきましょう。「ご主人様〜!」)天下のスピルバーグと吉田戦車を、E.T.様とわれらがかわうそを並列させた説明で判明した通り、どう見ても和歌子≒かわうそですから間違ってないのです。 |
2001年 6月 27日 (水) み江 |
昨日はカラオケ大会でした。あまり書きたくありませんがこれまでの人生でも一本指に入る酔っぱらい方をし、疫病神になりました。 |
2001年 6月 25日 (月) み江 |
都議選でしたね。地方議会の開票速報を全国放送する意味がわかんねえぞゴルァ、と言いたいところですがわたしも巨大掲示板の選挙板などをリアルタイムで見たりしました。というかわたくしの父親というのが「趣味:選挙」なのです。今回も小学校時代からのマブダチをかつぎだして楽しそうでした。鮎も解禁になったんだからちゃんと仕事しろよオヤジ。たぞ';return true">ツヂカワと名乗るけんちくペリフェリアンが「カラオケ行きたいぞゴルァ」とメールをくれたので返事を出したところ、即レスの応酬になったので、この際チャットで話そうということになりました。以前「掲示板とかチャットの類は苦手」などと書きましたが、やってみると楽しいものですね。でもびわを食ったりすると手がべとべとになって会話が止まります。「ぽむサイトにもツーショットチャットでも設置したらどうすか?」とツヂカワさんに提案されました。建築だけじゃなくて写真・映画・音楽など何でも話そう!」なんて書かれたりする、とてもイヤーなチャットです。「満室」になどなっていようものなら、いったい誰誰誰が入っとるんじゃあとものすごくイヤーな気持ちになることうけあいです。 |
2001年 6月 21日 (木) 桂 |
目的はアスキーを1/5希釈したようなeな情報でもSPAを週刊現代風に味付けしたBな情報でもなく、おまけCD-ROMなのでした。CD-ROMにはexcelの履歴書テンプレートやオリジナルデスクトップ上カレンダーに混じって独身男子のお部屋VRMLというTOKYOSTYLE風味な企画も埋まっていたり味わい深いのですが、なによりも『ザ・蟹』による書き下ろしインストゥルメンタルが入っていることが重要です。本来はブロードバンド環境で音源をダウンロードしオリジナルCDを焼いてラベルとジャケットも手づくりして後輩の女の子にプレゼントしてうっとうしがられるというのが正しいiMacによる音楽の楽しみ方のような気もしますが、私はこれまで上祐インベーダーをよすぎる音でやったため隣近所の人をビビらせるなど、ろくでもない使い方しかして来なかったので、格段の進歩です。 |
2001年 6月 21日 (木) み江 |
そんなわけでもう呪いは解けましたが、カラオケは決行します。歌いたい人は6月26日火曜日の午後8時に三条通りのTIMESビル前に集合。われわれは「けんちく関係者はカラオケの楽しさを知らない」という偏見を持っているので、どなたか目を開かせてくれるうれしいものです。しかし目下のメンツを見る限りとんでもなく初対面カラオケになりそうで、ちゃんと仕切れるのかちょっと心配になってきました。 |
2001年 6月 20日 (水) み江 |
ISDNがつながらないとさんざ言いたれたら、機械の得意な方々からいろいろお気づかいをいただきました。いやーこれだから機械オタクは便……いやありがたいです。そのなかで最もヒマそうであるという理由でビハインドザマスクさんにコンサルに来てもらうことにしました。この人は5浪して(=5年間心ゆくまで遊んで)京大に入ったうえに30にもなって休学なんかしてまだ遊ぶつもりでいるふざけたヤロウなので、遠慮なんかひとつも要らないはずなのですが、こういうときだけ「さん」付けで呼んだりしている自分のかわうそぶりがむかつきます。ビハインドザマスクさんは持参のイーサケーブルをつないだりDOSプロンプトで何か打ったり、ヤフオク転売用に大学生協で安く買ってきたらしい新品TAを試してみたりと、かっこよく問題に立ち向かいました。われわれはよくわからないので野球を見たりぶどうを食ったりしていました。巨人-阪神戦延長12回を迎えた頃、ついに原因が発見されました。もうすっげえすっげえ難しい原因でした。簡単に言えば、***@atson.netと設定すべきところが、***@aston.netと入力されていたのです。sとtを逆にしたところあっさり開通。おかげで12回裏の阪神赤星(て誰?)のサヨナラヒットを見届ける間もなく解決してしまったのでした。ビハインドザマスクさんは「もっとテクニカルにかっこよく解決したかったのに」と淋しそうに帰っていきましたが、こんなの機械の知識がすごくある人でないかぎり解決できっこないですよねみなさん!確かにわたしは「ここの設定は100回見直したので絶対間違ってない。違ってたら回線切って首吊って死ぬ。」と言いましたが、わたしたちは悪くないので、アストンではなくアトソンなどという語呂の悪い名前をわざわざつけたASAHIネットが悪いのだと思います。 |
2001年 6月 19日 (火) み江 |
《しつこく今日のこいずみ》そんなこんなでストーカーのごとく首相官邸サイトなんか見たりして、たよこんなとこ';return true">大臣のプロフィール欄なんかも見ちゃったりしてるんですが、内容がバラバラなところを見るとどうも本人か事務所が好き勝手に書いているようで、一部キャラが立っている方がいます。ちかげ→どこまでも自意識過剰官房副長官→手先が器用なデブカッコイイた体格と端正な顔立ち+自衛官=鉄板ほも';return true">防衛庁長官→どう見てもほもを誘っているようにしか見えませんこいずみ→あんたそれ出会いサイトのプロフィールだよ・・・しかしここはやはりまきこに大賞をあげたいと思います。マドモワゼルパルファン賞って何?しかしかんじんの政策には何も突っ込めずこんなどうでもいい話でお茶を濁しているあたり、よく知らないくせに流行りの話がしたくてたまらない政治コンプレックスが見え隠れというかまるばれで、浅田柄谷話がしたくてたまらないちょっと前の男子大学生みたいですね。書きながら今ふと思ったのですが、当時男子が浅田柄谷を引用した文芸同人誌をつくっていた陰で柄谷攻浅田受のやおい本をつくっていたくされ同人女子(高学歴)がいたに30カノッサと1せんべい。 |
2001年 6月 16日 (土) み江 |
せっかくルータをいただいてISDNを導入したのにどうにもつながらなくて困っていますが、わたしたちは悪くないのできっと誰かに呪いをかけられているのだと思います。いつもとは違ったメンツで歌いたいのですが、今のところ参加予定者がわれわれと山崎君(勝手に入れた)だけですので、この場で参加者を募集します。・「自分は芸がなくてつまらないやつだ」と思っている(*)・いつも「何それ誰の歌」と言われるのでカラオケが憎い・陰陽師なおこれは「飲み会」でも「語り合う会」でもなく、「カラオケ大会」ですので念のため。 |
2001年 6月 14日 ( 木) み江 |
《今日のこいずみ》「小泉内閣メールマガジン」創刊号が送られてきましたよ。そんなの受付初日に登録したに決まってるじゃないですか。「らいおんはーと」「ほんねとーく」などのオヤジ寒いネーミングセンスはさておき、小学生でも読めるポップな内容は内閣ファンマガジンといった趣です。第一回目の大臣はちかげ・塩じいとこれまたポップ。「総理になる前は、一人でコンビニに行ったり、ふらっと自由に外出していました。一人でコンビニに行っていったい何をするのでしょう。おでんぐらいあたしがつくってあげると思っちゃいますよそりゃ。ってわたしだけか?計算ずくだとしたら完璧にわたしの負けです。 |
2001年 6月 13日 (水) み江 |
夏休みの日記を8月31日にまとめて書くような人間に育ってさえいなければ今ごろは社会人6年目で貯金500万あって外資の経営コンサル会社にキャリアアップして年収1000万ででざいなーずまんしょんなんかに住んじゃったりして動物とか飼ってイームズチェアとかに座ってケーブルテレビ見たりして競馬なんかチマチマやらなくても株が買えちゃったり(以下略)千万家の佐藤敏宏さんからサイト開設のご案内をいただきました。スカトロ・強姦・乱交・援交・SM・露出狂といったヘンタイ行為の大半はすでに他の動物によって行なわれていることがわかりましたが(とはいえケモノは生殖目的以外の交尾はあまりしないからあまりヘンタイではありませんが)、ロリだけはどうもヒトオリジナルのような気がします。 |
2001年 6月 12日 (火) み江 |
とうとうたけど';return true">ヤフオク出品に手を出しました。聴かないCDをためしに少し出してみたらけっこう売れて、1万円強を得ました。昔こち亀で両さんが「タコが腹減って自分の足を食うようで辛い」とか言いながら両津コレクションをオークションにかけていたのを思い出します。このごろお金の話ばかりであれなんですが(*)、個人売買をするようになって知ったんですけど、価格ってほんとうに「需要と供給の関係で決まる」んですね。今まで教科書がうそを書いていると思っていましたよ。だって定価で買う習慣が身についていたらそんなことわかるはずないです。でも個人売買の場では、スーパーで同じ100円で売られているものでも、売りたい人と買いたい人の数によって売れ値は10円になったり1000円になったりします。欧米以外の外国に行くと一日の大半を商談に費やしたりしますが、日本にいながら経済観念を身につけるのにはこれがいちばん手っ取り早いんじゃないでしょうか。 |
2001年 6月 7日 (木) み江 |
誰でもそうですけど、お医者はコワイのでできることなら行きたくないのです。悪性腫瘍とかできてしまったらさすがに観念しますが、お医者でない人の方が得意な治療の場合はお医者に行く必要はありません。この前整体のことを書きましたが、小野ちゃんには高校生のころ膝に水がたまったのを治してもらったことがあります。治療は膝のまわりを軽く押して水を散らしただけでした。あれは保険の効く病院に行くと、ぶっとい注射で水を抜かれたりするのです。それから胃の裏が痛くてあべしだったときも、出町商店街の漢方いちじょうじに行ったら、斉藤由貴似の薬剤師のおねえさんがすべてお見通しと言わんばかりに「あーあなた冷え性でしょ。」と黄色い2B弾のような薬をくれました。ハラが痛いのになぜ冷え性と思いましたが、これがめっぽうよく効きました。これは西洋のお医者に診せると、白色の何かを1リットル飲まされたり、三角木馬を跨がされたり、釘バットで打たれたりするのです。だいたいが病院に行くこと自体がストレスになっては病気に障ると思いませんか?精神が病んでは肉体の病が治るわけなどありません。わたしはつねづね体を刺したり切ったりする西洋のオブジェクト主義医術は鍼なんかよりはるかにヤバンではないかと思っており、苦痛と恐怖アタリマエの医療は本当に医療と呼べるのかと疑…………などとつべこべ言っていますがようするに歯医者に行くのが嫌だということです。 |
2001年 6月 3日 ( 日) み江 |
この春から偏差値芸者を始めました。高校生に英文法を教えることになりました。ここだけの話ですが、わたしはひと月前まで目的語と補語の違いがわかっていなかったぐらい文法の学習を怠けてきたため、毎回生徒の3倍ぐらい勉強しなければならないうえに、授業中はむずかしい質問を受けたら困るなあと常にびくびくしているのでけっこう大変です。生徒にチクったらコロス。さらにいわゆる宅浪をしていたせいで予備校の授業自体どういうものなのか今ひとつわかってないので、芸の研究をするために「○○の英文法実況中継」などをこっそり読んでいます。わたくしも早くりっぱな芸者になって「私についてきたら偏差値20上げてあげます。」とか豪語してみたいものです。そこでひとまず建築学科で鍛えられた「思考をビジュアルで説明する能力」を活用すべく、へんな絵とか「伝染るんです。」の四コマとかを使った教材を作ってみたりしているのですが、高校生は吉田戦車を知らなくてショックでした。それから高校生はたいこれでどんだけ儲けたのかこの会社';return true">チョコエッグを知りませんでした。ペプシのふたもあやしいものです。いやcompleteという語を説明しようとしたんですけどね。自分としては気分はまだまだ21歳、精神年齢はまだまだ12歳でこの前なんか予備校で生徒と間違えられたぐらいのガキ顔ですが(関係ない)、彼らにすれば自分が生まれたころ「おしんごっこ」をして遊んでいたオバハンのカルチャーなどササン朝ペルシアのカルチャーと同じくらいリアリティのない物語であるようで、予想されたこととはいえいささかヘコみます。 |
2001年 6月 2日 ( 土) み江 |
《今日の小泉》小泉さんお気に入りの曲を集めたCDが出るようです。小泉さんといえば「クラシックコンサート会場で見かける有名人」筆頭であったのに、首相になってからは聴衆に拍手で迎えられるわ終演後にマイク突きつけられてお愛想言わなきゃならないわで不自由そうなので、CD出すぐらいの娯楽があってもいいですね。 |
2001年 5月 27日 (日) み江 |
よくぽむと飲み食いをする製菓会社マンのY松氏からメールが来ました。−−−−−−−−−−−−そこで昨日は、ぽむとY松氏とみきやん(本業・中学教師、副業・京大某研究室の秘書)の4人で大阪オランダツアーでした。適塾は緒方洪庵の住居+全寮制学習塾のたてものです。二階の小屋裏はいかにも「ザ・合宿所」といった趣の広い塾生部屋です。数十人の汗くさい男子がザコ寝していたさまが目にというか鼻に浮かびますね。柱は刀傷でボコボコになっていて、数十人のニキビ面男子が暴れたり切ったり刺したりしたさまが目に浮かびます。タコ部屋の隣は、一冊しかない蘭語辞書が置かれていた小さな辞書部屋です。しかしその襖ひとつ隔てた向こうが女中部屋なのはいかがなものかと思いました。この施設にはなぜか清里のペンション(いや行ったことないけど)にあるような「訪問者ノート」が置いてあり、「めっちゃキレイ!」「カッチョエエ」「こんな家に住みたーい」など建物そのものを素直にブラボーする書き込みが意外に多く見られました。広さや状態は比べものにならないにしても、似たような家なら洛中には処分に困るほどあります。もうこの際くされ町家はきちんと直して風呂も冷暖房もつけて、高級タウンハウスのプレミアつけて貸し出す路線でいきませんか?マンションとは比較になりませんが、貧乏なあーちすとにマクドみたいな捨て値で貸すより余程儲かります。 |
2001年 5月 24日 (木) 桂 |
「10+1」に原稿を書いたりしている学校建築研究者、山崎泰寛さんに会いました。なんでも最近横国から京大の院に移ってきたとかで、京都の建築系インターコミュニケーションを求めていたそうです。それでなぜか我々に白羽の矢を立ててしまったみたいですね。そんなわけでルヴェ・ソン・ヴェール直営カフェ@河原町今出川でご飯を食べ、先日知り合ったデザイン全方位ユニットたらしいです';return true" target="_blank">14sdによるバーたわけではなく、勝手に行っただけです。';return true">「プレストプニク」をのぞいてみたりしながら、けんちくよもやま話をしました。さて、この山崎という兄さん、文章はテンプラ屋まっしぐらという趣なのですが、なんだかウマが合うというか、話の通りの早いかたで、例えばあのけいぶん社などについても、「行ってみたけれども、小じゃれたわかものが多くてどうも……」などと京都歴1ヶ月半とは思えない正しい理解(?)を示しておりました。また、教育学を専攻しており、純粋にケンチクの人ではないため、ケンチクに対しては一歩引いた視点を持っているようです。気分良くゆっくり飲んで、お開きになったのは4時でした。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2001年 5月 24日 (木) み江 |
教育学部のヤマサキと名乗る人物からメールが来て、「ぼくこの春に横浜から京大の院に来て友達いないんですぽむも友達少なそうなので友達になりましょうぼくはちゃんとメガネもかけていて脂っこくないです本当です」と言うので(やや誇張含む)、アジトにほど近い出町周辺で遊びました。当地の飲食店シーンといえば、中島食堂と中川酒店とほんやら洞に代表される「超カジュアル系」か、あるいは予算5000円の「ちょっと高級系」のいずれかが支配的だったのですが、ここんとこ急に「ちょっとオシャレ系」という選択肢が加わりました。今日行った2軒はこのカテゴリです。わたしは基本的にカフェというところは家で作った方がうまいものを800円で少しだけ食わせるところだと思っているのですが、ここではりっぱなプロの味を800円で供しています。次に、この前会ったばかりの全方位型デザインユニット14sdの内装によるPRESTOOPNIKへ行ってみました。しかし一見たとえばこんなの';return true">辻村ミセをほうふつとさせる緊張感とはうらはらに、なかなか気さくでリーズナブルでよいところでした。市街中心部からチャリで10分北に行くだけで途端にマターリした出町テイストが加わるのでしょうか。 |
2001年 5月 20日 (日) み江 |
そんなわけで昨日は、若者に慕われているカッパくんこと塚本さんの京都案内をすることになりました。とはいえ左の人も書いているとおり、予想以上にすごい塚本さんの都市発見力のおかげでこちらが逆に京都案内されました。ツカモト語で「取材」というところのこのような都市発見のことをわたしはこっそり「犬」と呼んでいます。サラサでは吉田戦車の話などをしました。さらに塚本さんはたへんなキャラ';return true">みっちゃんのママに憧れているらしく、以前「ツカモトくんはオザケンみたいだなあとか言ったことを反省」したことを撤回。さてシンポジウムはいちおうスーパーフラットの話題から入り、「近ごろのわかもの」や「京都マンション問題」にまで話が及びました。件のマンション問題に関してはツカモトくんに「もうちょっとさー、ちゃんと京都のことやったほうがいいんじゃないの?」と叱られました。ツカモトくんをはじめ東京のけんちく人は、端から見てストーカーかと思うぐらい東京をウォッチしたりネタにしたりとがっぷり四つに組んでいるのに対し、京都は(タウン誌だけは多いくせに)そういうのがありません。「今あるものを使う」で千年以上やってきた京都の人は都市などはなからいじくる対象と思ってないふしがあるし、かといって外からやってきた人間にとっては底なし沼のようでおいそれとは手が出せない空気があります。というふうにまじめで刺激的な議論が繰り広げられましたが、その後の飲み会で梅・塚・關と三人並んだ様はどっからどう見てもトリオ漫才です。そして梅林さんはエロ林と呼ばれていることが判明し塚本さんはやはり煽りの得意な黒いアニキであることが判明し關さんは赤ワインを一斗缶一本飲み干すことが判明し、さらに玉置順さんは本日の入場料1000円を払いたくないばかりにF.O.B.Aの所員さんの後にくっついて入場したことが判明。いろいろ勉強になりました。 |
2001年 5月 19日 (土) 桂 |
ここのところ建築離れが進行していたのですが、一気に建築に引き戻されました。なにしろたプロフィール';return true">塚本由晴さんからイベントがらみで京都に上洛するという連絡を受け、会うことになってしまったのです。エライことになったと思いました。前日は、右の人が「塚本さんに会うからキッチリお化粧しないと」などと言いながらめかし込んでいるという無駄にリアルな夢を見ました。京都案内なんぞ不慣れなので、どうしたものかと思いましたが、時間の関係などがあり、御幸町三条近辺を散策して、元祖町家改装カフェのサラサへ。ツカモト氏は、我々が普段気づかない変な町家や愉快なお店を目ざとく発見してバシバシ写真を撮っていました。スキマ・プロジェクトで培った経験のたまものでしょうか、ざくざくと路地に入ったり、建物と建物のスキマがコンクリートで埋められている処を見つけたりしていました。こういうのはたしか、ツカモト用語では「取材」と言うのです。以前NHKの建築版料理の鉄人みたいな番組で言っていました。しかし右の人に言わせるとこれはた全23回放映分あらすじ スゲエ!!';return true">「バスでコロコロ」なのだそうです。これは以前やっていた関西ローカルの番組で、ひさうちみちおと越前屋俵太が京都をあてもなく彷徨して、気になった店に迷い込んでなにやら体験したり、そのへんを歩いている人に声をかけてお店を教えてもらってそこへ行くという、ただそれだけの番組です。そのように京都の午後を楽しんだのち、ツカモト氏が招かれたイベントへ。当のイベントとは、ツカモト氏とF.O.Bの梅林克さんが、東西を代表する「スーパーフラット」の建築家としてたけしのファンサイト「スーパーフラット」…なんでや';return true">スーパーフラットについての議論をするというコンセプトの企画です。聞き手は梅林克さんの高松事務所での先輩の關聡志さんで、企画を行ったのは恵文社と双璧をなす京都アート系本屋MEDIA SHOPです。ツカモト氏はいろいろと新語を開発するのが巧く、前出の「取材」やら、最近でも「(都市・建築を)カスタマイズする」などのヒット作を生み出していますが、この場でも、「社会性を更新する」とか「建築の文脈化」あるいは「ファーストオーダー:セカンドオーダー」などのコトバを披露していました。このまま10年くらいしたら「ツカモト辞典」が発売されるイキオイです。講演会が終わった後、岸和郎のギャラ間の展覧会でVJ作品を作った方を紹介していただきました。もともとはGRAPH*FACTORYというグループで活躍していましたが、現在は14sdという男男ユニットで再出発しているようです。このようになかなか強力な方と知り合い、かの【ケンチクナイト】実現に一歩近づいた気がします。勢いあまって飲み会まで参加してしまいました。会場まで歩く途中で高松伸マンション建設反対運動が展開されている通りに立ち寄りました。パーティーは講演メンバーとその所員さん、そしてたかったっす';return true" target="_blank">玉置順さんなどが来ておられました。初めてお会いする方がほとんどで、緊張しました。とくに克さんや所員の方からはSTUDIO VOICEのレビューについて「キツかった」「他の人はちゃんと空間分析してるのに」と叱られ反省しました。今見ても、とても読めたものではない……構成の乱れには諸事情ありますが。關さんは、五十嵐隊長日記にある通りけんちくwebサイトを読み込んでおり、ぽむ日記もディティールまで覚えていて、「最近ぽむ企画のページってパワー落ちてない!?」とツッコまれてしまいましたが、【ケンチクナイト】に強い興味を示しておられました。是非実現させたいものです。さて、本日のイベントは大盛況だったのですが、来月また新風館で建築関係の展覧会とトークセッションがあるようです。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2001年 5月 18日 (金) 桂 |
ibookはアップル社が子供向けに開発した商品とされておりますが、アメリカのある州では新型ibookに、小学校から5万台まとめて注文があったらしいです。 |
2001年 5月 17日 (木) 桂 |
建設コンサルのアルバイトを退職し、新たなお仕事をはじめました。その京都支店で、ウェブ屋をやることになりました。入ったばかりなので事情はよくわからないのですが、その中で自分なりにITベンチャー企業を建築業界のように分類してみるとこのようになります。そしてもう一つ、yahooなどのポータルサイトを運営したり、楽天などのお商売をやる「都市計画系」があります。私は初出勤でいきなり自分の名刺をもらい、大阪のホテルで開催されたITベンチャーと関西系企業が交流するシンポジウムに連れて行かれ、懇親会で名刺交換をするよう促されました。私が大学院で属していた都市計画系の研究室も「名刺」や「企画書」が好きでしたが、またしてもそういう処に……。しかしそこは景気がよさそうな会で、若社長たちをはじめとする参加者というのは、けんちく島(©ケンチクふしぎ研究所:建築知識)には縁のない感じで、なかなか楽しいものでございました。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2001年 5月 12日 (土) み江 |
