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この日だけ5月 21日 木 .


柳原照弘さんのISOLATION UNITの展示を見に大阪の事務所に行く。テーマは捕食じゃなかった補色。補色の関係を構造にも反映させた緊張感ぴきぴきのちゃぶ台、それとアクリル(だっけガラスだっけ)の表面に偏光する処理を施したキャンドルホルダー。ろうそくを入れたときの色の出方がとても意外できれいで、欲しいと思ってあつかましく値段を聞いたりしたものの、あんな繊細な光を暑苦しい補色だらけのあじとに置いては台無しもいいところである。

正直なところ私は色が好きすぎて思い入れ過剰なので、色のデザインについて好き嫌い以上のコメントなんかできねいよと思ったんですが、それだと能がないので、じゃあ好き嫌いをぎりぎりまでそぎ落とした最小限の思い入れとは何だろうと考えてみたよ。

思うに「形」というのはどこまでも深読みや禅問答を誘ってくる導師のようなストイックな存在であるんだけれども、「色」はどれだけ意味を込めて計算して作り込んだとしても、他人の手に渡ったら最後、「この先は言いっこなし」と、ある一線から先への介入を笑顔で断固拒絶するような、現世的で、洒落た存在であるように思います。それを体現しているのがたとえばコスメの色で、いまどきの化粧品は光学やらナノテクやらえらいことになっていて、光を集めるとか散らすとか、角度によってちがう色を見せるとか、光をあやつるテクノロジーのかたまりみたいになっている。そういう技術は美しさに関する新しい意識の発生と両輪になっていて、時代を切り開く先端デザイン分野の一つであることはまちがいない。でもどれほど考え抜いて作っても、使う人には「きれいな色〜」「カワイイ色〜」以上の感想は許さない、ていうところが色の色たる所以かなという気がするわけです。知性はないとだめだけど、それを気取らせることはしない、色とはまあざっとそんな粋な存在であってほしいのです。

これはなんだか計算ずくと知りながらも若い娘さんの「え〜わかんな〜い」にだまされていたいオサンの心情みたいだぞと思いましたが、そもそも「色」って言葉にはそんな意味もあるのよね。愛想とか表情とか気配とか。あくまで表に出ているぽわんとした現象の部分だけを切り取った語。意味と実体をほのめかしているけど絶対そこへは立ち入らせない語。もちろん色恋の意味も。日本語ってすごいですね。その意味で、ちゃぶ台は考えてることがそのまま顔に出ていて正直者ですが、キャンドルホルダーは、計算しつくしてることをおくびにも出さず仕掛けを気取らせず、ただ美しく光ってるところが、「色っぽい」なと思いました。