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6月 26日 日 | ▲ . |
その2。 2日目は大槌行きのバスに乗った。今日は@natsumi_iさんと一緒。土曜日のせいか参加者の年齢層高め。土曜は社会人がたくさん来るので、自営業や自由業などの野良大人(©@yoshihirohoriiさん)や、留年が決定した学生のみんなたちはなるべく平日に行きましょう。 本日の作業は雇用促進住宅すなわち団地の外構の掃除。まずはフェンスにえたいのしれない綿状のものがびっしり貼りついているので手作業で取る。説明がしづらいけど、たぶん断熱材の繊維と、布類の繊維と、泥が混じったみたいな灰色のもの。フェンスが洗濯ネットみたいな役割をしたのだな。被災地では今まで見たことのなかった種類のごみというか、がれきというか、「もの」の今まで見たことなかった様相を見つけて戸惑う。屋根瓦の上にお茶わんが載るなんてふつうはないよね。フェンスは波で傾いてて、いずれ取り替えなきゃいけないけど、先に直すところはいくらもあるから、きっと当分このままだろう。 そこはかとなく積もった泥を土のう袋に詰める。泥というのは一見ふつうの土っぽいが、湿ると質の悪い磯のにおいがする。埋まっている大小の漂流物を分別する。泥をかぶっても各種雑草は元気に育ち、ますます片付けがしづらくなる。 団地の2階以上は無事なので現役続行中だけど、あまり人気がない。たまに喪服の家族が出入りする。なにしろ町民の10分の1は行方不明で、3分の1は町外に退避してるんだものね。残った人は、仕事があれば仕事、なければ職探し、お葬式、法事、各種手続き、引っ越し準備、親戚の家の片付けの手伝い、明日ここに住めるかもわからないのに庭掃除してる余裕はないだろう。40人で4時間働いて余裕で終わるかと思ったら全然終わらなかったもの。 撤収の支度をしていたらサイレンが鳴る。2時46分。ちょうど100日目の合同慰霊祭だった。 釜石の中心街を通って盛岡に帰る。アーケード商店街の1階部分がめちゃめちゃになったままでいる。どの建物にも赤スプレーで×が書かれている。解体していいですよの印。 東京から来てるリピーターの女性と、盛岡から遠野を経由して沿岸の町に行く風景がいいのよねえという話で盛り上がった。この勾配のゆるい山とゆるい沢がいいのよねえ。小さな田んぼがいいのよねえ。たまに現れる鳥居がいいのよねえ。こんないい景色見せてもらえるなら泥そうじぐらいします。 途中には眼鏡橋もある。大正4年昭和18年改修RC。5連。細い薄い。単線の釜石線が走ってる。銀河鉄道も走ったらしい。(ググるといっぱい出てくるライトアップ画像は萎える。)田んぼと鉄道は日本の田舎の黄金コンテンツ。というか屋台骨。この国の半分ぐらいは米とコンクリートでできている。 つづく。 |