昔の『新ニッポン百景』を単行本でまとめて読みました。極悪なツラをした公共建築なんかをどついたりする、週間ポスト連載の「笑えないばかけんちく探偵団」((c)左)です。しかしこれもまた政治の問題というより経済の問題である気がします。「芦屋の高級住宅地の金持ちほど安いトイレットペーパーを買う」と中内功が言ってましたが、金持ちは基本的にケチです。成金はお金の値打ちがよくわからないので無駄にゴジャースなトイレ紙を買ったりするわけです。それでおのれの税金で無駄に極悪役人を雇ったりするのです。ところでこの本でも電線とか電柱が極悪扱いされていますが、そんなに極悪ですか?わたしは矢野顕子の歌曲の中で『電話線』が最も好きなので、べつにそうは思わないのです。)通信インフラなどという色気もくそもないものをこれほどリリカルにうたった歌があるでしょうか。細い声を乗せた電話線は夢中で空を駈けてゆくの、山吹色の気流に乗ってすみれ色の湖を越えてあなたの耳へ。しかしこの歌が生まれてから四半世紀が流れ、空を駈ける電話線は海底のぶっといケーブルに取って代わられました。インターネットや通信衛星もできました。どなたかご存知でしたら教えてください。ただし「ゆんゆん」は禁じ手とします。 |
2001年 5月 9日 (水) み江 |
小泉さんの所信表明演説で「米百俵の精神」が出てきましたね。なんだか新潟がえらいロマンチックな地に見えてきました。この国では政治家といえばヒヒオヤジが定番でした。そうでない宰相がようやく現れたのです。林真理子さんの「抱かれたい男リスト」に加えられているのもうなずけます。わたくしも負けじと「もっと早く生まれて結婚すればよかった男リストナンバー2」に加えてみました。それはともかくとしても、新首相はアングロサクソンの大統領と並んでも遜色のない風貌を備えていることにはおおむね同意していただけることかと思います。しかし!こうした事実に目を奪われてはなりません。わたしは以前からずっと思っていたことがあります。小泉さんはたしかにヒヒオヤジではない、だけどヒヒに似ています。 |
2001年 5月 8日 (火) み江 |
バイト先の出版社でりっぱなたけのこをいただいたので、ゆでて食べました。)たけのこはゆでるのが大変そうな気がして敬遠していましたが、やってみたら別に難しくも面倒でもありませんでした。でもこんなことができるようになったのも、最近、念願の250リットル冷蔵庫を手に入れたからです。たけのこ一本丸ごと入れたでかいボウルがらくらく収納できるのです。この冷蔵庫は、卒業して京都を出てお医者になる後輩から安く譲ってもらったものです。考えてみればこのごろ、定価で買い物をすることがめっきり少なくなりました。最近やはりこれも念願であった桐の衣装箱も買ったのですが(こっちはヤフオク)、冷蔵庫と合わせた支出は16,800円でした。ちなみに今まではゴミ捨て場で拾ったブリキ缶に着物をしまっていました。湿っぽくなって最低でした。でもこのごろはリサイクルショップとかフリマも増えたので、もっとタチのいい拾い物ができます。モダンな菌システムが少し浸透してきたのかな、と思います。菌とはすなわち廃棄物を分解して価値を再生産するもののことであり、高度な都市文明には必ずそういう仕組みが備わっていたように思います。菌とはかように経済の問題のはずですが、どうもエコエコした人がこれを政治的な問題にすりかえる風潮があるので困ったものですね。地球環境がどうとか言ったって、人々のハートをキャッチできるわけありません。 |
2001年 5月 7日 (月) み江 |
GWの後半は風邪を引いて熱を出して寝ていたので、実家から持ってきた『堤義明は語る』などの本を読んで暮らしました。いわずとしれた宅地造成帝国のMr.プリンスの対談本で、出版は84年。盛田昭夫とかたいぞ';return true">ミッチーとか松下翁とか、もうこの世にいない人がたくさん出てきます。しかも84年といえば帝国がまさにブイブイいわしてたころ。《ツッツーのつくったたてもの》・のちに大洋漁業に売った横浜球場=円形でスタンドが可動式(野球がダメになったらサッカーかフットボールをするため)・西武球場=掘り込み式(野球がダメになったら歌謡ショー専門劇場にするため)・高輪プリンス=二部屋つなげるようになっている。ベランダもある(ホテルがダメになったらアパートにして貸すため)こういうのを見ると、さすが勝つために育てられた馬とおもいます。勝つためだけに金をかけるヤンキー普請とはちがって、負けないためにも金をかけるわけです。畳の部屋の方が、社員が社長を気軽にしばいたりどついたりできるからです。 |
2001年 5月 2日 (水) 桂 |
京都市内のお寺をあちこち調査するという研究に必要で買ったのですが、家から離れたぽむアジトに日参する今となってはこれがなくては生きていけません。というわけで、上下セットの雨カッパと、ガード付きのヘルメットを急遽購入しました。おかげでほとんど雨に濡れずに外出できるようになりました。バイクはたサイト ちょっと重いかもしれません';return true">モトリペアという、板金・塗装・溶接すべて小さな店内でこなす素晴らしいレストアバイク店で、15800円という安値で購入しました。そこでちょくちょく修理してもらいに行くのですが、そのたびにオネエサンに「きのう本屋さんの前に止めてたやろ?」などと言われ、いちいちビックリさせられます。そして店内に貼られた‘作品’の写真を眺めているうちに、オニイサンの手により他のバイクで使われていたパーツが新たに組み込まれ、その場でささっと修理してくれます。このお店に出会って以来、バイクのレストアのごとき建築レストアをしたいと考えるようになりました。古材を再利用した建築の再生は一般的ですが、もっと手垢の付いたもの、たとえば古シンクやら古サッシュなどを組み込んでオリジナル建築に再生するようなことはあまりなされていないように思えます。 |
2001年 5月 1日 (火) 桂 |
元拳血駆少年河井さんのご厚意により、昨年完成した氏の作品『上京のデイケアセンター』を見学させていただきました。建築文化2000年10月号などにも掲載されていたものですが、雑誌記事では伝わらないライブな魅力がいっぱいだったので、この場でご紹介します。そこに河井さんの意外なまでの(失礼!)腕の良さが手伝って、「かっこいいけどもヒューマンスケール」で、「スッキリしているけども陰影のある」という、ぽむ企画をしてもツッコミどころが見あたらない、よい建物に仕上がっていました。既存のたてものは、「村上もとかのマンガで背景に使われた(河井さん・談)」というだけあって、絵になる医院です。真向かいには建築少年のたという 撮影ぽむ';return true">元アジトが、となりは西陣織組合会長さんのお宅が、斜め向かいには町家倶楽部のアジトも見えます。三階のハイサイドライトを二階のガラス床を通して一階まで伝えるという鉛直方向の光の扱い方や、両側から蔵を貫入させた階段室などは、演出効果まんてんさすが元暴走族バリバリだぜ!といった趣なのですが、一方で天井高や明るさの変化によって空間に適度なムラができており、利用する人によけいな緊張感を与えない親切設計です。ほかにも低い目線にもうけられたちょっとしたた。 100%バリアフリーですが、メリハリの利いたシャープな構成のおかげで冗長さは感じられません。雑誌撮影時にはすでにいろいろと持ち込まれており、京大の学生など‘息のかかった者’に撤去させたという、そのアナーキーな使われ方について解説します。内部は絨毯や旅館にありそうなごついデーブルや動物の置物や衝立やたのか! 撮影ぽむ';return true">唐傘といったお宝でディスプレイされております。これらはオーナーが蔵から見つけだしたりして持ち込んでいるものだそうです。小柄なオバチャンが短パンにカッパという機能的な姿で立ち働いているのですが、その方がオーナーの娘さんで、主任看護婦さんというので驚きましたよ。主客が混在した、威圧感や気取りのない施設です。 |
2001年 4月 23日 (月) 桂 |
あたたかいご飯が食べ放題。 |
2001年 4月 23日 (月) み江 |
シノーポリがすごいお亡くなり方をしましたね。ただの血圧高いオヤジです。「コンペで勝ち取った国際的な大プロジェクト。「40年を費やした長期プロジェクト、ようやく完成。華々しい落成式の朝、弟子たちは慌しく準備に走り回っている。しかも「40年を費やしたプロジェクト」で死ねるなんて槇先生ぐらいしかいません。 |
2001年 4月 22日 (日) 桂 |
お菓子会社のサラリーマンのお友達(尊敬する人・堺屋太一)が絶賛していました。見たいなあ、壬申の乱とか大化の改新モノ。 |
2001年 4月 21日 (土) み江 |
そういうわけで本日はお日柄もふつうで、妹の結婚式でした。冠婚葬祭のうち婚は真っ先に「共同体的イベント」を脱して「個人的イベント」に化した模様です。あぜ道の嫁入り行列とかを期待していた方は残念でした。結婚式の朝というのは、はなよめさんが三つ指ついて「お父さんお母さんお世話になりました」と述べる儀式が行なわれるものだと思っていましたが、式が夜なので、午前中は母親は仕事場に出かけるし父親は畑で野菜の種まいてるし、妹は最も遅く起きてだらだらテレビを見たのちなんの緊張感もなく出て行きました。そういうものなんですか?ちなみにわれわれ親族一行はマイクロバスをチャーターして式場まで行きました。親戚がみな近所に住んでいるためです。牧師さんはむしろ六本木で踊っているほうが似合う感じの白人の兄さんでした。ところで思ったのですが、外国に行って日本びいきのガイジン相手に神前結婚式のプロデュース業とかやるのはどうでしょう。披露宴は酔っぱらいオヤジも出現せず、ましてやため';return true">えっさっさを踊る人もなく、ごく平穏に進められました。ところが新郎新婦がお色直しを終えて着席したそのときです。「シュルシュルシュル」窓を覆っていたシャッターが開いて、100おくまん円の夜景がばいーん!ここは港区の39階、赤々と灯る東京タワーがオレのものです。これには東京の山奥から降りてきた新婦一族も、北の大地から流氷に乗ってやってきた新郎一族もおおよろこびです。トウキョウブラーボ!いや普段東京の悪口ばかり言ってますけど、わたしは景観に関しては東京は天下一だとおもっています。したたるような朝日が昇る((c)林あまり)のも東京だけです。 |
2001年 4月 20日 (金) み江 |
そこでわたくしもブライダルエステと称して整体に行きました。いやわたしも理屈がよくわかってないので「たぶんこんなようなもの」です。たようなものだ しかしなぜカモノハシ';return true">整体というのは骨の歪みを修正するワザです。症例は「骨盤の左右がずれているために右足が痛くて左肩が凝るMさん(20代・女性)」です。(1)治すところをあたためる。体を曲げたり腕を回したりすると、左右で可動範囲が全然違うことがわかる。(3)歪みのせいで支障がたまっているところ、すなわち押すと痛みや不快感のある「ひでぶ」なポイントを探す。自覚症状のある足や肩のほかに、腹とか首にひでぶがあったりするわけです。悪いところを直接マッサージしたりするのではありません。そんなとこ関係あんのかオヤジ、と思うようなところを押したり引いたり、それ意味あんのかオッサン、と思うぐらいの軽い指圧をしたりするのです。いったい何なんでしょう。油を注されたような感じだとMさんは言います。たしかに宗教の素質はじゅうぶんですね。何をしているのかさぱーりわからないのにとにかく体が動くようになったりするのですから、センセイの言うことを聞くようになっても無理からぬ気はします。 |
2001年 4月 14日 (土) 桂 |
河原町今出川の東北、鴨川沿いにカフェができていたので、右の人とともに冷やかしてみました。元銀行をリノベーションしたようで、天井が高く、川に面した屋外テラスや中二階もあります。今どきのカフェに必要な要素がすべて詰まっているのですが、妙に腰の座ったたたずまい。おかしいと思ったらルヴェ・ソン・ヴェールの系列と判明。 |
2001年 4月 9日 (月) 桂 |
第2回ぽむツアー 4 京都へ帰る途中でフォッサマグナの街、糸魚川へ向かいました。建築家は長生きしたほうがトクに決まっています。村野藤吾はコワモテで妖怪っぽい人なのではないかと勝手に作風から想像していましたが、オシャレで上品な小柄な方でした。このあたりの事情はここに書いてありますが、糸魚川の谷村建設の‘社長’の仕業です。移動中の大半は、海側のボックス席を確保して、進行方向に並んで座り、向こう側の座席に足を延ばしてリラックスして過ごせました。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2001年 4月 9日 (月) み江 |
ぽむツアー 越後編その4京都への帰路、糸魚川で途中下車して、谷村美術館を見ました。村野先生は年取ったのをいいことにボケたふりしてやりたい放題やっているようにしか見えません。村野先生もすごいのですが、「社長」好きのぽむとしてはここのオーナー谷村建設の社長もそれ以上にすごいと思いました。私財でコレクションしたホトケのためだけに美術館をオーダーメイド、しかも立地は田んぼの真ん中でお客の9割は建築関係者(てきとう)という、採算無視の道楽っぷりですよ。食物の話ばかりで恐縮ですが、この4日間はうまいものばかり食べました。リリックホールそばの典型的国道沿い回転寿司とか、新潟駅前のおにぎり屋で買ったおにぎりとか、そういうふつうのものがうまいのです。東京や京都の内陸部で育った自分にとってこの二つを兼ね備えている都市というのは驚嘆に値します。でも左の人が「上等の水田と漁場をつぶすのはもったいない」と言うのでやっぱ関東ロームでいいか。 |
2001年 4月 8日 (日) 桂 |
日本建築学会賞受賞の潟博物館は異素材を組み合わせたクラフト的な仕上がりで、学会賞というよりはむしろハンズ大賞が似合うとおもいました。これは次の日に見学した谷村美術館の「ボツ案」を村野センセイの死後になってから建設したものだといいます。たまんまです 撮影ぽむ';return true">花びら型のギャラリーで、西洋建築史で勉強した教会堂の構成的にいうと、いくつものアプスを持ちステンドグラスによって光が落ちる中央集中式のプランです。右の人は「年とるとボケたふりして好き勝手なことできるからいいよな〜。」といっていました。油絵の展覧会が行われていましたが、とてもふさわしい感じがしました。たまんまです 撮影ぽむ';return true">中国式の庭園もあります。 |
2001年 4月 8日 (日) み江 |
ドライバーは「原付以外運転経験なし+デルタで落ちた女」、ナビゲーターは「すぐ車に酔う+地図の読めない女」。果たして無事に帰れるのかぽむ!?乞うご期待!まずは福島潟に行って、Mr.プリンス青木淳さんのビュー福島潟と遊水館を見ました。淳さんはオシャレカッフェーのような緊張を強いるものを作る人と勝手に思い込んでいましたが、安心して鳥を見られる建物だったのでなんだかほっとしました。次は市島邸に行きました。どうもお金持ちはゆうめい人のサインをコレクションするようで、勝海舟とか渋沢栄一の書などがたくさんありました。ここの付属売店では「コシヒカリアイス」を買い食いしました。なんとか時間には帰りつくことができましたが、30回ぐらい道を間違えたので実際の距離の2倍は走りました。唯一の救いは、道がまっすぐで平坦だったことです。関東ローム育ちのわたしの感覚では、平野すなわちマチであり、村といえば山村なのですが、このあたりでは村も思いっきり平野で、田田田田家田田田といったところです。 |
2001年 4月 7日 (土) 桂 |
第2回ぽむツアー 2 二日目は、長谷川逸子さん設計の新潟市民芸術文化会館に行きました。気持ちのいい空間でした。ただしそこは芝生が立入禁止で、あんまり人気がないのです。新潟には立体的に自転車を操る文化があるのか、駅の構内(しかも2階レベル)にも自転車がとまっていました。いつか「お金をもらえる仕事」として完成させるつもりなので小出しにしますが、建物自体の出来もさることながら、ホール運営上さまざまな工夫がなされた、素晴らしいホールです。ホールの他にも、ホール需要の実体を探る市民アンケートに基いて生まれた、貸し出し用のスタジオ10室があります。ブラーボ! 取材終了後、右の人が大好きな、とあるピアニストのライブを聴きました。お友達のギター、ベース、バイオリンを加えたジャズカルテットで、チック・コリアやピアソラの名曲をノリノリで演奏。みんな普段バックミュージシャンをされているようで、たいへん演奏がうまいです。MCでは施設のよさについても言及されていました。 |
2001年 4月 7日 (土) み江 |
ぽむツアー 越後編その2のろのろ起きて、長谷川逸子さんの新潟市民芸術文化会館を見ました。細部も丁寧で気持ちよく、お金と技が感じられ、石油の採れる国は違うと思いました。天気も良くて屋上庭園はとても気持ちがよかったですが、芝生およびギザギザ通路(ぽむは割れ卵と呼んでいる)が立入禁止だったのは残念でしたね。さらにこの国ではこの屋上が気持ちのいい季節などほんのわずかしかないのだろうと思うとさらにもったいないのです。芸術文化会館の隣の白山公園の屋台で、ポッポ焼というものを買い食いしました。ベビーカステラを細長くしたようなものですが、これが黒砂糖味でスゲエうまいのです。(しかも安い)すでにこの時点で「新潟はとてもすごい」自信が確信に変わってきました。ちなみに白山公園というのは明治の初めに太政官布達でできた公園で、オランダふう庭園とか言われていますがどう見ても兼六園です。お上に「公園」を作れと言われたので最寄りの兼六園をお手本にしたくさい感じですね。逸子さん廻りのランドスケープと並ぶと、公園百年史といった趣です。詳細は別の機会に書きますが、リリックホールは見えないところにお金と手間がかかったスバラスィーホールでした。左の人がバックミュージシャンと100回ぐらい言っているので少し弁護すると、レイソルの明神が11人集まったサッカーチームのような面子です。今日の公演にあたっては、リリックの担当職員さんが前もってD氏のライブに足を運んで音を聴き、2つあるホールのうちどちらを使ったらより映えるのかを考えたりするなど、愛のある企画が立てられたようです。」とか言いながらごきげんで弾いていました。やはりホール見学は何でもいいからとにかく公演を見るべきであり、「聴いたことないけどいいホール」とか言うのはマジでやめたほうがいいとおもいます。 |
2001年 4月 6日 (金) 桂 |
第2回ぽむツアー 1 新潟に出かけました。1日目は右の人が得意とするヤフーオークションで競り落とした青春18きっぷを利用して12時間ほど電車に揺られたのち、こちらで予約した新潟駅前のホテルにチェックインして、駅前をふらふら。「ターミナル駅前=京都駅もしくは梅田といった素人には難しい街」という認識を覆すわかりやすいにぎわいがあり、いくつも並ぶ今ドキなダイニングバーの一軒に入りました。 魚のソテーやパスタなどが1000円前後、洒落たデザートなども380円。内陸部で資源が乏しいからこそ、漬け物にしたり諸国から貢がせたり洗練させたり出し惜しみしたりしているわけですね。 |
2001年 4月 6日 (金) み江 |
ぽむツアー 越後編その1ただでさえ安い18きっぷをヤフオクでさらに安く買って、新潟ツアーです。当初の目的はわたくしが10年来おっかけをやっている某ピアニストのおっかけでしたが、そのライブ会場というのが伊東とよお先生の長岡リリックホールであったため、いつのまにか旅の目的がホール取材に変わり左の人も参加することになりました。近畿から越後へのアクセスは悪く、鈍行だとたっぷり12時間かかります。わたしはつねづね味に関しては圧倒的に関西の勝ちだと思っていますが、米だけは断然関東の方がうまいです。このあたりの民家はたいがい壁は下見板で、寄棟が多くて、瓦はなぜか藍色でかわいいです。途中下車した直江津では、メインストリートの町並みは亭仔脚、じゃなかった雪国仕様の雁木でした。とはいえいわゆるアーケードとは異なり、家々がそれぞれ好きなように通路を作っているので、地面の高さがまちまちだったりしてじつは歩きにくいのです。好き勝手だけど統一コードはある、町並みとはそうしたものかもしれません。新潟駅前はなんだか立川駅前みたいでしたが、そのへんの居酒屋で適当に食った魚も適当に出していた酒も非常にうまかったです。(しかも安い)「新潟はもしかするとすごいところではないか」という気がしてきました。 |
2001年 4月 5日 (木) み江 |
報告が遅くなりましたが、先生方のお情けにより電車の座席の10cmの隙間にシリをねじ込むようにして無理矢理大学院を出させていただきました。在学中お世話になった皆様ほんとうにありがとうございました。大学に長居しすぎたため学生生活に対する未練はいっこもないかわりに故郷に下げて帰るツラもありませんので当分京都に居つく気満点です。そこで家から徒歩5分のところに念願のぽむオフィスを借りました。われわれの間では「ぽむ事務所」「ぽむ荘」「ゴジャース」など呼びたいように呼ばれています。 |
2001年 4月 2日 (月) 桂 |
先週末は毎月大阪のINAXで行われるアーキフォーラムに、我らが鈴木了二さんがやってきました。若い頃*了二さんの映画論にノックアウトされた私にとってはこの上ない展開! にも関わらず遅刻してしまい、ビデオライブラリーが1/4くらいしかみられず。 *建築文化1995年4月号特集・映画1200年の誘惑の「山中貞雄の映画あるいは救済の空間」に「亡霊性」をキーワードとした映画論を展開。 |
2001年 3月 26日 (月) み江 |
実家の池の金魚が減ってきたので、ムラウチホビーに買いに行きました。しょぼーい池のくせに猫・共食い・いじめ・排水溝などデンジャーが多く、金魚の生存率は1〜2割といったところなので、一匹30円の駄魚(本来はマスとかのエサ用)をたくさん買って放流します。でめきんなどのひらひらした愛らしい魚は300円もするのに脆弱なので買うだけ無駄です。子供のころ、縁日ですくってきた金魚を放して成長を楽しみにしても、たいがい何日か経つといなくなっていて、無常感におそわれたものでした。したがって自分にとって動物とは「勝手に育つ」「運が良ければ生き延びる」「いつのまにかおらんなっている」ものであります。したがって色つやは憎らしいほど良好です。しかしサバイバルに成功した個体は20センチぐらいにまで育つのであまりかわいくありません。動物といえば、昔からわたしの家族は畑(趣味の菜園)に害を及ぼす生物については非常に厳しい仕打ちを加えていました。 |
2001年 3月 25日 (日) み江 |
実家で祖母の四十九日がありました。終わった後、親戚一同集まってお茶を飲むことになっていましたが、いとこらと3人(全員女でプー)で抜け出して馬券を買いに行きましたおばあちゃんごめんなさい。49日ぐらい前に行なわれた葬儀について少し書くと、本気の田舎なので会場は自宅です。10年前まではテントとか仏具の手配もぜんぶ隣組でやっていましたが、最近は業者(といっても農協)を少しは入れるようになったのでだいぶ楽になりました。「喝!」なんかは大見得のようなものですから拍手の一つも贈りたくなります。 |
2001年 3月 24日 (土) 桂 |
商店建築社刊『アイラブレストラン2』という本を購入しました。「紅虎餃子房」の中島 武氏をはじめとする5名のオーナーたちの「俺の生き様」本なのです。バブル時代には知り合いの社長さんに渡された1億円でいきなりディスコをオープンさせたり、学生企業を立ち上げて期間限定のお店を成功させたり、株や不動産に手を出して破産宣告を受けたり強烈な生き様パンチの連続です。そこに「なかま」たちと整列、腕を組んで片足をあげる、グラサンをかけてフェラーリに乗り込む等の決めポーズ写真集で追い打ちをかけられ、完全にノックアウトされました そういえばFOCUS今週号では、関西を代表するヤンキー店デザイナーと考えられる方が高橋ひとみという女優さんと熱愛発覚という記事も見かけました。オーナーのたたきあげキャラとハデハデインテリアが特徴。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2001年 3月 24日 (土) み江 |
