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この日だけ4月 24日 土 .


【高橋先生&都市の再定義】

大学でお世話になった高橋康夫先生の退官記念シンポジウム+パーテーになけなしの勇気を振り絞って行きました。あまりにも自分がだめ学生すぎたため怖いのと申し訳ないのとで、卒業以来ずっと研究室に近寄れなかったのでした。

さんざお世話になったを通り越して迷惑をかけまくった先生方や、りっぱになった同期にもひさしぶりに会いました。歴史研なので文化財関係の職に就いた人がそれなりにいますが、設計の仕事をしてる人も多いです。最もえたいの知れないのが私です。えらい人がたくさん来るのでびびってましたが、なごやかでよい会でした。ご尽力くださった方々どうもありがとうございました。

学問の入り口に高橋先生がいてくださったのはとても幸運でした。先生は対象には公正で丁寧で厳密な立場を貫いていて、何かを言うときには実証的手続きをきちんとしなければいけないということを、態度で私らに示していました。それから、学術研究と価値基準とは別物である、ということ。計画系の研究はどうしてもそうなりがちだけど、実証的に得られた合理的だったり美しかったりする体系と、現実に今こうするのがいいっていう価値判断とを、考えなしにくっつけちゃだめってことも、教えてもらったように思います。こうしてみると何ひとつ身についてないよな……

古いものを研究する人の中には今のものが嫌いという人がしばしばいますが、先生はその点でもニュートラルで、過去の京都をいまの姿と関係づけて話すことはよくあったけど、何がいいとか悪いとかを口にすることはなかったように思います。いつも姿勢と仕草と話し方がきちんとしていて、学生に対しても、公正で丁寧で厳密な態度を崩すことがないのですね。筋が通ってておしゃれな態度。西洋の星占いふうに言うと何か重要な星を乙女座天秤座に持っていそうな。

退官記念講義は例によってちこくしたので(死ね自分)後半のみかいつまんで。東アジアは歴史的に見ても大都市の多い地域。中世ヨーロッパで世界都市と言われてたベネチアでさえせいぜい人口10万、ほとんどの中世都市は2万以下。でも中世京都は十数万人の人口があったし、中国の開封は全盛期には100万都市だった。西洋人や中国人の研究者なんかはどうも城壁がないものは都市だと思っていないようなのだが、城壁がなくても京都は都市だし、平泉にも都市的なところがあった。日本の都市史の立場から「都市」の再定義をしていかないといけないんじゃないか。という話。ふだんうかつに大きい話をしない先生が、ものすごい知識量を背負ってした大きい話はとてつもなく重く響いた。

シンポジウムは高橋先生と陣内秀信先生と伊藤毅先生。中川理先生が進行役。これも都市的なものって何だ、都市と農村の分け目って何だというすごく根源的な問題提起をして終わる。

都市ってなんだ。それはあきる野っていう中央線の支線の支線の微妙すぎるところで生まれ育ったみ江さんにはDNAレベルの大問題なのであった。(つづく)