2000/05/10
読書かんそう文

『太陽』 2000年4月号 特集・古民家再生術
「現代建築は、茅葺き屋根の夢を見るか?」

一般総合誌なのでけんちく入門ふうに書いてみましたよ。


1 けんちく家・隈研吾氏が民家の設計をやっています。
しかもバリバリの茅葺き。なんでも雪国の環状集落に町の交流施設をつくるらしいです。信じられますか。信じられませんね。「隈研吾と民家」。「ハンバーガーとみそ汁」「GA JAPANと山岸常人」ぐらい似合わない組み合わせです。

 なにしろ隈さんは今をときめく理論派「現代けんちく」家です。ポストモダンなどという言葉がはやったバブルのころは『M2』に『ドーリック』と切り張り成金けんちくを建て、透明性という概念が幅をきかせるようになると『水/ガラス』や『亀老山展望台』といった物理的/比喩的に透き通った建物をつくり、常に時代のキーワードをフルに活用した設計をしてきました。最近はコンピュータとかIT革命などの言葉がお気に入りみたいです。

 さてそんな現代けんちく家が民家をやって何が変か。いまナゴミとか癒しとか言われて民家がまたちょっとはやってるし、新しもの好きの隈さんが民家に目をつけても別におかしくないではないか。違います。ちょっと長いですが隈さんの文章を引用しましょう。


 まず第一は、設計することがないという困難であった。周囲の茅葺きの民家に調和し、馴じむようなデザインにしようとすれば、ほぼ外観は決定されてしまう。考える余地はほとんどない。屋根の頂部にのる「グシ」と呼ばれる金属製の棟押さえをどの程度の寸法にするかとか、裁量の余地と幅はきわめて限られている。

 同じように、建物の平面計画においてもほとんど考えることはない。建物の規模は与えられているわけだから、たとえば二間×五間の長方形の平面計画にして、北側の角にトイレと収納と厨房をつけて、あとは広間としてゆったり使おうみたいな話が決まれば、それ以上に考える必要は何もない。民家は長い時間をかけて平面計画の定式を作ってきたから、規模が決まればほぼ自動的に平面計画もできあがってしまうのである。

 考えることがなければ、楽でいいじゃないかと思われるかもしれないが、実際にはまったく逆である。建築家というのは何か新しいことを考えなくてはいけない商売なのである。新しい形態と新しい平面計画を考えることができなければ、建築家失格! というのが近代の掟だったのである。新しい形態と平面を提出できなければ建築雑誌も取り上げることはないし、建築家として評価される可能性も一切ないのである。ところが民家を設計するとなると、この掟はまったく通用しない。新しい形態や新しい平面を提出する必要は一切ないのである。もし、そんなものを提出しようものなら、とてつもなく奇妙で使いづらい建築ができあがってしまう。
ファッキュー(FAQ)のコーナー
Q 平面計画とは何ですか?
A ようするに間取りです。

2 「建築家は新しいことをするのが仕事なのに、民家は新しいことをする余地がない。困ったぞ。」
たいへん率直でわかりやすいお話でしたね。

 伝統的な日本家屋は、隈さんが説明してくれていますが、長い間にできあがったルールがあります。柱の間隔や畳のサイズはどこのおうちでもほとんど一緒だし、部屋の並びかたもだいたい決まっていて、床の間のあるお座敷のすぐ隣にお風呂があるなんてことはまずありませんね。大工さんにおうちづくりを頼むと、おおよそのイメージを伝えれば、図面なんかろくに描かずともさくさくっと建ててくれますね。ルールがあるからです。

 このルールの基準となる単位が「間」です。だから「間取り」といいます。でも、大学のけんちく学科に入学して最初の設計の授業のとき、隈さんのご学友であるけんちく家、竹山聖先生は言いました。「『間取り』という言葉を使ってはいけない。『平面図』といいなさい」

 20世紀のけんちくは、ある意味で、歴史の蓄積を、けんちく家個人の発想で越えようという挑戦でした。「いままでのけんちくは伝統や慣習や常識で建っていた。そんなものはだめだ。これからは自分で自由に考えた建物をつくろう。」こうして、柱の間隔をいくらにするかとか、お風呂をどこにつくるかなどは、けんちく家めいめいの判断にゆだねられるというふうにルールが改正されました。そういう個性こそが、けんちく家にとっていちばん大事なこととされるようになりました。

