ぽむ日記
 なるべく everyday
 使い方・リンク方法
ぽむ日記過去ログ
ぽむ日記サーチ
この日だけ10月 9日 金 .
昨日の建築夜楽校の感想ですよ。

「建築夜学校2009 データ、プロセス、ローカリティ ― 設計プロセスから地域のアイデンティティを考える」

10/1「プロセスとローカリティの関係について考える」パネリストは五十嵐淳さん、家成俊勝さん、井手健一郎さん。コメンテータは古谷誠章さん、鈴木謙介さん。モデレータは藤村龍至さんと濱野智史さん。

今日も無線LANにつながらず、twitter実況参加はあきらめ全文文字おこししながら聞いてました。あとでログを見てみると、先週に比べるとtwitterの議論への参加人数が増えた雰囲気。建築界隈では今ものすごい勢いでtwitter人口が増えてる感じがします。ていうか自分もそうなんだけど。

初めて聞く話が多かったので、1つひとつ追ってみます。

最初の濱野さんのプレゼン「シムシティからBIM Cityへ」は遅刻により聞き逃がし(非常に残念)。

五十嵐淳さん:モンゴルでの別荘開発プロジェクト「オルドス100」での提案と、北海道での環境エコ住宅のコンペ案「ハウス・オブ・エデン」をプレゼンしてました。いずれも断熱性能の高い壁と光を透過する屋根で囲んで、内部に弱い断熱層の部屋をつくるもの。オルドスでの経験では、自らの方法は北海道だけではなくいろんな地域に通用すると自覚。「ハウス・オブ・エデン」ではオルドスでの提案に近い考え方から、気候風土、材料や構法を検討しなおしたものを提案してます。環境性能や構法の検証があらかじめどこまでできるのか疑問はあるんですが、そういう裏づけはこれから取るぜ!なものもやれるとすれば、それは作家性による力かも。いや、政治力かもしれない。

家成俊勝さん:3つのプロジェクトから「超並列」と呼ぶ設計プロセスの実践例を紹介。3人での共同設計が1つ目の住宅で、フォームと呼ぶ抽象的な形態(ルイス・カーン風?)を元に、部分は手分けして並列的に設計されている。学生と一緒に6人で設計し、施工は20人で行ったのが2つ目の製材所につくった四畳半の休憩所。建築関係者じゃない人も含んで22人で設計したのが3番目の架空のプロジェクト。参加者が自発的に「自分のものに執着しない、機能の変化に執着しない」などのルールをつくって設計を進められたという。これら「超並列」システムは、施工スキルを持つ家成さんだからこそ可能なプロセスという感じはする。もしかしたら超並列ではなくドットアーキテクツ(というか建設行為かな?)を頂点とする「直列」(←東のエデンで言うところの)にもなりつつある雰囲気も感じる。

井手健一郎さん:「面検索的設計プロセス」という方法を扱う「翻訳者的建築家像」を話す、というもの。面検索ってネーミングがすごいね! 大量の案をだし、それを一般の人でもわかるキーワードから評価して一個一個つぶしながら、進めていくもの。アイデアを順番に提供するのが建築家で、お施主さんがそれに投票しながら設計を進めるような仕組みかな? 「バリ風の木製バンガロー」というお施主さんのファーストイメージが、1年すぎて29本の柱で浮いたボックスに変身。そのうち「予算オーバーしてもいいから建物空中に浮かせましょう」とお施主さんが自ら進言するようになる、という……。そんなタフネゴシエーション的な変換システムで、もしかしたら結構な大人数を相手にしても大丈夫かもしれない。

後半は討論です。全員分、ざっくり要旨を。

古谷誠章さん:3人のやり方は方法は新しいけど、共同体の持つ何らかの幻想に期せずして到達している。いま必要なのは、更新可能な原型をどうつくるかというところ。そこを市民が理解するのは時間かかるけど、納得してくれれば合意の糸口が見えてくる。現在は建物をつくる期間がすごく長くなって数々のプロセスがオーバーラップしている。建築とは動的で竣工後も変容していくもので、建築家も保守運用まで含めた職能になりえないか。

鈴木謙介さん:関わる人数が増えるとウィキペディアの編集合戦みたいに物理的限界が生じて綱引きが起きる。コミュニティや公共建築のステークホルダーの多さをどう考えるか。建築家の作家性はどこまで持ち込まれるのか、それとも編集、ファシリテーションに行くのか。何らかのプロセスを経れば創発的なものができるのか。

濱野智史さん:ローカリティすらデータとプロセスから生まれる、ということがわかって面白かった。共同幻想が1つだったらいいけど、1万人の村で3つの共同幻想にわかれた場合、方法論の限界が来るときがあるのでは?

五十嵐淳さん:「空間」が伝わらなくても、居心地のよさや気持ちよさが伝わらないとは思わない。個人でも公共でも相手は人間だから、普遍性を持った動物的な感覚に訴えかければ文句は出ない。プロセスを問題化する意義をむしろ聞きたい。

家成俊勝さん:設計プロセスをほかの人と共同する場合、身体的な実感や実現可能性を軸にした。建物をつくるだけではなくネットワークもつくる。それが建物改変後の運用にもつながる。

井手健一郎さん:設計プロセスを共有し、教育することが町に主体性を取り戻すことにつながる。

藤村龍至さん:いまやローカリティはオーセンティックな地域性ではなく政治性に近い。空間でコミュニケートすることは不可能に近い。合意形成プロセスにどう建築が介入し、場の生成にかかわることができるか。一方で建築の現場は軍隊のように規律的に動く。建築の設計もそう。この構築的スキルの可能性は看過できないのではないか。

全体としては、建築家の新しい仕事スタイルを浮かびあがらせるシンポジウムでした。プロセスを開示し共有すること。そして庭師のたとえが出てましたが、竣工という切断で終わらせるのではなく保守運用までつきあうこと。(ちなみに保守運用については先週の山梨さんもかつてBIMがらみのシンポジウムで同様のコメントをしてました。たとえはセコムでしたが)

で、ちょっと消化不良。鈴木さん、濱野さんから出た1万人を相手にしたときにどうなるのか、という問いを回収する間もなく時間切れになっちゃった。

そして建築家の答えがちょっと苦しそうかもです。大人数を相手にすると建築家は大変で、説き伏せないといけない、という話に流れがちだったのがもったいない。オレ流を貫くために方法論を突き詰めることや、プロセスを開示することにナイーブになってるようにも見えてしまう。たぶんそれは誤解なんだけど。実際は建築設計に埋没しているわけでもなく、井手さんや家成さんがされている地元のデザインイベントを実施することとローカリティ(って結局何?)と建築づくりと政治の関係とか。時間があればもっと広がるネタがいろいろある感じでした。