この前見た小学生絵画展に関連してですが、子供の絵というのは大して考えていないくせになぜあんなに構図や色彩が完璧なのでしょうね。あのつじつまの合わせ方は虫とか鳥の巣に似ているようにも思いますが、人間の子供は電車とか花とか自分の興味のあるところを一生懸命描くので、モチーフが同じでもひとりひとりまるで違った絵になります。わたしは幼稚園のころ、箱の中のクレヨンを好きな色順に並べ替えて、好きな方から順に使っていました。ちなみに「ピンク・黄緑・紫」の組み合わせがこの世で最も美しいと信じて疑いませんでした。 |
2001年 3月 21日 (水) 桂 |
京都駅で行われた京都の六大学合同による卒業設計展archi-communicationは、我々が紹介したとおり、ゴジャースなゲストとわかものの熱いバトルが繰り広げられていました。 展示コーナーではお客さんに投票シールが渡され、人気投票が行われました。ネームプレートに学校名を出さず、並びもごちゃまぜにし、学校名はあまり前面に出さないように気を遣っていたようです。でも作品見ただけで、どこの大学かなんとなくわかる作品も多いです。 一日目、二日目に行われた講評会では、ゲストが選んだ作品それぞれのプレゼンに、ゲストが誉めたり落としたり突っ込みを入れたりと、大変もりあがっておりました。三日目の学生による討論会は、会場とプレゼンターとのやりとりに笑わせていただきました。おもしろかったので、3日間の様子を文字におこしてwebに流すことをおすすめします。 こうした企画の成功如何は当学年の学生さんのパワーにかかっていますね。今がバブルの時代であったら展覧会は「ディスコ貸し切り」で行われたのではないか、というくらいの勢いを感じました。ちなみに我々の学年はパワーがなさすぎたのか、何年も続いた合同卒業設計展自体をその年だけ取りやめる事態に。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2001年 3月 18日 (日) み江 |
」と仰せになるので告知ページをつくりました。もう終わっちまったけどせっかく作ったので見れ。」と仰せになるので謹んでご報告させていただきます。今年の京都わかもの祭りは、作品展示のほか、三夜にわたって「イベント」があります。「ほら司会何か言わなきゃ」と仕切りつつ司会を無視して議論をおっぱじめる布野修司・松本正両氏、「いや僕これいいと思ったわけじゃなくて、わからないから聞いてみたくて選んだの」とさんざ強調する本日の極悪人MVP若林広幸氏など、多彩なゲストに会場は満員でした。 |
2001年 3月 17日 (土) 桂 |
毎年大阪南港のATCで行われる関西学生卒業作品展をみてきました。 率直にいうと、たいへんおもしろかったです。その「説」いて「教」える内容は、建築家になるための心得です。傾聴に値する良い話ばかりでしたよ。1.建築家は「発見」して「発明」しなくてはならないミースやコルビュジェは優れたデザイナーでありながら、自らデザイン原理を発見しましたね。同時に既存の価値観をえげつなくブッ壊しました。2.建築家は生産システムから設計しなくてはならない建築業界は技術や生産システムが他産業と比べて進化していない、遅れた業界。こうしたことに無頓着なまま「おさまり」とか「メタフォア」とかをこねくりまわしてオタクになっていては、発明や発見はおぼつかないよ、ということでしょうか。講演でも「次は君たちの時代だ。」と何度も繰り返していましたよ。二川先生は建築業界のオカンだったのです。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2001年 3月 17日 (土) み江 |
左の人が書いているとおり今日は大阪のわかもの祭りに行き、とうとう初めてユキオ先生の説教を拝聴しました。あんな図面書いてちゃだめだよ君たち。」から始まる学生向け説教で、非常におもしろく元気を与えられるお話でした。われわれもいつかユキオ先生の説教部屋に呼ばれたいと心から思いましたよ。透明な液体アクリルが詰まった管とパソコンが連動していて、お好きなひらがなをクリックすると泡がぷかぷか浮かんで文字が現れるという、子供もパンダもおおよろこびのテクノロジー作品。泡をつくる弁がカチカチ音を立てるアナログ感もよかったです。今日はほかにも知り合いの陶芸家さんの果物展覧会とか、地下鉄駅でやってた小学生絵画展など、すばらしいものをたくさん見ました。そんななか本日最低だったのは、大阪のおナウエリア・堀江のカフェです。木造倉庫を改装した大人の空間(プ)だそうですが、インテリアといい音楽といい「男子が女子を連れて行って喜ばせるための店」狙いふうのエロ&ダサがみなぎっています。関西ではカッコだけでメシがまずい店など3日でつぶれると思い込んでいましたが、このコストパフォーマンスの悪さは東京並です。「店主を呼べ」級の腹立たしさに晒しあげ。 |
2001年 3月 13日 (火) み江 |
ぽむうどん(*)ばかり食べているため七味唐辛子がなくなったので七味家で買おうと思いバイトの帰りに伊勢丹の地下食料品売場に寄りました。信じられない光景が広がっていました。ものすごい量の男子です!明日は3月14日いわゆるホワイトデーだったのです。ふだんおばちゃんとねえさんしかいないお菓子売り場に、会社帰りの兄さんたちが大勢うろうろしています。たしか去年もこんなことがありましたね。そこでまーだ明日の準備をしていないやる気のなーい男子のみなさん!日ごろのご愛顧に感謝してぽむもたまには役に立つことを教えましょう。ふだんあなたをいじめたりこきつかったりするギャルちゃんやお局様に気の利くところを見せてあげましょう。まさかとは思いますがチョコエッグを渡して「中身ちょうだい」とか言ったりなんてもちろんしませんよね大学生のみなさん。ファッキュー(FAQ):Q コンビニで買ったらしきチョコをもらったので、僕もコンビニでお返しを買おうと思うのですが。Q 気の利いたものをあげて、俺に惚れてもらっちゃ困ります。(*)加ト吉の冷凍うどんとか草とか菌とか鳥獣とかを鍋にぶちこんで煮ただけの、やる気のなーいうどん。 |
2001年 3月 7日 (水) み江 |
以前T山先生の授業で、コルビュジェとライトというモダンのビッグ2が設計した都市計画をやりました。どちらも、緑いっぱいお日さまいっぱいに暮らしたいなあと言っている計画ですが、前者はとにかくビルを高くして解決を図った「輝く都市」であり、後者はとにかくだだっ広い土地に平たくのした「ブロードエーカー・シティ」です。授業の最後にT山先生は学生たちに尋ねました。「どちらかの街に住まなければならないとしたら、どちらを選ぶか。わたしはそんなの輝く都市が勝つに決まってるじゃんと思いました。けんちくの人は都市が好きで好きでたまらないのだと思いこんでいたからです。ところが結果は、5対11でライトの圧勝でした。郊外ファンの方が多かったのです。これにはたいそう驚き、「こはいかに。(これは、どうしたことか。)」と思っていました。ところが先日、国道1号沿いの銭湯と焼肉屋をハシゴして謎が解けました。焼肉屋のほうはなぜか靴を脱いで上がるのですが、これが床暖房なのです!ふだん喫茶店やめし屋では靴を脱いで椅子の上に正座するほど重度の冷え性のわたくしにとって、これは殺人的なうれしさです。これではみんな郊外に住みたがって当然です。 |
2001年 3月 6日 (火) み江 |
似たような現象が連続して起きることってありますね。今日もタイムカプセルでした。母親からもらった古いハンドバッグを使おうと思って開けたら、1984年の読売新聞が丸めて詰めてありました。「冷戦」「トルコ嬢」などの語が並んでいました。スチュワーデス物語とかプロポーズ大作戦とか11PMが放映されていました。さらにバッグの底には古ーい東京宝塚劇場の歌舞伎公演チケットが眠っていました。昭和45年と書いてありました。とてもいい席でしたが2500円でした。それから今日は図書館で『2001年の様式』というものを見つけましたよ。新建築が1985年にやったコンペ本で、東西のスター建築家が2001年のけんちくを夢見たり語ったりニヒったりマイプロジェクトを宣伝したりしています。まったくタイムカプセルです。 |
2001年 3月 5日 (月) み江 |
今年の元日、コスモ星丸の亡霊とともに1985年の自分がよみがえってまいりました。つくば万博のときにやっていた、21世紀に届けるタイムカプセル郵便というやつです。どれほどクルクルパーなことを書いたかかなり覚えていたつもりだったので、恐ろしくて開封できませんでしたが、今日その封印を解いたところ、記憶をはるかに上回るコスモ電波な自分がそこにいて、かなり参っています。一人称が「あたし」です。将来なりたい職業としてミュージシャンだとか捜査一課の刑事だとか(当時ミステリ好きだった)、プロ野球選手の妻とか(当時ジャイアンツファンだった)、100万回生きてもテメエには無理な職業ばかり並んでいます。当時の自分にとってそれほど重要な事件だったのでしょうか。 |
2001年 2月 25日 (日) み江 |
1年で1万アクセスいけば上等と思っていたのに、(五十嵐隊長によるビッグバン以来)これだけおおぜいの方に来ていただけるとは感慨深いです。みなさまどうもありがとうございました。そういうわけできのうは奈良ツアーでした。それで国会図書館関西館の現場見学をさせていただきました。そもそも現場自体をあまり見たことがないので事情がよくわかってないのですが、あんだけでかいブツ(プランも)に対してえらい細かい仕事を施している印象を受けてまことに気が遠くなりそうでした。スタッフの方々にはお世話になりましたが、ろくにお礼も言っていなかったのでこの場を借りてお礼申し上げます。それから酔い止め薬をキメていてかなりトンチンカンな会話をしていたように思いますが許してください。 |
2001年 2月 24日 (土) み江 |
1年で1万アクセスいけば上等と思っていたのに、(五十嵐隊長によるビッグバン以来)これだけおおぜいの方に来ていただけるとは感慨深いです。みなさまどうもありがとうございました。そういうわけできのうは奈良ツアーでした。でかい図書館なんかは一般人が立ち入れるところは限られていて、国会図書館関西館の現場見学を設計スタッフの方々にはお世話になりましたが、ろくにお礼も言っていなかったのでこの場を借りてお礼申し上げます。それから酔い止め薬がキマっていたおかげでかなりトンチンカンな会話をしていたように思いますが許してください。 |
2001年 2月 20日 (火) 桂 |
昨日、新風館に行って参りました。京都烏丸御池の近代建築を改装して作られた複合商業施設です。 ここでは映像作品の展覧会をやっていました。建築系の作品も出ていました。【ケンチクナイト】のリサーチを兼ねてしばらく閲覧していました。岸和郎のギャラ間展覧会にて使用された映像、Aのたぶん)';return true">“イヴェント”で使用された映像、大学の講師(外国人)の映像。 【ケンチクナイト】何とか実現させたい企画なので、「ケンチク」かつ「クール」な良い映像をつくる方知ってる方はご一報をお願いします。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2001年 2月 2日 (金) 桂 |
しばらく前、ロスでゲーム会社のCGデザイナーをやっている女性が京都にきており、歓迎会に参加しました。この人は京大で(人体)実験系の心理学を学び、東大でサルの脳みそをいじってた人なので、これまでデザインをやっていた形跡はなく、どういういきさつで現在の仕事をしているのかは謎。修士を出たあとアメリカ留学されており、経歴を並べるとめちゃくちゃ優秀な感じですが、知る限りでは優秀さよりも不良感がキャラ的に勝っている方です。 彼女の久々ニッポンの感想は「日本物価下がったねー」。 |
2001年 1月 17日 (水) 桂 |
古屋兎丸を知ったキッカケとなったのがこの本に載っているサザエさんパロディでした。「勝手にコラボレーション」のさいとう・たかを×安野モヨコも必見。 |
2001年 1月 12日 (金) み江 |
ようするに公共建築ってことですか?また「勉強」をするとぽむのIQがアップします。またぽむは主人公とともに戦闘にも参加するのですが、ぽむは敵をやっつけると「カルマ」(ようするに業ですね)値が上昇してしまい、「勉強」をさせるか、「強力よいこぐすり」で回復しないといけません。 |
2001年 1月 7日 (日) み江 |
たちです';return true">現・建築大人をはじめとする30代建築関係者新年会に、抜け抜けと参加させていただきました。じつは元少年の方々とちゃんとお会いしたのは初めてなのですが、一つよく理解できたことは、拳血駆少年は「男前」をコンセプトにしたゾクであったということです。歴代のゾクにも「男前」は多かったと思われます。若い売出し中の兄さんたちにとって男前は重要な武器ですし、そもそもジャニーズですから当然ですね。男前はれっきとした才能です。いっぽう女子にも「美人」をコンセプトにした建築ユニットがあってもいいはずですね。今のところ見当たりませんが、しかしたとえばMAXのような4人組美人のゾクがいたらそれだけでもう無敵だと思いませんか。今まで出てこなかったのが不思議なくらいです。美人や男前というのは、容姿云々よりも、「わたし美人」という押し出しが重要である場合も多いのです。できることならぜひわれわれ自身がその線でデビウしたかったものですが、美人の才能が雀のハナクソほどもないので、残念ですがあきらめざるをえません。そういうわけで日本女子大など女子がたくさんいる学校のみなさんに大マジで期待。 |
2001年 1月 5日 (金) み江 |
少年ジャンプ看板の『ワンピース』ですが、「アラバスタを出る時には仲間が一人増えている」と作者本人が言ったとか言わないとかいう噂を聞き、ガセかもしれないのにいったい誰が加わるのだろうと気になってたまりません。「あたりまえのことをきちんとやってる作品はこんなに面白い」の見本のような正統派少年漫画なので、脇役に至るまでキャラがじつにうまくできており、誰がきてもおかしくないので悩みがいがあります。わたしはMr.2に1900カノッサです(弱気)。一緒に船に乗るには暑苦しすぎますが、なにしろたくさんあるなあ';return true">動物が仲間になってしまった以上、次はオカマぐらいの異色キャラでないと不足なように思うからです。女の子でもおかしくないですが、バロックワークスの女性陣(含ミス・ゴールデンウィーク)は全員したたかそうなので、仲間の条件である「歯を食いしばる過去」や「人生の夢」を披露して寝返るようには今のところ見えません。寝返るといえば海軍のたしぎの方がありそうですが、スモーカーとセットでこそ意味があるので個人的には却下です。問題はビビちゃんですが、水戸黄門でいうところの「藩までお送りするお姫様」役のうえ、ナミ=お銀と見分けがつかないので、立派な王女になったほうがいいと思います。また新顔のコーザも有力そうですが、助さん角さんは間に合っているのでビビとともに明日のアラバスタを担いましょう。 |
2001年 1月 2日 (火) 桂 |
年末に研究室のOB会があったのです。 そういえば都市計画系就職活動日記をみつけました。 |
2001年 1月 1日 (月) み江 |
今年の目標「けんちく掲示板デビュー」元日の行動がその一年を象徴してしまうような気がしませんか?考えてみればここ数年、たまにはジルベスターコンサートとか行ってみたいなあなどと思いつつもにしおゆき邸に集まって年を越すのが慣わしとなっており、年が明けてさあ初詣と皆で外に出た瞬間どういうわけか行き先がカラオケに変わり、なぜあれほど近くに下鴨神社があるのに初詣一つ満足に行けないのだろうと考えるしょうもない元日を毎年毎年過ごし、じつにその通りの一年を毎年毎年送りました。にしお邸で紅白だのジャニーズだのケンケンと同じ顔をしている30年前の小澤征爾だのを見ながら飲み食いをしたところまでは例年通りですが、元日は日の高いうちに起き(重要)、誰に会うわけでもないのにきちんと着物を着てお雑煮を作り、カップルとファミリーだらけの下鴨神社にお参りに行って年賀状を書くという丁寧ライフの実践に成功。ところで今回は大晦日に送り火がありました。点火時刻が紅白のモー娘と重なるのは失策ではないかと思いましたが、寒さに震えながらの送り火もよいものでした。暗い山にでかでかと浮かぶ赤い文字を見ていたら、誰ともなく「……つんく」と言い出しました。たしかにこんなイベントを思いつくのはつんくのような人に違いありません。むかしのえらいお坊さんというのはかなりやくざなプロデューサーを兼ねていたのだと思います。 |
2000年 12月 28日 (木) 桂 |
右の人の“メガネ”の数年ぶりの購入におつきあいしました。 銀縁フレームのメガネ【通称:賢(かしこ)メガネ】をかけた男性は賢く見えます。右の人の偏った目を通そうものなら、顔立ちを問わず賢メガネをかけている時点で知性2割増し(男前5割増し)にみえてしまうようです。 すなわちメガネは過剰な知性を緩和させるための小道具でもあります。 結論「オレはチャーシューが好きだ!ネギネギネギ!」(byみ江) ただし女子のメガネは知性にとってやや過剰なトッピングかもしれません。ケーキにたとえると「知性がクリームでメガネはイチゴ」といったところです。それは大げさにしてもラーメンの上のネギほど重要な役割を果たしているわけではないような気がします。 |
2000年 12月 27日 (水) 桂 |
高台寺圓徳院の住職さんのお話を聞いてきました。門前の道路の電線地中化や石塀小路の伝建地区指定や高台寺のライトアップに奔走しまくりの活動家でメディアにもしばしば登場し、インターネット法話なんかもやってしまう上に、最近は名勝に指定されている境内にギャラリーや都路里などの入った複合ショップを作ってしまったというプロデュース力の高い方。目的は研究対象のさいなんについて聞くことでしたが、最終的にはたしかにここで火事があったら大変です';return true">こんなところにまでお話が展開。 |
2000年 12月 26日 (火) み江 |
好きだけど高くて買えない某日本人デザイナー(ギャルソンではありません)のお洋服を中心に狙っているのですが、世の中には「買っては売る」人がたくさんいると見えて随分な数の出品があります。坂茂に通じるオットコマエな服づくりに惚れて買ったはいいですが、なぜか芸術家の妻とかアート&カルチャー関連業種のご婦人40代以上の制服になっているので、7年で3回しか陽の目を見ていません。ネットフリマで売ってしまおうかとかなり本気で考えているのですが、間違いなく20世紀のデザイン史に残る一品なので手元に置いておきたい、という男子な理由により踏みとどまっています。どうしたもんでしょうね。ところでイッセイミヤケといえば言わずと知れた40代以上けんちく家の制服で知られていますが、買った記憶はないのになぜか2枚も所有しています。 |
2000年 12月 25日 (月) み江 |
今さらですが4万アクセスありがとうございます、とはいってもアニキのところみたいに読者のためになるようなことは何一つしていないのでお礼を言うのも逆におこがましい気もします。ちなみに最近反響が多かった(といっても数件)のは、ケンチクナイトと森博嗣です。「森先生の研究室の人はみなラジコンをやっている」という妙に説得力のある噂も聞きました。「材料といえば『遺伝的アルゴリズムを適用したコンクリートの調合設計法に関する研究』でご卒業された菊川怜も忘れてはなりません。」というご指摘もいただきました。ちなみにまったく異業種の方からです。そうでした。わたしは彼女が女優業との二足のわらじを選択しそれだけで建築学会賞をもらうのを楽しみにしていた一人ですが(受賞理由はもちろん「業界の地位向上に云々」)、実現しそうもないので残念です。 |
2000年 12月 24日 (日) み江 |
こっぱずかしいので詳細は伏せますが、かつて追っかけをしていたぐらい好きな長身メガネのピアニストが参加するライブに行きました。ふつうにバンドのことなどを考えてみればわかりますが、エースで4番のボーカルが大かつやくするためには、1番センターgとか2番ショートbとか3番キャッチャーdsが各自の役どころをがっちり押さえて塁を埋めなければなりません。それで本日も当然4番打者がいるのでありますが、他のメンバーも別の場ではそれぞれ4番としての活動をしてたりするにもかかわらず、このステージにおいてはそれはもう見事に緻密な1番や2番や3番を演じるわけなのです。音楽だとあたりまえですけどこういうのをユニットと言うんですよね?やはりゾクはどこまでいってもゾクであって、むしろ設計者が工務店とか構造家とかと組むチームの方がユニットに近い気がします。 |
2000年 12月 21日 (木) 桂 |
なぜか、「ビリヤード台のように何気なく雀卓が一台置かれた喫茶店」というものに前々からあこがれていたのですが、近ごろ京大農学部の北にある『SARASA(≠SARACCA)』という喫茶店が、「麻雀喫茶」を実践しているようで、私が見た限りではいつもだれかしら打っています。ただし雀卓が思い切り店先にあるので何気なさのかけらもありません。 |
2000年 12月 18日 (月) 桂 |
邦訳すると「建築家たち」。ただ主人公が建築関係者なだけでストーリー展開は森博嗣のミステリ並に建築に絡まないんですが、医療マンガや弁護士マンガはいっぱいあっても建築マンガはほとんど読んだことがないので貴重。 |
2000年 12月 17日 (日) 桂 |
昨日、京都市のまちづくりワークショップに行ってきました。ワタシは理科の実験とかがそもそもキライなので、こういう集まりに出るのは気が進まなかったのですが、一昔前のアイドルオーディションにおける方便のごとく「研究室でいつのまにか応募されてしまった」ので仕方ありません。それでも住民参加の実態を見られるという楽しみもあるので、のこのこと出かけました。 このワークショップは、堀川に水の流れを取り戻すための京都市によるこころみです。堀川の近所の人たちや、我々のような学生などが総勢100人あまり参加していました。‘まちづくり’という言葉の響きのダサさがそのまま反映したような企画が想像され、なんだか不安になりました。開会式でトレーナーとジーンズにスポーツシューズという「ピンポンパンのお兄さん」みたいなカッコした役所の人たちが、決意表明を合唱します。前述の「お兄さん」が各班に2名ほどつき、自己紹介が行われ、次に「堀川の春」という題材で、山下清みたいなちぎり絵作りを2名一組でやらされます。 |
2000年 12月 17日 (日) み江 |
おともだち(職業・京大病院かんごふさん)が参加している市民合唱団がメサイアをやるというので、京都コンサートホールに行きました。これが京響の定期演奏会なんかだったりすると客席はクラオタの京大生(かどうか知らないけどそう見える)ばかりで色彩感がありません。とはいえ合唱はプロのソリストやオケに引けをとらないぐらいうまかったです。とはいえ結局は昨日のメコンに引き続き、「いかに日本近世の文化水準が高かったか」という国粋チックな話をしていたような気がします。つまり中央吹き抜けに反響する音が寒々しいというか、人が行き交い賑わう場所にふさわしい響き方ではなく、いたたまれないのだそうです。 |
2000年 12月 15日 (金) み江 |
」てなふうに書かれたことがあって、意味もなく「なにおう!」とか思ってたんですが、『太陽』11月号またもや民家特集の井上エッセイを読んで、ようやく納得しました。趣旨としては「ぼくは町家保存運動はあんまりやりたくない。」という話で、その理由として、新たな権力に加担しているような気になるとか、ようするにめんどくさいとか井上節全開なんですが、まあここまではさておき、最後に次のような内容のことを言っていました。「自分は嵯峨野育ちだから、学校では田舎者とさげすまれていた。保存運動に関わりたくない最大の理由は結局このヒガミ根性なんじゃないか。ぽむ企画との共通キーワードは「かわうそ」だったのです。かわうそはひがみ・ねたみ・そねみに代表されるネガティブ・シンキングのイコンであり、(ある種の人にとっては)クリエイティブの源です。 |
