ぽむ日記
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この日だけ12月 30日 日 .


朝比奈翁がお亡くなりになって、自分はオタでもヒナラー(と言うらしい)でもないけどめずらしくいろいろ考えました。

ステージに登場しただけで魚おおおおとものすごい拍手が沸き起こるのです。足取りもやばいし腕もちゃんと上がってないんですけどそれでも一部で一般参賀とか呼ばれていたスタンディングオベーションが魚おおおおおと5分でも10分でも続くわけです。うおと読んでください念のため。ああ今日も無事に舞台に上がってくれた、それだけでみんな幸せになって帰っていく、もう生きているということ自体が芸。もうクソかっこいいジジイなわけ。

この人は100歳まで振っている気がしていたしいつでも会えるなあと思っていました。だけどなぜ失われてみるまでそういう考え方がずるだということに気づかないのか。

小学生のころ親戚やいとこたちと遊園地だったか水族館だったかに行くことになって、とても楽しみにしていたのに、当日少し熱を出してしまいました。わたしは平気だから連れてってくれと頼みましたが、大人たちは「またいつでも行けるから。」と言って、あたりまえですけど取り止めにしました。でも子供というのは、「いつでも行ける」は「永遠に行けない」と同義であることを知っているのです。わたしは大丈夫だからと泣いて主張しながら、ああこの機会を逃したら二度とそこには連れて行ってもらえないのだなと冷静に理解していました。

子供は時間の価値を知っているのだなあ。子供は可能性が失われることに対して泣くんじゃなくて、目の前の一瞬が失われたことに対して泣くんだな、とか、ともあれ2回だけだけどジジイを生で聴けてよかった、とか思いつつしんみり追悼番組見てたら山崎というやつから電話がかかってきて、「追悼特番見てますかみ江さんこの手のじいさん好きでしょう。槇さんとか。」と言われて当たっていたのでむかつきました。合掌。