ぽむ日記
あなたは「 山崎 」で検索を行いました(プ

2009年 6月 22日 (月)
なお山崎泰寛氏も息子の槙くんと来てましたがこれはあまり久しぶりではなく、槙くんにも顔を覚えてもらってるみたいでちょっとウレシイです。


2009年 4月 25日 (土)
検索して) 暮沢さん書評 あまぞん 南洋堂 柳々堂 倉方さん 星さん 満田さん 暁さん 関口さん 谷尻さん 山崎さん アップリンク新井さん み江日記 桂日記 五十嵐隊長……執筆者/インタビュイーがめちゃくちゃ多い本なので、検索したら大変なことになりました。


2009年 4月 15日 (水) み江
山崎泰寛編集長。


2009年 2月 23日 (日) み江
11日はラブマスター山崎&夏実さんの車に乗っけてもらって宮本佳明さんの住宅のオープンハウスに行きましたよ。


2008年 11月 18日 (火)
偶然あった山崎一家と一緒に見学。


2008年 10月 29日 (水)
岡田さん、宮原さん、山崎さん。


2008年 3月 15日 (土)
詳しくは山崎のレビューをどうぞ。2位になった話題(?)の斧澤さんと授賞式も終わった後話す機会が少しあり「何故せんだいに出したのか?」と山崎が質問。


2008年 3月 7日 (金) み江
尾上さんは髪が少し伸びていてますます山崎一志」参照';return true">ハチクロの山崎に似ていた。


2008年 2月 24日 (日)
1/12はアートアグネスに山崎と行きました。山崎とエヌ実さんの息子である槙くんが、みんなの似顔絵クッキーをつくってくれました。


2007年 3月 8日 (金)
3月より東京で働いている山崎と一緒にまわってきました。


2006年 9月 29日 (金)
こめんと:-----------------------From: 山崎 泰寛Subject: 左京区Sun, 1 Oct 2006 15:29:36 +0900----でもあれですね、左京区民はみんな社会不適応者に違いないという正しい誤解が広がる一冊に仕上がってましたね・・「インドに行くぐらいなら京都へ」という都築きょういち説を積極的にフォローするっていうか。


2006年 8月 11日 (金)
写真集めは山崎で、多大な苦労をかけました。


2006年 6月 18日 (日) み江
【7R】3歳上500万 1000円→0円×一頭の厩務員コメントを真に受けた○それ以外は完璧まとめ:嘘を嘘と見抜けない人は(略【10R】大山崎特別 600円→0円×頭使ってない×パドック見に行ってないまとめ:眠いなら帰れよ【11R】マーメイドS 1000円→0円×変なレースだから参加しないともったいない気がしたまとめ:準備不足。


2005年 11月 10日 (木)
山崎@出雲出身から情報を大量に仕入れたおかげもあって「あご野焼き」「俵まんじゅう」「生姜糖」「島根牛カレー」などお土産を珍しく大量に購入。


2004年 6月 26日 (土)
(しゃべれませんでした)この建築批評講座、いうなれば「五十嵐太郎養成講座(by山崎)」。


2004年 4月 18日 (土)
とにかく視聴率の高いサイト(ココココ)に立て続けにさらされて…という状況の山崎が挙式のために実家(島根)に帰っている。


2004年 4月 12日 (日)
なので、山崎の希望に従い、日頃から行きつけているカフェ・maniaに。


2004年 4月 9日 (木)
戻るとなにやら疲れたかんじの山崎がいて、カウンターの中になんだかしっかりした名刺がいっぱい並べてある。


2004年 4月 7日 (火)
山崎のかわりです。給料安くてもいっぱいはたらける人、下記の状況を見てもひるまないこわいもの知らず、「オレは山崎ってヤツなんかより仕事出来るぜ!」という自信まんまん君いらっしゃい。明日から社長がミラノへ旅立つので、その前に貰うべきハンコを全部もらうべく書類を整える、、なんてことは、ほとんど山崎はしばらく音沙汰がありませんが、生きています';return true">山崎が済ましている!すばらしー。お客さんがとぎれた時に、山崎と諸々の打ち合わせを行う。


2004年 4月 5日 (日)
いちおう今後のヴィジョンはあって、うまくいけば数ヶ月後は左うちわで、今の日記を見ながら「ああああのときぁ大変だったねえ」なんて山崎と語り合えればいいなと思う。山崎にはもっと(私にはできない)高度な仕事をしてもらうので、細かい作業は自分でこなさざるを得ない。


2004年 4月 3日 (金)
「店のディレクションだけをしてるの?」店番も掃除も受発注も我々(平塚+山崎)がやり、週に5日ほどお店に立っています。(山崎は約週3ちょっと)「好きな本に囲まれてるのっていいなあ」好きな本は流通の事情で入れるのが難しかったり、大して売れなかったり、お店の雰囲気にあわなかったりするので、あんまし置いていないです。このあたりの手間がかかる部分は、ほとんど山崎がやってくれてる。全負担をしょってくれた山崎ありがとうゴメンナサイ。で、11時すぎにスフェラに戻ったら、まだ山崎もイズミカワさんもキラーズさんも残っててビックリ。


2003年 7月 17日 (金)
「スフェラ・アーカイヴ」の店番として、ほぼ常時山崎かワタシかどっちかがいます。(このへんの辛くめんどくさい作業はすべて山崎がやっている。