2000年 12月 10日 (日) み江 |
オットコマエみかんが届きました。もう一箱買えばよかった。」というメールを早速いただきました。ケンチクわかものが日ごろ鍛えた3D能力をポップにカジュアルに披露できる場として、これほどキャッチーな企画もないものです。後輩の法学部4回生男子から就職活動の話を聞きました。クソ不景気の時代にあって就職先は引く手あまた、今も内定蹴った某人気企業から強力ラブコールを受けている模様。じつはぽむは昨年、文字通りと書いてリテラルと読む「脱建築」を目指し、異業種への就職活動を試みたのですが、ご想像通り壊滅状態でした。まあ自分が雇い主なら自分みたいな学生採りませんから無理もありませんし、それで今のぽむがあるのも事実なのですが、それでもこれほどまでの待遇の差を見せつけられると、「かえるですら」というかわうそ的ひがみ根性((c)左の人)が頭をもたげます。 |
2000年 12月 9日 (土) 桂 |
昨日深夜の‘イベント’にて、京大学部けんちく男子によるVJをみました。やたらと立体的でありどっからどうみてもケンチク野郎のVJでした。でもおもしろかったので、ほかのケンチクVJ(ワセダけんちくのDJユニットとか…よう知らんけど)も見てみたいです。どうせイベントをやるなら全国津々浦々のケンチクDJ君が一挙集結し、皿をまわしたりVJをやったりする、 【ケンチクナイト】とかやってくれませんかね。 |
2000年 12月 7日 (木) 桂 |
京大シネマ研究会の上映会で、友人が監督・脚本・出演全てこなした『無意識の行動に対する理由付け』を観ました。棒読み調のモノローグに合わせて、「なぜ私がポテトチップスを大口を開けて一気に口の中に入れようとするか」「なぜ私が足裏全体で着地するように歩くのか」「なぜ私が人見知りするのか」という3つの命題に対する理由を、彼女が自ら行うアクションと細かく編集した画像でしつこく解説するという‘手の込んだコント’。よかったです。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2000年 12月 7日 (木) み江 |
音楽については極力書くまいと思っていて、というのも耳が腐っているため語学・音楽など聴覚情報の入力がかなり苦手で、したがって音楽はひとりでこっそり楽しむべきものであるのですが、お論文なんか書いているとこれしか娯楽がないので縛りを解きます。(これ)組み合わせからしてエキゾチックなうえ、しかも死ぬ間際で手元がなんだか怪しく、なんかもうオレルールだけで一生懸命弾いているので、実際「ドイツにん、フランスを弾く」てなマンガみたいになっていて、もうぜんぜん所謂ドビュッシーじゃありません。デジスタに出たいとひそかに思っているぽむとしては、音を出すページがあってもいいはずですね。というわけでちょっとおためし企画。その中でも最高傑作を拝借しました。た';return true">ブルックナー8番&阿波踊り (MIDIファイル)。 |
2000年 12月 5日 (火) み江 |
ここのバックナンバーにあった、名前が謎な「美穂の旅」にさっそく登録しました。そしたら早速パリに行きやがって面白くないのです。 |
2000年 12月 3日 (日) 桂 |
大原という地域に取材に行き、その後半年ぶり位に某ほんやら洞というところにバイトに行きました。お客さんがほとんど来なくて「地域経済の担い手」といった趣のおじさまたちと、一日中しゃべっていたような気がします。さそうあきらの『神童』、とても面白かったです。 |
2000年 12月 3日 (日) み江 |
京大のすぐ東には凶悪でゆうめいな断層があり、工学部が逃げるように移転しようとしているのはぜったいそのためだとわたしは踏んでいたのですが、「さいなん」に詳しい左の人によると、移転先にも結局凶悪断層があるそうで、ともあれ梁のたわみ絶好調の建築学科棟になんかあんまり近寄りたくないです。CDを替えるのが面倒で一日中FMをつけっぱなしにしていると、大手ゼネコンのCMがけっこう流れるのですが、ご想像の通りこれがまたイケてません。なぜか「構築する(男の)ロマン!」を前に打ち出したがります。しかも女子供に語らせたりします。はたらくおじさん路線です。 |
2000年 12月 2日 (土) 桂 |
我々ぽむのみならずアナログ人間にしおさんも「出したい〜」とひそかに思っているデジタルスタジアム、地上波で放送していました。シュールでウィットに富んだ面白い作品がたくさん。 |
2000年 12月 2日 (土) み江 |
「安藤さんがビヨーンと飛び出るホログラムの表紙」とか「設計事務所に取材に行って相撲勝負」などはぜひ実現させていただきたいところなのですが。決勝戦は「並み居る若造を蹴散らし安藤vs.高松」だったりするとおもしろいですね。妹島さんが意外に強かったりして。 |
2000年 11月 26日 (日) み江 |
京大の学祭に「生け花ロック」を見に行きました。建築学科の同級生で現在ウォーズマンのどらむぱんださんたちと、これまた建築学科の同級生で現在華道お家元嗣の笹岡様との“コラボレーション”なのです。同期の中で一番の出世頭?である笹岡様は、HanakoWESTの「やっと見つけた! いいオトコはここにいた!」特集に出るわ、らぶどんに出演するわのご活躍中。問答無用・一撃必殺・人類不平等のたい方はこちらでどうぞ';return true">ハンサム君でございます。しかしぽむは二人とも遅刻してお花を生けるところを見られませんでしたとさ。 |
2000年 11月 24日 (金) 桂 |
ヒノのアニキのサイトでも紹介されているアーキフォーラム難波和彦さんの会に行って参りました。さらにサインをねだった上に働かせてくれと頼むなど、数々の無礼を働いたこと本当に反省しきり。 |
2000年 11月 24日 (金) み江 |
話題沸騰の『若冲』を観に、京都国立博物館に行ってきました。荒木飛呂彦のヘンタイポップ加減と赤塚不二夫のギャグセンスを足して藤井厚ニ(あるいは細野晴臣)の殿様ぶりで割り、この世のものと思えない絵のウマさと造形センスを乗じる、とか書いたら伝わりますか?コジコジと若冲はどっちが強いですか?(←パクリ)思わず拝みそうになりましたよ。同行のにしおさんと大はしゃぎで帰りました。それにしても「いったいどのような層がこのような作品を注文するのだろうか」と解説に書かれていましたが、岩に登る蛸や巨大シイタケの絵を買って喜ぶアホウがいつの時代にもいるのでうれしいですね。 |
2000年 11月 23日 (木) 桂 |
右の人とともに、オフ会と言うにはメンツが重厚すぎるピクニックに行って参りました。日埜の兄さんはみなさまのご想像(というか私の期待)を裏切らないクールでおしゃれな方でした。自分の研究にからみ、山奥の防災体制も気になっていましたが、なんと敷地内に消防車が2台用意してありました。警察の派出所のような詰め所には、配電盤などが並び、その日の担当と思われるお坊さんが詰めていました。 |
2000年 11月 23日 (木) み江 |
本日は日埜アニキと、いつもためになる話(何の)をわれわれに教えてくれるritsukoさんに初めてお会いしました。「いい旅秋の京都満喫ツアー」と見せかけた「いい旅秋の京都けんちくツアー」に連れて行っていただいたのです。個人的にはアニキ想像図として敢えて「小柄小デブ・胴長・今出川シャツ」を描いていたところ、全部裏切られました。小心者のぽむびとは毒気の強いお二方を前にビビリバビリブーでしたが、楽しゅうございました。夜は研究室の先輩であるところの岸和郎氏も合流して飲みに行き、けんちく女性自身ネタ((c)ritsukoさん)を山のように聞きました。実際はそうではない話もたくさんしたはずですが、耳が腐っているのであまり覚えていませんごめんなさい。 |
2000年 11月 18日 (土) み江 |
とうとう初めて「サッカーの試合」を観に行ってしまいましたよ。シロウト目ながら左の人と一致した意見は、チームカラーがあまりにも都市カラーと同じということです。つまりセレッソは泥くさいカウンター攻撃、マリノスはパスでつなぐしゃらくせえ戦法を得意にしているように見えました。なお長居スタジアム(セレッソのホーム)の雰囲気は甲子園と大して変わらないと思いました。スタジアム・ウェディング(ピッチで宣誓したり選手と記念撮影したり)とか、地元チビッコによる前座試合など、うれしい晴れ舞台を用意していましたよ。その後INAXギャラリー大阪で「草のちから、藁の家」展を見ました。 |
2000年 11月 14日 (火) み江 |
子供のころは「大きな古時計」でさんざ泣いたクチです。昨年のことですが、東京駅で新幹線を待っていたら、どうもある型の車両が引退する日であったらしく、向かいのホームにもんのすごい量の男子が集結していました。珍しいものを見られたワーイワーイと喜んでいたら、当の車両が静かにホームに入ってきました。白い車体はすっかり黄ばんで、昔はぴかぴかしてただろうメタル部分も茶色く錆びて、デザインも昨今のシャープなそれに比べたらもっさりしていて、よぼよぼです。時間と工夫と執念を注ぎ込まれたクリエイティブの塊であることなんか説明されなくてもわかります。 |
2000年 11月 13日 (月) 桂 |
山本理顕さん登場でした。しゃべっていた内容を要約すると、こんな感じです。・建築メディアに乗った評価と、社会的な評価は食い違う。社会性とは関係ねえ!!」的なコメントもあったとか、なかったとか。 |
2000年 11月 13日 (月) み江 |
にしおゆきが実家に泊まりに来ました。あきる野を見て「高知みたいや」と言っていましたが、山畑家家畑畑畑川田田ぐらいなのでそんなもんです。(宣伝)今日はにしおさんと共に、国立の喫茶店・ひょうたん島に行きました。いやどっちも行ったことないので適当に言ってるんですけどね。お店ではなぜか、京都名物書店けいぶん社の店員さんが個展をやっていました。 |
2000年 11月 12日 (日) み江 |
このたび妹が結婚するので、もはや妹の彼氏部屋と化したみ江部屋に、『ゼクシィ』だの『けっこんぴあ』だのが積んであります。そんなものはなかなか読む機会がないので見てみましたが、妹の話と総合してわかったのは、「結婚産業は住宅産業と売り方が同じ」ということです。帰納すると葬儀産業も同じという推理が成り立ちますが、さすがによく知らないのでどなたか教えてほしいところです。 |
2000年 11月 11日 (土) み江 |
今日はにしおゆき展を見たあと、Y松兄弟と築地で寿司を食いました。そこで、自殺者も多いという中央官庁の過酷な労働条件について話し合いました。結論としては、「役職別自殺部屋」を作ってはどうか、ということになりました。その後INAXギャラリーで八戸三中ロボットコンテスト展を見ました。中学生がかなり大きめのロボットをスタイロフォームなどのチープな材料で組み立てるのですが、この構造がもう、見た目無視の結果オーライもいいとこです。Y松兄が「まるで蟻や」と言っていましたが、造形原理が虫とか鳥の巣と同じです。その後高校の同級生も加わってキングオブビアホール・たてものビアホール';return true">銀座七丁目ライオンで飲み、歌舞伎町でカラオケをし、終電ミスって友達の家に泊めてもらう、というトウキョウフルコースを堪能しました。ついでに超満員電車も久々に経験し、これは「ラッシュを環境の一部として身体化するオレ、が好きなオレ」という高度な知性がないと耐えられないと思いました。ラットはパーなのでたぶん一週間で死にます。 |
2000年 11月 8日 (水) み江 |
でも茅葺きがたくさん残っているぶん上等な田舎です。『10+1』とか『A』あたりでどうっすか五十嵐隊長馬場隊長。 朝方、高校の同級生サカモトトモコ嬢からメールが届きました。早稲田の古谷研を出てエンリック・ミラーレスの事務所にいたそうですが、来月からバルセロナのACTARという出版社で働くとのこと。自分にもこんな真っ当な学外けんちく系のおともだちがいたことに自分で驚きました。このサイトを見てくれたらしく、数年ぶりに連絡が取れたので、じつに懐かしくうれしいことです。などとおおよろこびしていたらゼミを寝ブッチして鬱です。 |
2000年 11月 6日 (月) み江 |
トップページでしつこく告知していますが、ここにもときどき登場するぽむボス・にしおゆきのアートイベント(プ)が始まりました。空間デザイン外の作品が空間を支配するさまを見たい人は銀座・月光荘で画材を買うついでにドウゾ。 |
2000年 11月 5日 (日) み江 |
西陣ほんやら洞に茶を飲みに行ったら、2階のギャラリーで全国フリーペーパー展をやっていました。のぞいてみたら主催者は数年会ってなかった知人だったので驚きました。全部見たわけではないので地域別の傾向は読み取れませんでしたが、内容は次のように大別できそうです。京都の誇る『K-ITE LAND』とか、詩に特化したものとか。 やってることはWebと似たようなものですが(面白いものにでくわす率も)、でもWebとフリーペーパーでは「映画俳優」と「舞台俳優」程度に職能が違う気がします。そうそう、一冊だけけんちくネタが載っているのを見つけましたよ。ビジュアル的にちょっとというかかなり『A』でした。 |
2000年 11月 3日 (金) み江 |
きのうは左の人の家で時代劇を二本見ました。『傷だらけの天使』はこのたび初めて見ましたが、今さらながらショーケン・ジャン=ポール・ベルモンドのヘタレカッコよさに足がつりそうでした。「アンニュイ」「ブルジョア」「戦後派」などの古語が使用されていたころの話です。この数年後に「せめて少しはカッコつけさせてくれ」と歌うジュリーといい、あのころのヘタレの自覚を伴ったならず者ダンディズムにはまいっちんぐです。時代は下って「マブい」などの古語が現れる『湘南爆走族』では、ゾクの次に目立っていたのは「サーファー」の姿でした。」と説明してくれました。ためになりますね。アジアカップ決勝における柳沢伝説も今日やっと見ましたよ。日本シリーズ期間中カンチョーを禁止されたらしいジャイアンツ選手と甲乙つけがたいヘタ(以下略)。 |
2000年 11月 2日 (木) 桂 |
今日は右の人とともに『湘南爆走族』と『傷だらけの天使』のビデオをみました。しかしながら彼らはデビュー時から演技派で、案外違和感がありませんでした。むしろ織田の彼女役の杉浦幸から放たれる80年代オーラの方が強烈かもしれません。また、ゾク同士の対決シーンを見て、右の人は「黒澤明の『乱』みたい」と言ってましたが、様式美に彩られた暴走族というのは全く戦国大名みたいです。 |
2000年 10月 27日 (金) み江 |
5紙を取っているバイト先でわたしはふだんビジュアル新聞(別名・毎日新聞)を読むことが多いのですが、今日は全紙見てみました。一面トップの見出しを中川官房長官「更迭」としたのが朝日と京都、「辞任」「辞意表明」としたのが毎日と日経と読売で、想像通りの結果です。それから日本シリーズの誤審疑惑について、その瞬間の写真をでかでか載せて突っ込みまくってるのが朝日、いっこも触れてないのが読売、あとはその中間といったところで、これまた想像通りです。 京都新聞について他地方の方に説明しておくと、紙面の半分が文化欄でできている新聞で(やや誇張含む)、アート&カルチャーがお好きな向きにはたまらないと思います。政治的姿勢としては、非拘束名簿式の成立について「憲政史を汚しやがれファッキュー」とパンクな社説をかますキャラであり、「まー与党だけが有利になったわけじゃないんだしい〜」とか言ってる読売と対極天です。そのわりには東京の“ディスコ”で開かれた利き酒コンテストの話題なんかがなぜか3面に載っていて、マターリしています。ちなみに“でぃすこ”の部分は他紙では何と書かれているか調べてみましたが、誰もそんな記事載せてませんでした。 |
2000年 10月 24日 (火) 桂 |
鈴木あみが意外によいらしく、千原Jrも出ていて、何にもましてロケ地に軍艦島が使われているというドラマ『深く潜れ』をようやく初めてみました。もっと薄暗くてあやしいと思っていましたよ。 のんきに鑑賞しているうちに、ウラのニュースステーションでは新庄FA宣言というニュースが流れていたようです。新庄は昔から何故か横浜ベイスターゾクに入りたがっていますが、12球団一ゾク意識の強そうな横浜の野手がウェルカムという雰囲気になるとは思えないしセンターには波留もいるのですが、その辺どうお考えなのでしょうか? しかも権藤さんだったら新庄を大切にしそうですが、来年は森監督。 |
2000年 10月 24日 (火) み江 |
このサイトもようやくgooで拾えるようになりました。gooは長いこと新鮮情報専門のエンジンにしか登録されていなくて、いつまでたっても本家データベースに入れてくれないので苦情を言おうかと思っていたら、どうも改装してデータベースを統合したらしく、それで引っかかるようになったみたいです。わたしですけど。 Yahoo登録も長らくの懸案なのですが、いったいどのカテゴリで申請したらいいですか? ばかけんちくさんに倣ってエンターテインメント>ユーモア、お笑い>パロディに入れたいところですが、たぶん却下されます。 ところでgooを開くつもりでwww.goo.co.jpと入力したらエロサイトに飛んでしまい、しかも学校や会社のマシンだったりして、気まずい思いをした経験のある人はいませんか?わたしは数回やりました。 |
2000年 10月 23日 (月) 桂 |
実家に帰り、大学から京都駅まで行く市バスをはじめとして、京都-東京間の夜行バスまで、バスというものにさんざん乗りました。 |
2000年 10月 23日 (月) み江 |
個人的に今まで日本中世に比べて近世にはいまひとつ興味がわかなかったのはなぜか、考えてみました。まず近世は情報通信網もあったし建築雑誌(のようなもの)もあったし消費社会も成熟していたみたいだし、都市生活は今と大差ないような気がするのが一つです。それから初等教育において「身分支配は極悪」「農民はド貧乏で悲惨」的イメージを刷り込まれたのもけっこう大きいように思います。実際は農民も白い米を食いお代官様を接待づけにしてよろしくやっていたはずですが、日教組は『ベロ出しチョンマ』のような話が好きすぎます。かわいくたって頭が良くったって、マーーーゲ人間じゃあ、ねえ。 |
2000年 10月 21日 (土) み江 |
二人合わせて国家資格ゼロのぽむ企画にようやく普通免許が一つもたらされて目出度いのですが、左の人は自転車で勢いよくこけて歯を折ったりするくせがあるので、周囲の人間は少なからず心配しています。ちなみに知り合いの編集者はこの日記の文章を読んだだけで「左の人は運転がランボウ」を見破りました。選手の顔写真を見ただけでポジションがわかってしまうオフト監督みたいです。泣きながら弔辞を読むいやな役は間違いなく自分なので、頼むから勢いよくこけたりしないでほしいと思います。 |
2000年 10月 20日 (金) 桂 |
とうとう普通免許の実地試験にギリギリで合格しました。長かったです。 |
2000年 10月 20日 (金) み江 |
記念に欲しかったというだけの理由で「ビハインドザマスク」の馬券を購入したら当たってしまった、というふざけたYMO好きに「メシを食わせてやるオラオラ」と札束で顔をはたかれたので、のこのこ出ていきました。それで久しぶりに市バスに乗ったらゲロ酔いしました。97年に京都でCOP3(気候変動枠組条約第3回締約国会議)があったときバスはみなアイドリングストップをしたものですが、会議が終わった瞬間誰もしなくなりました。信号待ちの間のアイドリングストップに環境保護の効果があるかどうかは怪しいところなので判断を留保しますが、少なくとも自分のような乗り物に弱い動物にとってはあの小刻みな「もももももも」がないだけでどれだけ楽だったかわからず、復活を望みます。 |
2000年 10月 16日 (月) み江 |
『新建築』10月号で隈さんが愛知万博の会議に参加したかんそうを書いていましたよ。一人が他意なく言った発言が別の人には逆鱗に触れ、さらに他の人が反応して怒号が飛び交う」といった感じのことを言っていて、これは2ちゃんねるだと思いました。2ちゃんねるは日本的民主主義の縮図である、などとばかなことを言うつもりはさらさらありませんが、ズレたことを言う人への警告ツールや荒れた場のなごみツールとして便利な「モナー」はケンカの苦手なジャパニーズのすばらしい発明品であり、もしかしたら今後の日本的ケンカ作法のありようを示唆しているのではないですか?ってこれまたばかですね。 |
2000年 10月 15日 (日) 桂 |
卒業検定に落ちてしまいました。黄色信号でいこうとしたら教官にブレーキ踏まれ一発アウトです。通っている教習所は、京都でいちばん簡単と言われているデ○タ(教習所名)なので、これから一生『○ルタで落ちた女』という十字架を背負って生きてゆかねばなりません。鬱を解消するためにカラオケに行きました。右の人を誘ったのですが、「ダメがうつるからイヤだ」と言って断られました。 そんなことをしている間に、課外授業 ようこそ先輩の「つくってみよう 夢の家」〜建築家・長谷川逸子〜を見逃してしまいました。以前コシノジュンコの回で、小学生に服を作らせていたのがとても面白かったので、建築家が出たときは絶対に見ようと思ってたのに…どうだったのか、気になります。 |
2000年 10月 15日 (日) み江 |
「一乗寺商店街のお祭りにぼくのバンドが出る」と知人からお知らせをいただいたので、見物に行きました。行ってみたらなんと「アートフェスタ」でした。近所の人がやきそばやおでんを売るかたわら、小物づくり工房をやっていたり、精華大学マンガ学科の学生が似顔絵描きをしたり、プチ学祭の趣です。参加者は10歳以下の子供を連れた近所のオジチャンオバチャン、(われわれのような)学生だかなんだかわからない20代といったところ。例のバンドは歌舞いたオカマさんやねえさんがかつやくする京大系ラテンバンドで、彼らを呼んだ祭主催者の食堂兼飲み屋マスターが「みんなもっと引くと思たんやけどな」と言っていた程度に刺激的ななりをしているのですが、お客は特に帰ったりもせず、遠巻きながらじっと聴いている人もいて、(われわれのような)えたいの知れないわかものをこの街の人がいかに温かく放っておいてくれるかというところに、今さらながら感謝の念がおこってくるのでした。この機会にぜひマンガ学科の人に似顔絵を描いてもらいつつ授業の様子などをインタビューしたかったのですが、けっこう子供が並んでいたうえに用事もあり、断念しました。楽しかったです。 |
2000年 10月 14日 (土) 桂 |
しかし他にもここに入れて欲しかったけんちく家はいますよね。まず妹島和世さんははずせないし、住宅っていったら山本理顕さんもほしいよな。あと『BRUTUS』読者一番人気(憶測)の隈さんがいないのはなぜかな? NHK教育でやってた環境関連の番組で見たのですが、エジプトのカイロって面白い! 超高密の1000万人都市だそうですが、食料は完全自給自足。 |
2000年 10月 13日 (金) 桂 |
イチローメジャー入りということで、イチローも額に不安が感じられるようになり、スタイリストの彼がどのように折り合いをつけていくのか今後が楽しみとかのんきなことを書こうと思ったら、「松坂の無期限野球活動禁止処分」という話題が重なってネタ(野球)が盛りだくさんです。 イギリス在住のくせに私より球界(と競馬と芸能ネタ)の話題に詳しい友人Aiちゃんいわく「日テレのアナは読売のしかけた刺客」。 |
2000年 10月 13日 (金) み江 |
松坂もどうせ最終たいけつを棒に振るのなら、せめて昨日にしておれば運動欄見開きでイチローと夢の対極天が実現したところです。 きのうはドナドナされた自転車(=撤去された自転車:0731日記参照)を取りに行くついでに防災用品を買い出しました。近ごろ流行の宏観異常現象サイトをうっかり寝る前に見てしまい、恐ろしくて眠れなくなったからです。掲示板はカラスが夜騒ぐだのアリが引っ越しただの書きこみでいっぱいです。自分が今までほとんど使う習慣のなかった「(笑)」をここ数日突然多用するようになったことまで宏観異常に思えてきて、愚衆っぷり丸出しです。 などと言っている場合ではないので冷静になっていろいろな関連サイトを見てみましたが、地震予知方法としての実用化に関する問題の所在が最もよくわかったのは意外にもここでしたよ。この分野は良い意味でも悪い意味でも確実に大衆化しつつあり、以前「なぜ火山ファンがこんなに多い」などと書いたことを反省する次第。 |
