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この日だけ5月 3日 水 .
4月30日(土)気仙沼に。佐藤敏宏さん( @satoutosihiro )にご案内いただき、 @ikasamaya さんとともに、東北大学の平川新先生、佐藤敏宏さんのご長男の大介さんらの“古文書救助隊”についていきました。東京より往復・夜行バスで2泊1日の強行。

“古文書救助隊”の正式名称は「宮城歴史資料保全ネットワーク」。活動歴は8年。旧家に残る古文書をデジカメ撮影し、東北歴史博物館など4ヶ所に記録を残すというもの。佐藤敏宏さんによれば、東北関東大地震発生から既に40件ほど調査しているとのこと。たいへんな数だ。

まず“古文書救助隊”のみなさまに連れられ、気仙沼市役所で職員の方と面会。気仙沼の名士宅のリスト(住所等と、おそらく被災状況が書かれたもの)を手に、打ち合わせ。自治体との情報網も確立されているよう。

そのリストの中の1件に向かうことに。建物や資料に直接的な被害はないお宅なので、ご挨拶のみ。アーカイブ化の礎をつくる、という目的。そこは煙雲館という名前のお屋敷で、庭園は市の名勝。グーグルマップにも名前が表示される

その館主の女性のご厚意で、我々も建物にあげてもらう。煙雲館の敷地は標高22m。そこに20mの津波が襲ったという。館は小高い丘の上にあり、その足元から浜まで続く片浜という集落では、ほぼすべての家屋が津波で流されてしまっている。そこにはこの煙雲館を守る鮎貝家の「家中」すなわち家来にあたる人々が暮らしていたという。元禄時代以前から続く地域コミュニティ。

「三陸沖地震では家中の建物は流されず、人だけが被災した」「チリ地震のときも、この高台からみんなで見ていた。今回は特別大きい津波」と館主。家に伝わって来たという、古文書が詰められた“非常持出し袋”を見せてもらう。これも代々伝わるもの。

ひとつ驚いたのは“古文書救助隊”の取っている方法が集落調査のメソッドとして非常に見事なこと。被災後のコミュニティにするりと入り込み、信頼関係を築いていく。鮮やかな手順には目を奪われるばかりだった。

そして実のところなかなかリアリティが得られないでいた「コミュニティ」なるものの実体がほんのすこしだけ理解できた。こうした集落は被災地に、いろんなパターンで無数にあるのだろうなと。

ここで時間切れ。“古文書救助隊”とわかれて帰路につく。彼らは唐桑町の被災した建物に向かった。短い時間ではあったけど、濃密だった。同じ海沿いの集落を見たとしても、おそらく煙雲館の家に上げていただき、お話を聴かなければ、見える風景は違っていた。貴重な機会をいただき、本当に感謝しています。

◎見学ルート

より大きな地図で 20110430_気仙沼 を表示

◎写真
20110430_kesennuma


◎動画
気仙沼市街。海辺へと移動するごとに被害が大きくなる。


煙雲館と片浜集落の、360度動画。高台の少しの段差が被害を分けている。