2003年 6月 2日 (月)
昨日夜は一緒に来てた山崎に連れられて、彼のゆかいなテンプラ屋仲間とか、ミリメーターとか、wtnvさんなんかと新宿のいなたいお店で飲んでました。


2003年 3月 25日 (水)
山崎と一緒にやります。山崎について知りたい場合はこのようにぽむ日記を検索すると良いな。さて、この岡田さん、今日山崎とした打ち合わせで、こんなことを言っていたそうです。


2003年 2月 15日 (土)
明け方新宿に着き、歌舞伎町のまんが喫茶で準備しつつぐだぐだした後、山崎と合流してリベキン展を見物。


2003年 2月 3日 (月)
名大の恒川先生などもいらしてみ江と先生方は名古屋都市論について議論、私と隊長(となぜか来ている山崎)は本というか本屋の話を。


2002年 10月 13日 (月)
昼過ぎに下北沢で待ち合わせ、山崎という人とともにその界隈の複合系本屋さんをうろうろしました。


2002年 10月 13日 (月) み江
そんで今日も左の人と山崎改めミスター山が本屋めぐりをする一方、実家で昼過ぎまで寝てました。


2002年 10月 12日 (日)
隊長ホリイさん磯さん菅野さんと山崎で原宿のタイ料理屋で食事しました。


2002年 6月 20日 (木)
ながさわさん、山崎と一緒に。


2002年 6月 1日 (土)
とても10+1な感じなのは山崎が連れて来たからなのです。


2002年 5月 14日 (水) み江
そしたら山崎という人はネクタイ着用で来やがりました。


2002年 4月 22日 (月)
sputnik@IDEE副編集長のくさなぎさん・セットエンヴ管理人のIさん・浅見俊幸建築設計室さん・高田和政建築設計室さん山崎の知り合いつながりで初対面。


2002年 4月 20日 (土)
ケンチクナイトお手伝い人でこのたび京大の某T研構成員となったdoppo君、ながさわ、山崎も呼び(つけ)ました。


2002年 3月 29日 (金)
ひきつづき【ケンチクナイト】に映像とパンフレット用の文章を寄せていただいたお礼のために、山崎とともにアトリエ・ワンを訪ねました。


2002年 3月 28日 (木)
ゼロスタshoさんと田中浩也さん、住宅建築中村謙太郎さんと、ちょうど東京に来ていた山崎がきました。


2002年 3月 14日 (木)
編集長は山崎です。編集長の山崎が「このパンフを読むためにケンチクナイトに来い」と言っています。


2002年 2月 14日 (木) み江
山崎という人も打ち合わせに来ました。


2002年 2月 6日 (水) み江
会場でお客さんに配るパンフレットづくりのノウハウを教えてもらうため、パンフ編集長の山崎とともに、イズミという人を訪ねました。


2002年 1月 19日 (土) み江
(たぶん)日本で最も忙しい指揮者健さんが大阪に来たので山崎という人と聴きに行きました。


2002年 1月 8日 (火) み江
そこで先日諏訪内晶子ファンであることをカミングアウトした山崎という人がいいことを言った!「ライト=カラヤン」なるほど計算ずくで商売人で口八丁で巨匠ですね。


2001年 12月 30日 (日) み江
子供は可能性が失われることに対して泣くんじゃなくて、目の前の一瞬が失われたことに対して泣くんだな、とか、ともあれ2回だけだけどジジイを生で聴けてよかった、とか思いつつしんみり追悼番組見てたら山崎というやつから電話がかかってきて、「追悼特番見てますかみ江さんこの手のじいさん好きでしょう。


2001年 12月 7日 (金) み江
今年に入ってからぽむ2名で大小4回の引越しをしており、ハラグロ山崎改めエロ崎先生とこんちうはかせという人がほとんど専属引越しスタッフと化しています。


2001年 11月 20日 (火) み江
で、仕方ないから弁当食いながら出待ちでもするかってんで、締め出し食らった山崎って奴と外に出たら、学外らしき人に、建築学科どこですかって訊かれたんです。


2001年 11月 19日 (月) み江
真っ暗な神社でかなり本気で無口になっていた左の人と、星が飛ぶたび「あっ」とか「わー」とか言ってなかなか願いごとが言えない山崎という人の姿が印象的でした。


2001年 8月 30日 (木)
■8月中は古い部屋と新しい部屋と両方借りた中途半端な状態で、今書いたようなことをしみじみとかみしめていたのですが、8月も終わりに近づきさすがに旧居を出て行かねばならなくなったころ、山崎というひとから電話がかかってきました。


2001年 7月 6日 (金) み江
 ・教育学部生 ・ドラマー ・島根県人以上の全項目に当てはまる山崎という人とともにデルタで花火をしたり、なぜかetwでビールを飲んだりしています。


2001年 6月 16日 (土) み江
いつもとは違ったメンツで歌いたいのですが、今のところ参加予定者がわれわれと山崎君(勝手に入れた)だけですので、この場で参加者を募集します。


2001年 5月 24日 (木)
「10+1」に原稿を書いたりしている学校建築研究者、山崎泰寛さんに会いました。さて、この山崎という兄さん、文章テンプラ屋まっしぐらという趣なのですが、なんだかウマが合うというか、話の通りの早いかたで、例えばあのけいぶん社などについても、「行ってみたけれども、小じゃれたわかものが多くてどうも……」などと京都歴1ヶ月半とは思えない正しい理解(?)を示しておりました。


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