2000年 10月 12日 (木) 桂 |
月刊化された『casa BRUTUS』、みんな大好きなバウハウス特集。しかも現場取材たっぷり。専門誌と一般誌の中間くらいの道を確実に進む路線みたいです。 昨夜友人と「いまの20歳くらいのわかものは保守的なタイプが逆に面白い」という話になりました。髪を染めて個性を主張する、将来の夢のために定職につかないといったことに社会が寛容になってきている今、逆にラジカルなタイプは黒髪コンサバなんじゃないか、と。 |
2000年 10月 11日 (水) み江 |
下の本と合わせて読むとフランス人とは極力ケンカしたくないとしみじみ思います。肉を食べ、ゴメンナサイを言ったら負けの人たちと素で争っても勝ち目はありません。パリに住む友人のピアニストの部屋に居候していたとき、隣人がピアノの練習をやめてくれと苦情しに来ました。」と言い、勝ちました。もちろん楽器OKのアパルトマンですが、それでも頻繁に文句を言ってくるあたりさすがです。その応対のために仏語が上達せざるを得なかったと言います。勝とうと思ったらまず肉を食べないといけません。インド人も最もケンカしたくない相手の一人です。 |
2000年 10月 10日 (火) 桂 |
改装が施され‘カフェ’に変身したのは船岡温泉ではありません。変身したのは100メートル隣にあった似たタイプの別の銭湯だそうです。無知でカンチガイしてしまいました。 今日の『ETV特集 シリーズ日本の宿題』で橋爪大二郎が、「高校も教習所システムにしようよ!」的なことを言ってました。試験内容は割合簡単なもので、上の学校を目指す人には負担にならないし、勉強の目的を見失っている高校生にもはっきりした目標を与えることができる。もちろんそれをクリアしてしまったら、その他の専門的な勉強ができる。高校生も普免(=高卒資格)を取ったら限定解除(=大学受験)を、レーサーになりたい(=東大に行きたい?)人はさらに深い精進をする、ということですね。 |
2000年 10月 10日 (火) み江 |
涼しくなってきたので高脂肪食品が欲しくなります。わたしは野生動物の如く夏と冬とで体重が2〜3キロ違います。またバターネタかよ。マリ・クレールに連載していたパリ在住の主婦(ダンナがフランス人)によるフランス食事情エッセイですが、この手合いの読み物が陥りがちなフランス万歳本やグルメ自慢本ではありません。著者はなかなかの大人物とお見うけしました。これが「おいしい」だったらぜんぜんダメです。それで思ったのですが写真ナシで「頼むからその建物を一目見せろー」と読者に言わしめる文章を書くのは至難の技です。 |
2000年 10月 9日 (月) 桂 |
えらい長くなってしまったので、題をつけてみました。しかし、教習所のシステムというのは見事なシステムだと思ったのですが、どうですか? 通ってくる人間をほぼ全員、なんとか車を動かせるように仕上げるというのはスゴイと思います。大げさな話ですが、英語を第二公用語にするとか、IT推進を国策とするといった事情あらば、このくらいやってもいいのではないですか。教育改革の内容は「カリキュラムの大幅削減と選択科目の追加によって、コドモの個性に合わせた教育の多様化をはかる」です。それによって選択科目はどの学校で受けてもいい、つまり日替わりで別の学校の授業を受けに行ったりすることが可能になるのです。既出の話だったらすいません。 |
2000年 10月 8日 (日) 桂 |
京都の誇るキッチュ銭湯、藤森照信先生の建築探偵シリーズにも登場した『船岡温泉』が、いつのまにか‘喫茶店’じゃなくて‘カフェ’に変身したので物見に行きました。三条富小路にある、そもそもそんな概念がないころから町家再生系な『SARACCA』の姉妹店で期待しましたが、改装そのものは、うーん。あと2〜3軒こういった店ができれば、一乗寺的な楽しい場所になりますね。西陣は王子くらいかな? 建築学科出身の政治家っているのか?というネタが、ぽむの間で話題にあがりました。 |
2000年 10月 7日 (土) み江 |
むかし論文用の資料をあさっている最中に発見しわざわざパワーブック(=無印で買ったなんでもノート)に書きとめてあったものです。[後略](小林完『児童のお弁当百種』昭和6年 より)−−− そしてたんぱく質が多く滋養があるとか、酵素のはたらきで消化吸収がよいなどの無理矢理な理由を挙げ、味噌に軍配を上げています。当時バターと味噌が勢力を二分していたようにも取れますが、単にこの人が主張していただけのような気もします。ベジマイトとかレバーペーストみたいなものだし味噌を塗ってもおかしくないと思うのですがわたしはしません。 |
2000年 10月 6日 (金) 桂 |
最近はけんちく色の雑誌が多くて全部購入していたらきりがないのですが、性懲りもなく『pen』北欧特集に『一個人』再生建築特集、『BRUTUS』奈良社寺特集、『STUDIO VOICE』サイケ建築特集、と4冊購入してしまいました。10/10には月刊化された『casa BRUTUS』も登場ですね。 今日はわけあって『スペースデザイン』(といってもSDじゃないよ)というマンションディベロッパーのリクルーターの方の話を伺ったのですが、「建築雑誌の取材を受けるよりは、女性誌のインテリア特集に販売戦略の一環として記事を載せてもらう方が多い」と言ってましたよ。実際にお金を出して使う人との距離が近い雑誌に載せた方が営業的には有利という考え方は、さすが実をとる不動産会社です。 |
2000年 10月 3日 (火) 桂 |
9/25の記述で、「巨人優勝を一面に持ってきたのはスポーツ報知だけ」という部分に対して読者のひとから指摘がありました。 |
2000年 10月 1日 (日) 桂 |
右の人とともに、建築史のY先生率いる日本建築史見学旅行なるものに行きました。京大はあまりこういう気の利いた学びの企画はないので貴重な機会であります。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2000年 10月 1日 (日) み江 |
泊りがけで研究室主催の古建築ツアーでした。本来は学部生対象なのに他の研究室の先生やえたいの知れない院生(左の人など)によって異常に平均年齢がつり上げられています。そもそもわかものは古典など興味ないに決まっており「僕は学部のときは日本建築史の単位取ってない」と激白した建築史の先生もいますからこれでいいのです。板張りの床といいでたらめな柱間といい、民家も中世までさかのぼると外国です。左の人が「(畳が普及して)規格化されるとダサくなる」と仮説を立てており卓見だと思いました。ついでに浄土寺浄土堂も外国でした。スタイロフォームにわりばしをぶすぶす刺して作ったモビルスーツふう(シャア専用)の胸がときめくカッコよさ。 さてお楽しみ・夜の宴会では某先生が本場仕込みのどじょうすくいを踊ったりしたらしいですがわたしは日付が変わる前に寝てしまったので見ていません。 |
2000年 9月 28日 (木) 桂 |
最近にわかサッカーファンを自称する右の人に指摘されたのですが、世界のナカタは『特撮』ファンのようです。10月あたまに行われるライブで会えるかもしれません。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2000年 9月 25日 (月) 桂 |
高橋尚子の走りは完全な横綱相撲で、コースを10回試走した人は違うと思いました。スポーツ新聞で巨人優勝を一面にしていたのは、スポーツ報知だけでした。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2000年 9月 24日 (日) み江 |
昨日のアメリカ戦PKにマジ泣きしたうえ、部屋に暦を貼る習慣などないくせに来年の中村俊輔カレンダーを予約するという暴挙に出ました。サッカー選手/ファンのことを「ヤな感じ」「芸がない」「みんな同じ顔」などと言っていた人間がサッカー観戦歴7日にしてついにオマエモナーです。しかし「トルシエはあそこで本山を出すべきだったよな」などと訳知り顔で言うような真似(プ)だけはしないことをモナーに誓います。日本中で募金を募ったらデュークトウゴウを雇う金ぐらい簡単に集まりそうですね。ついでに明日の球界いや日本のためぜひナベツネも抹【以下略】。 |
2000年 9月 23日 (土) み江 |
故郷のおともだちピアニストが故郷でリサイタルでした。6月12日や24日にも書きましたが、幼稚園以来の同級生がショパンコンクールに出ることになり町を挙げてのお祭り(=まつりごと)的リサイタルです。元市長さんが立ち見客にざぶとんを配ったりする手弁当ぶりで、お客は西洋古典コンサートなど行ったことないような地元のオジチャンオバチャンお子様でいっぱいでしたよ。 今日は客ではなく下働きなのでモギリをしたり、舞台から聞こえてくるショパンをバックに控室のモニターでサッカーを観たりしていました。ホールでも少しだけ演奏を聴きましたが、日ごろ生み出す痛みを見ている親しい人の創作(とくに舞台もの)に対峙するというのはなかなかに心身を削られます。」という説得力のあるアドバイスをいただきました。 |
2000年 9月 20日 (水) 桂 |
原因は巨人の独走にあるのではないかと推測されていました。 そんな巨人にふさわしい優勝の幕切れはこんな感じですか? 〜広島に3連敗した巨人は、中日との3連戦も苦戦、24日の日曜日になんとか優勝を決めたものの、次の日の一面は、金メダルを取った高橋尚子に奪われる。〜(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2000年 9月 20日 (水) み江 |
最近サッカーアレルギーが(少し)治ってきました。わたしは小学生のとき『キャプ翼』に感化されたイキがり男子が体育の時間「おい上がれよ!何やってんだよ女子!」とか本気で怒るのでむかついた以来のサッカー嫌いですが、オリンピックを見るに最近の若いサッカー選手はあんまりいやな感じがしないしみんなかわいらしく見えます。すっかりメジャーなスポーツになったので選手も変なイキがりが抜けたのでしょう。単に自分がババアになっただけという説もありますが。しかし野球選手のまぬけっぷりに比べると、サッカー選手は(大学にたとえるなら)慶応SFC的な「スキのなさ」で覆われているので、まだまだ心を許せません。 ちなみにサッカー観戦歴3日のわたしは中澤とシュンスケが好きです。あまりよくわかっていないので間違っていたら教えてください。 |
2000年 9月 14日 (木) み江 |
左の人が購入したという『廃墟遊戯』、しばらく前に週間少年ジャンプの巻末コメントで3人ぐらいの作家さんに絶賛されていました。 陶芸家/中学・高校教師/京大院生がほぼきれいに割れるメンバーで川原でお月見をしました。各自料理を持ち寄りましたがエガシラ君(京大・薬)によるいちぢくタルトは絶品でした。雲間に覗く望月は風流でしたよ。 |
2000年 9月 12日 (火) 桂 |
名古屋の手前で高速バスは止まり、静岡まで引き返しました。名古屋で何が起きていたのかよくわかっていないまま、磯崎新のグランシップを見に行ったりしました。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2000年 9月 11日 (月) 桂 |
キノコ工場の近くで一泊し、小山で解散してひとりたまスーパーアリーナ';return true" target="_blank">さいたま新都心へ出かけました。 渋谷のパルコブックセンターで『花とみつばち』た';return true" target="_blank">安野モヨコ、『東京人』10月号-現代建築特集、『Memo男の部屋』10月号-東京の小さな土地に家を持つ特集、『Instant Future-大阪万博編』都築響一・編、『DEATHTOPIA-廃墟遊戯』小林伸一郎など購入(買いすぎ)。このあと高速バスで、名古屋の大洪水に巻き込まれました。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2000年 9月 11日 (月) み江 |
バイト先で手づくりインド料理パーティーがありました。自社ビルの最上階でやるというので行ってみたら、「うおおおなんじゃこりゃああっ。」そこはどこからどう見てもリビングルームでした。3年ほど通っていながら自社ビルにこんな道楽ルームを作る会社だったとは知りませんでしたよ。ちなみに設計者は吉村篤一だったりします。 『建築文化』9月号の家具特集、内藤廣の「あぐらがかける」「子供でも足が床につく」椅子は私的ビンゴでした。なぜわたしの欲しいものがわかりますか。 |
2000年 9月 10日 (日) 桂 |
3日目は、防災関係の講演を見たのち、日光へ。小学生のときの修学旅行以来ですが、基本的な建築史を勉強してからあらためてみると、いかにヘンな建物であるかがよくわかります。彫刻と極彩色で埋め尽くされた様はスペインバロックのごとし。 しかる後に研究室の人々と赤城山の麓のキノコ工場をたずねました。椎茸の原木を再利用したおがくずをつくり、これまた安く手に入るおからと混ぜてマイタケ床を作るので原価はとても安いそうですが、それが一株千円の高級マイタケに化けるので、まるで錬金術です。退職後のお父さんや子育てを終えたお母さんが生き生きと働いています。キノコはとてもおいしかったです。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2000年 9月 9日 (土) 桂 |
教育関係では先進的な取り組みをしている町で、オープンスクールがたくさんあるようです。何軒か見て回ったうち見応えがあったのは桜中学校で、低層の連なりと枯れた木の壁の味わいがチャールズ・ムーアのシーランチをほうふつとさせるシブい建物でした。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2000年 9月 9日 (土) み江 |
東西の中世史家が酒を飲みながら「ヨーロッパでは酔いつぶれた姿を人前にさらすのは御法度です。でもそうなったのは十〜十一世紀以降のことでそれ以前はまつりごととランチキ宴会は不可分でした。接待が半ば制度化されていた時代もあります。後醍醐天皇なんか裸のおねえちゃんを呼んで宴会しながら倒幕の相談をしました。 |
2000年 9月 8日 (金) 桂 |
snoodにはまりまくったあげく郡山へ学会見物+南東北&北関東ツアーをしていたため、日記の更新を随分サボってしまいました。初日は郡山市内で郡山市立図書館(岡田新一)と、郡山市立美術館(柳沢孝彦)、今学会のメインを張る ビッグパレットふくしま(北川原温)を観てきました。 宿のある福島(五十嵐隊長と同じで郡山市内には宿が取れなかった)に向かい、福島市音楽堂(岡田新一)を見学させてもらいました。隣にある古関裕而記念館も同氏の設計で、古関裕而という『六甲おろし』等様々な応援歌を作った大衆的な作曲家にふさわしい、サロン的な場所でした。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2000年 9月 8日 (金) み江 |
わたしは行きませんが左の人は「郡山はキャラ的には大阪でいうところの十三、東京でいうところの新大久保であり学会などするところではない。」などと文句を言いながら(見物に)行きました。 ところできのうは見本市のあと食品メーカー勤務のおともだちを呼んで、大仏がいる梅田のヤンキー店(安くてうまい)で飲みました。彼もちょうど今日学会で破壊応力に関する発表をするそうですが、何の破壊応力かというと「サトイモの破壊応力」や「カボチャの破壊応力」だったりします。 |
2000年 9月 7日 (木) み江 |
左の人に誘われてインテックス大阪(東京でいう幕張メッセ)に『2000NEW環境展』というものを見に行きました。研究や仕事で招待されたとかいうわけではまったくなく100パーセント遊びなので、ネクタイをした人たちの中で浮きました。 会場は期待どおりすてきな空き缶潰しマシンや段ボールウンコ製造マシンなどがたくさんあって夢のようでしたよ。けんちく家としてはこれらを材料に家具をつくるのもいいですが、個人的に大変もったいないと思うのは都市の出す大量の生ゴミです。 左の人が最近日記の更新をさぼっているのはsnoodにはまっているためと判明。 |
2000年 9月 4日 (月) み江 |
『造景』8月号に、超カッケエ近代化遺産(セメント工場)の廃墟を整備して観光資源にしたスペインの田舎まちの話が出ていましたが、成功の裏に「もう一度あの電車が見たい一心で廃線を復活させた鉄ちゃん」たちの功績があったことは見逃せません。 |
2000年 9月 1日 (金) み江 |
おともだちの落ちこぼれ音大生(ピアニカプレーヤーを目指しエレキピアニカ制作中19歳)が東国から泊まりに来ているので、「よいホールとダメなホール」について話し合いました。設計者はそのための最善の形状に命を捧げるべき。・だけどクラシック奏者は概して客席に無関心でサービス精神がなくて傲慢で、そもそも教育自体が……その先は彼女によるクラシック業界の悪口大会なのですが、結論としては「多目的ホールはもう建てんでよし」といったところです。 |
2000年 8月 29日 (火) み江 |
深い事情があって葉加瀬太郎ライブに行きました。京都駅ビル内のシアター1200というホールに初めて行きましたが、センスはともかくプログラムだけはまともな京都駅からは想像もつかぬほど夢も希望もない空間でした。しかもホール内部は意味のよくわからないアシンメトリーで、案の定葉加瀬につっこまれていました。京都産業会館(京都コンサートホールともいう)や東京文化会館修作(京都会館ともいう)がオペラ座に見えてしまったあたりつくづく京都ホール事情の程度が知れます。まあ帰りがけに素顔の高田万由子を見られたのでよしとしましょう。 |
2000年 8月 28日 (月) み江 |
例の「ユニット派批判」に関して日埜アニキがカミソリシュートをかましてくれましたが、それとは無関係に『週刊朝日』の林真理子インタビューでは70年代カルチャーの子供・佐野史郎がユニット論(ちがう)をかましていましたよ。「今の若い役者はみんな仲良しで、ユニット組んだりして軽ーく交流するけど、あのころは他の劇団なんか全部敵、みたいな感じだった。どこも似たようなもんですね。 |
2000年 8月 26日 (土) み江 |
夏休みの宿題が一行しか終わってないのにうっかりさんまを食べてしまったりしたので、夏を取り戻せ!企画として鴨川デルタで花火をしました。デルタにいた他のチームと比較すると自軍の平均年齢は推定6歳ほど高、テンションは約70%ほど低でした。「クラブ」が体力的にしんどくなった高学年は自動的に「ラウンジ」に移行することになっているのです。 左の人に聞いたのですがリバイバルするクイズ・タイムショックの司会は鹿賀丈史だそうで、ちょっとテンション高の気もしますが猟奇性が優先されたのでしょうか。ちなみに今日の花火は理系4学部がきれいに割れるメンバー構成でしたが、工学部チーム(つまりぽむ2名)が最もクイズに弱そうでした。 |
2000年 8月 24日 (木) 桂 |
もう一人のぽむもお気に入り(うそ)shinjyo5.netにつづき、 坪井オフィシャルサイトも誕生していました。日記が手慣れた調子で書いてあって、「このホームページって、本当に坪井さんが書いてるんですか?」というメールがたくさんくるそうです。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2000年 8月 24日 (木) み江 |
「あまりの乱痴気・京大吉田寮祭に法学部長激怒」の見出しにつられて『週刊文春』を左の人と立ち読みましたが、ぜんぜん乱痴気ではなくよくある事件(と書いてイベントと読む)でした。 最近みんけんとサイバーになかなか気の利いた書き込みをする人が出現したと思ったら、よってたかって骨抜きにされてしまい、なんだか学級会というか帰りの会みたいでした。などと面と向かって言わないあたりわれわれの気の小ささというか卑怯っぷりがよく表れていますね。 |
2000年 8月 22日 (火) 桂 |
金沢に2泊3日で調査に行ってきました。バカボーとデジカメを持って炎天下をひたすらうろうろする調査で日射病は避けられない感じですが、金沢の歴史と文化と魚に救われます。実家(ジャズ喫茶)に戻っているほんやら洞関係者にも会いました。最終日には福井県金津町にある金津創作の森に行きました。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2000年 8月 22日 (火) み江 |
TFJ氏やサイバー氏に吊るし上げられているので(被害妄想)白状しますが、リス釣りのページ知ってました。 |
2000年 8月 21日 (月) み江 |
インターネットで走り仲間を見つける暴走族が出てきたらしいです。「自分で車やオートバイを改造するため普段から機械には慣れ親しんでおり、パソコンなども抵抗なく操るという」そうですよ。 鳥山明の宝石のような短期連載が終わった少年ジャンプ、今週はなんといっても新庄です。といっても半裸になったりフィギュアになったりしている新庄ではなく、『ROOKIES』の話です。不良くんたちも甲子園を目指す時代です。 |
2000年 8月 20日 (日) み江 |
おともだちが役者をやっている大名古屋のカルト劇団、少年王者舘を見に大阪へ行きました。ノスタルジックの仮面が厚いので好みが割れる芸風ですが、入り込めない人は音と意味の重なりに耳を傾ければスティーブ・ライヒのライブみたいに楽しむことができます。つくづく世の中にはクリエイションによって精神の均衡をようやく保っている種類の人というのがいて、約2年ぶりに見る彼女は美大のヌードモデルで食い扶持を稼ぎつつ天職みたいな役をもらって凄絶に輝いており涙が出そうになるのでした。 |
2000年 8月 18日 (金) み江 |
狩猟・採取の生活に比べたら屁みたいなものです。 ニュースを見ていたら三面立体テレビの話題をやっていて、ヴァーチャルへの道がまたひとつ開けたかと思ったら、単に正面左右から別々の映像が見えるというもの。実用化の例としては「子供がミュージックステーションを見ていてもお父さんは横から野球を見ることができる」だそうで、ちゃぶ台をひっくり返しそうになりました。そんなひまがあったらガス釜よりうまい飯が炊ける電気炊飯器を作ってください。 |
2000年 8月 17日 (木) み江 |
「ガラにもない月間」の一環として(うそ)真保裕一『震源』を読みました。 |
2000年 8月 15日 (火) 桂 |
東京都が発表した災害時の緊急用トイレは、マンホールの上に直接便器を置くという目からウロコのナイスなアイデア。 |
2000年 8月 14日 (月) み江 |
もったいぶって黙ってましたが、この島は近代化遺産の宝庫です。島じゅうがえたいの知れないRCや煉瓦の構造物跡だらけですよ。海岸には明らかに建造物の一部であった煉瓦の塊が転がっていて、キャンプ客のかまどの材料となっています。「立入禁止」の廃墟内には全裸の中年男性の姿をした妖精が棲んでいます。ただの海水浴客ですか。 |
2000年 8月 13日 (日) 桂 |
オールナイトをみにいきました。音楽から得た知識にとどまっていた‘キノコ人間’の謎を解くべく自転車をとばしてみなみ会館に出かけました。実際の映画には呪いの館もタマミという女の子も出てきませんが、キノコ人間というのは想像以上にけったいでした。あわせてかかったGS映画2作の映像・音楽両者のヘタレ感にやられ、うっかりファンになってしまいました。また『元禄繚乱』で綱吉役をやっていたショーケンしか知らなかったので、何でSTUDIOVOICEで特集が組まれるのかよくわからなかったのですが、『ザ・テンプターズ 涙のあとに微笑みを』における18歳の彼を見て納得しました。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2000年 8月 13日 (日) み江 |