 だからいちばんあったらしーいことをした(言った)人がヒーローです。いままで誰もしなかったことをした(言った)人がヒーローです。隈さんもこうしてヒーローになりました。

 でも民家の設計には、けんちく家の商売道具とされてきた「自由な発想」とか「斬新なアイデア」が通用しません。ルールが違うからです。サッカー選手が突然柔道の試合に出されるようなものです。こんな仕事を引き受けるのは選手生命に関わる大問題です。



3 さて困った隈さん、どうしたか。
そんな悩みを抱えて迷っている最中に、同じ高柳町で和紙を漉いている小林康夫さんに出会ったのである。……なにより一番おもしろいのは、最後に漉き上がってくるのは、どれも同じ大きさをした、彼以外の人にはほとんど同じものとしか見えない和紙であるということなのである。外観と平面計画の新しさという近代建築流の評価基準から見たならば、彼のしていることはただの繰り返しにすぎない。……しかし実はその繰り返しにしか見えないものの中にこそ、無限の深さがあり、決して飽きることがないほどの発見が約束されているのである。それが物質というものの深さであり、世界というものの深さであるといってもいってもいい。
なんと「柔道をやる。柔道は深い。」と言っています。信じられますか。信じられませんね。

 日本家屋のお宅にお邪魔して立派なお座敷に通されたとき、挨拶がわりに「いいお座敷ですね」と言ってほめますね。ここでいう「いい」とは何が「いい」のか。わからなかったらこんなとき海原雄山なら何と言うか想像しましょう。

「この柱は欅ですかな。それにしてはずいぶん赤いですな」
「ええ、このあたりの欅は赤いんですわ」
いい木ですなあ。目が素直に通っている。欅につきもののひねた感じがなくて上品だ」
「先々代がこの家直したときに譲ってもろたんですわ。昔はこの山の裏のお寺さんで使われていた柱やそうです。最近はこんな木、探してもなかなか見つからなくなりましたな」

 伝統的なおうちは物質=モノが命です。間取りなんかどこの家も一緒ですから差がつきません。そのかわり家主は、立派な木を使うとか、気のきいた素材を組み合わせるとか、そして腕のいい職人を使って美しく仕上げさせるとか、そういうところに命をかけます。そして素材の善し悪しや大工仕事をきちんと評価できる「目利き力」は一種の教養でありました。

 隈さんはどうやら民家の論理がモノにあることを悟られ、それに従うことにしたようです。ようするに伝統の前に折れたわけですね。



4 といってもそこは隈さん決して敗北宣言はしません。
 そして、民家以外の対象にたいしても、この民家的なる方法の可能性を試してみたいと、今考えている。
 建築が終わり、民家がはじまるのかもしれない。そのきっかけがコンピュータだというところがおもしろい。近代的な表現方法が究められた時に、「民家の時代」がはじまったのである。
 「先祖返りではない。近代の先に民家を発見したのだ。」と言っていますね。過去に帰ることは今のけんちく家には許されていません。許されるのは前進のみです。昔に帰るぜなどと言おうものならたちまちドロップアウトです。現代けんちく家の誇りにかけて、「これからは柔道の時代だ。」と言わなければなりません。

 先祖返りでも前進でもどっちでもいいです。けどこんなことを言うなんて隈さんなかなかイカしてます。

 なにしろこの100年ぐらいみんな新しい形をつくることに夢中になって、けんちくはモノでできているということがずいぶん忘れられてきましたからね。モノには関心がないなんて平気で言うけんちく家もいるぐらいです。そのおかげで夏暑くて冬寒いカッコイイ建物とか、数十年使われたらゴミにしかならないぴかぴかの建物とか、地球環境と日本の林業に迷惑なエコ建物なんかもずいぶん建ちました。新しい形はひととおり出尽くして、けんちく家も途方に暮れています。

 「これからはモノの時代です。」今だからこそ説得力のある主張です。さすがオピニオンリーダー。隈さんが言えばコドモも真似するかもしれません。

 そうして隈さんがCADでこしらえた平面図は、まあなんと簡潔で明解でキレイなのでしょう。まるで妹島和世の図面のようですよ。というかそもそも彼女の設計方法自体が民家的なんですけど。現代けんちくのトップスター二人に支持されて、もう民家は無敵です。




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