台風はただでさえ今大変な伊豆諸島のほうへ行ってしまい、おかげで野菜カレーはまぬがれました。島の強い日差しでただでさえ弱いインドア人間の体と心はたちまち弱り、こんな過酷な縛りをかけたことを早速後悔し始めましたが、それでもバーベキューコンロでエビを焼くのはどう見ても楽しそうに見えないのがすごいです。 薄暗い水場で魚をおろしていたら、「シュコー」「カサカサ」「シュコー」と明らかに人間以外の生物が近くにいる気配がします。と思ったらわたしが草むらに投げ捨てた魚の頭をカメが食っていました。 |
2000年 8月 12日 (土) み江 |
と知人に言ったら「なにガラにもないことしてるんですか」とマッハ2で返されたぐらい超インドア野郎の筆者にはそぐわないレジャーです。とはいえ無人島のくせになぜか電気が通っており旅館やキャンプ場まであってまったく緊張感がありません。 無人島のくせになぜか青々とした芝生が広がっています。だいたいがこれらの生物はどこから渡ってきたんですか?早くも島のおおらかな生態系を見せつけられたところでしたが、そんなことより台風の接近で内海とは思えないビッグウェイブが訪れているのが心配です。船が欠航して帰れないとかいう話ではなく、たんぱく質をいっさい持ってこなかったため、魚釣りができないと明日から野菜カレーを食べ続けなければならないからです。いざとなったらリスを釣るしかありません。 |
2000年 8月 10日 (木) み江 |
全国の陶器職人と陶器商人がイナゴのように押し寄せる恒例行事、五条坂の陶器市に行きました。われわれのボスの人形作家・ニシオ先生もこの日だけは陶芸家のふりをして(と言いつつウサギの人形などを売るのだが)出店するので、その横で売り子のふりをしたりして楽しむのです。先月あたり「いつも店を出している場所に花壇ができたので今年は出店できないかもしれない。そういうの作ってる行政の人よ、その場所のためにどんだけ貧乏人がヤクザもんにヘイコラしてると思っているのだその花壇は人ひとり殺す勢いで鬱陶しいんじゃなめんなコラァ」という趣旨のメールを送ってきたボスでしたが、なんとかなったみたいでよかったです。わたしは以前ある兄ちゃんから「ナタを持ったアンディ・フグが素手の宅八郎をボコにする」ぐらいむごい値切り方をして大皿を買ったことがあり、大変申し訳なく思っているので、いつか言い値でたんと買うちゃると思っているのですが、どういうわけか年々リッチから遠ざかっているので、今年も兄ちゃんの目を見ないようにして立ち去るしかありませんでした。 |
2000年 8月 6日 (日) み江 |
おともだちがやっているめちゃめちゃカッコイイバンドのライブを見に行きました。梅田のヤンキー店でめしを食ったあと、以前ならみんな揃って京都に帰るところなのですが、京都まで残ったのは結局いつまでも学生をやっている3人だけ(ぽむ2名を含む)で、ぼくらの青春時代は終わったのだなとしみじみ思いました。 |
2000年 8月 4日 (金) み江 |
NTTの次ぐらいの通信会社に勤める知人が出張ついでに訪ねてきました。なんだか「バブル期の商社マン」(by桂)のような勢いでした。中学の後輩のくせに威張っているのが気に入りませんが、うまいものを食わせてもらったり壊れたPCの修理法を教えてもらったりしたので、偉そうなことは何も言えません。 |
2000年 8月 3日 (木) み江 |
国の博物館バイトで一世紀前の建築図面の整理作業をする今日このごろですが、今週は博物館実習の学生さんたちが来ているのでした。その一人はあのカッコイイ「紙修復職人」(4/27日記参照)志望の男子フロム東京しかも商学部出身なのでした。「僕の友達はバイトからアパレルの社員になっちゃったりとか変わった人が多くて、みんな就職活動してません」と言っていましたが、あんたがいちばん変わってると思います。 彼から聞いた話ですが、東京ではスターバックスに行列ができるって本当ですか。 |
2000年 8月 なぞ日 (夏だ!蝉だ!ぽむ祭り とくべつ企画) み江 |
読者の方からたいへんおもしろいメールをいただきました。われわれだけで楽しむのはもったいないので、以下に一部をご紹介させていただきます。●なるほどと膝をたたいたことティーンエイジャーの頃に渋谷陽一の番組や著作物によりブリティッシュロック至上主義をたたき込まれた私にとって、「幸夫=陽一説」ほど笑えたところはありませんでした。ただ、自分の城を腹心にまかせて、新たな戦線をも築かんとする氏に対して、幸夫は後継者を育てているのだろうか?息子の由夫?うーん。●なつかしい、と遠い眼をしそうになったこと学生の頃私にとっての高松伸氏はモビルスーツというよりあのドローイングでした。GAギャラリーのドローイング展で予想外のその大きさとつぎこまれた労力に驚き、あそこまでできるのはきっと偏執狂かダミーのイラストレーターに違いないと思ったりしました。どこかで評者が「鉛筆もまた金属であることを思い知らされた」などとのたまっていたのが実感できる時代でした。学校に話をしに来た氏は確かに黒装束でしたが、意外と背が低かったことに思わずほっとしたのも懐かしい思い出です。TVで「ターニングポイント」を観るたびに、氏のことを思い出さずにはいられません。●ついでに、と思い出したこと昨年まで大阪にいた両親が最後に住んでいたところは、リクルートコスモスが若林広幸氏に設計をさせたといわれる賃貸マンションでした(!)。この変なカタチしたマンションを設計した建築家はどこそこで違反建築つくったとか、訴えられたとか、うちの親もそんなこと住民に聞かされ、おかげで私は初めてそこへ行く時は楽しみでしょうがありませんでした。突かれると弱い欠点も多いのですが、それを越える魅力(?)も見方によっては持ちあわせている、たとえれば清原のような建物でした。まあ私にも好みというものはありますが、そんじょそこいらの弱小事務所の設計したマンションよりは良質かと判断しました。ちなみに隣のうちの適齢期を過ぎた娘さんは、竹中の意匠部で働いていました。何だかこわいところでした。 |
2000年 7月 31日 (月) み江 |
京都市名物「自転車撤去」に合いました。駅前や繁華街に自転車を停めておくと、たまにトラックに積まれ運ばれてしまうのです。京都市民の96%は一回以上経験したことがあると言われています(うそ)。やられた人は、2300円を払わされるうえ、自転車走行30〜60分の「苦役」を受けなければなりません。極暑期には絶対避けたい懲罰ですが、古都の景観と交通を守るためなら仕方がありません(激うそ)。保管所のおじちゃんたちがとても親切なのだけが救いです。 自転車といえば、明日の道路交通を考える中三男子のサイトを発見しました。自転車というトピックもホットを通り過ぎて定着期を迎えたってことですか。 |
2000年 7月 30日 (日) み江 |
政治オタクにはたまらないこんなものがあったのですね。 |
2000年 7月 29日 (土) 桂 |
ぽむの間で‘インターネットはテレビのように一般化するのか?’という議論をしました。2人でしゃべっている多くの時間は「カラスって中三男子に似てるよなあ」とか「かしこいデブと毒舌オカマは社会的役割が同じ」といった話に終始してしまうので、たいへん珍しいです。しかし向き不向きがありませんか?(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2000年 7月 29日 (土) み江 |
バンさんの和紙パビリオンでおなじみのハノーバー博で和紙の自動車をつくったマダムですね。いやけんちく家じゃない人もたくさんいるのでしょうけれども。なんだか往年の宮脇愛子さんみたいです。 |
2000年 7月 28日 (金) 桂 |
彼らはけんちく暴走族だったのです。 大阪のビジネス街にいわゆる四十八手が描かれた仮囲いができつつあるという記事を見かけました。大阪在住の漫画家が手がけたもので、迷彩色で巧みにデフォルメされたパブリック・アートです。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2000年 7月 28日 (金) み江 |
上半身裸・下半身黒タイツの男たちが鍛え上げた筋肉を躍動させ地を踏み鳴らし暴れるのです。お好きな人にはたまりませんね。モダンバレエっていうのはおおざっぱに言えばロマンチックやドラマチックを排除して純粋な身体とか形式とかを追求したと説明できるのでしょうが、ようするにエロの方向が同性というか単一性に向かっただけのような気がしなくもありません。古代ギリシャの「真のプラトニックラブは同性愛」みたいなものですか。いや今日うどん屋でテレビを見ていたら『徹子の部屋』にバレエの首藤康之が出てボレロの映像を少し流していたのでそんなことを思いました。 |
2000年 7月 27日 (木) 桂 |
各方面でウワサ(大げさ)の飯島洋一の‘ユニット派批判’に関する特別レポートを作りました。 |
2000年 7月 27日 (木) み江 |
で問題の飯島洋一論文ですが、どうも批判したいのはユニット活動そのものというより非作家性主義のようですね。「『目立つ建物カッコわる〜い』だの『手の跡残すのカッコわる〜い』だの甘ったれんじゃねえ若造、手の跡残すのが嫌なら左官屋になれ(いやそんなことは言ってない)」てな感じですか。「作家性を消すこと」と「ユニット組むこと」は必ずしも一致しないように思いますが、そこをあえてユニット君たちに還元させるあたり、もしかして本当は「群れるんじゃねえ若造、このウンコバエどもめ」ということが言いたかったのでしょうか?概して文化系男子はゾクとかヤンキーが嫌いですからね。 |
2000年 7月 26日 (水) 桂 |
『Hysteric』をみて、照れ屋さんな日本人に‘若い男女の狂気と逃避行’などという題材で映画が作れると初めて知りました。狂気の主人公役、千原弟も意外性ありつつよかったです。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2000年 7月 26日 (水) み江 |
ユニット派批判で話題騒然(大げさ)の飯島洋一ですが、『室内』7月号に載ってた地下室に関する小咄のほうがおもしろかったです。ようするに「ヒトラーは地下室フェチだった。地下は光とか空気とかつまり自然を排除したとてもコワイところだ。 建物の形を消すのが流行りなのでいろいろ地下に埋めたがる今日このごろですが、その際コワイ空間を作っていることをつい忘れませんか。わたしは忘れてました。外部環境に対しては存在感を薄くしているけど、そのぶん内部空間は一気に濃密になるわけで、そのことを積極的に捉えるアプローチはあまり聞いたことがないのです。いや現代けんちく嫌いのYという先生がよく学生の設計に「地下にする必要があるのか」と突っ込んでるのを思い出したんですけどね。 |
2000年 7月 25日 (火) み江 |
微妙に古い映画を2本立てで見せる祇園会館という映画館に行って、マクドを食いながら『ディープ・ブルー』と『シックス・センス』を観ました。 『ディープ〜』→アメリカ人は宇宙人だのサメだの、絶対悪を描かせたら天下一ですね。つい「生まれちまった悲しみ」とか「悪人の事情」を表現してしまう日本人には絶対つくれません。それにしてもアクシデントが二つ三つ重なっただけで簡単に全滅しそうな戦前の炭坑並の安全管理しかしてない施設で大さわぎしても(建設業の人には)説得力がないので、少し考えてください。だけど最後に***********(ネタバレ)ので少し好きになりました。 『シックス〜』→これまた日本人だったら人情話にしてしまう『有閑倶楽部』みたいなユーレイものですが、離婚だの子供の情緒障害だのとつい重くしてしまうのはやはり彼我の死生観の違いですか?ユーレイが見える能力をわざわざ6th senseと名付けるあたりにブンカの差を感じます。 |
2000年 7月 24日 (月) 桂 |
ありがたいことに夏休みです。二度とこういう時間はいただけないかもしれないので大切にしたいです。去年もそう思ってましたけども。 歌人・桝野浩一によるマンガ評集『マンガ嫌い』を買いました。 |
2000年 7月 19日 (水) み江 |
研究室の社寺調査で、泊まりがけで伊賀上野に行ってきました。今回は忍者屋敷に立ち寄る時間がなかったのが残念でなりません。旧城下町部分を一歩出ればすべて田んぼ、といういさぎよい都市構造で、まるでヨーロッパでした(ちがう)。白なんか敬遠する女子はたくさんいると思うのですが、その辺のギャップがいかにもという感じでおかしいです。この産業はここ5年ぐらいの間に「男の子受けのするもの」から「女の子が自分で着て楽しいもの」へと革新的な進化を遂げている感があり、男子のみなさんには気の毒な時代になりましたね。 |
2000年 7月 17日 (月) み江 |
実家から持ってきた『林(リン)さんチャーハンの秘密』を読みました。ただしアウトドア好きは彼女をほっぽり出して遊びに行くことになるので、一般的に女の子受けは悪いという矛盾をはらんでいます。 |
2000年 7月 16日 (日) み江 |
GAギャラリーで伊東豊雄展を見ました。1980年前後から始めて、だんだん大きいものもつくるようになってきた点も同じです。わたしたち団塊ジュニアは無印の子供であるのと同様、伊東豊雄の子供でもあります。 夜、気分がいいので都庁のまわりを散歩しました。用事もないのによく来てしまうところを見ると、どうも自分はこの建物が好きみたいです。むかし『こち亀』で「描くのが大変なビルナンバーワン」と言われていましたが、デザイン量が圧倒的です。 夜行バスが来るまで新宿駅南口で月食を見ていました。いつもは所在ない待ち合わせの人たちが、今日はみんな上を向いて指をさしたりしているのがおかしかったです。歩道の真ん中に三脚立てて天体望遠鏡を見ているおじさんがいて、通りがかりの人ものぞかせてもらっていたりして、なんだかお祭りみたいでしたよ。こういうの「ハプニング」(プ)って言うんですか?久しぶりに東京を楽しいと思いました。 |
2000年 7月 15日 (土) み江 |
わけあって実家に帰り、地元の印刷屋さんに行ってお仕事をしました。DJ歴8年で特技津軽三味線という憎たらしい決め球をもつマナブ君(同い年)が担当者です。マナブ母(社長)はかつて五日市で印刷屋をやっていたのだけど、田舎で息苦しいので5年前に秋川に逃げてきたと言っていました。本屋でトウモロコシを売っている秋川もたいがい田舎だと思うのですが、「秋川のほうがだんぜん都会。あたしみたいなよそ者でも受け入れてくれるもの」なのだそうです。ちょっと前に『東京人』でとなり町の羽村あたりがミステリーゾーン扱いされていて、それが多くの都民の西多摩観なのでしょうが、わたしにとって「東京」のリアルはこの辺にあります。*五日市町と秋川市は数年前に合併してあきる野市になりました 筆者は秋川人。 |
2000年 7月 13日 (木) 桂 |
右の人の日記にあるばくまつ占い作った方は、筋肉少女帯好きだそうです。こうしたWebアーチストは大概中学生のころ大槻ケンヂをアニキと慕った過去があるような気がします。 ‘ダメ人間’という言葉を生んだのも大槻アニキなのでは?『踊るダメ人間』が出るまでそんな言葉は聞いたことありませんでしたし。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2000年 7月 13日 (木) み江 |
会社名を入力すると、幕末における藩になぞらえた会社性格診断をしてくれますので、ゼネコンや設計事務所の名前をかたっぱしから入れて勝手に楽しみましょう。ブラウザによって結果が違い、本来IE用に作られているようですが、個人的にはネスケ(ver4.5)のほうが当たってる気がします。だって日記に書いてありました。 |
2000年 7月 12日 (水) 桂 |
醍醐寺で行われた防災市民フォーラムにいってきました。市民に防火意識を高めてもらう啓蒙的なイベントとみせかけた、地元民を楽しませる消火設備ショーです。かっこいい五重塔に水をぶっかけるムービーを見たい方はこちらへ→。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2000年 7月 11日 (火) 桂 |
今日は設計演習のスタジオコースの講評会がありました。 講評会は一日中続くのですが、日々の堕落した生活の影響で最後の5人分くらいしか見られませんでした。あとでT山研究室を訪ねて作品を見せてもらうよう恐る恐るお願いしてみたら、快く見せてくれましたありがとう。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2000年 7月 11日 (火) み江 |
講評会をろくに見ませんでしたが、T山研究室の人たちが親切にしてくれて(と書いてくれと言われたから書いているわけではありませんよ。本当に親切にしてもらいましたよ。)、あとでゆっくり作品を見ることができました。 T山先生の課題は京大の敷地に建築学校をつくるというもので、与条件なのかそれとも自主的にやったのか聞きそびれましたが、二作とも戦前に建てられた棟は保存したうえで計画されています。保存すること自体に文句はないんですけど、へたをすると、歴史的建造物を残しさえすればあとは何してもオッケー的な正当化の材料になりかねないなあという印象を抱いたのも確かです。それと似たものに「環境」があり、周辺環境に開いた(プ)全面ガラス窓オール電気空調とか、見るからにリサイクル過程で石油をがんがん燃やしてるっぽいペットボトルのリサイクル材とか、環境環境と言いすぎてうさんの香り全開です。 |
2000年 7月 10日 (月) み江 |
本能寺炎上体験ランド 数年前、どこかのガラス屋主催の「超耐熱ガラスを使った空間アイデアコンペ」というのに参加しようかと思い、けんちく以外の学生だったらどう考えるか知りたくて、何人かに意見を聞きました。 当時(今よりは)けんちく学生だったわたしは、「火の実用性と象徴性とを都市公共空間の中でどうのこうの」などと面白くもなんともないことをボソボソ考えていたのですが、彼らは違いました。「僕だったら『本能寺炎上体験ランド』をつくる。」そう言ったのは農学部(専攻・羊)のイシグロさんです。寺を燃やしもちろん等身大信長フィギュアも配し、中にガラスの通路を通して炎と熱を間近で体験するテーマパークだそうで、そのほりのぶゆきを連想させる芸スピリットに感嘆させられたものです。 またこの人は「異邦人の家」コンペのときは、「異邦人てことは地球人ではない可能性もあるよね。」と素で言い、その豊かな想像力に感嘆させられたものです。 なぜこんなことを思い出したかというと、今日、ぽむ企画結成以来8年目にして初めて前向きにコンペ参加について話し合ったからです。しかし、「ダムの底にガラスの箱を沈めた『ダムに沈んだ村体験パーク』」とか、「外からは見えないけど中からは見える『全面ミラーガラス張り公衆トイレ』」といった脳みその腐ったようなアイデアしか出てこず、賞金などほど遠いのでした。本能寺のような一発芸はシロウトさんが考えるから面白いのであって、けんちくコンペに出したらただの変態です。 |
2000年 7月 9日 (日) み江 |
七夕二題↑たのしいけんちく日記帳';return true" target="_blank">cybermetricに倣ってタイトルをつけてみました。 どこぞの研究室で七夕を祝ったらしく、大学の玄関の脇に笹が飾ってあり、お願いごとが見せ物状態です。しかしいちばん目立つところに「子供が欲しい」という短冊があってちょっと引きました。 結納は済ませたものの「総選挙がいつになるかわからないから挙式の日取りが決まらない。」と言っていた某全国紙記者の知人が、選挙が済んでようやく日が決まったようで、なによりです。国政にプライベートを左右されるとはたいへんなお仕事ですね。しかも相手も他地方の記者さんなので遠距離結婚となり、月に一度あるかないかのチャンスすらも雨で天の川が溢れたら(=事件でも起きようものなら)ふっとんでしまうわけで、なんともロマンチックです。 |
2000年 7月 8日 (土) み江 |
追悼・植田正治 その2 わかりやすい写真なので、モダニズムがどうとか抽象性がオブジェクトがと小理屈もつけやすいのですが、このじいさんはそれよりもギャル男(=感性がギャルみたいな男)の部分が楽しいと思います。「へんな形」とか「おもしろい構図」などの楽しいことにしか興味がなかったり、ものを見るセンスが魔女みたいだったりするところです。 「ぼくにとって人物はオブジェだからモデルは誰でもいいんだ」とか言っているわりには、そのモデルだからこそ撮れたような写真ばかりだし、ただおもしろい形のためだけに置かれた草や傘や海なのに、それらの本性がつい出ちゃっているかんじです。たぶん目のカンがとてもよくて、神さまの作ったものでも人間の作ったものでも、形を見たら中身も見えちゃう類の人じゃなかったかと思います。たまにいるでしょうそういう魔女系の人。見ただけで鳥とか帽子の人生がわかってしまいそうな人。 なんだか「オヤジによる妹島和世評」みたいなことを言っちゃってますが、このカメラマンのしていることは、徹底した観察と解釈ようするに対象化、というごくふつうの作業にすぎません。 こういう態度も含めて、飄々として、粋で、カッコイイ写真でした。写真にはとくに興味のないぽむですが、この人は別格だったのでした。ぜひモデルになって、へんな物を持たされたりへんなポーズを取らされたりしたかったものです。 |
2000年 7月 6日 (木) 桂 |
追悼 エンリック・ミラージェス 右の人にならって、書いたほうがいいのかな、という気もしますが、研究室のエルクロ見てカッコイイなあと思ったとか、GA galleryの展覧会で案外ノーマルだなと思ったとか、あまりにも大したことが書けなさそうなのでやめます。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2000年 7月 5日 (水) み江 |
追悼・植田正治 その1 サークルの合宿(100%遊び)で鳥取に行き、うまい魚を食いに境港にでも行こうと何人かで車を借りて、大山のふもとを走っていたときです。近寄ってみるとそれは、できたばかりの植田正治写真美術館でした。そういえばなんだか高松伸さんが地元に新しい美術館を作ったとか聞きました。あーこれでしたか。おおかたのけんちく関係者とは逆に、わたしは何の予備知識もなく、偶然ここを訪れたのです。1996年夏でした。 何も期待せずに見物したのだけど、わたしは生まれて初めて、写真を見て「かっこいいな」と思いました。建物についてはまあ、「なんじゃあこの過剰な演出はあっ」「こんなあからさまでええんかあっ」などと、けんちくにはシロウトの同行者たちからばんばんツッコミを入れられていたとだけ言っておきましょう。 |
2000年 7月 4日 (火) み江 |
きのうは日イタで授業のあと同じクラスの人たちとビールを飲みました。陣内先生みたいな(見た目が)兄ちゃんなんかいません。ですがみんなこっそり芸があるクセモノで、「真の変人は見た目ふつう」の格言どおりでした。いやわれわれが作ったのですが。 |
2000年 7月 3日 (月) み江 |
京大前のコンビニでジャンプを立ち読みしている京大生男子(多数)にマジギレしました。買おうと思ったら空いているジャンプがないのです。後で購入するにしてもあいつらの手あかでよれよれになったジャンプを買わなければならないのは屈辱です。友達ならいいですが彼氏には死んでもしたくありません。きったねえ格好で金も払わず他の客も目に入らず口半開きで『テニスの王子様』とか読んで、生きてて楽しいですか?恥という漢字読めますか?全員この場で射殺しても日本の未来には何の影響もないと思うので発砲してもいいですか? 暑いので弱者に当たったりしてどうもいけません。 |
2000年 7月 2日 (日) 桂 |
一週間前にこの雑誌は増刊号のカフェ特集を出したところです。 関西人は東京は気取っていてイヤだと言うわりには、衒いなくスカしたお店を作る気がします。でも経営者はコテコテの関西あきんど(たぶん元ヤン)が多く、料理は全然スカしていません。見た目に比べて値段が安かったり、出てくる料理のボリュームが巨大だったりします。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2000年 6月 30日 (金) み江 |
今日乗ったJRなんか、降りた瞬間メガネが曇りました。 |
2000年 6月 29日 (木) 桂 |
現在鋭意登校拒否中の教習所に復活するためにも、スポニチで広告のあったプレゼントに応募してみます。いくつかの教習所にはこれのアーケード版を置いたりしているようですが、できればゲームセンターに置いて下さい。 そういえば、一年くらい前にゲームブームがぽむの間に訪れていたのですが、最近はすっかり熱も冷めて全然新しいゲームを知りません。面白いゲームがあったら教えてください。当時我々の間で流行っていたのはセガの『クレイジータクシー』です。 (*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2000年 6月 29日 (木) み江 |
理由あって実家で一週間前に買ったばかりのノートパソコンをもらえることになりました。マシン(を買い換える金)問題がマジで逼迫していたので、思わず友人に電話してしまったほどのうれしさです(バカ)。 完全な初心者しかも中年以上にパソコンを教えたことがおありでしょうか。一週間前に実家で父親にパソコンを指導したわけですが、イライラを通り越しておもしろいですよ。 |
2000年 6月 28日 (水) 桂 |
『オブジェクトと私』と題して、「建築のオブジェクト性」から逃れること、つまりは建築が環境から浮いてしまうことから逃れる、ということを主題にして進められました。昨日の日記にて「ランドスケープにはファサードが無い」と書いたのですが、よく考えてみれば隈研吾は建築をランドスケープ化しているわけです。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2000年 6月 28日 (水) み江 |
『建築と私』隈研吾編を見に行きましたが、立ち見+混み混みに耐えかねて5分で出てきました。隈さんはもっとラージサイズ(物理的に)で、しゃべり方の太い人かと思っていましたが、逆でした。かつて磯崎新を初めて生で見たときと同じ感覚です。先入観に色がつきやすい種類の人たちなのでしょう。 TBSブリタニカの30男雑誌『pen』が北欧建築家の自宅特集をやっていたので立ち読みましたが、北欧の人は日本が好きですね。 |
2000年 6月 27日 (火) 桂 |
東工大から現在京大の土木に移ってきた中村良夫先生の景観ゼミに(勝手に)おじゃましました。景観学というジャンルをゼロから築いた人だという話。 基本的には建築と同じように『プラン・論理的な根拠づけ・プレゼンテーション』という三要素がキモになるようですが、ランドスケープデザインの場合、建築と比べてとんがったデザインが許されない感じがします。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2000年 6月 27日 (火) み江 |
好きだった少年ジャンプ感想サイトがいつのまにか最終回を迎えていてさびしい限りです。センスと気配りのナイスガイだったので、けっこう参考にしていたのですが。オレンジ色をパクったわけじゃないですよ。 ジャンプ批評サイトという変なジャンルを支えているのは主としていまだにジャンプを捨てられない「大きい読者」なので、当然はすに構えた読み方しかできないわけですが、読み続けているということはそれなりの愛情もあるわけで、そのへんのバランス感覚と、距離と愛情を笑いに置き換える技術には見習うべきところがあります。これはもうひとりのぽむがよく見ているプロ野球とか競馬のサイトにも言えることで、びっくりするほど芸のある批評をシロウトさんが書いていたりするのです。 |
2000年 6月 26日 (月) み江 |
今回の選挙についてぽむ的に話し合った結果、最も注目すべきは、「ゴーゴーレッツゴー公共事業」と言っている竹下弟が圧勝した島根2区ということになりました。目が離せなくなってきましたよ。 |
2000年 6月 25日 (日) み江 |
投票のため京都に帰りました。東京のおじさんたちと話をすると必ず「京都は共産党が強いんだよねえ」と話題をふられる京都市民なのです。あまりよくわかってないので間違ったことを言っていたら教えてください。 銀座の月光荘(画材屋がやっているギャラリー)で、ニシオ先生の参加する展覧会をみました。お客の反応は東京でも京都でもあんまり違わないみたいですが仕事の絶対量が違います。 |
2000年 6月 24日 (土) み江 |
地元のえらい人たちと飲みました。わたしの知らないところで勝手に例のグレグレピアニスト後援会のメンバーに加えられていたのです。地方の文化事業が立ち上がっていくさまを目の当たりにしたわけですがなんだか選挙運動みたいでした。 おじさまたちというのは「翔たけ世界へ!」などの大きい言葉を使うのにまったく照れがありません。どの街の総合計画にも一様に「うるおいのあるまち」「創造のまち」などのアバウトなスローガンが掲げられる事情が少しわかりました。 それから「表面上は夫同士がやるけど、大事なことは妻同士で決める」という政治のやり方は西洋のものと思っていましたが、そうでもないようです。 最近研究の都合上まつりごとのしくみについて少し勉強する必要が出てきて困っていたのですが、書物を読むよりだんぜんためになりました。 |
2000年 6月 22日 (木) み江 |
ギャラリー間でやっていた塚本由晴トークショー?に行ってきました。会場のヤングが「ツレは一つも抽選に当たらなかった」などと話していたところをみると、どうも人気講座の一環であるらしいのです。ぼく行けなくなったのでと入場券をくれた塚本研の平林くんどうもありがとう。 塚本氏は気のいい兄ちゃんで、以前オザケンとか書いたことを少し反省しました。聞き手内藤廣の質問に対し「んーわかりません」を多発していてカッコイイと思いました。だけどセンスが良いので疲れませんでした。完成度の高いデザイン(最初から完結している住宅という意味ではないです念のため)というのはやはり気持ちがいいものです。 |
2000年 6月 21日 (水) み江 |
一日じゅう実家にいました。近所に住む煮え煮えピアニスト(6/12日記参照)が訪ねてきたので、裏の畑できゅうりをもいで味噌をつけて食いつつ昼からビールを飲みました。夜は父親が釣ってきた鮎を食べました。土地が余って困った地主が経営する本屋ではトウモロコシも売っています。 |
2000年 6月 20日 (火) 桂 |
ぽむツアー その3 泊まっていた阿佐ヶ谷はいいところでした。近くに祖父母が昔住んでいたので、懐かしい気持ちになりましたよ。 ぽむ+人形作家の3人でたてもの園サイト';return true" target="_blank">江戸東京たてもの園に行きました。新しくたてもの園 前川國男邸かいせつ';return true" target="_blank">前川國男邸が出来たようです。書斎に自分専用の洗面所をつける前川國男は嫌なやつ疑惑や、たてもの園 小出邸かいせつ';return true" target="_blank">小出邸を見る限り堀口捨己は一般認識に反してセンスが……疑惑がむくむくと。有名建築家ものよりもたてもの園 田園調布の家かいせつ';return true" target="_blank">田園調布郊外住宅やたてもの園 常盤台写真場かいせつ';return true" target="_blank">常盤台写真場の方が、建築シロウトである人形作家に受けていましたが、私も前川國男や堀口捨己の遊びのなさに、やや引き気味に。 夜は教養のある兄さん二人にごちそうしてもらいましたが、夜行バスに乗り遅れそうになったので、ごちそうさまも言わないで帰ってしまったことをここにお詫び申し上げます。餃子屋よかったです。 (*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2000年 6月 20日 (火) み江 |
ぽむツアー その3 ぽむとニシオ先生で江戸東京たてもの園に遠足です。数年前に来たときより確実に建物が増えています。「建造物保存」のことを考えるとヘビーな気持ちになったりするので、ここは「テーマパーク」と割り切って、民家のグッドデザインぶりを楽しむのが正しいありかたです。個人的にはたてもの園 三井八郎右衞門邸かいせつ';return true" target="_blank">三井家のアホアホお大尽ぶりが楽しかったですね。ぽむの相方が帰ったあと、ガイジンやアーティストやゲイの方のたくさん来る青山のカフェに連れていってもらいました。京都にはこういう雰囲気の店はとてもたくさんあるのですが、それらが全部束になってかかっても足元にも及ばないオシャレさでした。 *きのうの戸川純発言要旨 「あたしのこと、陶酔しちゃって自分の世界に浸りきってるって見えるかもしれないですけど、『ばっかじゃねえのこいつ』って自分を冷めた目で見ている部分が3%ぐらい、あるんです」。 |
2000年 6月 19日 (月) 桂 |
ぽむツアー その2 ぽむ片割れとともにT工大T研究室に乗り込みました。彼らはとても忙しそうにしており、我々の大学院生観が覆されました。また地方からの来客イコール大学院受験生に間違われることが判明し、これからは気を付けます。 夜は今回のツアーのメーンイベントであるところの『ゴルゴダ』ライブに行きました。元ナゴムギャルはきっとみんな大槻ケンヂのユニット「猫対犬」を見に行っていたので客の大半は戸川純のファン。三柴ファンでもある我々は初期筋肉少女帯の名曲(『キノコパワー』とか『マタンゴ』とか)を純ちゃんが歌ってくれないかなと密かに期待していたけどありませんでした。 夜は浅草のカプセルホテルに泊まるつもりだったのですが、終電を逃してしまい、隊長の人形作家とともに、今回初めて知り合った社会人(京大出身)の家に押し掛けてしまいました。我々は楽しかったのですが、かけた迷惑は多大なものがあったはずなのでこの場を借りておわびします。 (*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2000年 6月 19日 (月) み江 |
ぽむツアー その2 ぽむの二人でT工大T研究室にアポなし訪問をしました。ですがわれわれは気が小さいのでなかなか足を踏み入れることができず、しばらく廊下でうろうろしていたので、ただの不審者でした。研究室の人たちはみなとても忙しそうでした。京大だとどこの研究室でも学生はたいがい茶を飲んだり雑談したりうろうろ歩き回ったりして過ごしているような気配がするのですが間違っていたらごめんなさい。あの有名な図書館を初めて見ましたが、写真で見るより弱そうでした。今回の社員旅行(うそ)はわざわざこれを見に来たと言っても過言ではないほどのレアなユニットです。精も根も尽き果てた純ちゃんから絞り取れるだけ絞り取ろうという感じで痛々しく、「東京の人はがまん強いかわりにえげつない」などというどこまで正しいかわからない感想を抱いたりしました。 一度カプセルホテルというものを体験してみたかったので、今日は浅草にある女性OKの店に泊まる気まんまんでしたが、終電がなくなってしまいました。仕方なく他のカプセルホテルを入り口から覗いてみたところ、鉄板でオヤジのはってん場だったので、速攻逃げ帰りました。 |
2000年 6月 18日 (日) 桂 |
「東京に行った時は必ず一本は映画を観る」と、東京出身の知人が言っていたことに影響を受け、最近は自分でもそのようにしています。今回は新作というわけではないのですが『オールアバウトマイマザー』見ました。太田出版の『MANGA EROTICS』連載に100ページ(!)加筆してまとめたもの。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2000年 6月 18日 (日) み江 |
昨夜は終電がなくなって新宿のまんが喫茶で夜を明かしました。寝るつもりでいたのについ『エリア88』を読みふけり、今さら「フィアットとかサーブは戦闘機メーカーである」などの一銭の得にもならない知識を得たりしていたので、寝られませんでした。男子大学生(の一部)はこのマンガで人格形成をしたらしいことがよくわかりましたが、そんなことをわかっても一銭の得にもなりません。 ハワイ大学でサンゴを研究している友人が帰国したので、高校時代の同級生たちと会いました。「マクロ(生物学)系の人は自分の研究対象の服を着る」という現象はどうもグローバルなもののようで、ハワイでもみな各自の分野に従って、鳥とか魚の絵がついたTシャツやネクタイを着用しているということです。 |
2000年 6月 17日 (土) 桂 |
ぽむツアー その1 ぽむ片割れと、我々のボスの人形作家とともに東京にやってきました。『Casa BRUTUS』片手に東京見物と見せかけ、本当の目的はとある素晴らしいライブに行くことだったりします。 初日の今日は上野のピカソ展に行きました。前川國男の東京文化会館もちょっと中に入りましたがイカした内部にノックアウト。今更感動している自分!(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2000年 6月 17日 (土) み江 |
ぽむツアー その1 陶芸家と呼ぶと怒る人形作家のニシオ先生とぽむの三人で、東京に行きました。お勤めをしたことがないため、みんなどうもこういうのに憧れているふしがあります。浪人生時代は現実逃避気分転換によくやってきたものですが、京都にはあんな立派な公園はないので、改めて新鮮です。博覧会で開発されたという共通の歴史を持ちながら、なしくずし的に道路をど真ん中に通されてわけわかんなくなった岡崎公園とはえらい違いです。ついでに同じ設計者でありながら「東京文化会館→音最高 京都会館→音最悪」とホールオタクの知人が評していたのを思い出しました。ピカソはマジで絵が上手でした。 夜はむかし「追っかけ」をしていた非クラシック系ピアニストD(仮名)が参加するライブに行きました。重い音の出せるマジで上手なピアノ弾きなのでぜひご紹介したいところですが、やっぱりやめておきます。 |
2000年 6月 16日 (金) み江 |
Windowsのシステムが突然致命的に壊れました。もよりの“サポートセンター”N氏に電話で助けを求めたら、Winシステムの悪口をいろいろ聞かされました。べつにポリシーがあってWinを使っているわけではないので、これを機に見限ろうかと思いました。 たしは見られません携帯持ってないから';return true" target="_blank">『olive』休刊するって聞いたんですけど本当ですか。いや読者さんから教えていただいたんですけれども。大人にもなれずいまどきのギャルにもなれなかったら壊れるしかないでしょう。 |
2000年 6月 15日 (木) 桂 |
昨日の巨人戦では長嶋監督(+桑田)肝入り企画「球音を楽しむ日」第一回が催され、なんだかV9時代のかっこいい巨人(よく知らないけども)に戻ったようですね。まるで横浜大洋ホエールズ時代に戻ったようです。しかも波留選手再び登録抹消(独り言) 近鉄中村ノリを表紙に据え(!)た野球特集の『Number』最新号ですが、湘南シーレックスに関する記事は必読です。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2000年 6月 15日 (木) み江 |
北九州、水俣、た記事';return true" target="_blank">野木町、早稲田、有数のエコタウンばかりです。ですがまちづくり系の書籍・雑誌の例にもれず、装丁が行政おやじの教科書みたいなのが難点です。もう片方のぽむも言うように、そろそろ「まちづくり」というもっさい響きのする言葉から何とかしたほうがいいように思います。 |
2000年 6月 14日 (水) 桂 |
高松伸教授肝入りの企画『建築と私』第一回が催されました。盛況をきわめていました。第一回ゲストは石田敏明だったのですが、講演内容は「最近の自作」。 その夜近くのドーナツ屋さんに行ったら、一人の店員さんがこの講演を聴いていたようで、こんなことをしゃべってました。」店員2:「その高松伸って人は何者なん?」店員1:「いや、世界的に活躍している建築家で、オーラが出ているっていうか・・」(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2000年 6月 14日 (水) み江 |
つまり輪全体を握ったり、手首を通したりするということですね。朝日の記者がオヤジなのは知っていますが、そのうえクルクルパーですか?藤田紘一郎先生や小野芳朗先生まで寝言につきあわせて困ったものです。 |
2000年 6月 13日 (火) み江 |
学会系サイトでここまでシロウトさんに奉仕しているやつは見たことがありません。しかもやたらと盛況です。 |
2000年 6月 12日 (月) み江 |
幼稚園のときからの知人がショパンコンクールに出ることになりました。友がまたひとつ偉くなったじつと手を見るチキショウと思いながらも一応祝いの言葉を述べようと電話をかけたら、意外にも世界と折り合いが悪い27歳無職煮え煮えダメダメ状態になっていて、「ああ同級生にクズ人間があたしのほかにもいると思うと気が楽になったわ」と変なありがたがられ方をされていやでした。 この人は最近までパリに住んでいたのですが、帰国してからというものジャパニーズポップスとかアイドルにはまっているらしく「日本はすばらしい。」と言っていました。自分の国が食いものと音楽を両立できる点は自慢してもよいのだと思いました。 |
2000年 6月 10日 (土) み江 |
あとはめしのまずくなりそうな話だったので読んでません。 夜はうちで鍋でした。ゲストのお医者見習いが「人肉はたぶんおいしくない」と言っていたのが印象的でした。手術の際、止血のために切り口を焼いたりするらしいですが、そのときのにおいがあまりおいしそうではないのだそうです。 |
2000年 6月 8日 (木) み江 |
以前「クリエイティブの量は限られている」という趣旨でフランス・イタリア→めしウマイ音楽ダサイイギリス・ドイツ→めしマズイ音楽カッコイイアメリカ→めしマズイ音楽ダサイというようなことを書いたら、「アメリカのクリエイティブは”経済”に集中しているのではないですか」という指摘をいただきました。たしかにそのとおりです。気がつきませんでした。 |
2000年 6月 7日 (水) み江 |
打ち掛け姿の「花嫁さん」をきれいだと思ったことのある人、正直に手を上げてください。わたしは残念なことにどうもあの姿をきれいだと思えたためしがありません。 |
2000年 6月 4日 (日) み江 |
『コミックアムール』を買いました。よほど他に読みたいものがなかったのでしょうか。自分でお金を出したからにはすみずみまで読みます。「AV男優とHしてみませんか」コーナーなど気のきいた企画はあるし、毎ページに小さく載っている読者の投稿小ネタなども芸が細かいし、編集部の真摯な姿勢がうかがえます。「まるで闘牛士になった気分だ」「ふふ 闘牛士は私よ……さあいらっしゃい 怒り狂ったオス牛」一見ありがちな演出ながら「オス牛」のあたりが斬新ですね。「お前を性奴に調教する日々は素晴らしかった そしてそのお前を息子に託せた」「父さん死んじゃダメだ」何でしょうこの会話は。 |
2000年 6月 3日 (土) 桂 |
数日前のスポーツ新聞で、買い物帰りの阪神の選手が写っていたのだけども、手にしているのはどう見てもパソコンで、時代が変わりつつあるなと思いました。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2000年 6月 3日 (土) み江 |
パスタ(乾麺)の値段は何で決まるのかという話になりました。話し合いの結果「小麦が浴びている放射能の量」ではないかという結論になりました。本当かどうかはまったく責任もちません。 |
2000年 6月 1日 (木) 桂 |
『建築map東京』以降の東京がカバーされた最新情報に、今月の『SD』で特集されたクライン・ダイサムがポップに東京案内しているほか、博学五十嵐太郎さんによる案内、丹下健三氏インタビューなんかもあります。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2000年 6月 1日 (木) み江 |
『木野評論』(マンガ学科で話題の京都精華大学で出している雑誌)31号の座談会「『男』をめざすことをやめた「おとこのこ」たち」で気になった箇所。「男を降りて、女の子から選ばれる受動的な存在になったおとこのこたちが、とても楽に生きている。しかも「そういう子のほうがモテるし、たくさんセックスしている」らしいです。「あたしたちはみつばち。あんたは自分を磨いてみつばちに選ばれる花になれ。集英社の昆虫&花占いに対し、「男が虫で女が花という構図はいったいいつの時代のものか。 |
2000年 5月 31日 (水) 桂 |
とうとう日記のコーナーが誕生していまいました。開始したばかりなのに過去ログがあります。 |
2000年 5月 31日 (水) み江 |
日本の大学製図室の中でいちばん汚い(と思う)京大の製図室の前を通りかかったら、赤地に白抜きででかでかと「禁煙」のポスターが。よく見るとその下に「設計教育委員会 高松伸」と書かれていました。とうとう製図室も全面禁煙になりましたか。 さらに内部は、今まであった仕切が撤去されて広々としたお部屋に生まれ変わっていました。かつてはロッカーや衝立によって約10人ぐらいを単位とするブースに区切られ、各ブースで自治が営まれておりました。それはまるで狭い路地と中庭の関係を思わせる「外に閉ざされ内に開かれた」前近代西洋的な空間構造でありましたが、いまやモダンで透明な管理空間です。 |
2000年 5月 29日 (月) み江 |
ヘタすると用紙をぐしゃぐしゃにしてしまう大事な仕事をコドモに任せて大丈夫なのかと一瞬思いましたがたぶんDr.スランプのころのお子様ですよね。 |
2000年 5月 28日 (日) み江 |
NHK人間講座の安藤忠雄編テキストを読んでいた知り合いの一般人が、親水空間の例として取りあげられていた天保山ミュージアムを見て、「これは水にさわれない。それでも『親水』空間と呼ぶのか」とツッコミを入れていました。親水空間は「水辺のナゴミ空間」ぐらいの意味であたりまえに使っていたのですが、けんちく業界の造語だったのですね。よく使われる言葉だったので気づきませんでした。けんちく専門外の方にも楽しんでいただけるぽむ企画を目指して言葉には気をつけたいとおもいます。 |
2000年 5月 27日 (土) み江 |
メニューは「けんちく家の設計した家」「コーポラティブで安く建てる」「リフォームで大変身」など広く浅くの幕の内弁当風。「5歳のころ、滋賀県の唐津で見たイルカに衝撃を受け、……」。一瞬、琵琶湖に泳ぐイルカを想像しました。 |
2000年 5月 25日 (木) 桂 |
5/2にカラオケにより中断されそれきりになっていたGA JAPAN44の読み合わせをしました。詳細はそのうちupされるはずなので気長にお待ちくださっていただけると有り難い次第。 ぽむ片割れが(わけあって)山形浩生のホームページをチェックしていたので覗き見しました。「山形なんか嫌いだ」リストと、女の子のためのオタクガイドが面白かったです。ここで定義されているオタクとはアメリカ人で、毛唐のオタクは頭がいいようでした。 |
2000年 5月 25日 (木) み江 |
ぽむの相方の家で『BT』スーパーフラット号を読みました(遅せえ)。塚本由晴くんはなんだかオザケンみたいだなあとおもいました。 |
2000年 5月 23日 (火) 桂 |
『POPEYE』に書いてあったのですが、ホストはメガネ厳禁だそうです。金ネックレスの鍛えられた胸をはだけられて喜ぶ女子よりは小ぎれいな服装+メガネにときめく女子の方が多いと思うのですが。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2000年 5月 23日 (火) み江 |
ジャンルを特化したYahooのようなものだと思っていただければいいでしょう。久しぶりに出勤したのでメールが鬼のようにたまっています。間違ったURLを書いてこないでください。 |
2000年 5月 22日 (月) み江 |
ドトールで「カフェラテください」と言っている自分に気づきました。 ドトールはまだいいのですが広尾のカフェFORガイジンの場合はちょっとどうかと思いました。冷たいカフェオレが飲みたいときは「カフェラテフレッドください」と言えということでしょうか。しかし気が小さいのでどちらもできずアイスティを注文しました。アイスティは「テフレッド」ではなく「アイスティ」と書いてあったのです。 |
2000年 5月 21日 (日) 桂 |
「オークスは体重が軽い馬が勝つ」by杉本清・スポーツうるぐすにて発言 先週とばしてしまった建築士試験の対策の勉強会に行きました。しかし、なにやら雰囲気がおかしくて、終わる頃に間違えて‘2級’建築士試験対策の勉強会に出ていたことに気づきました。 そのあと眼鏡研究社でメガネの歪みをなおしていただき、気持ちが回復しました。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2000年 5月 21日 (日) み江 |
結局東京に行ってなにも見ずに帰ってきました。ネタづくりに宮島達男展でも見ようかなあと少し思いましたが初台に行くのがなんとなく面倒なのでやめました。むかし美術館が100個ぐらいあるパリという街に観光に行ってのべ1ヶ月滞在したのに一回も美術館に入らなかったことがあるぐらい面倒です。街中をふらふらしているだけで十分楽しかったですそれが都市というものだ。 |
2000年 5月 20日 (土) 桂 |
京都精華大に今年からマンガ学科が独立して新設されましたが、それに伴ってマンガ図書館がオープンしたようです。 今日はとうとう自動車教習所に通いはじめました。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2000年 5月 20日 (土) み江 |
『12人の怒れる男』(リメイク版)をビデオで見ました。そして職人は実直素朴なかんじ、広告マンは尻軽コウモリヤロウというふうに、どうも職業イメージに沿った人物像が描かれているようです。日本だったら困ったヘンタイ芸術家キャラ(マッシュルームカット)にされているところです。 |
2000年 5月 19日 (金) み江 |
子供のころはとてもいやでした。現在の家族の生活はほとんど新しく増築した部分だけで営まれています。 |
2000年 5月 18日 (木) 桂 |
雑誌の今週発売号がこぞって取り上げていました。悩める親の肉声、市井の17歳に対するインタビューなどを大量に載せた充実の巻頭トップ記事でした。 そういえば、2ヶ月くらい前に友人との会話の中で、「ギャルの次に流行るのはなにかなあ?」という話題が出ました。女子高生やガングロの流行は去年の夏でさすがに打ち止めで、そろそろ若い男子が流行るんじゃないか?という意見がありましたが「おじさんは若い男に興味がないから流行らない」という結論になりました。でも、流行りました。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2000年 5月 18日 (木) み江 |
いまだに薪風呂だったのです。がもう部品も売ってないし両親もトシだしということで、ふつうのユニットバスに換えました。「もったいない」の合唱が聞こえてきそうですが、まだ仕事をしている初老の人間にとって薪割りの労働はきついです。子供のころはとてもいやでした。 |
2000年 5月 17日 (水) 桂 |
夕方に友人から「家にヘビが出たよ。」と、電話がかかってきました。素人なので、解決策はさっぱりわからなかったのですが、とりあえずその種の生物についてのサイトを当たってみることにしました。ヘビマニアのサイトはとても興味深く、いつの間にか2時間くらい見続けてしまいました。 |
2000年 5月 17日 (水) み江 |
入院中のばあちゃんに持っていく本を買いに行きました。目はよく見えるのですが横になって過ごすことが多いので、寝転がった状態で楽に持てるものでなければなりません。きれいなお庭の本などが欲しかったのですが、立派な本が多くてあきらめました。 それで結局『東京人』の最新号「特集・芸者さんに会いたい」と河合隼雄『こころと人生』と平凡社コロナブックス『昭和台所なつかし図鑑』を買いました。小学館あたりがアフター『サライ』として刊行したりしないでしょうかね。 |
2000年 5月 16日 (火) 桂 |
西京極のとある現場で模型をしました。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2000年 5月 16日 (火) み江 |
広尾は欧州系大使館が集まっているためガイジンがたいへん多く異国情緒あふれる楽しいところです。わたしは奥の席にこそこそ座ります。そんなところでなぜ本を読んだり物を食ったりできますか。 |
2000年 5月 15日 (月) 桂 |
昨日グラスワンダーが大敗しているのをみて、キヨハラを連想しました。今日付けのスポニチでは、「大型馬は一度調子を崩すと復帰が難しい」とありました。 |
2000年 5月 15日 (月) み江 |
横長の本体の両脇にエレベーターブースの入った円柱がついている単純明快な構造です。このお宅は築3年の積水ハウスなのですがここのお母さんはなかなかオットコマエな人で毎日現場に張りついては施工不良だとか施工ミスだとかを逐一指摘したそうです。だから現場監督の人には「とても仕事が楽でした。」、点検の人には「ふつうは何年か経つと少しはガタがくるものですがこの家はまったくそういうのが見つかりません。」と言ってほめられたそうです。ふだんハウスメーカーの悪口ばかり言っているのでこんなことを言うのはくやしいのですが、積水ハウスはとても機能的で使いやすかったです。でもダサかったです。 |
2000年 5月 14日 (日) 桂 |
脱社会不適格者に向けて一級建築士試験対策の勉強会を申し込んでいたのに、行くのをすっかり忘れてしまいました。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2000年 5月 14日 (日) み江 |
実家の近く(といっても電車で20分)のまんが喫茶に行きました。そんなもの初めて見ました。飲み放題のドリンクにはティーバッグのハーブティがあったりするし食事もインドネシア風レッドカレーとか北インド風ヨーグルトカレーとかなんだか気がきいたメニューが並んでいます。 |
2000年 5月 13日 (土) 桂 |
ようやくドメインを取得して、1日中このページをアップロードする作業をしていました。朝10時から夜12時まで、何も食べずでした。 |
2000年 5月 13日 (土) み江 |
東京ラーメンが食いたくなってラーメン屋に寄りました。いったい一杯につき何グラムのアブラが溶け込んでいるのでしょう。「京風ラーメン糸ぐるま」の京風というのはまったくのウソであれは完璧に東京ラーメンです。それでかつては行列もできていたことのある某有名店に行ったのですがうまくありませんでした。カウンターをひっくり返しそうになった『恨ミシュラン』の西原理恵子と銀角さんの気持ちがなんだかわかります。 |
2000年 5月 12日 (金) 桂 |
丸善にて、『ナゴムの話』という本を買いました。『クイックジャパン』に連載されていたものをまとめたもの。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2000年 5月 12日 (金) み江 | |||||||||||||||||
今回東京に帰ったのは何も遊ぶためではなく種々の図書館に通って資料を集めるためなのですが実家は田舎で図書館までとても遠いので都会の知人邸を泊まり歩く算段です。家主が学会で家を空けるのでわたくしは一瞬だけあこがれの「文京区アーバンシングルライフ」を堪能できるのですむはははは。
|
2000年 5月 11日 (木) 桂 |
ベトナムは建築かわいいし、料理も美味しそうだし、いつか行きたいものです。5年前に単身赴任していた父(60代)は、「ベトナムにうまい食べ物なんかねえよ」と言ってましたが、年齢の近い友人女子は、「あんなにおいしいものはない!」と、遠い目をして語っていました。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2000年 5月 11日 (木) み江 |
8ヶ月ぶりに実家に帰ったらいつの間にか妹(23歳栄養士実家住まい)に彼氏ができていて愕然としました。趣味も特技もなく家に帰ってもテレビを見るぐらいで好奇心とか行動力とかようするに生きる力全般が弱いあの妹にも愛し愛される力があったということでしょうか。相手の方は彼女といったいどんな会話をしているのでしょう。まったく想像もつきません。しかも相手はすでに何回か家に泊まりに来ていてわたしの部屋を使用しているらしく殺意を覚えました。 |
2000年 5月 10日 (水) 桂 |
『SPA!』でやっていた『秘密の花園結社リスペクター』をそのままやる感じで、いろいろあってアメリカに帰った外国人をすかさず呼び戻す某球団みたいです。木佐彩子の連載が終わったことを期にしばらく読むのをやめていたら、いつの間にかリリー・フランキーまで抱え込まれていました。やっぱり某球団みたいです。花田編集長はN嶋監督だったのですね。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2000年 5月 10日 (水) み江 |
8ヶ月ぶりに実家(東京の田舎)に帰りました。新幹線のなかで『マンスリーM』6月号を読みました。が創刊号よりはなんだかマシな気がしました。やはり前号は敬愛する倉俣史朗の誌面がとてもしょぼかったのでトサカの血が逆流していたようです。 |
2000年 5月 9日 (火) 桂 |
スプリンクラーはなかったようですが、自動放水銃は付いていたようです。住職によれば、防犯ベルを切っていたのがまずかったということ。高い消化設備をつけるよりは、性能の良い防犯装置をつけた方が得策? そんな疑問を持つと、研究がチャラになってしまいます。 そういえば、少し前にノルウェーの木造教会の防火に関する資料を読んでいたのですが、防火手法として一番最初に上がっていたのは、「入り口にでかい灰皿を用意する」ことでした。寂光院もちゃんと灰皿を用意しておけば大丈夫だったかもしれません。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2000年 5月 9日 (火) み江 |
先に登場した椎名林檎のN君からのメールより勝手に引用。あほみたいに遊んだGWの行動をかなり共にした人です。 久しぶりに濃〜いゴールデンウィークだった。 学生時代はあえて遊ぶ必要がなかったからか? 休みになって初めて働いてるのだと自覚してしまいました。 にしてもちょっと暴れすぎたと反省してます。あえて遊ぶ必要がないのに久しぶりに濃ゆ〜いGWを過ごしてしまった自分のことを考えてしみじみといやーな気分になりました。 |
2000年 5月 8日 (月) 桂 |
GW後半は家に籠もっていたので、随分野球や競馬を観戦してしまいました。この件だけではなく、ここ1週間ほど審判の誤審が幾つか目についたのですが、全部横浜がらみでした。 NHKマイルカップは面白かったです。その後藤騎手、前日の福島で、調教師に暴力受けていたようです。11Rの妙なレース(空馬が走っていて、タイキシャトルの弟が6歳にしてデビュー戦に勝った)がらみで。武豊みたいな紳士のイメージが強いからでしょうか。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2000年 5月 8日 (月) み江 |
NHKのNHKマイルカップ中継はおもしろかったですね。馬が立ち止まってフンを垂れ流す場面も、流していたカメラをわざわざ止めてばっちり撮ります。騎手が体重を計ったり、イーグルカフェの馬主らしき人が嬉しそうにしています! 地味で上品そうな奥さんと娘さんも一緒です。もちろん券を買うためではなくてうちの馬を見守るためですよ。 |
2000年 5月 7日 (日) 桂 |
塚本×曽我部昌史(みかんぐみ)の対談がすてきでした。また伊東豊雄氏は五十嵐太郎との対談で、「ガラスは壁面」と言い切っていました。岸和郎も新建築4月号で、ミースのガラスのカーテンウォールを挙げて、「あれを透明なガラスではなくでかい壁と捉えたら、むっちゃラジカルな建物やで」みたいなことを言っていましたが「ガラスは壁」というのは21世紀を迎えるにあたって重要な認識という感じもします。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2000年 5月 7日 (日) み江 |
NHKスペシャルを見ていたら村上龍が自分の仕事場で100円ライターを使っているのを発見し「ふだんY’sばかり着ているやつがダイエーで服を買っているのを目撃したとき」のようなかわうそ的よろこびを覚えました。 |
2000年 5月 6日 (土) み江 |
そして髪をアップにして、かちっとした感じでまとめています。 |
2000年 5月 5日 (金) み江 |
琵琶湖でレガッタを見ました。体育会とは縁の薄い人生を送ってきたので何もかもが新鮮です。「○大ー!がんばれー!」と叫びながら舟に併せて走っている女の子たちはいったい何者でしょう。でもあんなにたくさんいるものなのでしょうか。 |
2000年 5月 4日 (木) 桂 |
西陣ほんやら洞でお茶→大学周辺を案内→たまたま会った後輩を誘い食事。風邪を引いていた友人は早めにホテルに戻り、後輩と私は工学部や文学部の建物を探検。」と言いました。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2000年 5月 3日 (水) 桂 |
去年の秋口に東京の建築事務所に就職していった後輩が京都に戻っていて、話を聞きました。『新建築』の求人広告を見て就職した彼女。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2000年 5月 3日 (水) み江 |
早朝カラオケは終了しみんなでなか卯に寄ってから帰って一応寝ました。よって夕方から彼女(+ここ数日似たようなメンバー)とまた夜通し遊びました。深夜帰る足のない人々(+ぽむのもう片方)をわたしの家に収容しました。彼らは昼過ぎに帰ってゆきましたがなんかまた似たようなメンツから麻雀のお誘いの電話がかかってきました。がここで出てゆくと自分のなかでなにかが崩れ去っていくような気がしたので家でおとなしくしました。 |
2000年 5月 2日 (火) 桂 |
他の建築雑誌も合わせ読みすべく、気合いで早起きし、図書館に向かい『建築文化』『新建築』『ディテール』『SD』『室内』の4月号を借りました。そして餃子の材料を再び購入して、準備万端整えました。しかし、始まってみれば何故か客が増えてました。しかも、カラオケに行こうという誘いが・・・、行ってしまいました。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2000年 5月 2日 (火) み江 |
夜はまじめに仕事(といってもぽむ企画サイトの打ち合わせ)をするつもりで桂邸に行きましたが餃子を食っただけで終わりカラオケになだれこみました。餃子はたいへんおいしかったです。【例】一人デュエット『浪速恋しぐれ』から井上陽水までレパートリーがやたら広くしかもその全てが芸として完成されている31歳男(独身)【例】声域がわたしより高くて小田和正なんか朝飯前、椎名林檎(あたくしには歌えません)を完璧に歌い上げるN君(男)こんなやつらを前にいったい何を歌えというのでしょう。今日NHKでやってた昭和20年代のけんちく業界・女の戦い台所編。浜口ミホ(女性けんちく家)「あたしが新しく考えた機能的なキッチンです」家政学者(おばちゃん)「そんなものはだめよ。昔からある台所のほうが合理的に決まっています」浜口「それなら実験して確かめましょう」家政学者「受けて立つわ」【実験の結果、浜口キッチンのほうが機能的であることが証明された。】家政学者「あたしの負けね。これからはあなたに全面的に協力しましょう」もう二人ともカッコよすぎてしびれます。 |
2000年 5月 1日 (月) み江 |
出稼ぎに行っていた(就職したとも言う)ご学友が連休につき鮭のごとく次々と京都に帰ってきています。夜通し大勢で遊んで若返った気分です。 |
2000年 4月 30日 (日) み江 |
JR京都伊勢丹で「伏見の酒特集」をやっていました。しっかりした旨味があるのに後口が見事に切れるのですとグルメ漫画ふうに言ってみる。いままで京都のお酒をバカにしていましたが素直にあやまりますごめんなさい。それでマジで金ないくせに一本買いました。 |
2000年 4月 29日 (土) み江 |
陶芸家(と言うと本人に叱られるので粘土人形作家と呼ばせられている)のニシオさんの個展が終わったのでみんなでカラオケに行きました。この人は個展が終わるたびにカラオケに行きたいともれなく大騒ぎをするのです。仕方がないので『スターな男』などを歌って懐かしがったり、x2000の筋肉少女帯は三柴江戸蔵のピアノがちゃんと再現されているぞと言ってしびれたりしました。 |
2000年 4月 28日 (金) み江 |
たいへん疲れたのでまんが喫茶に寄ってキン肉マンと稲中卓球部を読んでから帰る。 |
2000年 4月 27日 (木) み江 |
撮影係が三人来て、一枚撮るごとに機械で明るさを計ったり、レンズのフィルターを換えたりするので、とても時間がかかります。糊づけされた紙と紙を跡形もなく剥がしたり、古くなったボロボロの紙を裏打ちしてきれいにしてしまう職人さんです。いったいどんな錬金術を使っているのでしょう。とてもカッコイイ人たちです。見たところ女の人が多いみたいでした。自分で一からものをつくりたい男子的職人ロマンを抱いている人にはややもの足りない作業かもしれませんね。 |
2000年 4月 25日 (火) み江 |
ひと月前に市内で買えることを知って以来六花亭の板チョコを二桁枚は食っているのですが、このたび初めて生チョコを食う機会を得ました。未経験の方のために詳細は伏せますが箱を開けた瞬間心がふるえます。食ってまた心がふるえます。 |
2000年 4月 24日 (月) み江 |
「料理は好きだけれども根つめてものをつくっているとき(絵描くとか論文書くとか建築設計するとか)は絶対じぶんで料理する気になれない」という内容のことを周囲の人間複数が言ったり実践したりしています。フランス・イタリア→めしウマイ 音楽ダサイイギリス・ドイツ→めしマズイ 音楽カッコイイぽむの片割れが付け足したオチ。 |
2000年 4月 23日 (日) み江 |
大阪府立中央図書館はまわりにミスド一つないクソ立地なので休憩タイムは前庭でヤキソバパンを食べたりしますが今日は近くの児童公園に行ってみました。広くて樹木がうっそうと茂り何も考えずに設計したことがまるわかりなうえに手入れも悪いというなかなかいい感じのクソ公園です。そしてうれしいことに 1野球をする子供 2小汚い猫 3缶コーヒーを飲むくたびれた営業マン の公園3点セットが揃っています。公園というのは網野善彦ふうにいえば『無縁』の場なのでこうした生産性の気配がないショボい人や物がよく似合います。 |
2000年 4月 22日 (土) 桂 |
財布には1000円しかありませんでした。寝起きのむくんだ顔をしてローソンの生パスタを購入しようとしていたところ近所に住むK嬢に出会ってしまいました。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2000年 4月 20日 (木) 桂 |
安彦麻理絵がエッセイ『快楽であたしたちはできている』で「コスメフリークは男子におけるパソコンオタクと同じ」と主張しておられたのは真理です。肌が先天的に弱かったり、顔が先天的にデカかったりと、既にハンデを背負って生きている場合が多いのです。しかしコスメに頼っても顔が小さくなったり肌質が劇的に改善されるのはまれなことで、むしろ異常行動(やたらと日焼けを気にする、日に何度も化粧直しをする、怪しい錠剤をのむ)を繰り返す逆効果のほうが大きい気もします。意外に『JJ』や『MORE』といった「一般誌」には化粧品情報はそんなに載っていないので「専門誌」を読まないとならないのです。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2000年 4月 17日 (月) 桂 |
『週刊現代』は、最近小渕叩きから森叩きにシフトチェンジしたようです。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2000年 4月 15日 (土) 桂 |
ぽむの片割れとほか2名で明石に行きました。市場では強そうな魚屋(たぶん元ヤン)が仁王立ちで魚を売りさばいていてカッコイイ! 神戸にほど近いのにテイストはほど遠く、気軽に観光気分が味わえます。ついでに淡路島に船で渡り、でも安藤忠雄の建築は見に行かず、寿司屋、料亭とハシゴして帰りました。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2000年 4月 14日 (金) 桂 |
(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2000年 3月 31日 (金) 桂 |
木佐彩子の『プロ野球ニュース』降板の日でした。女子アナとして多分に漏れず、この人も学生時代から学内では有名だったが、理由は日本語がヘタなことと一日五食の大食いによるものらしい。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2000年 3月 23日 (木) 桂 |
テアトル梅田で4/29に百本の予告編を上映するという情報を、スポニチで見つけました。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2000年 2月 28日 (月) 桂 |
宮台真司の『まぼろしの郊外』が朝日文庫版で出ていました。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2000年 2月 13日 (日) 桂 |
滋賀も湖北は雪が積もっていて北陸っぽく、電車のコンパートメントもシベリア鉄道みたいにしぶくて格好よかったです。シベリア鉄道に乗ったことはないですが。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2000年 2月 12日 (土) 桂 |
『地球の歩き方』に載っているレシピで作成したクスクスらしきものを食べながら、友人2人と『未来少年コナン』を観ました。それから『建築家バトル』という、NHKの単発企画モノの録画を観ました。伊東豊雄が審査に加わっていました。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2000年 2月 6日 (日) 桂 |
雑誌『A』で、五十嵐太郎氏の部屋が間取りと写真で紹介されていました。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
2000年 2月 5日 (土) 桂 |
何げにプロ野球関連記事が充実している『ビッグコミックスピリッツ』で、オリックスのピッチャー川越のインタビューを読みました。「青学時代は思い出したくない。人には話せないようなことがいろいろあった」という主旨のことを語っていました。同期には阪神の坪井、下の学年にはダイエーの井口、倉野に広島の澤崎、ロッテの清水と錚々たるメンツ。『VOCE』連載の男前エッセイをまとめたものです。「日本の美はまず建築から」というテーマで建築にも一言ありました。(*2020年、一部文章に修正を加えました。 |
エラー
.logのファイルが開けません